批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動

 ※前編

daisippai.hatenablog.com

 前編では、東浩紀について論じた。後編では外山恒一について扱う。

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批評≠思想

「資本」主義に対抗して、それ以上に自らの批評の普遍性を打ち出すことのできる「革命家」。〔…〕革命家は、観客を育てるのではなくオルグする。言い換えれば、観客を無理やり当事者に変えてしまう。観客の育成は、当事者=優秀な党員を確保するためである。こちらは、むしろ、セクトを作ること、党派を作ること、タコツボを増殖させつつ拡大することが重要である。(『資本主義的、革命的』前編より) 

  私は前編で、批評家のあり方として一方の「資本家」の極に東浩紀を置き、もう一方すなわち「革命家」の極に外山恒一を置いた。しかし、これは実は恣意的な操作である。外山恒一は批評家ではないからだ。だからこれは正確には「思想のあり方」と言い直さなければならないのかもしれない。

 けれども、実際のところ東の作り出す「批評」ないし「批評観」を批判できている思想家は、現在、外山恒一だけである。実際に見てみよう。

外山佐々木敦も含めてこの座談会の参加者たちが共有しているらしい、浅田彰東浩紀のようなタイプの〝批評〟がイコール〝思想〟であったかのような特殊な状況を、特殊だと感じることのできない〝思想〟観がそもそもおかしい。〔…〕だって〝浅田まで〟はそもそもそうではなかったはずじゃん。〝浅田以降〟はそうなってて、浅田はその両方の状況を体験してると思うけどさ。〔…〕 

外山 〔…〕しかし本当はそういう議論の前提となっている「批評=思想といった等式」というもの自体が疑われなきゃいけないはずで、東のような狭い意味での〝批評家〟だけでなく、〝活動家〟のような人たちの言説まで含めて〝思想〟シーンが成り立ってると考えるなら、〝批評〟の主流はそりゃ東しかいないんだから東だったでしょうけど(笑)、〝思想〟の主流はそうではなかった、という認識になりますよ。〔…〕(東浩紀が1人で孤塁を守ってたような領域で〝東浩紀ひとり勝ち〟なのは当たり前(笑) -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(2) | 外山恒一のWEB版人民の敵

パフォーマティヴ=アクティヴ

  外山恒一にとって、「ニッポンの思想」は批評家だけで構成されているわけではない。そこにはアクティヴィスト(活動家・運動家)も参入しなければならないのである。この点において、外山はある種「批評」に対する他者として、『ゲンロン』座談会に接している。しかしだからといって、単に外山が運動家として、外野から東に対して異論を呈しているとは言い切れない。次のような浅田と東のやりとりを見てみよう。

浅田 〔…〕田中康夫が神戸で空港建設反対の住民投票を求める署名を三〇万集めた、僕はそれが批評的行為だとは思わないし、彼も文学者としてやっているなどとは絶対に言わない、単にアクティヴィストとして立派にやったと思います。あるいは、僕はそのレヴェルでは宮台真司の言うことをほとんど支持しますよ。〔…〕僕は東さんと違ってそれが批評的だとは思わないので、たんにアクティヴィストとして立派だと思うんです。 

 もちろん彼はパフォーマンスしかないんだから。

浅田 いや、僕はそれをパフォーマティヴな批評的行為としてではなく有効なアクティヴィズムの実践として評価すると言ったわけですよ。

 浅田さんの話は一貫してコンスタティヴなレヴェルとパフォーマティヴなレヴェルが別れているんですよ。〔…〕(「いま批評の場所はどこにあるのか」、26頁。強調引用者) 

 これは一九九九年一月、東浩紀鎌田哲哉福田和也浅田彰柄谷行人らが紀伊國屋ホールで交わした議論「いま批評の場所はどこにあるのか」(『批評空間』II-21所収)からの引用である。このシンポジウムについては様々な角度からの議論が可能であるが、ここではこの場面のやりとりについてだけ特に着目してみよう。

 かなり大雑把に言えば、「コンスタティヴなレヴェル」とは、あるテクストにベタに書かれていること(「この牛は危険である」という性質説明)であり、「パフォーマティヴなレヴェル」とはそのテクストが読まれることによって生じる様々な効果(「この牛は危険である(だから近づくな)」)を指す。この効果は当然、テクストとしては、読まれることによって「事後的に」生じるものだ。このパフォーマティヴな次元を鑑みるなら、テクストはつねに誤読/誤配の可能性に晒されている(例えば「この牛は危険である(じゃあ近づいてみよう)」になりうる)。

 東浩紀は一貫して、批評家は単にコンスタティヴなテクストを書く=「真面目に理論的な文章を書く」だけではなく、事後的にパフォーマティヴな実践をする=「その読まれる場所に対して自ら働きかける」ことが必要と考えている。言い換えれば、誤配がより生まれやすいように営業することが重要だと考えている(それは実際、上記の対談においても東によって「営業」と呼ばれている)。このことは前編で見たとおりだ。

 そこから生じる浅田彰東浩紀のすれ違いをよく見てみよう。上記の引用を見る限り、浅田においては「批評的行為」と「アクティヴィズム」は別れている。田中康夫の署名運動は、浅田にとってあくまでひとつの「運動」であり、「批評的行為だとは思わない」ものだ。それに対し東浩紀においては、「アクティヴィズム」という言葉はすぐさま「パフォーマンス」と言い換えられてしまう。この「言い換え」こそが東の戦略であることもまた、すでに前編で述べた(浅田はそれを察知し、すぐに話を戻している)。

 東にとって「アクティヴ」はあくまで「パフォーマティヴ」であり、「パフォーマティヴな批評活動」のひとつであり、それが有効かどうかよりも、「批評的かどうか」というある種の美的な価値判断によってのみ評価されるのだ。それは、「コンスタティヴな批評」とともに「批評」というひとつの営為を構成する一側面に過ぎない。すなわち、こう言っていいだろうが、東浩紀「批評一元論」である*1

 東にとっては、批評家がテクストの外で何か活動することもまた、全て批評活動であり「営業」の一環なのだ(かつてジャック・デリダは、挑発的に「テクストに外部はない」といったわけだが、東にとって「批評に外部はない」のである)。「批評という病」は、「アクティヴ」(運動)が全て「パフォーマティヴ」(営業)に言い換えられていく「ねじれ」を指している。この際、東による「運動」の消去は理論的に必然性を持っている。

 外山恒一の違和感は、アクティヴをパフォーマティヴと同一視し、言い換えることで「運動」を思想から消去し、「批評」と思想を同一視するこの東浩紀の手際に対するものである。この言い換えは、『存在論的、郵便的』がその核心に据える「コンスタティヴ/パフォーマティヴ」という対(デリダがオースティンから引用し改造した対概念)に由来するのだから、内在的な東浩紀批判にも繋がっていると言うべきだろう。

 こう言わねばならない。東浩紀(派)においては、事実上も権利上も、「批評」と「思想」は、非常に自明かつ「健康的に」、ねじれなく結び付いている。だから実際のところなんら批評をしていなくても「批評誌」やら「批評集団」やらを名乗ることができるし、なんら思想的なことに関わっていなかった批評家が、急に政治的/社会的な発言を要請されたりもするのである。

 しかしそれはもはや自明ではない。現代の批評になんらかの閉塞感があるとすれば、それは「批評」の外部を消去したことに由来するのではないだろうか。外山恒一は、そうした「批評」に対する異邦人であり、パルマコン」(毒=薬)だ。

〈我々少数派〉≠多数派

 では外山恒一自身はどうなのだろうか。一見東と全く異なるフィールドで戦っている外山恒一だが、外山は東に対して妙な親近感も持っている。

外山 〔…〕3回シリーズの座談会にこっちも律儀に3回シリーズの読書会をやってきて、回を追うごとに東への親近感というか、〝やっぱり同世代ではあるんだよなあ〟という近しさを感じるようになって我ながら困惑してるんですけど(笑)、東浩紀がデビュー以来ずっと続けてきてるのは、まさに〝運動〟なんだもん。〝批評シーン〟というタコツボの中で、東は一所懸命、〝運動〟を志向し、しかも何度も挫折を経験してるのに、へこたれずにまた別のことを考えて、〝運動〟を再建し、継続してきてる。この意味不明な情熱、パワー、そして〝運動家〟体質にはものすごく同世代性を感じるんだけど、〝ジャンル〟がなあ……(笑)。(批評シーンの中で東浩紀は一所懸命運動を志向している。しかし、ジャンルがなあ…… -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(3) | 外山恒一のWEB版人民の敵

 ここで外山が実は、東の「パフォーマティヴな批評的実践」に一定以上の評価を与えている点を押さえておこう。「タコツボの中の端のほうと端のほうでつながってない部分を出会わせてシャッフルしようと」することを外山は評価する。なぜか? むろん、それは外山恒一自身の「活動」であり「運動」もまた同様の性格をもつからである。

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 あえてニコニコ動画から貼ろう。外山恒一は「運動家」を自認するが、それはいま、「運動」と言った場合に想像される具体的な署名活動や、適当な若者たちが集って騒ぐ「デモ」ではない。外山はむしろそうした「真面目な市民の」活動に対しては嫌悪感すら持っているだろう。彼の「運動」はどこかいつもふざけているように見えるし、それゆえに野間易通から「サブカル」呼ばわり され、論争に発展したりもする。彼が「サブカル」かどうかはともかく、彼の「運動」は、この動画に見られるような明らかな、そして計算された「パフォーマンス」ではある(実際この動画は非常に「美しい」。計算された腕の角度、抑揚、間、「緊張と緩和」)。

 外山恒一も「イベントを仕掛けたり、雑誌を立ち上げたり、スペース運営にまで手を染めたり、とにかく思いつくかぎりの方法でシーンを活性化させ」てきた人物だ。しかし、前編ですでに書いたように、例の政見放送の目的は、やはり「タコツボを破壊すること」が最終目的なのではない。動画をもう一度見ていただきたい。

私は、諸君の中の少数派に呼びかけている。

少数派の諸君、今こそ団結し立ち上がらなければならない。

やつら多数派はやりたい放題だ。

我々少数派が、いよいよもって生きにくい世の中が作られようとしている。

〔…〕

今進められている様々の改革は、どうせ全部全てやつら多数派のための改革じゃないか。

我々少数派は、そんなものに期待しないし、もちろん協力もしない!

我々少数派は、もうこんな国に何も望まない!

我々少数派に残された選択肢はただ一つ!

こんな国はもう滅ぼす事だ!(強調引用者)

  しかし、繰り返される「我々」とは一体誰なのか? 多数派や少数派という図式は、例えば「性的少数者」とか、ある政策に関する「賛成派と反対派」のように、なんらかの限定があってはじめて生じる。しかし外山はここでなんの定義もしていない。ここでの〈我々少数派〉とは一体誰か?

 もちろん、「元から多数派と少数派が独立で存在しており、外山が少数派の仲間をしている」という順序でこの発言を捉えてはならない。ここで行われていることは、いわば「スピーチ・アクト(言語行為)」に他ならないからだ。ここで外山は「我々」と呼びかけることによって「我々」を創設しているのであり、この「我々」には何か初めからポジティヴな定義が存在していたわけではない。〈我々少数派〉は、セクトを団結させ、その同一性を獲得するための「約束」なのだ(ちなみに、外山恒一の率いる政治結社の名前は「我々団」である)。

 ここで起きていることはタコツボを破壊することではなく、むしろ「まったく新しい」タコツボを作り、増殖させていくことにほかならない。無数の少数者の、団結なき団結、共同性なき共同体としての〈我々〉なのである。そこでの結束は、「反−管理社会」以外にその定義や共通項を持たないし、事実上、そうした定義はほとんど具体的な提案、いや「建設的な提案」を持つものとはならないだろう。〈我々少数派〉の団結は原理上、どこまでもネガティヴな(積極的な定義を欠いた)集まりである(だから「スクラップ&スクラップ」なのだ)。ちなみに、東浩紀にはこの図式は「否定神学的」にしか見えないと思われる。

 おそらく、外山恒一にとっては、それがマルクス主義でもアナーキズムでもファシズムでも、そうした道具立てが、既存の価値観に対してそのつど「まったく新し」ければ、それで良いのである*2。その道具はつねに交換可能で、ある程度なんでも代入可能な「イデオロギーX」である。ここで、かつて書いた『資本主義リアリズム』についての拙論を想起していただきたい。外山が相手にし、「まったく新しい戦争」と呼んでいるものは、まさしく「資本主義リアリズム」である。 それについて具体的に見てみよう。

左翼=体制派

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全く新しい左右対立−イデオロギーX

 少々古いものではあるが、二〇〇四年、外山恒一は、柄谷行人をパロディするかのようにこの図を用意していた。

 4象限図を描くために、我々は縦軸と横軸を用いた。
 しかし我々が考えるに、この縦軸と横軸とは、同じ太さで引かれてはいない。
 結論から言えば冷戦の時代、縦軸の方が太く引かれていた。〔…〕
 そして今や、我々は横軸の方が太く引かれていると考える。
 横軸を挟んだ二つの勢力の対立──それが「まったく新しい戦争」の正体である。
〔…〕
 我々は、社会のPC化を推進する左翼勢力と、諸個人を監視・管理するハイテクを獲得した国家権力との結託による、まったく新しいスターリニズム体制の実現に抵抗し、これを阻止・粉砕する闘争に決起しなければならない。
〔…〕
 我々はあの4象限図で、左上領域に身を置くXである。
 縦軸が太く引かれ、左下の左翼勢力と連帯している時、Xは「アナキズム」と呼ばれる。
 横軸が太く引かれ、右上の右翼勢力との連帯が必然的に追求される現在のような時代には、Xはおそらく「ファシズム」と呼ばれるのである。

 外山の認識は、〈右翼・体制側 vs 左翼・アナキズム〉という旧来の体制が冷戦終結によって崩れ、その後は「まったく新しい戦争」が始まったというものである。その戦争においては、この図式は〈左翼・体制側 vs 右翼・ファシズム〉にとってかわる。それが「ファシズム」に限定されるべきものなのかどうかはさておき、基本的に「理性的/精神的価値」を目指す「X」へと向かうべきであるというのは私にとってまったく正しい言辞としか思えない。

ファシストは、資本主義に反対する。

共産主義者が資本主義に反対するのは、それが「正しくない」からである。

ファシストが資本主義に反対するのは、それが「美しくない」からである。(「ファシズムとはおおよそこんな思想である」

 しかし、ここで彼のファシズムの説明や、彼の「運動」にある種通底するものを見る必要があるだろう。つまり、外山恒一の活動は少なくとも極めて「美学的」であり、「芸術至上主義的」なのだ。私が外山の政見放送を「美しい」と評したのは、まさにそれが執拗なほどの形式美を追求しているからであり、外山の、いわば「美学イデオロギー」に起因するからである。

パフォーマティヴ=アクティヴ

 前編で私は東浩紀をこう評した。

東によれば批評とは日本における特異な現象であり、批評それ自体が考えるに値する。東の思索は、その批評の内容や対象というよりは、その批評という営為が生まれてくる現象そのものに向いている。

東は「批評」という語自体を批評という営為の「可能性の中心」に据えるのだ。

 東浩紀の用いる「批評」という言葉は、 まさに彼によって広告的に作られ、改造された言葉だった。その視座から、東は「現代日本の批評」の歴史を遡行し、解釈する(それは無論、東までの批評家たちがそうしてきたものでもあるのだが)。東は、「批評」という病そのものを、批評の可能性の条件として設定している。

 では外山恒一は何をしているのか。おわかりのように、外山恒一は、「運動」という語自体を運動という営為の「可能性の中心」に据えるのである。標語的にいえば、東浩紀が「批評」を批評する批評家なら、外山恒一は「運動」を運動する運動家だ。

 たとえば最新の著作である『全共闘以後』も、人脈などの関わりはあれ、基本的に、それぞれ全く異なる状況や問題に対応してきた「運動」を、「運動」であるというその形式においてまとめている。つまりここで描かれる運動史は、多数派に対する、〈我々少数派〉であり「人民の敵」たちの抵抗の歴史である。この歴史は一面においては非常に「パフォーマンス」の歴史なのだ。

 外山にとっては、新しいスターリニズムに、多数派の抑圧に、管理社会に抵抗すること——革命すること——は、政治闘争や権力争いなどではなく、パフォーマンスによってなされる(べき)ものである。たとえば最近の「運動」を取り上げれば、外山は二〇一三年以降の「原発推進派ほめご…大絶賛キャンペーン」では、原発推進自民党支持を「表明」しながら街を街宣車で回るという「嫌がらせ」を行っている。『全共闘以後』によれば、その際のBGMはタイマーズであったらしい(原発音頭 タイマーズ - YouTube)。この楽曲のイメージは外山恒一にぴったり重なるものだ。そしてこうしたパフォーマンスが極めて用意周到かつフレンドリーになされていることも明らかだ。

 しかしもちろん、多数派を冷やかしズラしてしまうこうしたパフォーマンスを、外山恒一はあの一九九九年の東とは正反対に、「アクティヴィズム」と、つまり「運動」と言い換えるだろう。こうした東浩紀外山恒一の奇妙な関係こそ、批評と運動、文学と政治のねじれであり、思想の二極化であり、「棲み分ける思想」を表すのである。

 いまや、東の「批評史」に対して正直に批判を展開した外山恒一は、「批評」というタコツボをかき乱す存在になっている。思想の「棲み分け」を批判してきた東がこれに今のところまともに応答していないことについては、少し分が悪いのではないだろうか。

(だから私は、この記事の前編を書いている途中に外山恒一ゲンロンカフェに登壇すると聞いて心底驚いた。「外山十番勝負」に東浩紀が入っていることを願っておこう) 

「正しさ」≠「美しさ」

 思想の二極は、いわば両方とも、ある種の「美学」によって支えられている。この美学こそ、リベラルな「正しさ」の同調圧力に抵抗するために用いられるのだ。東と外山は、お互いまったく違う角度からではあれ、現行「リベラル」に対して嫌悪感を持つ。

 「政治的正しさ」(ポリティカル・コネクトレス)の意味の充溢は、実際どこまでも「正しい」のだが、それ自体がまるで「反体制的」であるかのように振る舞いながら、抑圧的に機能する。それは誤配をなかったことにし、〈我々少数派〉を弾圧し、管理し、全てを「資本主義リアリズム」の監視下におくだろう。成熟/「熟議」という目的論モデルに〈我々〉を縛り続けるだろう。

 思想家たちは、そうした「正しさ」の重苦しさに、「表現の自由」というもうひとつの「正しさ」を対置するのではない。コンスタティヴなテクストを書きながら*3、それでも「観光客」のように軽やかに/「全共闘」のように鮮やかに、体制の監視から「逃走する」。そしてそのように「演じる」*4。それがいま「イデオロギーX」が、言い換えれば「思想」が目指していることなのではないだろうか。

 これは、批評家・絓秀実がベンヤミンからしばしば引用する、「政治の美学化」への抵抗であるということもできる。無論、東・外山ら自身の身振りが、「政治の美学化」へと近づいてしまっているのであり、そういう危険をつねに孕んではいるのだが。

ベンヤミンの高名な論文〔『複製技術時代の芸術作品』〕が言うところの、芸術作品の『展示的価値』という概念は、美術館によって購入されたその作品の交換価値は、一般的な労働力の価値の累乗された希少で貴重な労働力によって作られたものであるがゆえに高価だという論理に、芸術を回収しようとするのである。それは資本制の「美学化」——ベンヤミンに倣えば「政治の美学化」——にほかならない。しかし、これまたベンヤミンのその論文が言うように、「複製技術時代」の到来は、そのような特権的な芸術家の「労働」の崇高な「アウラ」を崩壊せしめずにはおかない。美術館におかれれば「それが芸術だ」という芸術の無根拠制が、複製技術時代には露呈してしまうのだ。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』)*5

 ある芸術作品の「値段」とは極めて資本主義にとってセンシティヴな問題である(政治)。けれども、一定の人間は——あるいは批評家は——それを覆い隠し、苦労の末作られた作品に相応の値段がつくのは普通だと考える(美学化)。私は、「思想」をただ観念的な、「ありうべき」規範として示したいわけではない。しかしながら、「政治の美学化」とは反対に「芸術の政治化」を達成し、見いだすことのできるような、本質的に資本主義に抵抗し脱構築するような〈ジャンク〉としての批評=運動が、やはり待ち望まれるのである。

 それは「つねにすでに」あるものなのか? それとも「いまだ−ない」、〈来たるべき〉ものなのか? その解答を、今のところ〈我々〉は持っていない。ここから先は、もはや「観客」であり「当事者」でもある〈あなた〉が判断するべき——批評するべき——次元になってくるのである。「私には、建設的な提案なんか一つも無い」。だから〈我々〉は今はただ、次のように問い続けるだけに甘んじよう。

 

 では、いま批評の場所はどこにあるのか?

 

(文責 - 左藤青

 

 

 

 

*1:もうひとつの点として、外山恒一浅田彰に対する評価「浅田はその両方の状況を体験してる」は重要である。たしかに、浅田は思想史上、この「批評一元論」へと繋がる橋渡しになった。詳しくは、「大失敗」ブログ、しげのかいりの記事を参照:浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(前編) - 批評集団「大失敗」

*2:ちなみに、個人的な体験で申し訳ないが、私が今年の9月ごろに外山氏と直接お話しさせていただいたとき、私は『全共闘以後』をどの層に読んで欲しいのか、そしてその読者をどうしたいのかを尋ねた。その際、外山氏は「ちょっと知的なことに興味がある大学生が読んで、何か面白い活動をしてくれればそれでいい」と述べていたように記憶している。

*3:外山恒一にはまだ自身の理論を開陳するタイプの「主著」は存在しないし、またそれを受け入れる出版社は今のところ少ない。大手出版社諸賢は、自身が資本主義の単なる奴隷ではないことを証明するためにも、一刻も早く外山恒一に本を書かせねばならないであろう。

*4:両者の演劇についての「軽い」共通点について。外山は演劇集団「どくんご」の熱烈なファンであり、彼のパフォーマンス自体も演劇的な側面を持つ。東浩紀は演劇部出身である。「〔…〕大学に入ってもちょっと演劇やってました。大学二年のときにはなんと、ぼくが脚本と演出をして、公演を打ったこともある。〔…〕そしてその公演がとにかくあらゆる意味で大失敗をし、そのときはじめて、というかいままでおそらくは唯一、俺には何もできないと真剣に思った」(東浩紀「オタクから遠く離れて」、『郵便的不安たちβ』所収、河出文庫、二〇一一年、二五三頁。強調引用者)また、東のトークイベントなどでの態度は極めて演劇的で、役割・ポジションを重視するものである。

*5:絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な——「1968年の革命」史論』、ちくま学芸文庫、二〇一八年(文庫版)、二六〇・二六一頁。もちろん、反対に「芸術の政治化」を考えなければならない。「それら〔赤瀬川原平の「千円札」〕は同等に美術館に展示され、〔…〕単なる(?)ジャンクなのである。にもかかわらず、それが——「反芸術」という——「芸術」だと主張される時、それは芸術が商品交換の論理に還元されえないという資本制の矛盾を突き、「芸術の政治化」(ベンヤミン)が遂行される」(同頁)。