批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

「大失敗」十一月記事まとめ

(九月・十月の記事まとめはこちらです)

 平素より大変お世話になっております。批評集団「大失敗」の左藤青(@satodex)です。

 いよいよ寒くなってきましたね。実は『大失敗』第一号の原稿がだいたい出揃い、今編集作業に入っています。胃が痛いです。本誌の方の情報も、もう少ししたら解禁していきます。「アクチュアル」かどうかはわかりませんが、この平成の終わりに出るものとしてはきっと異色で面白いものになっているはずです。

 さて、十一月の記事まとめです。

10、資本主義的、革命的(後編)(11月9日)

daisippai.hatenablog.com

 ブログ立ち上げから十個目の記事です。前編と合わせて結構読まれた気がしますし、いまのところ僕の代表作みたいな扱いを受けていて、お褒めいただく機会も多かったです(ありがとうございます)。外山恒一の戦略ないし理論的射程を、「批評」的文脈と比較しつつ、言語化した例はそれほどなかったのではないかと思っています。

 まあ、書いていることはある種の読者にとってはだいたい「自明」ではあるのですが、「こんなの自明だよ」ということを、誰もやってないうちに言語化してしまうのも批評ですよね(というか、その「自明さ」は文章が書かれたあとから発覚する一種の錯覚だったりするわけです)。そういう錯覚、ないし「共同の場」を作ることができていれば幸いです。

 そしてこれは、個人的にはブログ記事の中で書くのに一番苦労したものでもあります。外山論と言いつつ東浩紀に関する記述が多いのも、そういう痕跡が見えますね。苦労の甲斐あって、とくに「我々」の問題、「共同性のない共同体」(これは実はバタイユジャン=リュック・ナンシーブランショといったフランスの思想家たちの主題でもある)についての箇所は自分で気に入っています。

 柄谷は近年、デモによって社会は「デモがある社会」に変わる、よってデモは社会を変えているという、ほとんど空虚なロジックを組み立てているわけですが(笑)、外山氏がやっているのは実はこれを派手に・面白くしたものなのではないか、と思うんです。

 もちろん彼は真面目に「ファシスト」でもあるわけだからそれだけではないと思いますが、少なくともパフォーマンスの次元では、柄谷ロジックの空虚さをラディカルに実践できるのは外山恒一だけでしょう。彼がいることによって社会は直接的には変わらないかもしれないけれど、少なくとも「運動がある社会に」は変わると、まあそういうことですよね(東の「批評」の場合も同じです)。それは結局、「人民」が持っている当たり前のような「リアリティ」を揺さぶることであり、異化を目指すということです。

 そんな感じの記事でした。結構中心的に使っている『批評空間』の「いま批評の場所はどこにあるのか」座談会は、現在の「批評」観(批評=思想)がどれほど偏ってるかを知るためにはかなり重要な座談会ですね。いま読んでる人間がどれほどいるのか知らないけど。 

11、絓秀実入門(前編)(11月16日)

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 しげのかいりによる絓秀実論です。しげのは絓氏の文章を兼ねてからよく読んでいて、僕は彼から長年「スガを読め」と言われてきた(笑)。やはり気合が入っているなと思います。

 絓秀実氏といえば「一九六八年」論で有名な批評家です。けれども、その射程を六八年五月に押し込めて、単なる全共闘経験者・左翼運動家のように捉えるのも少し違っていて、彼の六八年論はリテラルに運動を語りつつ、同じ枠内で、しかも一定以上の抽象度で表象文化(文学やら芸術やら)の話をするから「批評」として成り立っているわけで、その両義性というか、不可思議としかいえないバランスとダイナミズムが考えられるべきですよね。

 僕は密かに現在の状況を「絓秀実ルネサンス」だと思っているのですが、これは「小林秀雄の言葉は今なお生き生きとして我々の思考を捉えている」とか「吉本隆明(略)」とかいった、そういうおじいちゃん的言説ではなく、絓氏の批評の射程が今だに現代の問題に突き刺さっており、それが特に震災以後際立ってきたように感じるからですね。絓秀実の批評は誠実な「批判(critique)」として、単純に昔も今も有効であるのではないかと。

 これも、筒井康隆との論争(?)を扱ったことで結構読まれたようです。僕の東・外山論は一気に拡散されて読まれたような感じだったのですが、しげのかいりの記事はそういうインスタントに消費されるものというより、少しずつ拡散されて、じわじわと読者を獲得したような感じで、僕と彼の文章の性質の違いがわかって個人的には面白かった(まあ題材の違いも大きくありますけど)。しげのかいりは自衛隊でお国のために日々シバかれているため、中編以降がいつになるかわかりませんが、まあ気長にお待ちください。 

12・13、待ちぼうける陽水(前編11月23日、後編11月30日)

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 左藤の井上陽水論です。割と記事が足りなくなり、かつて書いたものを急遽書き直したものです(もはや僕としげのの共同ブログみたいになっており、疲れてきたので「大失敗」は書き手を募集しています)。

 僕はフォークというジャンルはそれほど好きではないのですが、陽水に関しては割とよく聴きます。まあいまさら陽水論を誰が読むんだという感じで、これは本当にジワっとしか伸びなかったですが、毎回ビュー数を狙っていくサイトでもありません(そんなことをしても我々には一銭も入らない)。

 記事がかわいそうなので、せめても長々語っておきましょう。これは批評家・蓮實重彦の表層批評=テマティスム(小説や映画を、その物語や主題や「言いたいこと」といった「深層」ではなく、具体的な描写や作家の手癖から読み込む)を一回真似してみよう、と思って書いたものです。「踏切り」が何かの比喩(「都会」とか)ではなく、むしろそれは具体的な「境界のイメージ」なのだ、みたいな話がそれっぽいなと自分では思います。うまくできたかはわかりませんが。

 けれども、自戒を込めていうと、このテマティスム自体はわりと誰でも時間かければ真似できると思うのです。その上、何か巨大な謎を明らかにしたような気に(書き手も読み手も)させられるんで結構危ない手法でもあるんですよね。そもそも蓮實の文体そのものにも独特の快楽があって(ああいう文体を開発できるのが批評家だなと思います)あれも真似すれば書けるけど「書けるだけ」だけなんですよ。むしろ問題は、どういう「深層」を裏切ることができるかであって、手法自体はそれほどすごいことではありません。やたら流行っている業界もあるようですが。

 この場合は大澤真幸の『虚構の時代の果て』に一瞬だけ登場する陽水に関する解釈(竹田青嗣からの引用ですけど)がその「裏切る相手」だったわけで、途中で岡村靖幸みたいな全然関係ない名前も使いつつ、『虚構の時代の果て』が提出している図式自体に疑義を呈することができればいいと思いました。「虚構の時代」と「理想の時代」とかいうけど、両方結局都合よく「待ちぼうけ」てるだけのモラトリアムなんじゃないの? みたいな話です。

 そして、後編で書いたようにもちろんそれは「いま・ここ」の問題でもあって、我々はどれほど希望がなくても勝手に希望があるかのように、つまり何かの意味を「待ちぼうけ」ればなんとかなるかのように「お話」を作るわけですね。シンギュラリティとか。もちろん、人間は物語がないと生きていけないとも言えるのだけれども、一方で、例えばスラヴォイ・ジジェクが去年『絶望する勇気』という本を書いたけれど、あそこで言われていることは正しい指摘だと思っています。

ここで浮上するのは偽物の活動という概念である。要するに、人々は何かを変えるために活動するだけではない、人々は何かが起こるのを妨げるために、つまり何も変わらないようにするために行為することもできるのである。これはまさに強迫神経症の典型的な戦略である。〔…〕/〔…〕危険なのは受け身の姿勢ではなく、にせの積極性である。つまり、「積極的」でありたい、「関与」したい、事態の無意味さを糊塗したいという衝動である、人々はなんでも首を突っ込む、「何かをする」。〔…〕われわれは、今日の苦境に効果的に介入できるようになるために、一歩身を引いて思考する必要があるのだ。(スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気』)*1

 実は言っていることはごく当たり前の「理性的」で「知性的」な言説なんですが、日本にはほとんどこういう人は、とくにリベラルにはいないんじゃないですか。 柄谷でさえデモ行くんだから。

十一月まとめ

 そういえば、十一月の出来事として、第一号に寄稿を予定されていた永観堂雁琳氏が急遽辞められるということがあったようです。まあ我々いかんせん地味なので、彼のような「活動家」にはどうにも内向的なオタクの集団に見えてしまったのかもしれません。実際そうなんだけど。もちろん、理念は共有しているはずですから(?)これからも我々は(というか、僕は)雁琳氏の「批評」から遠く離れて、密かに応援しております。

 さて、そんな不人気批評集団「大失敗」ですから、皆様におかれましてはブログの「読者になる」ボタンを押していただくか、Twitter (@daisippai19) をフォローしていただければ大変励みになります。あと質問箱も始めましたので、ご利用ください。

 「大失敗」は本当に書き手を募集しております。本誌第一号の原稿は足りてるんですけど、ウェブ上で何か書きたい方、次号以降で書きたい方、「『批評』に飽きた」方はぜひTwitterのほうでDMください。ご相談だけでも結構です。

 

 『大失敗』Vol.1は一月二十二日に京都文フリで発売です。どうぞ皆様お買い求めください。

 それでは失礼いたします。

 

(文責 - 左藤青 @satodex

*1:スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気』中山徹訳、青土社、2018年。448、449頁。強調ジジェク

待ちぼうける陽水——井上陽水『氷の世界』について(後編)

道は光ばかり
胸の影を誰が知る(平沢進 - 空転G)

※前編

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〈夜〉=執行猶予

 前編では、『氷の世界』が、常にある踏切=境界=「断絶」のイメージで貫かれていること、その彼岸と此岸のどっちつかずの緊張感において井上陽水は「待ちぼうけ」ていることを記述した。けれどもここからは、いささか例外的すなわち特権的な事項について述べておかなければならない。

 外を見つめながらも内に引きこもり続け、「断絶」を必要としながらその「断絶」の裂開を希求する、不在の他者だけをただ待ち続ける、そのようなひとつの「メシアニズム」がここにある。けれども、実は井上陽水は、この自身の欲望が全く不合理であることをどこかで理解している。つまり、いつまでも「待つ」ことが不可能だと知っている。それを確認するために、ここでは井上陽水の〈夜〉の性格について書いておく必要がある*1

夜が来た/華やかな/ドレスを着飾り夜が来た

きれいだな/ふるえそう/今夜は誰でも愛せそう井上陽水 - はじまり)

 ここで井上陽水は「今夜は誰でも愛せそう」という驚きを隠せない文言を口にしている。目の前に現れる他者は全て避け続けてきた井上陽水が、である。アルバムの(一曲目からシームレスにつながった)二曲目であり、40秒にも満たないこの楽曲において、そして全体の「はじまり」を告げるこの位相において、井上陽水はここまでに記述してきた図式、すなわち欲望と他者の二重性を全て破壊し、開き直ってあらゆる他者を肯定するかのように見える。

 一方で最後の楽曲である“おやすみ”を見てみよう。

あやとり糸は昔/切れたままなのに

想いつづけていれば/心がやすまる

もうすべて終わったのに/みんな/みんな終わったのに

 

偽り事の中で/君をたしかめて

泣いたり笑ったりが/今日も続いてる

もうすべて終わったのに/みんな/みんな終わったのに

 

深く眠ってしまおう/誰も起こすまい

あたたかそうな毛布で/体をつつもう

もうすべて終わったから/みんな/終わったから(井上陽水 - おやすみ) 

 ここでは、「今夜は誰でも愛せそう」(“はじまり”)と「想いつづけていれば/心がやすまる」(“おやすみ”)の対応関係に目を向けなければならない。

 すなわち、井上陽水は「はじまり」の躁状態(=祭りの前)で、〈夜〉の訪れを告げ(「夜が来た」)、その〈夜〉が終わる「おやすみ」の鬱状態(=祭りの後)において、「もうすべて終わったのに/みんな/みんな終わったのに/深く眠ってしまおう/誰も起こすまい」と述べているのである。

 〈夜〉は、一種の祝祭の空間であり時間なのだ。そこでだけ井上陽水は、あらゆる「断絶」=距離を排除し、「君をたしかめ」ることができる(もしかすると、『ツァラトゥストラ』のニーチェならば、全く逆に、この〈夜〉を「大いなる正午」と呼ぶかもしれない)。そして、「深く眠」ることは、その〈夜〉の終わり、〈夜〉の不可能性を表示するのである。

 もう一つの補助線を引こう。

思ったよりも夜霧は冷たく/二人の声もふるえていました

“僕は君を”と言いかけた時/街の灯が消えました

もう星は帰ろうとしている/帰れない二人を残して

 

街は静かに眠りを続けて/口ぐせの様な夢を見ている

結んだ手と手のぬくもりだけが/とてもたしかに見えたのに

もう夢は急がされている/帰れない二人を残して(“帰れない二人”)

 この詩において忌野清志郎井上陽水が述べる一種の「理想状態」は、またもや〈夜〉として表現される。あれほど他者との「断絶」を強調してきた井上陽水が、ここでは「帰れない二人」として容易に他者との共同を告知する。「“僕は君を”と言いかけ」、二人が直接コミュニケーションしようとしたその瞬間、「街の灯が消え」、〈夜〉が訪れる。〈夜〉は一つの「例外状態」なのである。

 「二人」(僕と君)はあくまで〈夜〉の間だけその理想を持つことができるのだ。けれども、その〈夜〉さえ、「急がされて」いる。“おやすみ”を見れば明らかなように、「偽り事」なのは、まさに〈夜〉そのものなのである。〈夜〉はつねに明けるし、一旦停止はあくまで一旦停止であり、完全な停止ではない(モラトリアム)。

 踏切りを前にした「待ちぼうけ」・滞留(祭りの前)、〈夜〉の祝祭時間・祝祭空間(祭りの最中)、そのどちらかに属している限り、井上陽水は、いつまでも終わることのない夢に安堵していることができる。けれども、実際には彼は、〈夜〉の「執行猶予性」を自覚してしまっていた。このことは井上陽水にとって絶望である。“氷の世界”のディストピアは、その執行猶予が嘘でしかないことに気づいてしまった、その絶望を表象する。

誰か指切りしようよ/僕と指切りしようよ
軽い嘘でもいいから/今日は一日はりつめた気持でいたい(井上陽水 - 氷の世界)

 ここで明らかになるのは、実は井上陽水は滞留に対しても、不在の他者に対しても、ひとつも心酔してはいないことである。“チエちゃん”も“小春おばさん”も、他のあらゆる「君」も、「偽り事の中」でしか愛することができない。けれども、全てが虚構であり、「もうすべて終わっ」ていたとしても、「想いつづけていれば/心がやすまる」のだ。

 井上陽水は、その安堵・その滞留がいつか解かれてしまうことを知っている。一旦停止が結局たんなる「一旦」停止であり、執行猶予が猶予に過ぎないことを知っている。井上陽水に残されたのは、できる限りその時間を「のばしてほしい」と、願うことだけである。

踏切りのむこうに恋人がいる/あたたかいごはんの匂いがする
ふきこぼれてもいいけど/食事の時間はのばしてほしい
ここはあかずの踏切り(井上陽水 - あかずの踏切り) 

 “おやすみ”はその井上陽水の醒めた告白である。「あかずの踏切り」はいつか開くだろう。遅延に遅延を重ねた挙句*2、麺が伸びきった中華そばのような気だるさとともに、井上陽水は最後、「深く眠」る(“おやすみ”)。ここに見えるのは、すべてを諦めた鬱病患者の姿である。"夢の中へ"(一九七三年、シングル)は、この文脈から遡行して捉えられるべきであろう。

探しものはなんですか?/まだまだ探す気ですか?

夢の中へ行ってみたいと思いませんか?(井上陽水 - 夢の中へ)

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▲ 一九八八年、日産・セフィーロのCMに「みなさん、お元気ですか?」と言いながら登場する井上陽水

四畳半と連合赤軍

連合赤軍とその悲劇を同時代的なものとして——つまり自分自身の問題として——引き受けざるをえなかった人々とは、世代的に言えば、主として、『団塊の世代』に属する人々である。団塊の世代とは、そこ(連合赤軍事件)までの人生が、ちょうど日本の『理想の時代』と重なっていた人々であると、言っても良いだろう。/団塊の世代に属する優れた思想家は、共通の課題をかかえているように見える。彼らの思想的課題の中核は〔…〕理想を否定しつつ、いかにしてなお理想を維持するか、といったほとんど解答不能な問いに集約させることができる(大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』)*3

 『虚構の時代の果て』(一九九六)で大澤真幸はいみじくも上のように書いている。上の引用はこう続く。「そのような思想家の代表的な例の一人として、竹田青嗣を見ることができる。竹田の鮮烈な問題意識に満ちた井上陽水論はよく知られている」。

 周知のように、この時期の井上陽水のスタイル、そして同時代の同じく内向的な歌詞の内容を特徴とするフォーク・ソングは「四畳半フォーク」と呼ばれた(井上陽水をここに含むかどうかは定義によるだろうが、それはここで問題ではない)。彼らは、社会や政治よりも、自分の身の回りにしか興味がない若者たちと言われ、「シラケ世代」を代表していたと言われている。むろん、この七〇年代・八〇年代=全共闘以後が「シラケ」=「虚構の時代」であるという認識に反駁するには、外山恒一の卓越した記述を参照するだけでよい。 

 さておき、確かにここまでに見たように、井上陽水の歌詞は内向的である。前回も引用した通り、「都会では自殺する若者が増えている/今朝来た新聞に書いていた/けれども問題は今日の雨/傘がない」(“傘がない”、一九七二年)。ここでは、新聞に書かれている「社会」問題などよりも、「私」に傘がないという事柄の方がずっと「問題」なのである。

 しかし、ここで竹田と大澤が依拠するのはそのような井上陽水の像ではない。彼らが着目するのは“あこがれ”(『断絶』収録)である。

さびしい時は男がわかる/笑顔で隠す男の涙

男は一人旅するものだ/荒野をめざし旅するものだ

これが男の姿なら/私もついあこがれてしまう(井上陽水 - あこがれ)

 随分マッチョな歌詞だ。『断絶』は連合赤軍の年(一九七二年)に発売された1stである。大澤は、竹田の陽水論を次のように分析する。

陽水の場合には、同じ認識を共有しつつ、逆に自分の中の現実主義者としての側面を嚙みつぶし、(理想像のまさに「理想」としての対象性ではなく)理想へとあこがれる内的な欲望=志向性のみを保持しようとしたのだ。幻想に固執する理想主義者でもなく、しかし一切の理想に対して冷笑的なだけの現実主義者でもない、緊張にみちた中間的な立場を竹田は評価する。(大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』)*4

 この記事を読んできた読者なら、この竹田=大澤の読解にすでに違和感を持ったかもしれない。我々は「あこがれ」る陽水などではなく、「待ちぼうけ」る陽水を読んだからである。もう少し我慢して、彼らの議論を参照しよう。

 一方で、竹田青嗣井上陽水を批判してもいる。大澤真幸は、それを彼の図式「理想の時代」と「虚構の時代」に当てはめることで、次のように述べる。

たとえば井上陽水は、一九七三年に発表した『夢の中へ』〔…〕において、次のように歌う。〔…〕『カバンの中も、つくえの中も、探したけれど見つからない』探しもの、『休む事も許されず、笑う事も止められて、はいつくばって はいつくばって』探さなければならない対象とは、『理想』であろう。〔…〕しかし、積極的な『理想』として探求することをやめたとき、見つかる何かとは、もはや理想ではなく、『夢』すなわち虚構である。竹田青嗣は、この曲を好まない。ここでは、『理想』から『虚構』への越境が完了してしまっているからである。(大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』)*5

 大澤真幸社会学的分析は、戦後日本において、「理想の時代」がいかに形骸化し「虚構の時代」へと変わっていったのか、積極的な理想がいつのまにか、ありもしない「夢」への欲動へと変わっていったのか——そしてそれがいかにして地下鉄サリンへと繋がっていったのか——を、たしかに見事に暴露しているようである。その分析のうえでは、井上陽水(そして村上春樹)が「理想」と「虚構」の移行期に出現し、「理想」が「虚構」へと移動していった、その移行期を代表する作家として見られている。

 その分析は五頁にも満たないが、あえて取り上げてみよう。竹田=大澤によれば、ここで“あこがれ”は「理想」を示し(「これが男の姿なら/私もついあこがれてしまう」)、“夢の中へ”は「虚構」を示す(「夢の中へ行ってみたいと思いませんか?」)。ここで移行が完了したのである。ところで、私たちが読解してきた『氷の世界』はその移行の後の作品である。しかし、本当にそうだっただろうか。それは“あこがれ”(一九七二)から“夢の中へ”(一九七三)のたった一年で、いや、正確に言えばたった十ヶ月で変容したものだったのだろうか。

 そもそも井上陽水が「あこがれ」たのは本当に竹田=大澤のいう「理想」だったのか、検討する必要がある。「理想に埋没もせず、冷笑もせず、理想への志向だけが残っている」ような態度を井上陽水一度でもとったのだろうか?(この疑問から遡れば、こう問うこともできるだろう。そもそも「理想の時代」と「虚構の時代」は区別できるのだろうか。それは結局、どちらも単純に不在にすぎないわけだ)前回私はこう書いた。

 滞留は苦しみであるが、安堵でもある。この意味で、「僕は君を待ってる」のだが、ただし、井上陽水が待っているのはそのドアが開く寸前までである。ドアが開いた瞬間、井上陽水は一切の興味を失うであろう。井上陽水の眼前にはただ空席がある。その空席に座る人なら、「君」だろうが、「小春おばさん」だろうが、「チエちゃん」だろうが誰だって望ましいのだ。ただし、実際にそこに座らない限りで。

 理想とは訪れないものであり、訪れないものとは理想である。 

 つまり、井上陽水が「男らしさ」や「女らしさ」に「あこがれ」ているのは(「男は強く/すべてを悟り/女は弱く何かにすがり/正義の為に戦う男/無口でいつもほほえむ女/これが男と女なら/私もつい、あこがれてしまう」)、単純にそれらが虚構であり、不在であることの表明にすぎないのではないだろうか。

 また、積極的に読解してみれば、井上陽水はここで、戯画的な「男らしさ」や「女らしさ」を用意して、そのマッチョな理念の虚構性を皮肉っていると捉えることすら可能である。一言で言えば、これはパロディなのではないだろうか。ここでの理念は、「これが男と女なら」と、仮定法で語られている。事実上、それはどこまでも仮定=虚構にとどまるだろう。

 むろん、このように陽水が理想との距離を取っていることは竹田=大澤も認めている。けれども、彼らはそうした態度を「これだけでは、青春の喪失や挫折を自己哀惜したり、苦々しく語る定型に収まってしまう」*6として、ある種の「定型」へと追いやり、「第二の態度」=「理想像の挫折にもかかわらず、理想を憧憬する欲望・志向性を維持しようとする態度」の評価へと向かう。

 確かに、そのような「欲望・志向性」を否定することはできない。にしても、少なくとも『氷の世界』の井上陽水は、ここまでに見てきたように、初めからそれが嘘だとわかっている理念、〈夜〉が明ければ醒めてしまい、ウソだと気づいてしまう理念、すなわち虚構の理想を掲げているだけである。だから彼は、その執行猶予=モラトリアムのなかでは、どこまでも安心できるのだ。「理想に埋没もせず、冷笑もせず、理想への志向だけが残っている」のは、たんに「想いつづけていれば/心がやすまる」からにすぎない。

 それは「理想から虚構へ」という、この上なく単純で垂直な図式で計量することができるだろうか?

虚構の時代の果ての果て

 井上陽水はいつでも、たんに「心が休まる」ウソを思い描きたいだけである。井上陽水の歌詞が、単なるくだらないモラトリアムであることは、いうまでもない。ただし、そのとき同時に、井上陽水が実は持っていた、「理想と現実」の間の緊張とはまた別の緊張すなわち〈夜〉=「執行猶予性」の自覚に注意すべきである。例えばここに岡村靖幸を接続することもできる。

カタログ眺めるあの娘の瞳/まだ爛爛としている/oh my little girl

クレジットの領収書/もういい加減に7時からハイダウェイ

借金の返済日、今月の月水までさ

 

ぼくらがいつか大人になった時

こんなことしてちゃ/絶対戦争すりゃすぐ負けちゃうよ

かっこいいな/あれいいな/欲しがってばかりのBaby

かっこいいな/あれいいな

でも本当に大事なKissなら僕しか販売してない(岡村靖幸 - (E)na)

 地下鉄サリン事件の五年前、“(E)na”(一九九〇年)ではこう歌われていた。これに限らず岡村靖幸の歌詞は、高度経済成長期の若者たちのナルシシズムを痛快に表現する。しかしそれだけではなく岡村靖幸は同時にある種の不安も暴露するのだ。すなわちそれは、「借金の返済日、今月の月水までさ」であり、「こんなことしてちゃ/絶対戦争すりゃすぐ負けちゃうよ」である。ここで岡村靖幸が吐露するのは、成熟できないことへの不安であり、そのツケが回ってくることへの恐怖なのだ(ところで絶対に来るとわかっているものが来ることは、たとえばホラー映画の典型的な構成でもある)。

 ここで引き合いに出した岡村靖幸の歌詞は大澤が言うところの「虚構の時代の果て」に属すものであり、井上陽水“夢の中へ”の遠い縁戚に他ならない。確かに彼らが属しているのは虚構の世界であり、これを「アイロニカルな没入」(相対化しながらそれに没入する矛盾した態度)として読む点では大澤の分析は正しい。

 けれども、高度経済成長という子供じみた虚構の中で戯れ、流行りのファッションで身を固めてただセックスするだけの若者たちの心情を歌いながら、岡村靖幸はしかし、それが「虚構」であることを十分に理解し、不安を持っている。「借金の返済日」=戦争という現実がいつか到来することに汗ばんでいる。

 岡村靖幸井上陽水も「虚構の時代」においてすでに、それが虚構(=モラトリアム)であって、いつかは終わるものだという不安を常に持っている。それは「現実と理想」の緊張状態ではないかもしれないが、彼らは「虚構と現実」の緊張状態の中には常に属していたのである。 おそらく注目しなければならなかったのは、その臨界点であり、限界であり、切迫だったのではないか。

 最後に説教くさいことを書いて終わろう。虚構の時代の果てすら終わりそうな「平成の終わり」においては、この執行猶予性は消失しているのかもしれない。実際のところ、もはやそうした「夢」も「子供じみた虚構」も残されてはいない。〈夜〉などもうなく、「道は光ばかり」であるかのようだ。

 「想いつづけていれば/心がやすまる/もうすべて終わったのに/みんな/みんな終わったのに」は、「祭りの後(ポスト・フェストゥム*7)」という鬱病的心性を表示するわけだが、私たちはおそらく、本質的に躁鬱的な時代を生きている。鬱病患者であり、もう「待ち終わった」私たちにとってよりリアルなのは過去であり、現在はその取り返しのつかない大失敗(後の祭り)としてのみ位置を占めている。「ポスト現実」である。

 たぶん、現在目の前にある問題たちは、井上陽水が見ていたであろう五〇年前(一九六八年)の現実からほとんど変わっていない。けれども、そうした「理想の時代」の問題を問うことにはいまいちリアリティ(あるいは「アクチュアリティ」)がないと思われているようだ。このような状態においては、新しい〈夜〉、新しい「待ちぼうけ」を希求するよりも、昼にとどまりつつも、眩し過ぎて目が潰れるほどの陽光を考えるほうが得策なのかもしれない。

 現実そのものがどこかしら虚構じみていながらも、それ自体どこまでも強固になり、「別の現実」を想像すること自体が不可能になっている(資本主義リアリズム)。階級闘争も精神病理も身体的苦痛も何もかも、存在する問題をすべて「心がやすまる」技術革新で解決しようとする新しいメシアニズム、新しい「待ちぼうけ」としての加速主義が台頭するのは、そのような背景からである。むろん、どれほど心を休めていようが、私たちがいる場所は相変わらず「氷の世界」でしかない。

  

(文責 - 左藤 青

 

*1:ところで、本稿とは関係ないが、〈夜〉について鋭く批評したフランスの思想家に、モーリス・ブランショエマニュエル・レヴィナスを挙げることができる。いつか別の場所で、おそらくまったく別の仕方ではあるが、この〈夜〉についても考えてみたい。

*2:むろん、モラトリアムの語源は「遅れ mora」である。

*3:大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』ちくま学芸文庫、二〇〇九年、五六頁。

*4:同上、五七頁。

*5:同上、六一、六二頁。

*6:同上、五七頁。

*7:木村敏の表現。これにある意味で対置されるものとして「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」があり、それは分裂病的と言われる。

待ちぼうける陽水——井上陽水『氷の世界』について(前編)

そうすると、避けがたい二重の不可能性のなかにいることになります。つまりそれは、決定することの不可能であると同時に、決定不可能なもののなかに留まることの不可能性でもあるのです(J.デリダ『滞留』)

美術館で会った人だろ/そうさあんた/まちがいないさ

なのにどうして街で会うと/いつも知らんぷり(P-MODEL - 美術館で会った人だろ)

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滞留

 『氷の世界』(一九七三年)の井上陽水滞留している。ここでの滞留とはある境界の上で滞り、留まることである。井上陽水はどっちつかずの場所で「待ちぼうけ」ているのだ。

 井上陽水の詩において、世界は動き続け、主体(「僕」)は動けない。井上陽水は、世界を部屋の窓から、ただ他人事として見ている。

窓の外ではリンゴ売り/声を枯らしてリンゴ売り

きっと誰かがふざけて

リンゴ売りの真似をしているだけなんだろう(井上陽水 - 氷の世界)

 アルバムの題と同じ名を持つこの詩において、つまり、アルバムという「全体」のなかの単なるひとつの構成要素でありながらその全体を代表し、中心を刻む権威を与えられたその位置において、すでに自己解題がなされているのである。“氷の世界”が表象=代理するものは、部屋の中、内部での滞留にほかならない。

 しかし、ここで真の意味で滞留しているのは、井上陽水の時間的/空間的な座標だけではない。実際のところ、決定の余地もまた同様に滞留したままである。だから井上陽水はリンゴ売りが本物なのか嘘なのか、「きっと」と疑うだけで決定できず、その手前でただ、滞留する。

 井上陽水は窓の外を見に行くことが(「運動」することが)できない。結果として、ここで世界は窓に遮蔽され間接的なもののまま滞留する(この「窓」についてはすぐのちに触れることになるだろう)。井上陽水は世界に追いつくことができない。部屋の中では、世界は、ただの書き割りの絵であり、風景でしかない。

 にもかかわらず、井上陽水はその場でただ安堵するわけではなく、「シラケ」続けているわけではない。井上陽水は外の世界につねに足をとられつづける。 

誰か指切りしようよ/僕と指切りしようよ

軽い嘘でもいいから/今日は一日はりつめた気持でいたい

小指が僕にからんで/動きが取れなくなれば

みんな笑ってくれるし/僕もそんなに悪い気はしないはずだよ(井上陽水 - 氷の世界)

 部屋の中では、距離も時間も世界から離れ、遅延していくのだが、ここには部屋の「外」を志向する欲望と、部屋から出たくないという「内」を志向する欲望の両義性がある。

 他者との関係(「指切り」)が仮に「軽い嘘」であったとしても、井上陽水はその関係への欲望を停止させることができない。なぜなら、そうしなければ「はりつめた気持」でいることが不可能だからである。ここで井上陽水が「はりつめた」と呼ぶものは、この内−外の二重性に潜む緊張である。井上陽水は引きこもっているが、その滞留はただの安住ではなく「滞り」なのだ。

 その意味で、より抽象的な意味で井上陽水が滞留しているのは、単なる内部だけではなくて、欲望と欲望の緊張関係の内部でもある。井上陽水は内にただ篭るだけでもなければ、外に出ていくわけでもなく、その間の緊張関係に滞留しているのだ。

 

 しかし、おそらく井上陽水は世界にも他者にも出会うことがないだろう。井上陽水は、他者を風景としてしか捉えることができないのだ。井上陽水が他者と出会いえない理由は明快である。それは井上陽水の滞留する地点が、世界から徹底して断絶した座標だからだ。井上陽水にとって私と世界、内部と外部は絶えず「断絶」されている。ひとまずこの断絶を言語化しなければ、氷の世界の両義性は理解されえないだろう。

電車/境界/断絶

 井上陽水の詩に、執拗なほど電車や踏切りといった表象が登場するのは、電車が「都会の象徴」として機能するからだと、とりあえずは素朴に言ってもよい。

 たとえば(『氷の世界』収録曲ではないが)“東へ西へ”では電車は次のようにして登場する。

電車は今日もスシヅメ/のびる線路が拍車をかける

満員いつも満員/床にたおれた老婆が笑う

お情け無用のお祭り電車に呼吸も止められ

身動きできずに夢見る旅路へ/だから

ガンバレみんなガンバレ/夢の電車は東へ西へ(井上陽水 - 東へ西へ)

 ここでの「満員電車」は明らかに、都会の喧騒に対する嫌悪感を表現している。ほとんど捨て鉢に歌われる「ガンバレ」は、現代社会に対する倦怠感や皮肉として読まれる。確かにこのように井上陽水の詩の表層には、都会、あるいは人工物全般に対するたやすい嫌悪感がはりついている。

 しかしそれはあくまで表面的なものにすぎない。なぜなら踏切りは、そして線路は、何よりまず、彼岸と此岸の境界であり、断絶だからである。

 井上陽水の詩は実際のところ都市批評としてはほとんど機能していない。それは都市に対する鋭い批評ではなく、ただ凡庸な嫌悪を表出するに留まっている。井上陽水の風景描写は、すべて内省に還元されるものでしかない。

 それは例えばファースト・アルバム収録の“傘がない”の歌詞などに露骨だが(「都会では自殺する若者が増えている/今朝来た新聞に書いていた/けれども問題は今日の雨/傘がない」)、『氷の世界』の中でもなお、より抽象度を高めたかたちで展開されている。「人を傷つけたいな/誰か傷つけたいな/だけどできない理由は/やっぱりただ自分が怖いだけなんだな」(“氷の世界”)。ここではもはや、傷つけるという形ですら、井上陽水は他者との関係をもたないのだ。

 

 だから、この時期の井上陽水の詩に頻出する電車、踏切、線路の表象は、そもそも単純に境界線のイメージであると言わなければならない。それは、内と外の「断絶」を、そしてさらに、その手前で留まり続ける「僕」を表現する。

踏切りのむこうに恋人がいる/あたたかいごはんの匂いがする

ふきこぼれてもいいけど/食事の時間はのばしてほしい

ここはあかずの踏切り

電車は行き先を隠していたが/僕には調べる余裕もない

子供は踏切りのむこうと/こっちでキャッチボールをしている

ここはあかずの踏切り

相変わらず僕は待っている/踏切りがあくのを待っている

極彩色の色どりで/次々と電車が駆け抜けてゆく

ここはあかずの踏切り(井上陽水 - あかずの踏切り)

 踏切りはある種の境界であり、断絶である。井上陽水のファースト・アルバムもまた『断絶』(一九七二)の名を共有しているわけだが、井上陽水はつねにその「断絶」のこちら側に滞留する。「踏切り」は「むこう」と「こっち」のはざまを裁断し、「僕」は「あかずの踏切り」に阻まれてしまう。同じく踏切りのイメージを共有する以下の詩では、それはさらに露骨となる。

ある日踏切りの向こうに君がいて/通り過ぎる汽車を待つ

遮断機があがり/振り向いた君は/もう大人の顔をしてるだろう

この腕を差し伸べて/その肩を抱きしめて

ありふれた幸せに/持ち込めればいいのだけれど

今日も一日が過ぎてゆく(井上陽水 - 白い一日) 

 ここで遮断機はただ空間を遮断しているだけではなく、時間の断絶(遅延)さえも生んでいる(「振り向いた君は/もう大人の顔をしてるだろう」)

 この詩が井上陽水ではなく小椋佳によって書かれたなどという周辺事情を超越し、“白い一日”は『氷の世界』を自己批評し、井上陽水の作家性の中心を暴露している。問題になるのはまさしく遮断機なのだ。「僕」はその遮断の向こうに直接触れられない。断絶の手前で、「この腕を差し伸べて/その肩を抱きしめて/ありふれた幸せに/持ち込めればいいのだけれど」、とただ願うだけだ。だから、ただ「今日も一日が過ぎてゆく」。

 「踏切りのむこう/こっち」、これが「窓の外/部屋の中」の対立関係とパラレルであることは言うまでもない。すなわち、“氷の世界”における「窓の外」は「むこう」であり、「部屋の中」は「こっち」である。その間を裁断する「窓」とは、「踏切り」であり、「境界」なのだ。井上陽水はこうして、他者/外部から断絶される。 

不在の他者/他者の不在

 ただし対照的なのは、“あかずの踏切り”や“白い一日”の「むこう」は触れられない「君」として特権化されているのにもかかわらず、“氷の世界”の「窓の外」の「リンゴ売り」はむしろディストピアのように描かれていることである。ここには二つの他者が存在しているように見える。

いつも僕は君を待ってる/早くドアを開けておくれ

僕の部屋に甘い臭い/僕にすこしわけておくれ

マジックパズルで遊ぼう/時を忘れて

楽しい夕べに/何かが待っているみたい

 

少しドアを開けてみたら/誰か「こんにちは」と言った

だけどそれは隣の住人/さようならとドアを閉めた

今夜の為に買ってた/花がしおれて

悲しい気持ちが/ますますセンチメンタルに(井上陽水 - 待ちぼうけ) 

 忌野清志郎との共作であるこの詩において明確なのは、同じ他者でも「君」と「誰か」の対立である。「僕は君を待って」いるが、しかしドアを実際に開けてみて、実際に出会えるのは「誰か」であり「隣の住人」である。その「誰か」に対して「僕」は「さようならとドアを閉め」る。

 「君」であろうが「誰か」であろうが、他者であることには変わりがない。にも関わらず、ここには当然のように明確な差異が横たわっている。ここにはいわば二つの他者があり、その両者には明確に非対称性がある。

 「僕」は外部から内部に他者が到来する瞬間をただ部屋で待っているのだ。ここでも井上陽水は「待ちぼうけ」ている。

 

 では井上陽水はどのような他者を待っているのか。「君」とは誰なのか。ここで迂回して、やや具体的な問題に取り組まなければならないだろう。それはすなわち固有名の問題である。先ほども挙げた通り井上陽水には都会に対するのっぺりとした嫌悪感があるが、それと対応するようにして、井上陽水には一種の田舎に対する郷愁がある。 

小春おばさんの家は/北風が通りすぎた

小さな田舎町/僕の大好きな/貸本屋のある田舎町

 

小春おばさん/逢いに行くよ/明日必ず/逢いに行くよ(井上陽水 - 小春おばさん) 

 ここで「小春おばさん」の固有名は、「田舎町」を単に表象している。ここでも井上陽水の都会/田舎は、たしかに単なるディストピアユートピアに対応してもいるが、“小春おばさん”はマイナー調のいささか大げさな曲調で歌い上げられ、そのEマイナーはむしろ「逢いに行くこと」の不可能性を示している。そして『氷の世界』にはもう一つ女性の固有名を冠せられた曲がある。

ひまわり模様の飛行機にのり/夏の日にあの娘は行ってしまった

誰にも「さよなら」言わないままで/誰にも見送られずに

ひとりで空へ/まぶしい空へ/消えてしまった

〔…〕

見知らぬ街から遠くの街へ/何かを見つけて戻ってくるの?

それともどこかに住みついたまま/帰ってこないつもりなの?

どうして君は/だまって海を/渡っていったの?

ひとりで空へ/まぶしい空へ/消えてしまったの?(“チエちゃん”)

 この固有名は、“小春おばさん”と対照的ながら同じ事態を指している。すなわち、「小春おばさん」は「僕」が去った後の田舎町におり、「チエちゃん」は「僕」の元から去っている。すなわちこの二つの固有名は共に不在という性格を共有している。二つの固有名が存在するのは、会いに行くことが不可能な「ここではないどこか」であり過去なのである。ここでは、都会/田舎という二項対立というよりも、むしろノスタルジーとでもいうべきものが井上陽水を支配している。

 ここでそろそろ気づかなければならないだろう。井上陽水が安堵して肯定できる他者は、そして理想とする他者は、目の前にいない他者である。井上陽水は、「不在の他者」にこそ惹かれている。目の前に現前する他者は、それは「隣の住人/さようならとドアを閉めた」という形で排除されてしまうからだ。

 しかし不在の他者という語には注意しなければならない。実際のところ、それは順序が逆なのだ。待ち望んでいる誰かが不在であるのではない。不在であるからこそ待ち望むのである。誰かがいない(他者の不在)ではなくいない誰か(不在の他者)なのだ。

 井上陽水が他者を理想化しえるのは、まさにその関係が遮断され、間接的なものに止まり、断絶の向こうにあるからに他ならない。理想的なものの到来を待っているのではなく、待っているものが理想になると言わなければならない。つまり井上陽水が滞留している部屋は、他者を待つ場であり、そして同時に、決して他者が訪れてはいけない場所なのである。

 不可能なものであるうちは強くそれを望むのに、実際達成されてみれば熱が冷めてしまうというようなことは、たとえば恋愛において身近にありうる。井上陽水がここで無意識のうちに表出している欲望は、それである。理想が理想たり得るのは、それが達成されえないからだ。「この腕を差し伸べて/その肩を抱きしめて/ありふれた幸せに/持ち込めればいいのだけれど」(“白い一日”)と言いつつ井上陽水が真の意味で恐怖しているのは、むしろ理想が達成されてしまうことのほうである。だから井上陽水は暗に、「あかずの踏切り」がいっこうにあかないままであることを欲望しているはずだ。外への欲望と内への欲望のズレは、単に、自らが醒めてしまうこと、すべてに「シラケ」てしまうこと、「はりつめた気持ち」が失われることを恐れているのである。

 しかし、滞留は苦しみであるが、安堵でもある。この意味で、「僕は君を待ってる」のだが、ただし、井上陽水が待っているのはそのドアが開く寸前までである。ドアが開いた瞬間、井上陽水は一切の興味を失うであろう。井上陽水の眼前にはただ空席がある。その空席に座る人なら、「君」だろうが、「小春おばさん」だろうが、「チエちゃん」だろうが誰だって望ましいのだ。ただし、実際にそこに座らない限りで。

 理想とは訪れないものであり、訪れないものとは理想である。

無自覚な転倒

遠くで暮すことが/二人によくないのはわかっていました

くもりガラスの/外は雨/私の気持ちは書けません

さみしさだけを手紙につめて/ふるさとに住むあなたに送る

あなたにとって見飽きた文字が/季節の中でうもれてしまう

あざやか色の春はかげろう/まぶしい夏の光は強く

秋風のあと雪が追いかけ/季節はめぐり/あなたを変える(井上陽水 - 心もよう) 

 けれども、井上陽水にはその転倒が自覚できない。井上陽水にとって不在は、表面上、直接的なコミュニケーションへの渇望と同一視されるのである。

 ここで手紙という間接的なコミュニケーションの中でさえ、井上陽水は自分(の感情)が直接他者のもとに晒されることを許せない。なぜなら、そこで井上陽水が書いたものは、「あなたにとって見飽きた文字」でしかなく、「季節の中でうもれてしまう」ものだからだ。井上陽水は、他者を風景に還元しながら、自らが風景となってしまうことを恐怖する。だから、「私の気持ちは書け」ない(しかし我々は、他者に風景化されるその暴力性を了承した上でしか、コミュニケーションなどできはしないのだが)。

 だから、井上陽水は「文字」という間接的な媒介を、矛盾した二つの意味で許すことができないことになる。①それが直接的なコミュニケーションではない(手紙は「遠くで暮らす」「さみしさ」を解消しない)。②それが直接的なコミュニケーションである(不在の他者の純粋な「不在性」を傷つけてしまうことになる)。窓の外のリンゴ売りに井上陽水が悪意を向けるのは、たとえその姿が見えなくても、「声を枯らした」その声が届いてしまうからなのだ。こうして井上陽水は『氷の世界』の中で、徹底して、他者とのコミュニケーションを避け続ける。井上陽水は事実上、断絶を望んでいる。

 不在であるからこそ他者を待ち望むことができる。にもかかわらず、一方でその間接性を排除しようとし、嫌悪し、直接的な他者の到来こそを待ってしまう。それが『氷の世界』の逆説なのである。

 井上陽水はつねに誰かに裏切られること・誰かに飽きてしまうことを恐れ、観念的でどこにもいない他者を「待ちぼうけ」る。そしてその待つという所作の「はりつめた気持ち」こそ、井上陽水が安堵していられる唯一の「四畳半」であり、モラトリアムなのだ。彼の楽曲はその限りで「四畳半フォーク」なのだ。

 

 しかし、『氷の世界』はこれだけではない。このアルバムには、じつはひとつの「例外状態」が存在している。後編ではこの「例外状態」と、大澤真幸『虚構の時代の果て』における井上陽水の取り扱い(連合赤軍の後の世代としての井上陽水)について論じる。

 

   

 

(後編に続く)

 

(文責 - 左藤 青

絓秀実入門(前編)差別意識とフォルマリズム

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▲映画『LEFT ALONE1』(2005)より、絓 秀実

作家神話の破壊としてのフォルマリズム

 SNSが広まり、誰もが「表現すること」の快楽を享受しうることが可能な現代において、言論の自由並びに、表現の自由はきわめて「民主的」な権利となっている。しかし金井美恵子がいうように「書くという権利は誰にでも平等にあるわけなんですけれど、書く資格というのは違う」わけであって、誰もが憲法の下に「書く権利」はいうまでもなく認められるが、それが即時的に批判を寄せ付けぬものになるわけではない。誰もが糾弾される可能性を孕んでいる。敢えて極論するなら、「書く権利」とは「言葉狩りされる権利」に他ならない。
 その点で、一見すると政治と文学の対立のように仮定される「言葉狩り」の問題は、本来的には文学と文学の対立である。言葉狩りによる「失語症」に陥った作家を単なる「権力の被害者」と想定することは許されない。

金井美恵子:〕それと、あれはなんと言うの、言葉狩りとかなんとか、すごく批判されたじゃないですか。何、あれ?いいじゃない、やってりゃ、と思うけど、言葉狩りなんて。それに筒井康隆が、何が一番馬鹿だなあと思ったかと言うと、言葉なんて小説家にとって、自由でもなんでもないでしょう。いかにそれが「自由」ではないということを意識しつづけるということが、エクリチュールじゃないですか。文学は絶対的な表現の自由の聖域であって、それがどうやって保証されているかと言えば、それは虚構だっていうのが、彼の考え方でしょう。文学なんて聖域なんかじゃありませんよ。(「不自由なエクリチュールとしての小説」、絓秀実・金井美恵子の対談)*1

 ここで金井美恵子が批判しているような、「言葉」が不自由である、という認識を欠いた作家たちは未だに大勢いる。特に筒井康隆のようなアイロニカルな作家ほど、「言論の自由」の名の下に自らの加害者意識を被害者意識に転化し、暴力性を隠蔽する工作をはかっている。そのような人間たちが自称したがるのが「炭鉱のカナリア」なる珍妙なメタファーだ。炭鉱のカナリアは、有毒ガスが発生した際、人間よりも先に察知して鳴き声(さえずり)を止める。「言論の自由」を振りかざす彼らは、そのようなものとして自らを規定しているのだろうが、実のところ、かのカナリアは自らが出している有毒ガスに対しては無頓着であり、鳴き声を止めることなく「言論の自由が脅かされている」とさえずり続けているのではないか。

 作家は「不可侵にして侵すべからず」存在ではない。しかしそれがかくのごとく天皇として「不可侵にして侵すべからず」存在に倒錯してしまう可能性は充分にある。かかる神聖化を拒否し、糾弾し破壊することこそ批評に要請されるものであろう。そしてそれは「言葉狩り」のことであることはいうまでもない。

優雅で感傷的な筒井康隆

 筒井康隆と絓秀実による論争は、高等学校国語教科書に採用された筒井康隆の小説『無人警察』の中に癲癇への差別的表現があることをてんかん協会が批判したところから端を発している。筒井はてんかん協会に対して、断筆宣言で応答。「直接的には日本の癲癇協会などの糾弾への抗議でもあるが、また、自由に小説が書けない状況や、及び、そうした社会の風潮を是認したり、見て見ぬふりをしたりする気配が多くの言論の媒体にまで見られる傾向に対しての抗議でもある」と筒井は説明している。
 この論争は現代では筒井康隆の「勝利」に終わったと認知されている場合が多い。しかしそれは全くの誤謬に他ならないのではないか。かかる歴史認識のもっとも批判されるべき点は、政治と文学の対立に立って筒井康隆を擁護する位置づけである。筒井康隆を文学の場におき、絓秀実を政治の場に置くという紋切り型的な見識は愚劣としか言いようのないものであろう。第一に、そうした「表現の自由」に対しては、前章で示したような「糾弾する自由」がある。そして第二に、何よりも絓秀実の立場(「言葉狩り」)が、まずもってフォルマリズムの立場であることが認識されるべきなのである。

 前章で金井美恵子を引いて主張したように「言葉」は不自由なものである。何ゆえ不自由なのか。それは作家の占有物ではないからである。言葉は作家の占有物ではないし、語り手の占有物ではない。言葉はコミュニケーションする段階で生じる共通認識であり、道具である。この言葉はあまりにも自明なものとして使われているために「使われる」ことに対して無自覚なものになっている場合が多い。この無自覚性を批判するのがフォルマリズムに他ならない。

 周知のようにフォルマリズムは形式が内実を規定することを主張した文学運動であって、フォルマリズムの立場では「何を指し示すか」よりも「どのように指し示されるか」の方が重要になる。言いかえれば上部構造の「本質的」な議論よりも、それを規定している下部構造の方が重要なものになるのだ。「言葉狩り」論者は自覚を問わず、常にフォルマリスティックになる。
 差別は日常生活の中で無意識に反復された身振りによって規定されるものである。日本の左翼運動を差別運動にパラダイムシフトさせた津村喬は、これを「スタイル」と呼んでいる。「スタイル」は「風」によって規定される。「学風」「社風」といったものだ。こうした諸々の「風」は、明示的かつ非明示的に、日常生活の運動を規定している。だからこそ差別論者の、あの「差別される方にも問題がある」「差別は不可避的なものだ」という愚劣な論理が要請されるのだ。差別が不可避的なもののように思われるのは、無意識に「風」の中へと自らを位置づけているからであって、形式としての「スタイル」に対する批判意識を欠いているからに他ならない。
 この身振りに関する闘争が言葉の次元に集約すると、それはフォルマリズムになるのであって、言葉狩りの運動とは本来的に文学の形式を変革する文学運動のはずだったのである。

 

 しかし事態を筒井康隆の「勝利」へと導いたのは、そもそもてんかん協会側に、政治的であるという自己認識があったからだ。

筒井によるてんかんの通俗イメージの流布は、教科書のみに限定して批判されるべき問題ではありません。てんかん協会は、協会が当初行なっていた「無人警察」所収の文庫・全集等の回収などというーこれ自体は全く誤ったー要求の不当さを「表現の自由」の側から糾弾されたことへの反作用として、問題を教科書に絞ったのでしょうが、これまた「芸術(文学)」という文化的イメージへの妥協にほかならない。(『「超」言葉狩り宣言』)

 絓秀実は筒井康隆が表現している通俗イメージ、すなわち無自覚に筒井康隆が共有しているであろう差別意識てんかん協会が批判しなかったことに疑問を呈している。つまりてんかん協会は筒井康隆の問題を無自覚な「通俗イメージ」にあるのではなく、その政治意識の低さによるものであると誤認したわけである。それは言葉の内実ではなく形式を問題にするフォルマリズム的な視座が、てんかん協会には決定的に欠如していることに起因する問題であろう。
 周知のように六〇年代に隆盛した新左翼のスローガンは「想像力が権力を取る」であった。しかしこのスローガンは正確には「想像力の権力を批判する」と言った方が正しいはずだ。なぜならば、新左翼とは旧左翼の資本主義との共犯関係と、並びに全体主義化していたスターリン主義への批判から出てきたものであるからだ。資本主義社会やファシズムを批判する旧左翼もまた、資本主義と同じ想像力しか持ち得ない。だからこそスターリン主義全体主義化してしまう。この問題意識があるからこそ、党による大衆の啓蒙を是とする前衛共産党神話を批判し、かかる前衛ではおさまりきらない「他者」の問題、差別問題を津村喬は提起できたのである。
 絓秀実の筒井康隆に対する批判も正しく「想像力への批判」である。そして言うまでもなく、想像力の批判は、フォルマリズム的な文学的「言葉狩り」の次元によって要請されるものでなければならない。 

ベンヤミン的な闘争へ

 かかるてんかん協会の誤認は結果として筒井康隆の“優雅”で“感傷的”な被差別意識(=差別意識)を温存させることになった。筒井康隆の通俗イメージは、無知によって構成されるだけではない。それはSF的想像力の「芸術的政治性」によって起因するものである。

 周知のように「芸術的政治」とはベンヤミンナチスを批判する際に用いた造語だが、これは政治的な判断でしかないものを、極めて美的に表現することで、あたかもそれが許されていると民衆を扇動させる方法論を指した言葉だ。例えば罪のないユダヤ人を虐殺しても、それを神話とトレースさせることで、勇猛果敢であるかのようにみせ、人々を賛同させるやり方のことである。これに対してベンヤミンは「政治的芸術」を対抗させる。政治的芸術とは、かかる芸術的政治の欺瞞を暴露させる方法であり、実体よりも美化された独裁者の錯誤と、そのような美意識のレトリックを批判する方法論を指す。
 この点で筒井康隆に対抗し、その通俗イメージを明るみに出した絓秀実の立場はベンヤミン的なものであろう。絓秀実=ベンヤミンは美のために批評することはない。なぜならそれはファシストの論理だからである。「美しい」からこそファシズムは民衆に許されているのだ。絓秀実=ベンヤミンは、美の判断基準であるクリティークを積極的に動員する。したがって彼らは必ずしも美しいものを擁護する批評家ではない。むしろ彼らは美しいものを批判するのだ。代わりに彼らが擁護するのは、かかる美の詐欺性を糾弾しうるユーモラスな批評精神である。
 筒井康隆的なSFのばあい、この美は「皮肉(イロニー)」として称揚される。皮肉は「炭鉱のカナリア」であるから、社会に対して超越的な立場に立てると考えている。しかし筒井康隆的なSFは再三言っているように超越的な立場でもなければ、ましてや「言論の自由」の名の下に再批判を封殺できるものではない。加害者でありながら被害者であることを自認し続ける筒井康隆は未だに「ファシスト」と評価するほかなく、我々は彼の作品を「言葉狩り」しなければならない。

中上健次から天皇制批判へ

 本稿は筒井康隆と絓秀実の論争を絓秀実の勝利であると書き続けてきた。これは『「超」言葉狩り宣言』の読解を通したものだが、この著作には絓秀実と金静美との対談が収録されている。この中で、金は部落解放運動が戦中の天皇ファシズムに加担したことを糾弾しているのだが、そこからさらに作家・中上健次天皇主義に対する疑問にまで話が及んでいる。
 ところが、絓秀実にとって中上健次はカノンとなりうる作家のはずである。中上は『日輪の翼』を象徴として、天皇に対してシンパシーを抱く発言を繰り返していた。ある意味で金のリゴリスティックな問題提起は中上をカノンにしていた絓秀実にも当てはまる問題であり、苛烈であると言うほかない。この金静美の批判から、絓秀実の天皇制に対する問題意識が始まったのではないだろうか。中編ではこの問題を扱いたい。

 

(中編に続く)

 

  

 

(文責 - しげのかいり

*1:絓秀実『「超」言葉狩り宣言』所収。太田出版、一九九四年

資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動

 ※前編

daisippai.hatenablog.com

 前編では、東浩紀について論じた。後編では外山恒一について扱う。

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批評≠思想

「資本」主義に対抗して、それ以上に自らの批評の普遍性を打ち出すことのできる「革命家」。〔…〕革命家は、観客を育てるのではなくオルグする。言い換えれば、観客を無理やり当事者に変えてしまう。観客の育成は、当事者=優秀な党員を確保するためである。こちらは、むしろ、セクトを作ること、党派を作ること、タコツボを増殖させつつ拡大することが重要である。(『資本主義的、革命的』前編より) 

  私は前編で、批評家のあり方として一方の「資本家」の極に東浩紀を置き、もう一方すなわち「革命家」の極に外山恒一を置いた。しかし、これは実は恣意的な操作である。外山恒一は批評家ではないからだ。だからこれは正確には「思想のあり方」と言い直さなければならないのかもしれない。

 けれども、実際のところ東の作り出す「批評」ないし「批評観」を批判できている思想家は、現在、外山恒一だけである。実際に見てみよう。

外山佐々木敦も含めてこの座談会の参加者たちが共有しているらしい、浅田彰東浩紀のようなタイプの〝批評〟がイコール〝思想〟であったかのような特殊な状況を、特殊だと感じることのできない〝思想〟観がそもそもおかしい。〔…〕だって〝浅田まで〟はそもそもそうではなかったはずじゃん。〝浅田以降〟はそうなってて、浅田はその両方の状況を体験してると思うけどさ。〔…〕 

外山 〔…〕しかし本当はそういう議論の前提となっている「批評=思想といった等式」というもの自体が疑われなきゃいけないはずで、東のような狭い意味での〝批評家〟だけでなく、〝活動家〟のような人たちの言説まで含めて〝思想〟シーンが成り立ってると考えるなら、〝批評〟の主流はそりゃ東しかいないんだから東だったでしょうけど(笑)、〝思想〟の主流はそうではなかった、という認識になりますよ。〔…〕(東浩紀が1人で孤塁を守ってたような領域で〝東浩紀ひとり勝ち〟なのは当たり前(笑) -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(2) | 外山恒一のWEB版人民の敵

パフォーマティヴ=アクティヴ

  外山恒一にとって、「ニッポンの思想」は批評家だけで構成されているわけではない。そこにはアクティヴィスト(活動家・運動家)も参入しなければならないのである。この点において、外山はある種「批評」に対する他者として、『ゲンロン』座談会に接している。しかしだからといって、単に外山が運動家として、外野から東に対して異論を呈しているとは言い切れない。次のような浅田と東のやりとりを見てみよう。

浅田 〔…〕田中康夫が神戸で空港建設反対の住民投票を求める署名を三〇万集めた、僕はそれが批評的行為だとは思わないし、彼も文学者としてやっているなどとは絶対に言わない、単にアクティヴィストとして立派にやったと思います。あるいは、僕はそのレヴェルでは宮台真司の言うことをほとんど支持しますよ。〔…〕僕は東さんと違ってそれが批評的だとは思わないので、たんにアクティヴィストとして立派だと思うんです。 

 もちろん彼はパフォーマンスしかないんだから。

浅田 いや、僕はそれをパフォーマティヴな批評的行為としてではなく有効なアクティヴィズムの実践として評価すると言ったわけですよ。

 浅田さんの話は一貫してコンスタティヴなレヴェルとパフォーマティヴなレヴェルが別れているんですよ。〔…〕(「いま批評の場所はどこにあるのか」、26頁。強調引用者) 

 これは一九九九年一月、東浩紀鎌田哲哉福田和也浅田彰柄谷行人らが紀伊國屋ホールで交わした議論「いま批評の場所はどこにあるのか」(『批評空間』II-21所収)からの引用である。このシンポジウムについては様々な角度からの議論が可能であるが、ここではこの場面のやりとりについてだけ特に着目してみよう。

 かなり大雑把に言えば、「コンスタティヴなレヴェル」とは、あるテクストにベタに書かれていること(「この牛は危険である」という性質説明)であり、「パフォーマティヴなレヴェル」とはそのテクストが読まれることによって生じる様々な効果(「この牛は危険である(だから近づくな)」)を指す。この効果は当然、テクストとしては、読まれることによって「事後的に」生じるものだ。このパフォーマティヴな次元を鑑みるなら、テクストはつねに誤読/誤配の可能性に晒されている(例えば「この牛は危険である(じゃあ近づいてみよう)」になりうる)。

 東浩紀は一貫して、批評家は単にコンスタティヴなテクストを書く=「真面目に理論的な文章を書く」だけではなく、事後的にパフォーマティヴな実践をする=「その読まれる場所に対して自ら働きかける」ことが必要と考えている。言い換えれば、誤配がより生まれやすいように営業することが重要だと考えている(それは実際、上記の対談においても東によって「営業」と呼ばれている)。このことは前編で見たとおりだ。

 そこから生じる浅田彰東浩紀のすれ違いをよく見てみよう。上記の引用を見る限り、浅田においては「批評的行為」と「アクティヴィズム」は別れている。田中康夫の署名運動は、浅田にとってあくまでひとつの「運動」であり、「批評的行為だとは思わない」ものだ。それに対し東浩紀においては、「アクティヴィズム」という言葉はすぐさま「パフォーマンス」と言い換えられてしまう。この「言い換え」こそが東の戦略であることもまた、すでに前編で述べた(浅田はそれを察知し、すぐに話を戻している)。

 東にとって「アクティヴ」はあくまで「パフォーマティヴ」であり、「パフォーマティヴな批評活動」のひとつであり、それが有効かどうかよりも、「批評的かどうか」というある種の美的な価値判断によってのみ評価されるのだ。それは、「コンスタティヴな批評」とともに「批評」というひとつの営為を構成する一側面に過ぎない。すなわち、こう言っていいだろうが、東浩紀「批評一元論」である*1

 東にとっては、批評家がテクストの外で何か活動することもまた、全て批評活動であり「営業」の一環なのだ(かつてジャック・デリダは、挑発的に「テクストに外部はない」といったわけだが、東にとって「批評に外部はない」のである)。「批評という病」は、「アクティヴ」(運動)が全て「パフォーマティヴ」(営業)に言い換えられていく「ねじれ」を指している。この際、東による「運動」の消去は理論的に必然性を持っている。

 外山恒一の違和感は、アクティヴをパフォーマティヴと同一視し、言い換えることで「運動」を思想から消去し、「批評」と思想を同一視するこの東浩紀の手際に対するものである。この言い換えは、『存在論的、郵便的』がその核心に据える「コンスタティヴ/パフォーマティヴ」という対(デリダがオースティンから引用し改造した対概念)に由来するのだから、内在的な東浩紀批判にも繋がっていると言うべきだろう。

 こう言わねばならない。東浩紀(派)においては、事実上も権利上も、「批評」と「思想」は、非常に自明かつ「健康的に」、ねじれなく結び付いている。だから実際のところなんら批評をしていなくても「批評誌」やら「批評集団」やらを名乗ることができるし、なんら思想的なことに関わっていなかった批評家が、急に政治的/社会的な発言を要請されたりもするのである。

 しかしそれはもはや自明ではない。現代の批評になんらかの閉塞感があるとすれば、それは「批評」の外部を消去したことに由来するのではないだろうか。外山恒一は、そうした「批評」に対する異邦人であり、パルマコン」(毒=薬)だ。

〈我々少数派〉≠多数派

 では外山恒一自身はどうなのだろうか。一見東と全く異なるフィールドで戦っている外山恒一だが、外山は東に対して妙な親近感も持っている。

外山 〔…〕3回シリーズの座談会にこっちも律儀に3回シリーズの読書会をやってきて、回を追うごとに東への親近感というか、〝やっぱり同世代ではあるんだよなあ〟という近しさを感じるようになって我ながら困惑してるんですけど(笑)、東浩紀がデビュー以来ずっと続けてきてるのは、まさに〝運動〟なんだもん。〝批評シーン〟というタコツボの中で、東は一所懸命、〝運動〟を志向し、しかも何度も挫折を経験してるのに、へこたれずにまた別のことを考えて、〝運動〟を再建し、継続してきてる。この意味不明な情熱、パワー、そして〝運動家〟体質にはものすごく同世代性を感じるんだけど、〝ジャンル〟がなあ……(笑)。(批評シーンの中で東浩紀は一所懸命運動を志向している。しかし、ジャンルがなあ…… -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(3) | 外山恒一のWEB版人民の敵

 ここで外山が実は、東の「パフォーマティヴな批評的実践」に一定以上の評価を与えている点を押さえておこう。「タコツボの中の端のほうと端のほうでつながってない部分を出会わせてシャッフルしようと」することを外山は評価する。なぜか? むろん、それは外山恒一自身の「活動」であり「運動」もまた同様の性格をもつからである。

www.nicovideo.jp

 あえてニコニコ動画から貼ろう。外山恒一は「運動家」を自認するが、それはいま、「運動」と言った場合に想像される具体的な署名活動や、適当な若者たちが集って騒ぐ「デモ」ではない。外山はむしろそうした「真面目な市民の」活動に対しては嫌悪感すら持っているだろう。彼の「運動」はどこかいつもふざけているように見えるし、それゆえに野間易通から「サブカル」呼ばわり され、論争に発展したりもする。彼が「サブカル」かどうかはともかく、彼の「運動」は、この動画に見られるような明らかな、そして計算された「パフォーマンス」ではある(実際この動画は非常に「美しい」。計算された腕の角度、抑揚、間、「緊張と緩和」)。

 外山恒一も「イベントを仕掛けたり、雑誌を立ち上げたり、スペース運営にまで手を染めたり、とにかく思いつくかぎりの方法でシーンを活性化させ」てきた人物だ。しかし、前編ですでに書いたように、例の政見放送の目的は、やはり「タコツボを破壊すること」が最終目的なのではない。動画をもう一度見ていただきたい。

私は、諸君の中の少数派に呼びかけている。

少数派の諸君、今こそ団結し立ち上がらなければならない。

やつら多数派はやりたい放題だ。

我々少数派が、いよいよもって生きにくい世の中が作られようとしている。

〔…〕

今進められている様々の改革は、どうせ全部全てやつら多数派のための改革じゃないか。

我々少数派は、そんなものに期待しないし、もちろん協力もしない!

我々少数派は、もうこんな国に何も望まない!

我々少数派に残された選択肢はただ一つ!

こんな国はもう滅ぼす事だ!(強調引用者)

  しかし、繰り返される「我々」とは一体誰なのか? 多数派や少数派という図式は、例えば「性的少数者」とか、ある政策に関する「賛成派と反対派」のように、なんらかの限定があってはじめて生じる。しかし外山はここでなんの定義もしていない。ここでの〈我々少数派〉とは一体誰か?

 もちろん、「元から多数派と少数派が独立で存在しており、外山が少数派の仲間をしている」という順序でこの発言を捉えてはならない。ここで行われていることは、いわば「スピーチ・アクト(言語行為)」に他ならないからだ。ここで外山は「我々」と呼びかけることによって「我々」を創設しているのであり、この「我々」には何か初めからポジティヴな定義が存在していたわけではない。〈我々少数派〉は、セクトを団結させ、その同一性を獲得するための「約束」なのだ(ちなみに、外山恒一の率いる政治結社の名前は「我々団」である)。

 ここで起きていることはタコツボを破壊することではなく、むしろ「まったく新しい」タコツボを作り、増殖させていくことにほかならない。無数の少数者の、団結なき団結、共同性なき共同体としての〈我々〉なのである。そこでの結束は、「反−管理社会」以外にその定義や共通項を持たないし、事実上、そうした定義はほとんど具体的な提案、いや「建設的な提案」を持つものとはならないだろう。〈我々少数派〉の団結は原理上、どこまでもネガティヴな(積極的な定義を欠いた)集まりである(だから「スクラップ&スクラップ」なのだ)。ちなみに、東浩紀にはこの図式は「否定神学的」にしか見えないと思われる。

 おそらく、外山恒一にとっては、それがマルクス主義でもアナーキズムでもファシズムでも、そうした道具立てが、既存の価値観に対してそのつど「まったく新し」ければ、それで良いのである*2。その道具はつねに交換可能で、ある程度なんでも代入可能な「イデオロギーX」である。ここで、かつて書いた『資本主義リアリズム』についての拙論を想起していただきたい。外山が相手にし、「まったく新しい戦争」と呼んでいるものは、まさしく「資本主義リアリズム」である。 それについて具体的に見てみよう。

左翼=体制派

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全く新しい左右対立−イデオロギーX

 少々古いものではあるが、二〇〇四年、外山恒一は、柄谷行人をパロディするかのようにこの図を用意していた。

 4象限図を描くために、我々は縦軸と横軸を用いた。
 しかし我々が考えるに、この縦軸と横軸とは、同じ太さで引かれてはいない。
 結論から言えば冷戦の時代、縦軸の方が太く引かれていた。〔…〕
 そして今や、我々は横軸の方が太く引かれていると考える。
 横軸を挟んだ二つの勢力の対立──それが「まったく新しい戦争」の正体である。
〔…〕
 我々は、社会のPC化を推進する左翼勢力と、諸個人を監視・管理するハイテクを獲得した国家権力との結託による、まったく新しいスターリニズム体制の実現に抵抗し、これを阻止・粉砕する闘争に決起しなければならない。
〔…〕
 我々はあの4象限図で、左上領域に身を置くXである。
 縦軸が太く引かれ、左下の左翼勢力と連帯している時、Xは「アナキズム」と呼ばれる。
 横軸が太く引かれ、右上の右翼勢力との連帯が必然的に追求される現在のような時代には、Xはおそらく「ファシズム」と呼ばれるのである。

 外山の認識は、〈右翼・体制側 vs 左翼・アナキズム〉という旧来の体制が冷戦終結によって崩れ、その後は「まったく新しい戦争」が始まったというものである。その戦争においては、この図式は〈左翼・体制側 vs 右翼・ファシズム〉にとってかわる。それが「ファシズム」に限定されるべきものなのかどうかはさておき、基本的に「理性的/精神的価値」を目指す「X」へと向かうべきであるというのは私にとってまったく正しい言辞としか思えない。

ファシストは、資本主義に反対する。

共産主義者が資本主義に反対するのは、それが「正しくない」からである。

ファシストが資本主義に反対するのは、それが「美しくない」からである。(「ファシズムとはおおよそこんな思想である」

 しかし、ここで彼のファシズムの説明や、彼の「運動」にある種通底するものを見る必要があるだろう。つまり、外山恒一の活動は少なくとも極めて「美学的」であり、「芸術至上主義的」なのだ。私が外山の政見放送を「美しい」と評したのは、まさにそれが執拗なほどの形式美を追求しているからであり、外山の、いわば「美学イデオロギー」に起因するからである。

パフォーマティヴ=アクティヴ

 前編で私は東浩紀をこう評した。

東によれば批評とは日本における特異な現象であり、批評それ自体が考えるに値する。東の思索は、その批評の内容や対象というよりは、その批評という営為が生まれてくる現象そのものに向いている。

東は「批評」という語自体を批評という営為の「可能性の中心」に据えるのだ。

 東浩紀の用いる「批評」という言葉は、 まさに彼によって広告的に作られ、改造された言葉だった。その視座から、東は「現代日本の批評」の歴史を遡行し、解釈する(それは無論、東までの批評家たちがそうしてきたものでもあるのだが)。東は、「批評」という病そのものを、批評の可能性の条件として設定している。

 では外山恒一は何をしているのか。おわかりのように、外山恒一は、「運動」という語自体を運動という営為の「可能性の中心」に据えるのである。標語的にいえば、東浩紀が「批評」を批評する批評家なら、外山恒一は「運動」を運動する運動家だ。

 たとえば最新の著作である『全共闘以後』も、人脈などの関わりはあれ、基本的に、それぞれ全く異なる状況や問題に対応してきた「運動」を、「運動」であるというその形式においてまとめている。つまりここで描かれる運動史は、多数派に対する、〈我々少数派〉であり「人民の敵」たちの抵抗の歴史である。この歴史は一面においては非常に「パフォーマンス」の歴史なのだ。

 外山にとっては、新しいスターリニズムに、多数派の抑圧に、管理社会に抵抗すること——革命すること——は、政治闘争や権力争いなどではなく、パフォーマンスによってなされる(べき)ものである。たとえば最近の「運動」を取り上げれば、外山は二〇一三年以降の「原発推進派ほめご…大絶賛キャンペーン」では、原発推進自民党支持を「表明」しながら街を街宣車で回るという「嫌がらせ」を行っている。『全共闘以後』によれば、その際のBGMはタイマーズであったらしい(原発音頭 タイマーズ - YouTube)。この楽曲のイメージは外山恒一にぴったり重なるものだ。そしてこうしたパフォーマンスが極めて用意周到かつフレンドリーになされていることも明らかだ。

 しかしもちろん、多数派を冷やかしズラしてしまうこうしたパフォーマンスを、外山恒一はあの一九九九年の東とは正反対に、「アクティヴィズム」と、つまり「運動」と言い換えるだろう。こうした東浩紀外山恒一の奇妙な関係こそ、批評と運動、文学と政治のねじれであり、思想の二極化であり、「棲み分ける思想」を表すのである。

 いまや、東の「批評史」に対して正直に批判を展開した外山恒一は、「批評」というタコツボをかき乱す存在になっている。思想の「棲み分け」を批判してきた東がこれに今のところまともに応答していないことについては、少し分が悪いのではないだろうか。

(だから私は、この記事の前編を書いている途中に外山恒一ゲンロンカフェに登壇すると聞いて心底驚いた。「外山十番勝負」に東浩紀が入っていることを願っておこう) 

「正しさ」≠「美しさ」

 思想の二極は、いわば両方とも、ある種の「美学」によって支えられている。この美学こそ、リベラルな「正しさ」の同調圧力に抵抗するために用いられるのだ。東と外山は、お互いまったく違う角度からではあれ、現行「リベラル」に対して嫌悪感を持つ。

 「政治的正しさ」(ポリティカル・コネクトレス)の意味の充溢は、実際どこまでも「正しい」のだが、それ自体がまるで「反体制的」であるかのように振る舞いながら、抑圧的に機能する。それは誤配をなかったことにし、〈我々少数派〉を弾圧し、管理し、全てを「資本主義リアリズム」の監視下におくだろう。成熟/「熟議」という目的論モデルに〈我々〉を縛り続けるだろう。

 思想家たちは、そうした「正しさ」の重苦しさに、「表現の自由」というもうひとつの「正しさ」を対置するのではない。コンスタティヴなテクストを書きながら*3、それでも「観光客」のように軽やかに/「全共闘」のように鮮やかに、体制の監視から「逃走する」。そしてそのように「演じる」*4。それがいま「イデオロギーX」が、言い換えれば「思想」が目指していることなのではないだろうか。

 これは、批評家・絓秀実がベンヤミンからしばしば引用する、「政治の美学化」への抵抗であるということもできる。無論、東・外山ら自身の身振りが、「政治の美学化」へと近づいてしまっているのであり、そういう危険をつねに孕んではいるのだが。

ベンヤミンの高名な論文〔『複製技術時代の芸術作品』〕が言うところの、芸術作品の『展示的価値』という概念は、美術館によって購入されたその作品の交換価値は、一般的な労働力の価値の累乗された希少で貴重な労働力によって作られたものであるがゆえに高価だという論理に、芸術を回収しようとするのである。それは資本制の「美学化」——ベンヤミンに倣えば「政治の美学化」——にほかならない。しかし、これまたベンヤミンのその論文が言うように、「複製技術時代」の到来は、そのような特権的な芸術家の「労働」の崇高な「アウラ」を崩壊せしめずにはおかない。美術館におかれれば「それが芸術だ」という芸術の無根拠制が、複製技術時代には露呈してしまうのだ。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』)*5

 ある芸術作品の「値段」とは極めて資本主義にとってセンシティヴな問題である(政治)。けれども、一定の人間は——あるいは批評家は——それを覆い隠し、苦労の末作られた作品に相応の値段がつくのは普通だと考える(美学化)。私は、「思想」をただ観念的な、「ありうべき」規範として示したいわけではない。しかしながら、「政治の美学化」とは反対に「芸術の政治化」を達成し、見いだすことのできるような、本質的に資本主義に抵抗し脱構築するような〈ジャンク〉としての批評=運動が、やはり待ち望まれるのである。

 それは「つねにすでに」あるものなのか? それとも「いまだ−ない」、〈来たるべき〉ものなのか? その解答を、今のところ〈我々〉は持っていない。ここから先は、もはや「観客」であり「当事者」でもある〈あなた〉が判断するべき——批評するべき——次元になってくるのである。「私には、建設的な提案なんか一つも無い」。だから〈我々〉は今はただ、次のように問い続けるだけに甘んじよう。

 

 では、いま批評の場所はどこにあるのか?

 

(文責 - 左藤青

 

 

 

 

*1:もうひとつの点として、外山恒一浅田彰に対する評価「浅田はその両方の状況を体験してる」は重要である。たしかに、浅田は思想史上、この「批評一元論」へと繋がる橋渡しになった。詳しくは、「大失敗」ブログ、しげのかいりの記事を参照:浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(前編) - 批評集団「大失敗」

*2:ちなみに、個人的な体験で申し訳ないが、私が今年の9月ごろに外山氏と直接お話しさせていただいたとき、私は『全共闘以後』をどの層に読んで欲しいのか、そしてその読者をどうしたいのかを尋ねた。その際、外山氏は「ちょっと知的なことに興味がある大学生が読んで、何か面白い活動をしてくれればそれでいい」と述べていたように記憶している。

*3:外山恒一にはまだ自身の理論を開陳するタイプの「主著」は存在しないし、またそれを受け入れる出版社は今のところ少ない。大手出版社諸賢は、自身が資本主義の単なる奴隷ではないことを証明するためにも、一刻も早く外山恒一に本を書かせねばならないであろう。

*4:両者の演劇についての「軽い」共通点について。外山は演劇集団「どくんご」の熱烈なファンであり、彼のパフォーマンス自体も演劇的な側面を持つ。東浩紀は演劇部出身である。「〔…〕大学に入ってもちょっと演劇やってました。大学二年のときにはなんと、ぼくが脚本と演出をして、公演を打ったこともある。〔…〕そしてその公演がとにかくあらゆる意味で大失敗をし、そのときはじめて、というかいままでおそらくは唯一、俺には何もできないと真剣に思った」(東浩紀「オタクから遠く離れて」、『郵便的不安たちβ』所収、河出文庫、二〇一一年、二五三頁。強調引用者)また、東のトークイベントなどでの態度は極めて演劇的で、役割・ポジションを重視するものである。

*5:絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な——「1968年の革命」史論』、ちくま学芸文庫、二〇一八年(文庫版)、二六〇・二六一頁。もちろん、反対に「芸術の政治化」を考えなければならない。「それら〔赤瀬川原平の「千円札」〕は同等に美術館に展示され、〔…〕単なる(?)ジャンクなのである。にもかかわらず、それが——「反芸術」という——「芸術」だと主張される時、それは芸術が商品交換の論理に還元されえないという資本制の矛盾を突き、「芸術の政治化」(ベンヤミン)が遂行される」(同頁)。

「大失敗」九月・十月記事まとめ

 平素より大変お世話になっております。批評集団「大失敗」の左藤青(@satodex)です。

 早いもので、「大失敗」立ち上げから一ヶ月以上が立ちました。

 はじめはブログを作るつもりなどなく、宣伝する意識も薄かったのですが、一言で言うと成り行きでことが運び、基本的に週にひとつのペースで記事が上げるという勤勉なスタイルを継続できております。

 むろん、そうした受験勉強めいた勤勉さにも少しの休息が必要なものでしょう。今週は、これまでに書いてきた記事のまとめとしたいと思います。このまとめは一ヶ月程度に一度作っていくつもりです。

1、「哄笑批評宣言」(9月27日)

daisippai.hatenablog.com

 立ち上げに当たって「批評宣言」を書いたものです。マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』をダシに使って色々語っております。

「横断」(あるいは「誤配」)は常に事後的にのみ見出される。しかし、「資本主義リアリズム」はその事後的な可能性を、「いまだない」という外部をどこまでも消去していくことになるだろう。この不可能性を私たちは「大失敗」と呼ぼう。

 現代批評において、もはやクリシェのように繰り返される「横断」や、「誤配」(©︎東浩紀)というものが、「批評」なる営為の可能性の中心であることは認めつつも、一旦それにゴネてみる、というのがこの文章の趣旨です。

 その辺にいる、映画とか音楽とか好きな、適当なサブカルプチブル大学生(私のことではない)にとっては、そりゃ「横断」とかは素晴らしいことなのですが、批評ってそれだけだったっけ、と。〈僕たち〉の批評はまあ、いいけど、それだけではないということです。

 『大失敗』Vol.1は一月二十二日に京都文フリで発売します。郵送なども予定していますので、どうぞ皆様お買い求めください。上記記事にメンバー紹介もくっついてるので、とりあえず読んでいただければ幸いです。

2、【時評】人間の時代と「ポップ」なもの(9月29日)

daisippai.hatenablog.com

 なんとなく時評とかを書いたほうがウケるかなという安直な考えで書いたものです。いちおう連載しているのですが、本当に書くべきことのない、くだらない論争ばかりが日々生じていますので、よっぽど気が向くまで次回は書かないと思います。

 しかし『新潮45』に関しては、一応これから雑誌を作る身として触れておこうと思いました。

 現代はとりわけマイノリティの話にはやたらと過敏です。そしてその過敏さ自体はある意味完全に真っ当で、小川榮太郎に怒る人が出てくるのは当然です。しかし、いわばその「反応速度」こそ、週刊誌的なゴシップと全く共犯関係なのであって、要するに反応すればするほどゴシップ的なものの影響力と価値は相対的に上がっていくということです。

 これはのちに書いた東浩紀論にも通底しますが、私は基本的に、広告に声をあげて怒るのは広告を広めるだけでなんの意味もないと思っています。

 あと、一応付け加えておくと、この件について高橋源一郎さんが記事を書かれましたが、少なくとも「批評」としては適当なことしか書かれておりません。こういうものを「ポップ」というのではありません。

3、遠近法と声の抵抗(10月5日) 

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 十月頭の記事です。私は七〇年代〜八〇年代のニューウェイヴの時代の音楽が好きなのですが、P-MODELというのは、日本を代表するニューウェイヴ・バンドです。これは『ベルセルク』や『パプリカ』の音楽などで一般に知られている平沢進さんがかつてやっていたバンドでもあります。そのP-MODELの中でももっとも暗く実験的なアルバムを批評したものとなっています。

 平沢進のリスナー(「馬の骨」とか呼ばれています)というのはけっこう多いので、その辺を狙って書いた記事です。私は平沢進の歌詞が難解だと思ったことは一度もないのですが、リスナーたちのあいだでは考察の対象となっているようです。

 しかし、そもそも音楽のリスナーって基本批評的なものからすごく遠く(それはもちろん、聞き手のせいではなく、音楽批評にろくなものがないからなんですけど)、ジャンルの抱えている問題があるのかもしれません。

 4、【書評】外山恒一全共闘以後』(10月6日)

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 赤井さんは以前から私やしげのかいり(@hahaha8201)と親交があったのですが、今回の「大失敗」旗揚げに際してもっとも早くレスポンスをいただきました。是非とも『大失敗』で書きたい、と言っていただけたので、とりあえずは書評を書いてもらったという経緯です。この書評は外山さんご本人にも反応いただき、ブログでも紹介されました。

 私たち「大失敗」は、批評の(再)政治化、をテーマの一つとして持っています。そんな中、外山恒一東浩紀の「非政治的」批評史観にほぼ唯一批判的に反応している知識人だったわけです。『全共闘以後』もそういうコンセプトですね。

 私たちには東浩紀外山恒一によって現在の批評状況を見る(そしてそこから遡る)、というゆるいコンセンサスが一応あります(これは、私としては、京大熊野寮の外山さん&絓秀実さんのイベントに参加し、ご両名と直接お話しさせていただいたという体験も大きかったのですが)。赤井さんは平岡正明の専門家であり、左翼思想史などに強い関心をお持ちなので、書評を書くにはうってつけの人材でしょう。

 赤井さんの論考では、鬼気迫る文体ではありますが、割と誠実に『全共闘以後』がまとめられていると思います。

時代を問うことが思想的営為の第一条件だとするならば、単一な過去に規定された「現在の現実」をひっくり返しにかかっている外山恒一は、まぎれもなく思想家である。また近年の絓秀実や千坂恭二の動きも含めて考えれば、状況は水面下ですでに大きく動きだしているといっても過言ではないだろう。

 

5、浅田彰と資本主義(前編)(10月7日)

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 しげのかいりによる浅田彰論です。

 浅田彰は名前だけはよく知られているのですが、いまの若者にとっては、何をした人なのかよくわからず、ポストモダンの衒学的な評論家、としか思われていないのではないでしょうか。

 その印象もある意味間違っていないのですが、その「ノリつつシラケる」衒学こそ、彼のある種の政治的思想の発露であり、左翼思想史に位置付けられるものなのだというのが、忘れられつつある前提なんですね。たとえば『逃走論』に現れるゲイ・ピープルの思想は、かなりパフォーマティヴなもの、つまり「あえて」の思想なのですが、その「あえて」がなくなると、彼が一体何に向けてパフォーマンスをしていたのか、わからなくなってしまうわけです。

山口昌男の思想的なバックボーンを見たとき、そこにあるのは林達夫の精神史的なモチーフから遡行して作り出される新左翼の文化闘争である。その山口に影響を受けたバブル期のトリックスター=文化英雄というべき浅田彰もまた、かかる左翼の思想史を前提にした存在であると考えるべきであろう。 

 批評とか思想を読むって、ある意味そのコンテクストがわからないと理解できないところがあるので、かなり文脈依存ですよね(しかし文脈依存であることと売れることは大部分で反しますよね。パッと読んでもわからないものなんだから)。そしてコンテクストを欠いた「批評」は、コンテンツの「批評」でしかなく、批評ではないんです。

 なので、私たちとしてはその文脈をまず紹介するところから始めるべきだと思いました。これは相談の結果しげのに書いてもらったものです。しかし、編集段階で結構私の手が入っており、「ドゥルーズ=ガタリ」的に言えば、「しげのかいり=左藤」が書いたというべき作品でしょう(笑)。

 反応としては、浅田彰に影響を受けた(そして多くの場合今ではなぜかそれを反省している)読者たちによく読まれたように思います。彼らにとっては浅田の政治性はある種自明のことだったわけですけれど、私としては、浅田が(そして「大失敗」が)何をやっているのかよくわからない人たちにこそ読んで欲しいと思っています。なぜ人がこれほど浅田彰を崇めたり、避けたり、怖がったり、憎んだり、軽視する態度をあえて取ったりするのか。

浅田彰が資本主義を批判する共産主義者の立場に立ちながらも、資本主義の成功を容認し続けるのもそのためである。浅田彰共産主義は中心になることがないものだ。もしもそれが中心に位置するならば、一夜に悪夢へと変わるだろう。そのことを予期しながら、資本主義とは違い、先取りした形で共産主義を自虐的に評価する自己破壊に位置し続けるのが、中心に対する周縁人(トリックスター)の位置付けである。 

6、「反動的異化」に居直る(10月12日)

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 永観堂雁琳(@ganrim_)氏による記事です。

 彼がこの批評集団にいるのは割と異色なことではありますが、概ね彼が書いているとおりの理由です。雁琳さんがいることによって、単なる批評好きの集まりにはならず、政治的な色を出すことができるというのが私の目論見でした。この記事では、雁琳さん自身の「大失敗」に対する考えも開陳されています。

左藤氏の言うように、現今の批評が、裏返った現実への追従としての「運動」の夢を「自己啓発」に成り下がっているのだとすれば、すなわちオルタナティヴという名のイデオロギー装置に成り果てているのだとすれば、展望と絶望を同時に提示することによって現実を「異化する」しか道が残されていない。私が慮るに、その道は、展望の不可能性を語り続けることによって目の前の現実を超越した絶対的なるものを提示しようとするイロニーか、展望と絶望の遊戯的な交錯を続けることによって絶えず目の前の現実を別の位相へと転化し続けるユーモアか、その何れかになるであろう。

 妙に難しい書き方してますが、要するに差異化のゲームに甘んじ続けることのできるのがユーモアであり、そのように見せかけて実は何か絶対的な現実を措定してしまってるのがイロニーということで、これ自体、色々議論の歴史があります。→浪漫的イロニー(ろうまんてきいろにー)とは - コトバンク

『私はユーモアの人です』という蓮實さんの言葉ほどアイロニカルに響くものはないとも言えるし、無謀と見えるほど直截に原理に迫っていく柄谷さんの言葉が時に思わぬユーモアを帯びることもある。それが、しかし、批評の逆説というものなのでしょう(柄谷行人編『近代日本の批評Ⅱ』、浅田彰の発言)*1

 まあ私の立場がどうなのかはよくわかりませんが、この区分で言えば私は蓮實派で、雁琳さんは柄谷派だということになるのでしょう。とりあえず、「大失敗」はシリアスなものであると同時にポップ(というか「ギャグ」)でなくてはならないということはもともと考えていたことです。時評でも引用したブレヒトのイメージですけどね。 

7、浅田彰と資本主義(前編)(10月21日)

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 浅田論後半です。前半の論考は、浅田自身の立場が左翼思想史に規定されていること、その中でこそ彼は「トリック・スター」であることを見ようとしていたのですが、後半では、小林秀雄吉本隆明という批評の流れの中で、浅田を見てみようという内容になっています。

 「ボヘミアン的」というフレーズが使われていますが、結局この論考のオチは、世俗から離れた仙人のような立ち位置としての「ボヘミアン」が、もはや現代に至ると単なるフリーターでしかなくなってしまったということなんですね。いわばその転換点に浅田彰がいる。批評家に憧れる庶民ワナビーたちは、「ボヘミアン」になりたいがなれないフリーターになってしまったわけです。

 「横断」的に浮遊する非専門家であることを自負する「批評家」の形は、今や翻って、単なる契約社員的なものになってしまった。しかも、正社員からフリーターへというパースペクティブを下支えする、公務員の解体=ネオリベ政策は、吉本的な大衆のルサンチマン(いわゆる「税金ドロボー」叩き)によって力を持っているのである。
 この点に関して浅田彰に責任があるとは思わないが、『逃走論』は実は極めてネオリベ的なものである。考えなければならない点は、今日におけるボヘミアン的知識人は、「契約社員」以上の意味を持ってないこと、これである。

 また、この記事にいただいた「そらまぎる」氏のコメントがかなり適切なまとめになっているので、引用しておきます。

近年においては、もはや学者も「領域横断的」であり、「国際的」たることが求められるようになりました。自らの研究分野(およびテーマ)に関しても、2つ以上もっていなければならない、といったように専門性(深さ)を追求することが困難な状況です。そのようななかで研究を続けていこうとする者たちは、往々にして「ネオリベ的主体」となっていきます。言い換えるならば、研究者として通用する(=要求されている)人間は、一般企業において要求される人材と相違ないということです。
〔…〕
〔研究者は〕敗北を認め、「ジャンク」化していることに徹底的に絶望するところから、はじめなければならないと思います。〔…〕

8、資本主義的、革命的(前編)(10月26日)

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 私の記事です。東浩紀論になっており、こちらも東さんご本人に一言言及いただきました。

 「意外とおもしろかった」(小学生並みの感想)という一言ではありますが、私は一面においては素朴な東ファンですので、結構普通に嬉しかったと思います。このツイートの効果もあって、この記事は結構たくさんの方に読んでいただけました。内容はご一読いただければだいたいわかると思うのですが、「結局、東浩紀って何をしている人なのか?」というのは意外と見えづらいんですよね。しかし私にとっては彼はずっと同じことをしている人です。

 Twitterで「東浩紀」とかで検索すればわかりますが、もはや東の読者は彼を自己啓発のようにして読んでおり、東は「泣ける文章」を書く人になっています。が、その効果は東の人格以上に、かなり戦略として作られたものであり、しかもその戦略の必要性そのものを東は初期の論考で言っている。彼がやっていることは徹頭徹尾「広告」であり「営業」なのであって、仮に彼を批判する立場であったとしても、「顧客になってコンテンツを消費している」ことには変わりない、ということです。

 むろん、これはしげのかいりの浅田論とも繋がっている内容です。

いまや、むしろ、このような浅田彰の貴族的「広告」戦略に対置されるものが必要なのであって、それこそが「ボヘミアン」神話それ自体を真に批判しうるものになるはずだ。それは具体的には、既存の自由主義を“愚直”に批判する、政治性を持った「アジビラ」ということになるのではないだろうか。(浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(後編)より)

 続けて読めば何かしらの文脈が見えてくると思います。まだ『資本主義的、革命的』の後半を書いていないのですが、ここに外山恒一氏が登場してくるというのも我々の間で一致している見解です。

ボクたち、批評に飽きました

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(文責 - 左藤青

*1:柄谷行人編『近代日本の批評Ⅱ』、講談社文芸文庫、一九九七年、二五二頁

資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について

 

新しい情報の提供があるわけでもなく、新しい価値判断があるわけでもない、ましてや学問的研究の積み重ねがあるわけでもない、なにか特定の題材を設定しては、それについてただひたすらに思考を展開し、そしてこれいった結論もなく終わる、奇妙に思弁的な散文(『ゲンロン4』33頁)

 東浩紀によって、「批評」とはこのように要約され、定義されている。東によれば批評とは日本における特異な現象であり、批評それ自体が考えるに値する。東の思索は、その批評の内容や対象というよりは、その批評という営為が生まれてくる現象そのものに向いている。

 東は「批評」という語自体を批評という営為の「可能性の中心」に据えるのだ。

 

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▲広告の例

 

歴史修正的

批評という病は、言い換えれば言葉と現実の乖離は、ねじれそのものが解消されなければ癒えることがない。そしてそのねじれはいまも変わらずに存在している(『ゲンロン4』33頁、強調引用者)

 こういう手法は、東浩紀の戦略としてオーソドックスなものである。彼の戦略は、「批評」であるとか「ポストモダン」であるとかいう、一般的に流布し、使われてきた語の定義を改造することによって、自らの思想を述べる点にある(デリダの「古名 paleonymie」の戦略に相当する)。

 そして実際彼の言葉とともに、「批評」や「ポストモダン」は全く豹変した意味を持ってしまい、まるではじめからそうであったかのような「遠近法」的な錯覚に読者は陥ることになる(たとえば彼を「ポストモダン」として批判する立場は、常にそのことに留意していなければならない)。

おそらく、デリダを研究している人であれば研究している人であるほど怒るでしょうが、僕はデリダ脱構築の理論は本質的には歴史修正主義の理論だと捉えています。歴史はいくらでも修正できる。というか、人間はいくらでも修正してしまう。人間とはそういう生き物で、言葉にはそういう性質がある〔…〕(「デッドレターとしての哲学」一二二、一二三頁)*1 

 東浩紀デリダの哲学を「歴史修正」の理論だと、思い切って言う。むろん、歴史修正だから悪だなどということをここで書きたいわけではない。哲学や批評と呼ばれる一定の思想運動は、本性的に「歴史修正的」であり、東はそれを自覚した書き手なのだ。これが『存在論的、郵便的』(以下『郵便本』と略記する)以来の東の「訂正可能性」にかかわる議論であることは言うまでもない。

暴力的

 したがって、私たちは『動物化するポストモダン』や『観光客の哲学』だけではなく、それを準備するかのようにして書かれていた『郵便的不安たち』や『現代日本の批評』や『ゲンロン4』巻頭言の短い文章を含めて、彼の主著とか「代表作」と呼ぶ必要がある。彼の「批評」=歴史修正はそこからすでに始まっているからだ。そうした前準備こそが、彼の本を理論的にも実践的にも支えているのだ。

 少なくとも「批評」に関わる東浩紀の文章は、ほぼ間違いなく①コンテクストを独自の仕方で圧縮し、その独特の状況認識/歴史認識を示すこと(批評に対する批評)、②それに対する応答を特異な場所に接続しながらキャッチーな言葉で示すこと(誤配)、という手順で書かれている。

 後者、すなわち誤配に関してはわかりやすいだろう。東浩紀はいつでも、彼がそれまで属していた領域からずれていこうとする。「オタクから見た日本社会」も「観光客の哲学」も、それまでと全く異なるように見える領域に「接ぎ木」する意志が明確に現れたサブタイトルである。もちろん、ここで問題なのは議論の内容ではない。文体であり語の選択が重要なのだ。「誤配」的文体は、「『遠いところ』にいる観客」であり「批評という病=ゲームを鑑賞し、その成否を判断する『観客』の共同体」を目指す。

 しかし、しばしば見落とされているのだが、東がその手際を最も発揮しているのは、実は①においてなのだ。自分に至るまでの「批評史」を暴力的なまでの手際で「要約」=「歴史修正」し、問題領域を確定するという段階にこそ、東浩紀の鋭利さがある。

 暴力的な要約能力。東浩紀の読者であればそれも皮膚感覚としては理解できるはずだ、東はこの戦略をひとつの文章のなかでも多用している。東が用いる「言い換えれば」や「すなわち」という接続語は、実は「言い換え」でもなんでもないものを接続している。この跳躍を自然なものに錯覚させ、読み手を「ドライヴさせ」るのが、彼の文章の特徴である。東浩紀の業績を一言でまとめれば、この文体を開発したことに尽きる。

 『郵便本』前後においては、東自身、こうした文体にまつわる問題系に対する異様なこだわりを見せていた。この時期の東は柄谷や蓮實の文体を分析したり、国語学者時枝誠記の仕事に着目したり、今から見れば非常にマニアックな問題に取り組んでいる。『郵便本』はジャック・デリダの文体の変化をある理論的な必然性において読み解くという、特異な問題意識から書かれている(「存在論脱構築」から「郵便的脱構築」への変異)。

柄谷文体と蓮實文体は、一時期よく言われていたように対照的なものには思えないんですね。実際は彼らの批評文はともに、使い方は違うけれど、「辞」の力に非常に頼っている。辞の力とは、今日の講演で言えば、パフォーマティヴな力です。しかしぼくは、もうそれには頼れないと考えています。かわりにぼくは、コンスタティヴな詞だけが、辞の支えも象徴界の配達もなしに、ただヒュンヒュンと発送されていくようなテクストを夢見ているのです。(『郵便的不安たちβ』、一〇二頁)

広告的

 この意味では、東浩紀の作風は『郵便本』と『郵便的不安たち』ですでに完成しており、『動ポモ』も『一般意志』も『ゲンロン0』もその実践編=応用編に過ぎないとすら言えるだろう。要するに、注意しなければならないのは、「批評」は、それ自体が東が用いるひとつの独特な用語であるということだ。

 例えば、哲学の歴史もまた、往々にしてある言葉、ある「用語(ターム)」に特殊な意味を付与し、特権化することで世界を説明してきた。「コギト」、「超越的/超越論的」、「ノエシスノエマ」、「存在論的差異」……云々である。東は初期の短い論考のなかで、しきりにこうした「大文字のキーワード」の必要性を主張している。東浩紀は、「批評」という語をそのキーワードとして、キャッチーな言葉として採用している批評家なのである。

 この東の戦略の強さは、仮に東浩紀を批判したとしても、その「用語」は変わらず使われていく点にある。哲学の歴史もそうであったように、そのシニフィアンにまつわる議論を重ねるほど、「データーベース消費」とか「セカイ系」とかいった用語の強度は、その適切さとは別に増していくことになるだろう。文脈を離れ、記号の集積として機能する「キャラ」のように。

 だから一言で言って、東浩紀は広告的である。彼が経営者としても手腕を持っているのは、彼が徹底的に広告的だからだ。広告を批判したところで、ただ広告を広めるだけであまり意味がない。東浩紀にキレる「オタク」は、広告に性の非対称性を見出す人種と似通ってくる(ここで、そうしたクレームが「適切」かどうかは本質的問題ではない)。もっとも、こうした「オタク」こそが東にとってよき読者でありよき顧客だったのだが。

独占的

 誤配は哲学的な意味を付与されているが、むろん、現実的な売上の問題でもある。東浩紀という批評家は、浅田彰=広告と柄谷行人=思弁のハイブリッドである。そういう意味で東浩紀は正しくニューアカデミズムの(『批評空間』の)後継者なのだ。

 誤配は資本主義下の「広告」の流通の中では最強である。それが佐々木敦評するところの「東浩紀一人勝ち」を生み出した。東はあらゆる語を「広告」として、流通性のあるものとして扱っている。東のテキストは、広告的な断片の寄せ集めである。

 この広告によって、読者すなわち観客すなわち顧客は〈どうやら「批評」というものがあって、それをやっている東浩紀は「批評家」で、それを読むと違った世界を見られるらしい〉と思い込んだり、あるいは〈これだからポストモダンはダメだ。俺たちの本当のセカイ系はこんなものではない〉と憤慨させられたりする。「あなたもまた『観光客』である」とは「あなたもまた(ゲンロンの)『顧客』である」と同義であり、この憤慨する読者はクレームを飛ばしてはいるが、同じく一人の消費者である。

 この思弁的マーケティングを、東浩紀は絶え間なく続けてきた。東浩紀がいち早く起業したのも、彼のこの嗅覚の鋭さによるのではないか。全てが資本のゲームと化し、知的な営みはせいぜい「大学」に任せればよい、専門性のない衒学的な議論はすべきではない、となれば、批評だの文学は、もはや「売れない商品」であり「不良債権」としてしか存在しえなくなってしまう*2。ならば、批評家とはそもそも批評が売れる構造を作る立場でなければならない。そのことに東浩紀以外に気づいていたのは、注で挙げた大塚英志くらいではないだろうか。

 その帰結が東の「一人勝ち」状態である。これは大企業による「独占」に似ている。東浩紀一人が本社の社長で、あとは「フリーター」、せいぜい「下請け業者」である。いくら下請け業者が五反田の社長に文句を言おうが、構図は変わらない。

資本主義的、革命的

 こうして「あっちもこっちもコピーだらけ」の批評市場が出来上がってしまった。しかし実は、私はこうした状況に対して、東の批評は欺瞞である、と言うつもりはない。とはいえ、東浩紀と同等かそれ以上の力を持つために、批評家は今すぐ起業せよという「意識の高い」ことを言うつもりもない。 

 いや、事実上、まさに東浩紀こそ「賢くチャレンジングな生き方」をしているのだが、このツイートの危機感に関しては権利上正しいだろう。この状況下で「批評」を別の形で成り立たせるには、おそらく別のアイディアが、「別の普遍性」が必要なのではないかという気がする。

 いまのところやり方は、大まかに言って二つあるのではないか。

①「資本家」

 この構造に順応しつつ、さらに「売れる」構造を思考し、そこにおいて文学や批評を存続させる「資本家」。「商業主義に屈しないために売る」というコンセプトは、ここでは矛盾ではない。資本主義それ自体が乗り越えられず、しかもそこで人文書というマイナーなジャンルでサヴァイヴしていくとなれば、批評家は資本家になるしかない。彼らは、徹頭徹尾タコツボを破壊しつつ、観客を育て、自分たちを売り込み続けなければならないのだ。この路線において、東浩紀は商売上のライバルであるが、ときには良い「取引先」にもなる。

 ただし、この路線で行く場合、流行をなんとか追い、その都度の読者を満足させるコンテンツを発し続けるだけの「自転車操業」になってしまう危険性もある(『ユリイカ』とか)。

②「革命家」

 そうした「資本」主義に対抗して、それ以上に自らの批評の普遍性を打ち出すことのできる「革命家」。こちらも多少なりとも売れなければ=知られなければ意味がないわけだが、それは手段にすぎない。しかしここでは、「観客」を育てるのは主たる目的ではない。革命家は、観客を育てるのではなくオルグする。言い換えれば、観客を無理やり当事者に変えてしまう。観客の育成は、当事者=優秀な党員を確保するためである。こちらは、むしろ、セクトを作ること、党派を作ること、タコツボを増殖させつつ拡大することが重要である。

 

 あくまで図式的な言い方だ。むろん、この二つは完全に相反するものではなく、両面を持つことは可能だし、そういう人間は存在する(おそらくそれが「知識人」と呼ばれる立場である)。そして、実際には、第三の選択肢として、学術誌と批評誌の中間のような位置を取りつつ、研究者という安定した「読者=観客」に売っていく、という戦術が存在する(これは、「結果として学者に読まれる」こととは異なる)。ただ、私にとってそういう戦略はアカデミズムの縮小再生産にしか見えない。この場合「横断」は「学際的」の言い換えでしかないのではないか。

 話が逸れた。東浩紀は、やはりどうあがいても「資本家」であろう。では、後者すなわち「革命家」にあたる人物は誰か。何人か想像できる。しかし、実は東浩紀と近い仕方で、しかしそれでいてまったく「東浩紀的ではないもの」を作り出している知識人が、日本にもう一人存在するように思うのだ。

 彼は東浩紀と一歳差で、ほとんど同年代であるが、東と全く違う文脈から言葉を発している。東ほどに覇権を握っているわけではないが、「マニアック」な人物ではない。それなりに知名度と話題性を持っているし、しかもそれは年々増してきている。

 

 それは誰か。もちろん、「反体制知識人」外山恒一にほかならない。

 

(後編に続く)

 

 ※後編書きました

daisippai.hatenablog.com

 

  

 

▲書いている途中で決まったイベント。これが決まったから書いたわけではない…

 

(文責  -  左藤 青

*1:現代思想デリダ特集号所収。二〇一四年。

*2:ここには大塚英志の影響を見る必要もあるかもしれない。ゼロ年代初頭の大塚と笙野頼子の論争について、不良債権としての「文学」 | 文学フリマを参照。以下、関係しそうな部分を抜粋しておく。「コミケ的なイベントに「文学」〔が〕学ぶことがあるとすれば、それが既存の版元以外の場所から新人が世に出ることを可能にしたという点、是非はともかく「同人誌で食っていける」という状況を生んだ点です。〔…〕プロになった者たちがコミケに戻っていくという現象もこのイベントの集客能力を支えています。それは例えば松本徹氏の時評で扱われる無数の同人誌に混じって柄谷行人氏が「トランスクリティーク」を手売りし、その隣で吉本隆明氏が「試行」バックナンバーを叩き売りし、あるいは高橋源一郎氏が「官能小説家無修版」(なんてあるのかどうかも知りませんが)をこそこそ売っているような「場」です。そのような「場」を「文学」が用意できず「まんが」が用意できたのは、はたして「まんが」の市場が巨大だったからだけなのでしょうか。それはやはりそのジャンルそのものの「生き残る意志」の問題のような気もするのです。/〔…〕必要なのはそういった議論を「仮想敵」を立てることで回避せず、きっちりと行い、実行に移すことで「文学」が自らの生き延びる手段を模索することではありませんか。/繰り返しますが、ぼくは「経済的自立」に「文学」の全ての価値があると言っているのではありません。しかし大西巨人氏のように黙々とHPに「文学」を無償で発信していく覚悟がないなら、現実的に「文学」や「文学者」を存続せしめる具体的な悪あがき一つせずに「文壇」で「文学」を秘儀のまま存続させるのは不可能だと言っているだけです」。