批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」。一月に京都文フリで本出します。https://twitter.com/daisippai19

【絓秀実氏寄稿決定】『大失敗』創刊号内容紹介

 ※通販始めました

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私たちに必要なのは「生きた自由な言葉」なる、ブルジョワの玩具ではないし、私たちがそのようなものを持ちうるはずもない。ここにあるのは、『神曲』の如きカノンによって構成される「不自由な」言葉の敗走であり、陰に陽に永続し続ける階級社会に対する、「たたかうエクリチュール」なのである。(左藤としげのによる「巻頭言」から抜粋) 

 ご無沙汰しております、批評集団「大失敗」です。

 九月に「大失敗」立ち上げて以来、ブログを書いたり色々していたわけですけれども、あまりに創刊号の内容を公開しないので周囲から「本当に出るのか?」と心配されている有様です。この度、二〇一九年一月に刊行する創刊号の内容紹介をしたいと思います。

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  ▲創刊号表紙

 コンテンツは次の通りです。全体としては二つのテーマから成っています。

  • 絓秀実「柳田国男戦後民主主義の神話」(特別寄稿)
  • テーマ①《異化》としての批評
    • 小野まき子「煙草と図鑑 ブレヒト『セチュアンの善人』について」
    • しげのかいり「金井美恵子論 吐き気あるいは野蛮な情熱」
  • テーマ②「昭和の終わり」と「平成の終わり」
    • 赤井浩太「宮台真司の夢 私小説作家から天皇主義者へ」
    • 左藤青「昭和の終わりの『大失敗』 八八年の有頂天から」
    • ディスコゾンビ#104「俺と空手とS−MX 我々は如何にして恋愛資本主義と戦ってきたか?」(コラム)

絓秀実「柳田国男戦後民主主義の神話」(特別寄稿)

 本ブログでも以前取り扱った、批評家・絓秀実氏による論考です。先日(十二月十五日)の京大人文研のシンポジウム「1968年と宗教―全共闘以後の「革命」のゆくえ―」における絓氏のご発表を収録する形になっています。

 絓秀実氏は、一九四九年生まれの文芸評論家です。「六八年の思想」をはじめ、多種多様な哲学的・批評的言説をたくみに用いつつ思想史を解きほぐし、一方で個別具体の政治運動や芸術運動に「フェティシスト的に拘泥」(王寺賢太による表現)する、独自の批評を展開されてきました。

 本論考は、戦後民主主義、そしてその勘所としての天皇制について思想史を整理し、その問題に迫る内容となっています。『アナキスト民俗学』や『増補 革命的な、あまりに革命的な』(特に付論部分)で展開された議論のまとめ、かつ直接的な問題提起として受け止めることができます。

柳田の神学は、その危惧をこえて強力であった。そのことは、東日本大震災以降における今の天皇のパフォーマンスにおいて明らかになったことである。震災以降、全国を巡る天皇夫妻のパフォーマンス、あるいは、それと相即してなされた海外の戦地歴訪は、それがいかに「ヒューマン」なものに見えようとも、「祖先崇拝」=天皇制トーテミズムの再活性化以外のものではないだろう。繰り返すまでもなく、そのような「祖先崇拝」イデオロギーの顕在化とともに、戦後民主主義を守れという声も高まり、天皇をその「象徴」(=トーテム)と見なす言説が、当然のことのように発せられるようになったのである。(「柳田国男戦後民主主義の神話」本文より)

 ここで絓氏が直接的に参照しているのはフロイトのトーテム理論であり、いわば一種の「日本精神分析」になっているわけですが、この論考における議論が個別具体の文学や表象の問題に直結していることは間違いありません(もちろん「表象の問題」とは「表現の自由」の問題であり、「ポリティカル・コレクトネス」の問題にほかならない)。表象の(再)政治化という私たちの問題意識にとって、絓氏は大きな参照元となりました。

 シンポジウムを聞き逃した方から絓氏の批評に初めて触れる方まで、読み応えのあるものとなっているでしょう。

テーマ①《異化》としての批評

ブレヒトをはじめ、フーコーバディウに至るラディカルな思想家の数々が主張してきたように、社会の解放を目指す政治はつねに「自然秩序(あたりまえ)」という体裁を破壊すべきで、必然で不可避と見せられていたことをただの偶然として明かしていくと同様に、不可能と思われたことを達成可能であると見せなければならない。現時点で現実的と呼ばれるものも、かつては「不可能」と呼ばれていたことをここで思い出してみよう。〔…〕(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』*1

ある出来事ないしは性格を異化するというのは、簡単にいって、まずその出来事ないしは性格から当然なもの、既知のもの、明白なものを取り去って、それに対する驚きや好奇心をつくりだすことである。〔…〕異化するというのは、だから、歴史化するということであり、つまり諸々の出来事や人物を、歴史的なものとして、移り変わるものとして表現することである(ベルトルト・ブレヒト「実験的演劇について」*2) 

 「異化効果」はブレヒトによって(そしてロシア・フォルマニズムではシクロフスキーによって)提唱されました。「異化」とは何でしょうか。

 このように問うてしまうと、たちどころに「異化」は空虚なものになるでしょう。あるものをあるものに変えると言っても、何をどのように変えて、どうするのか、《異化》という言葉には何も書き込まれていません。それは端的に歴史に左右されるからであり、《異化》は「誤配」と同じく事後的にしか確認できないからです。言い換えればそれは、「〜とは何か」という問いに答えうるような一つの「理論」ではありません。

 それはあくまで実践であり、行為であり、効果です。それは奇妙なほど「不安定」なひとつの出来事だと言えます。ともすれば、他人を不快にさえさせれば《異化》であるというような安易さにすら結びつくでしょう。

 これは批評も同じく、それは積極的に定義を持つものではありません。もちろんあるコンテクストの中で批評の役割を確定することは普通に可能ですが、とはいえ、批評の本質であり批評の存在について問う(「〜とは何か」)ことはできないのではないでしょうか。批評は一個の自立したコンテンツではなく、したがって、またひとつの効果でしかありませんでした。批評もまた「不安定」です。

 ブレヒトアリストテレスの演劇論に対抗していました。それは観客を登場人物、物語に感情移入=同化させる理論だからです。《異化》という実践は、感情移入を拒みます。なぜなら、《異化》は世界の見え方をがらっと変えてしまう、言い換えれば、観客のそれまでの世界観を「疎外」するからです(しかし実は、もしかしたら昔のえらい人はこれを「啓蒙」と呼んだのかもしれません。あるいは最近では「ダーク・エンライトメント」と)。

 このようにして既存の価値基準を「同じもの」でありながら「同一ではない」ものに変化させる効果こそ、《異化》と呼ばれたのでした。ところで、いま「批評」と呼ばれるものはそうした不快さや不安定さを持っているでしょうか。このことについてはすでに別の場所でも触れましたが(哄笑批評宣言)、この答えは宙吊りのままにしておきましょう。

 しかし、もし〈同〉化が必然であるとしたら、《異化》はそれほど簡単ではありません。そのような中で、いかにして〈同〉という〈主〉を《異化》すべきでしょうか。

 そのような観点から次の二つの論考を収録いたしました。

小野まき子「煙草と図鑑 ブレヒト『セチュアンの善人』について」

二〇一八年はブレヒトの当たり年であった。(「煙草と図鑑」本文より)

 ブレヒトの戯曲『セチュアンの善人』は、「善人であれ、しかも生きよ」というテーゼで知られています。この戯曲の中では、神々によって要請される「善人である」ことと、一方で一個の人間として「生きる」ことが、常に矛盾した形で展開されていくのでした。

沈徳〔シェン・テ〕 (不安でいっぱいになって)でも自信がないんです、神様。こんなに物価が高くて、どうして善人でいられるでしょう?

神二 悪いがそれはわしらには手のつけようがない。経済の問題にはかかわれんのでな。(ブレヒト「セチュアンの善人」*3

 娼婦であったシェン・テは、セチュアンの町を訪れた神を家に泊めてやり、神からの礼で煙草屋を営み始めるのでした。%2%同時にシェン・テは、神から「善人」であるよう命を受けます。しかし劇内では、この「善人であること」と「生きること」は、絶えず「弁証法的」な対立を含むものとして表現されていきます。つまりシェン・テは、道徳と労働の間で——上部構造と下部構造のあいだで——引き裂かれていくのです。

 この分裂は具体的に描写されます。善人であるがゆえに他者に施しを与えてしまい、貧乏になっていくシェン・テは、資本の原理に則り、自己のために他者を排斥することのできるシュイ・タを「従兄弟」として作り出し、一人二役を演じることで、なんとかそれを両立しようとするのです。

 小野の論考では、この戯曲における「煙草」というモチーフに着目することで、物語を貫通する「弁証法的」構造を解釈していきます。煙草はもちろん、単に劇中に登場する象徴・表象に止まるものではありません。煙草は公共空間にとっては、他人の権利を侵害する「悪」として排斥されるものでした。

このことは当然、近代都市の群衆の問題として理解されるべきであろう。交換価値の支配する大都市の群衆は、彼ら自身が名もなき社会の成員=労働者であり、清潔に管理されるべき商品なのだ。(「煙草と図鑑」本文より)

 このように資本主義や都市空間へのブレヒトの鮮烈な問題意識を明らかにしていく小野の論考ですが、議論の後半では、「当たり年」であったとされる(例えば:『東京芸術祭』は現代の人々に生じる分断を解消する「お祭り」 - インタビュー : CINRA.NET)二〇一八年のブレヒトの用いられ方に対し、スーザン・ソンタグベンヤミン中平卓馬の写真論などの材料を使いつつ、批判的な考察を展開します。ブレヒトは度々「アクチュアル」な作家とされています。しかし、仮にそうだとしたら、その「アクチュアル」さはどのように担保されているのでしょうか。また現代の作家たちは、劇場という空間の中でどのようにして観客を扱っているのでしょうか。小野まき子の論考です。

都市の人間について何ごとかを語れる重要な詩人は、たぶんブレヒトが最初である。(ヴァルター・ベンヤミンブレヒトの詩への注釈」、*4

しげのかいり「金井美恵子論 吐き気あるいは野蛮な情熱」

さしあたっての問題は書くことのはじまりと同時にやってくる。なぜならばわたしたちは書くことを原点とすることによってしか、作品のはじまりという文学創造の原理へ到達することが出来ないからである。(金井美恵子「書くことのはじまりにむかって」*5

吐き気がするほどロマンチックだぜ/お前は(ロマンチスト - The Stalin

 金井美恵子は一九四七年生まれの小説家・詩人・批評家です。ヌーヴォー・ロマンに影響を受けた、長くうねるような文体や、批評家や小説家を皮肉るエッセーで知られる金井ですが、しげのかいりの論考では、金井の初期小説作品における「書くこと」が分析されます。

 しげのによれば、金井の「書くこと」は初期作品から執拗に繰り返される《私》と《あなた》の構造のうちで、極めて奇矯な自己撞着的構造を持っています。ここでの分析では、「書く」行為は、「読む」ことで摂取した=食べたものを「吐くこと」であり、エクリチュールは一個の吐瀉物なのです。

金井美恵子にとって「書くこと」とは、「読むこと」によって必然的に催す「吐き気」である。作家・金井美恵子は、書くことの動機として主体的な意志を必要としない。「書くこと」は「読むこと」によって突き上がってくる「吐き気」によって作られるにすぎないからである。(「金井美恵子論」本文より) 

 論考後半では、メニングハウス『吐き気』などを手掛かりに、「吐き気」をめぐる美/醜の問題に考察が及びます。「吐き気」は、美学的には、そして政治的にはどのように扱われるべきでしょうか。ここから見出される「不純なスターリン主義」とは何でしょうか。「吐き気がするほどロマンチック」(ザ・スターリン)な、しげのかいりによる金井美恵子論です。

テーマ②「昭和の終わり」と「平成の終わり」

 「昭和」から「平成」へ、かつてあったはずのあの切断についても、これから生じることになるあの切断についても、それ自体ひとつの「配列」以外のなにものでもないことが意識されなければならない。この視座からすれば、たとえば「平成生まれ」のような共同性に根ざして特定の出来事や対象を扱うことは、もはや「制度」に対し現状追認的である、と言わなければならなくなる。(左藤「昭和の終わりの『大失敗』」より)

一九四五年以後、この国には「戦前」と「戦後」という区別が存在する。これは「敗戦」を契機とするとはいえ、やはり「神」であった天皇が「人間」になってからの時間的思考だ。だから、ぼくたちが生きているこの日本社会には、いまでも「天皇制」の時間が流れていると言えるだろう。(赤井「宮台真司の夢」より)  

 『近代日本の批評』(柄谷行人編)『現代日本の批評』(東浩紀編)を見れば分かる通り、批評はときに時代を語ってきました。たとえば『現代日本の批評』は、座談会を七五年から八九年、八九年から〇一年で区分しています。そのことは、市川真人による基調報告「一九八九年の地殻変動」を見れば明らかです。もちろんこの「地殻変動」は「冷戦終結」でもあり、また様々な業界(音楽、ゲーム、お笑い、etc.)にとってもある種の変わり目であったわけですが、これらの「変わり目」がそのまま「昭和の終わり」/「平成の始まり」に(つまり昭和天皇崩御に)重なっていることは偶然でしょうか。

 『大失敗』が刊行される二〇一九年は、平成最後の年です。この平成最後の年に直面して、日本では再度「象徴天皇制」のある不思議さが露わになるとともに、「平成」とはなんだったのかという問いや、平成の出来事を回顧する言説も多く見られるようになりました。二〇一九年になればそれはさらに増えていくでしょう。二〇一九年はひとつの「区切り」や「変わり目」として認識されており、ひょっとしたらのちに「地殻変動」と呼ばれるのかもしれません。

 さてそのような「変動」をいま迎えようとしている、この切迫にある私たちは、〈いま・ここ〉の多様なアクチュアリティを語るのではなく元号という時間をめぐる言説・表象についていま一度考えてみたいと思います。そのことは、〈アクチュアリティ〉という言葉の新しさが消去するであろう、ある「持続」を暴露するのかもしれません。

赤井浩太「宮台真司の夢 私小説作家から天皇主義者へ」

 宮台真司はこうして一時はリベラル知識人の代表格と目されるようになるのだが、彼がその手口の裏側で温存したのが「天皇制」であったことは、反リベラルを自称する現在の彼を見れば明らかである。しかし、今もう一つあらためて明らかにされねばならないことは、彼がデビュー当初から現在まで一貫して「私小説作家」であったということだ。(「宮台真司の夢」本文より)

 昭和の終わり=平成のはじまりにデビューした社会学者・宮台真司は、九十年代を通じてある種のヒーローでした。システム理論という社会学的分析を武器に世相を斬り、様々な言説を論破していくパフォーマンスによって、「批評の社会学化」(「社会学の批評化」)を成し遂げた「リベラル知識人」宮台真司ですが、近年の彼がリベラルを批判し、「天皇主義者」を自称していることはよく知られています。

 赤井の論考では、そのように社会学的分析が反リベラル・「天皇主義」へと傾いていく様を、宮台の分析手法そのものが要請するものとして、つまり宮台の秘された内在的スタイルの問題として批評します。赤井によれば、宮台真司社会学者などではなく、「私小説」作家でありました。

つまり、彼は世界の「歴史」よりも私の「夢」を生きたかったのである。ただ、その志向を「社会」に投影したという一点において、彼は社会学を隠れ蓑にした私小説作家であった。(「宮台真司の夢」本文より)

 そのような「天皇主義」の問題とはなんでしょうか。そして、その問題を超えて思考するためにどうすればいいのでしょうか。そのような問題意識から出発し、宮台真司に対する痛烈な批判=ディスを含む、「批評界のMC」赤井浩太の論考です。

——仕方ねぇからシンジくんに見せてやるよ、マジもんの批評ハーコーアジビラスタイルってやつを。そして読者の皆様、大変長らくお待たせいたしました。ここからは白黒ならぬ赤白の決着をつけるショー・ビジネスでございます。不肖のわたくし、「大失敗」の鉄砲玉でありますが、打たれても出る杭、叩かれても出るモグラ、それでもドグマを説くのは、本邦まるで省みられることのないのルンペンの皆様のためであります。サァサァ、おあにいさん、おあねえさん、いらっしゃい、いらっしゃい! 退屈はさせないよ!(「宮台真司の夢」本文より)

左藤青「昭和の終わりの『大失敗』 八八年の有頂天から」

セックス・ピストルズが象徴した七〇年第後半の反体制=「パンク・ロック」は、実際非常に「ポップ」だったわけだが、そのポップさが単なるスタイルへと形骸化し、ひねくれた都会人のファッションになったものが「ニューウェイヴ」なのだ。パンクは「ロックは死んだ」と宣言した。ニューウェイヴは「すべてはコピーである」とあざ笑う。しかし、パンク/ニューウェイヴどちらにせよ、音楽だけではなく、ある種の態度決定にまつわる、雑に言えば「実存」にまつわる「運動」だったことは確かだ。それはものの見方を規定し、社会に接する態度を規定したのだ。(「昭和の終わりの『大失敗』」本文より)

  かねて「大失敗」は「ニューウェイヴ」を標榜してきました。しかし「ニューウェイヴ」とはなんでしょうか。それは確かに一つの音楽のスタイルです。XTCDEVO、一時期のYMOなどに代表させられるような軽薄短小なスタイル、「スカスカ」な音……けれどもそうした音楽たちは、その時代においては、ある「実存」に関するものでした。

 ここで左藤が着目するのは、そうしたニューウェイヴ・スタイルのある種の臨界点としての「ナゴム・レコード」です。ナゴムは、日本でも最初期(一九八三年)に創設されたインディーズ・レーベルです。

 ケラ(現在のケラリーノ・サンドロヴィッチ)が代表となった「ナゴム」には、筋肉少女帯電気グルーヴといったバンド、そしてもちろん大槻ケンヂピエール瀧といった「サブカル人」を輩出しました。「ナゴム」は、演劇、文筆、俳優、など音楽にとどまらない才能が集う場所であったわけですが、その実、非常にくだらないものでした。

www.youtube.com

(「人生」は電気グルーヴの前身)

 この「ナゴム」のしょうもなさを批評の問題として引き受けることを考えつつ、ここで左藤はとりわけ、ケラ率いるニューウェイヴ・バンド「有頂天」の一九八八年のアルバム『G∩N』(ガン)を批評します。

 最近(おそらくは演劇の業績で)紫綬褒章を受章したケラリーノ・サンドロヴィッチは、八八年の昭和天皇吐血と「自粛」ムード(浅田彰はこれを指して「土人」と揶揄した)のなかで、次のように歌っていました。

王様はキトク/今に塔も折れる

あった国にあったボク/あったボクら

「ブチコワセ」なんてコトバ/ブチコワして

今日もアソコへ行こう(有頂天 - Sの終わり)

 この「Sの終わり」は「昭和の終わり」です。『G∩N』(=癌)では、他の楽曲でも、この「危篤」、「病」のイメージが頻出し、昭和天皇崩御を存分にネタにしていきます。この意味では、彼らの音楽は一種の「不敬」音楽でした。

 「大失敗」の名前の元ネタとなった楽曲「大失敗’85」も含むアルバム『G∩N』を通じて、表象の(無)意味と元号を考える、左藤青の論考です。

ディスコゾンビ#104「俺と空手とS−MX 我々は如何にして恋愛資本主義と戦ってきたか?」(コラム)

モテ/非モテという対立軸があった。(「俺と空手とS−MX」本文より)

 「昭和の終わり」と「平成の終わり」を生き抜く漫画家・ディスコゾンビ#104氏によるコラムです。八〇年代から今までを支配する「モテ−非モテ構造」(恋愛資本主義)を記述するこの文章では、多種多様な商品・広告・コンテンツが現れては消えていきます。そうしたコンテンツたちは、男の承認欲求を満たそうとする「商法」として整理され、その商法と非モテたちの「戦記」が描かれるのです。

究極の社会的弱者K.K.O.非モテらによる一斉武装決起によりSNS、とりわけツイッターは阿鼻叫喚の地獄と化した!(「俺と空手とS−MX」本文より)

  ある意味もっとも「アクチュアル」なこのコラムは、「昭和の終わり」から「平成の終わり」にかけての歴史を語るものとして重要な役割を果たしています。S-MXという「恋愛仕様」車を頂点とする恋愛資本主義に男たちはどのように立ち向かうのでしょうか。ディスコゾンビ#104による論考です。

 

*1:マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』、セバスチャン・ブロイ、河南瑠莉訳、堀内出版、二〇一八年、五〇頁。

*2:『今日の世界は演劇によって再現できるか ブレヒト演劇論集』所収。千田是也訳、白水社、一九六二年、一二三、一二四頁。

*3:ベルトルト・ブレヒト「セチュアンの善人」『ブレヒト戯曲全集第5巻』所収。岩淵達治訳、未來社、一九九九年。岩淵訳では「ゼチュアンの善人」。

*4:ボードレール 他五篇』三〇二頁

*5:金井美恵子「書くことの始まりにむかって」、『金井美恵子エッセイ・コレクション{1964–2013}1 夜になっても遊びつづけろ』所収(平凡社、二〇一三年)、三〇頁。

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凝視と観察 ―― ジャン・ユスターシュ、あるいは凝視のあまりに/《ゲームの規則》、あるいは批評のレッスン ――


*本稿におけるジャン・ユスターシュについての伝記的記述とフィルモグラフィに関する記述、加えてユスターシュの発言の引用は、全面的に『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』(須藤健太郎著、共和国、2019年)に依拠している。ジャン・ユスターシュに関する一次資料を参照することの困難から、上述の処置をとったことを了承願いたい。
 

序 

 2019年6月2日、アンスティチュ・フランセ東京にて、「幻の映画監督」の幻の作品が、十数年ぶりにスクリーンに投影された。《ナンバー・ゼロ》と題されたその映画は、私が席をともにした観客たちの目にどう映ったのだろうか。私にとって《ナンバー・ゼロ》は、ユスターシュの伝説的な生涯を要約したフィルムであるように思われた。これは曖昧な感嘆ではない。あの2時間のフィルムは、ユスターシュの映画監督としての短い生涯において、可能であったものと不可能であったものとのすべてを、確かに指し示していた。

 凝視は、細部に宿る神を見いだす(こともあるだろう)。しかし、細部に宿る神は、その背をけっして信徒に見せることはない。見出した神にとり憑かれるあまりに、ユスターシュは何かを見落としてしまった。

 《ナンバー・ゼロ》のフィルムを切り刻んだもの、神をも恐れぬ冒涜をはたらいたものとは誰か(何か)? それはユスターシュが「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」を見つめすぎるあまりに、その影をしか捉えることのできなかった誰か(何か)である。私は結論を先に示した。「批評」がはじまる。だから、「(……)最後になっても、神を信じて」いてはいけない。 

1.《ナンバー・ゼロ》

 《ナンバー・ゼロ》は、ユスターシュにとって、彼の監督としてのキャリアを画する映画だった。《わるい仲間》、《サンタクロースの眼は青い》の成功にも関わらず、「一度も仕事の依頼を受けたことはない」ユスターシュは、このフィルム/映画の撮影にすべてを賭けたのだろう。

 スクリーンに映し出されるのは、ちいさなアパートの一室に置かれたテーブルである。監督と向かいあって、彼の祖母、オデット・ロベールが彼女の生涯を語る。カメラは途切れることなく回っている。フィルムが尽きても、隣で回っているもう一台のカメラは、フィルムを交換するスタッフの手から、打ちなおされるカチンコまでもをそのレンズに映しながら、オデットと監督の姿とをとらえつづける。それで、2時間が過ぎていく。《ナンバー・ゼロ》についての記述は、これですべてである。フィルムにはこれ以上のものは記録されていない。時系列を行きつもどりつしながら半生を語る祖母と、耳を傾ける彼女の孫とのあいだに流れる時間を、フィルムはいちどもカットされることなく記録している。

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ユスターシュ《ナンバー・ゼロ》

 製作に苦悩し、もはや監督としてのキャリアに絶望しかけた映画監督の選択が、この映画のシンプルな、映画としての最小の条件をしか備えていない姿であったとするなら、確かにそれはやはり、感動的なストーリーでもあるのだろう。

 オデット・ロベールの昔話は、悲惨と残酷とに満ちている。とりわけ戦争孤児をめぐるエピソードには、耳を塞ぎたくなった観客さえいたのではないだろうか。ドイツ占領下のフランスにて、ドイツ兵とのあいだにできた子どもたちを、母親たちは中絶しようとする。それでも産まれてきてしまった子どもたちは、「半分死んだ状態」で産まれてきて、数か月で亡くなってしまう。オデットはそんな戦争孤児たちをひきとっていた。「たくさんの赤ちゃんが死んでいった」。「おれが小さかったころ、子供がたくさん死んでいった」。

 「この作品のなかには人類の苦しみすべてが入っている」とユスターシュは言う。

死人もいれば、病人もいる。人類の営む悪のいっさいがあり、重くのしかかる運命のいっさいがある。しかしそれにもかかわらず、おそらく最後になっても神を信じたままでいる。

 だから、《ナンバー・ゼロ》のフィルムには、記述しうる光学的現象以上のものが宿っていたはずである。

 もはやほとんど、映画を撮る機会も意志も失ったかのように思われたとき、突然、遭遇した祖母の物語りを記録したフィルム。そうして撮られた、「きれいでもきれいじゃなくても、重要なこと」、「偉大なこと」のすべてを「記録」したフィルム。ユスターシュにとってそれは、なによりも大切な、祈りをこめた呪物であったに違いない*1

 だがしかし、顔のない誰か(形のない何か)は、敬虔な個人の祈りをさえ見逃しはしない。《ナンバー・ゼロ》のフィルムは、切り刻まれねばならなかった。

 

 

 1977年4月22日、ジャン・ユスターシュは、《ナンバー・ゼロ》の放映権売買協約書に署名する。次作・《不愉快な話》を製作し、映画監督としての活動を続けるためには、資金が必要だったからだ。

 《ナンバー・ゼロ》の上映時間は2時間である。与えられた放送枠は55分である。ユスターシュはネガフィルムを編集しなおさなければならなかった。《ナンバー・ゼロ》のオリジナルは、そのとき、「永久に失われた」。そして2019年6月2日、私たちの眼にした《ナンバー・ゼロ》の映像とは、いちど切り刻まれた身体を復元され、すでに呪物としての機能を剥奪された、《ナンバー・ゼロ》のゾンビに他ならない*2

2.儀式、屠殺、リクルート 

 《ナンバー・ゼロ》のフィルムを切り刻んだものとは誰か(何か)? それはすでに、ユスターシュの撮影したそれほど多くはない映像のなかに、その影のみを映りこませている。

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ユスターシュ《サンタクロースの眼は青い》

 ユスターシュの二作目の短編映画、《サンタクロースの眼は青い》の内気なダニエルは、夜の街路を通りがかった女性に話しかける。街の少年たちのなかにもうまく溶けこめない(万引きのしぐさもぎこちない)ダニエルの、精一杯の勇気を振り絞った姿はどこか微笑ましい。しかし、ダニエルと女性との会話は、しばしば、耳を聾する自動車のエンジン音に遮られるだろう。

 この騒音は、連作《ペサックの薔薇の乙女》、《ペサックの薔薇の乙女 ‘79》にいたって、グロテスクで抗いがたい仕方で再び現れる。この連作は、ユスターシュの産まれ故郷、ペサックの年中行事を撮影したドキュメンタリーである。一作目は1968年に、二作目は1979年に撮影された。選出された未婚の女性を讃えるこの行事は、’68年にも、‘79年にもほとんど同じプログラムに従って進行する。映画は変わることのない儀式の全過程を、時系列に従って記録している。

 しかし、撮影された二本のフィルムは、「同じ映画」とはならなかった。68年の《ペサックの薔薇の乙女》において、スクリーンには、牧歌的な田舎町の風景のなかを、薔薇の乙女の行列が通り過ぎていく様子が映し出される。そこには中世にまで遡る「伝統」の、いまだペサックに息づく姿がある。しかしながら、《ペサックの薔薇の乙女 ‘79》には、この「伝統」の死に絶えつつある姿がある。行進の終着点である教会までの道のりは、郊外団地と駐車場とにとり囲まれ、もはや儀式と風景(土地)とのあいだに結ばれえていた紐帯は失われている。 

 ユスターシュの分身であるダニエルのささやき、それからユスターシュがこだわり続けた故郷への愛着を、ときには遮り、ときには解体しにやってくる、顔のない誰か、あるいは形のない何かとは、ここではひとまず、都市とその拡大のプロセスとして、その影を示している。

 ユスターシュはこのことに自覚的ではあったのだろう。《ペサックの薔薇の乙女‘79》は薔薇の乙女の行列を見下ろす高層ビルの姿を逆光のなかで捉えている。白く染まった背景に浮かびあがる建造物の威容は、冷酷に薔薇の乙女と彼女に付き従う市民たちを睥睨している。《サンタクロースの眼は青い》の騒音も、同時録音にこだわったユスターシュによって、なかば以上、意図的に残されたものであったはずだ。

 しかし、ユスターシュの映画監督としての態度決定は、勝算のない闘争へと彼を導いていく。ユスターシュが選んだのは、凝視という、それ自体として限定された方法だった。都市の風景を撮ることはできる。都市の騒音を録ることもできる。しかし、ユスターシュは、ついにそれらを規定する可能条件に気づくことはなかった。

 《ナンバー・ゼロ》は、68年版《ペサックの薔薇の乙女》と、《ペサックの薔薇の乙女 ’79》とのあいだ(1971年)に撮られた。もうひとつ、薔薇の乙女の連作のあいだ、《ナンバー・ゼロ》の直前(1970年)に撮られた短編がある。《豚》と題されたその短編映画にて、ユスターシュは豚の屠殺をつぶさに捉えている*3

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ユスターシュ《豚》

 映しだされる映像は、儀式的な荘厳さをさえ湛えている。屠殺というある種のタブーに従事する人びとの姿は、撮影しうる映像のひとつの倫理的リミットであるとも言えるだろう。しかし(であるがゆえに)、ここには盲点がある。

 

 

 ユスターシュが彼のカメラを通して、注意深く対象を凝視するほど、彼は何かを見落とすだろう。それは「儀式的」でありさえする屠殺の結果物(呪物)を、交換可能なものへと書き換える「市場」のあのプロセスである。

 屠殺場の営みがどれほどまばゆい光芒を湛えようとも、市場は個人的かつ主観的な意味価のすべてをいつのまにか剥奪し、交換可能かつ無毒な「商品」を流通させるだろう。消費者たちは屠殺場で繰り広げられる光景を想像することもなく、ただの豚肉(この言い方にも、やはり盲点はある)を享受するだろう。

 しかしこの見落としは、市場あるいはその作用自体の不可視性のみによって引き起こされたものではない。「注意深く対象を凝視するほど、彼は何かを見落とすだろう」。さらにこの点を追求するために、ジョナサン・クレーリーの「注意」に関する膨大な資料を用いた歴史的記述から、ひとつのテーゼを借りるのであれば、過剰なほどひとつの対象を凝視しつづけること(注意をふりむけつづけること)は、「注意の連続によって引き起こされる極端な例のひとつ」、「催眠によるトランス」と区別できない*4

 言い換えよう。ユスターシュ執着する対象 ――民衆の凡庸な生活の現実―― に、ある種の神秘的輝き、単なる光学的記録以上の過剰な何かを付与しているものとは、ユスターシュのカメラに他ならないのではないか。であるがゆえに、ジャン・ユスターシュ、あるいは、民衆の生活をおおう「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」の輝きに魅入られた映画監督は、呪物(交換しえないもの)の交換(購入と売却)という、神秘の背後に潜むおぞましい神秘をつねに見落とす。さらに言えば、ユスターシュの熱のこもった視線は、対象を「商品化」することに共犯しうるだろう。

 ヴァルター・ベンヤミンによって初期写真文化についてなされた警告は、ここにおいてその射程を延長されうる。

物神の容貌が衰えを知らないのは、照明法の流行が変遷してゆくからにすぎない。写真に創造的なものを求めることは、写真を流行に委ねることである。「世界は美しい」 ―― これがその標語に他ならない。この標語には、ある種の写真のもっている姿勢が露呈している。すなわち、どんな缶詰でも宇宙のなかにモンタージュすることができるが、缶詰が登場してくる人間的な脈絡をひとつも把握することができない写真、したがって最も夢想的な主題を扱うときでも、それを認識するさきがけとなるよりも、それを商品化するさきがけとなる写真の姿勢が。*5

 「缶詰」、あるいはありきたりな対象をその生産と流通のネットワークから切り離し、その姿に美学的な意味をまとわせるそのときに、「物神の容貌」が対象にとり憑き始める。「世界は美しい」とのスローガンは、「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」との祈りをこめた言葉と不気味に呼応する。そしてこの美学的視線は、対象の「商品化」に「さきがけ」る。

 再び言い換えよう。美しいものは、美しく見えるがゆえに、それが本来位置づけられていた場所から切り離され、交換可能なものとなる。そのうえ、その美しさが見るものの盲点をおおいかくすがゆえに、美しいものの背後で蠢動するこの書き換えは、対象を熱烈に凝視しつづける神経症的な視線によっても、いかなるダメージを被ることもなく、むしろその視線によって隠蔽されながら機能し続けるだろう。

 そして交換の呵責のないシステムは、利潤の幾何級数的な増幅をもたらし、街路を行きかう法外な台数の自動車を生産し、かつての想像を絶するほど巨大な高層ビルの建設と、それに伴う土地の売買をも可能にするだろう。そのとき同時に、個人の計測不可能な愛着と思い入れをまとった呪物、《ナンバー・ゼロ》のフィルムをさえ、あらかじめ定められたフォーマット(放送枠)と価値象徴によって計測し、「形成化」し、「切り刻」み、あるとき、思い出したようにもとの形に復元することも可能になる。顔もなく、形もなく、資本制の巧妙なシステムは、あらゆる「夢想的な主題」、あるいは敬虔な信徒の神をさえ「商品化」するだろう。

 

 

 ユスターシュのその後のフィルモグラフィは、そのことに彼が有効な戦略をとりえなかったことを示している。《サンタクロースの眼は青い》は、装いを変えて、《僕の小さな恋人たち》として繰りかえされる。内気な少年がナルボンヌの街路を生きる同世代の少年たちの振舞をまねつつ、「ありのままの世界」に溶けこんでいく筋書きは、ほぼ同じ順序で繰り返されている。まるでそこには、変わらないものがあるのだとでも言うかのように。

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ユスターシュ《僕の小さな恋人たち》

 《僕の小さな恋人たち》には、《サンタクロースの眼は青い》の自動車の騒音のように、ダニエルを街路のキスシーンから隔てる自転車工房の窓 ――青春を謳歌する青年たちと、労働に費やされる彼の一日とを隔てる工場の窓 ―― が現れているとはいえ、ユスターシュのカメラは、やがて恋人たちの営みをまねることに成功するダニエルをのみ焦点化しつづける。

 批評的判断の公正を期するために、短編《求人》をとりあげるべきかもしれない。「労働」をテーマにした短編4本から構成されるテレビ企画にて、この短編は1979年に放映された。ユスターシュはこの短編で、当時、フランスの人材採用において流行していた筆跡分析を主題としている。みすぼらしい求職者が街角のカフェで急いで応募書類を仕上げる姿は、「就活生」がエントリーシートの馬鹿馬鹿しい質問集に必死になって回答を書きこむ姿とどこか似ている。あるいは《求人》は、話された言葉、書かれた言葉を「還流」*6させ一定の基準のもとに計測可能なものにするシステムを見事にとらえているとも言えるのかもしれない。

 しかしながら、次作・《アリックスの写真》にて、写真家アリックス・クレオ・ルーボーのヴィトゲンシュタインについての学説をなぞりながら、言語とイメージとの関係に執着するユスターシュは、言語それ自体の機能を美学的な視線で見つめはじめてしまっているのではないだろうか。なぜある人間に筆跡を分析する権利が与えられ、ある人間は所有する筆跡を奪い取られるのかという、それだけでは不十分な問いさえも、ユスターシュの問題とはならなかったのではないか。そう推量することの妥当性は十分にある。

 

 

 そして1981年11月5日未明、ジャン・ユスターシュは拳銃自殺を遂げる。*7自身の記念碑、《ナンバー・ゼロ》を奪われ、撮影のチャンスをも奪われ続けた彼の死は、映画史における悲劇ではあるのだろう。しかし、この文章は「批評」であるのだから、この地点、芸術家の悲劇的生涯を嘆き悲しみ、聖別するこの地点に留まっているわけにはいかない。

 ユスターシュの捉え損ねたもの、呪物の交換を可能にするシステムの犯行現場をとらえ、告発し、抵抗するための方法、あるいは、クルクルと踊り狂うシステムを嘲笑うための方法とはいかなるものか? そう問うときに、ジャン・ルノワールの柔和な笑みが、現代より遥か遠く、第二次大戦の終結をさえ通り越した過去から、私たちの現代を「批評」しはじめる。

3.《ゲームの規則》、あるいは批評のレッスン

 ジャン・ルノワールの代表的傑作・《ゲームの規則》は、1939年の公開当時、「観客の敵意を誘発し、興行的に惨敗した」。そのうえこの映画は、第二次大戦の間近に迫った危機の時代に、「色恋沙汰にうつつをぬかす」「ドタバタ喜劇」は、公開直後に「風紀を乱す」との廉で上映禁止となる*8ファシズムの台頭という脅威と、なぜかお道化た笑みと大げさな演技とをけっしてやめない劇中のルノワールの姿は、確かに奇妙なコントラストを成している。

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ルノワールゲームの規則

 まるで危機に抵抗することを諦め、「ドタバタ喜劇」を享楽することに引きこもったかのようなルノワールの映画監督としての態度が、少なからず観衆の反感を招いただろうことは想像に難くない。しかし《ゲームの規則》は、システムの破局(事件/事故)の必然的でありかつ予測不可能な性格を、これ以上ないほどあからさまに描写している。熊の着ぐるみを着てはしゃぐルノワールの笑みは、カメラの手前で不気味な冷徹さに沈む、監督としての彼の視線をおおい隠すだろう。

 

 

 《ゲームの規則》の舞台となるコリニエールの館は、神経症的な凝視と盲点とに満ちている。大西洋横断飛行を成し遂げたパイロット、アンドレ・ジュリユーは、彼を讃えるインタビュワーの声にも、飛行場に集まった民衆の声援にも応えることなく、「あの人のためにだけに飛んだのに」と、愛する女性が自身を迎えてくれなかったことに憤り、自動車事故を起こしてしまうほどに自失する。ジュリユーの「あの人」、クリスチーヌの夫ロベール・ド・ラ・シュネイ侯爵は、「自動演奏器械」のコレクションに熱中するあまり、自身の館で繰りひろげられる痴話喧嘩の、殺人事件の一歩手前を行き来する深刻さを見逃すだろう。最も「正常」であるかのようなオクターヴも、偉大な指揮者であったクリスチーヌの父の死を嘆きつづけるあまりに、騒動の中心であるクリスチーヌを屋敷の外に連れだし、事態の混迷に拍車をかけてしまう*9

 かくして、劇中にて、ラ・シュネイ侯爵の愛人、ジュヌヴィエーヴによって引用された「社交界における愛とは単なる幻想の交換/皮膚の接触にすぎない」とのシャンフォール箴言に象徴される人間喜劇は、破局に向かって動きはじめる。

 破局は、凝視とフェティシズム ――あるいは「容器」への愛着 ―― によってもたらされる。クリスチーヌが夫(ラ・シュネイ侯爵)と彼の愛人(ジュヌヴィエーヴ)とのキスシーンを目撃するのは、「望遠鏡」を手にしてしまったがためである。ラ・シュネイ侯爵はそのとき、ジュヌヴィエーヴに「愛していない」ことを告げ、妻を愛する男(ジュリユー)の闖入によって動き始めた交換のシステムを鎮静化しようとしていたのだが。クリスチーヌはあてつけるように、侯爵との関係をあきらめて屋敷を去ろうとするジュヌヴィエーヴを引き留めるだろう。そのうえ彼女は、ジュリユーでも侯爵でもなく、客人サン=トーバンを密かに誘う。ラ・シュネイ侯爵とサン=トーバンは殴りあいの喧嘩をはじめるのだが、混乱のそもそもの発端は、「望遠鏡」による凝視の視野の狭さと、焦点の遠さである。

 ラ・シュネイ侯爵の、無機物への偏愛もまた、事態を鎮める機会を彼に見落とさせる。「自動演奏器械」を客人たちに披露し、恍惚とした表情を浮かべるラ・シュネイ侯爵は、夜会の背後で、森番シュマシエールが、彼の妻リゼットに手を出した元密猟者の召使・マルソーを追いかけていることに気づかない。あるいはまた、クリスチーヌとジュリユーとの不貞の現場を発見した侯爵は、またしても取っ組みあいを演じるのだが、喧嘩の最中に姿を眩ましたクリスチーヌが「オクターヴと一緒」にいるとの、重要な情報を告げるジュヌヴィエーヴの声を、神経質に外れてしまったボタンを凝視しているがために聞き逃す。

 そしてシステムの混乱が頂点を迎え、ついに殺人事件/死亡事故を引き起こす。森番シュマシェールは、クリスチーヌを連れ出して温室へと入っていくオクターヴを目撃する。しかし彼は、妻リゼットに彼が贈ったコートを着ていたがために、クリスチーヌを妻と誤認する。容器とその中身を取り違えたシュマシエールは、オクターヴの銃殺を決意する。一度、温室を立ち去ったオクターヴは、コートを着て温室へと戻ろうとするのだが、ジュリユーと遭遇し、クリスチーヌを彼に託そうと、自身のコートを彼に与える。シュマシエールはまたしても人物を誤認し(容器とその中身を取り違え)、温室へと走るジュリユーをオクターヴ代わりに射殺する。

 そして夜会はジュリユーの死によって幕を閉じる。ラ・シュネイ侯爵は森番がジュリユーを密猟者と見間違えたのだと、客人に「事故」を報告し、喪に服すことを呼びかける。サン=トーバンの皮肉なセリフは、《ゲームの規則》のシナリオのすべてを形容するだろう。「“事故”という言葉の新しい定義だ」。

 

 

 ジャン・ルノワールは、美しいものを飽かず見つめつづける私たちを笑っている。愛着の対象を誰にも渡すまいと凝視しつづけるがゆえに、つねに失いつづける私たちの滑稽な姿を。そしてこの「ドタバタ喜劇」は、1939年から、ジャン・ユスターシュのキャリア(1963年から1981年)を通り過ぎても、いまだにダラダラと演じつづけられている。

 しかし、《ゲームの規則》に宿る批評性の要諦は、もっとも愛するものをこそ交換可能なものに変成してしまう(されてしまう)「ドタバタ喜劇」の役者たちを笑うこと ―― システムの犯行現場を告発すること ―― に存してはいない。ルノワールの指し示す「抵抗」の可能性とは、「ゲームの規則」が孕む必然的なアクシデントの可能性である。

 確かに、呪物でも、愛の対象でも、およそあらゆるものを所有者の手から奪いとり、交換する「ゲームの規則」は、それ自体として抗いがたいものであるかのように振舞っている。しかし、その「規則」が、そもそも対象の美化(倒錯)によって成立し、取り違え(錯誤)の可能性を含んでいるとすれば、この「規則」に従って営まれるシステムは、その崩しがたい外観に反して、信じ難いほど脆弱な基礎をしかもっていないのではないか。

 だからこそ、このシステム、資本制を支える交換のネットワークは、必然的にアクシデント ―― たとえば、許容量を超える欲動を対象に固着させてしまう主体、芸術家の失意と自殺 ―― を帰結せざるをえない。自殺の他に、このアクシデントはいかなる姿で現れうるのか。恐慌か、内乱か。新たなムーヴメントの動因は、つねに資本制の基盤自体に内蔵されている。

 だから、私たちにいま一番必要なものは、自殺を導きかねない特定の対象(細部)への愛をこめた凝視でも、此岸の不条理を包みこむ神への信仰でもなく、システムの抱えこむ機能不全の要因を観察し、必ず到来する事故=事件の瞬間に賭けるルノワールの視線である。「“事故”という言葉の新しい定義」、ジャン・ルノワールの批評的レッスンは、私たちの導きの糸となるだろう。

 

(文責 - 袴田渥美)

 

 

  

 



 

 

 

*1:ユスターシュが《ナンバー・ゼロ》の「公開」を限定し、通常の流通経路からこの映画を隔離しようとしたことも付記しておきたい。監督によって選ばれた十名の招待客だけが、《ナンバー・ゼロ》の完成当時、この映画の観客となることを許された。《ナンバー・ゼロ》という映画は、このことにおいても呪物的に振舞う。 須藤健太郎『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』、共和国、2019年、37-38頁。

*2:もちろん、《ナンバー・ゼロ》の復元と上映自体には、映画研究における重要な価値があるということは理解している。しかし、作品と作者との取り結ぶ特異な関係の在りかたに限って、《ナンバー・ゼロ》のフィルムのたどった運命を読解するのであれば、復元されたフィルムは、やはり「ゾンビ」である。

*3:小屋から引きだされてきた豚は喉を切り裂かれて断末魔をあげる。豚の死体は血液を抜かれて、解体されていく。取りだされた腸に肉が詰めこまれ、ソーセージがつくられる。屠殺上の人びとは、この間、平静そのものである。仕事を終えた彼ら彼女らを労わるように宴がひらかれ、民謡を唄う声とともに映画は終わる。

*4:ジョナサン・クレーリー、『知覚の宙吊り』、岡田温司訳、平凡社、2005年、69頁。

*5:ヴァルター・ベンヤミン、『図説 写真小史』、久保哲司訳、筑摩書房、1998年、49-50頁。

*6:アンスティチュ・フランセ東京HP、ジャン・ユスターシュ特集の解説文よりhttps://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema1905121045/

*7:ユスターシュの自殺の経緯と動機は、作家の自殺というものがえてしてそうであるように、はっきりと究明されているわけではない。ユスターシュが製作の機会に恵まれなかったことに加えて、生前の彼はジャック・リゴー(『自殺総代理店』のダダイスト)への憧れを隠さなかったこと、晩年には何度も自殺未遂を繰り返していたことも、須藤健太郎は指摘している。 須藤健太郎、前掲書、152-158頁、298-299頁。

*8:ユリイカ3月臨時増刊号2008.Vol40-4総特集ジャン・ルノワール』所収、筒井武文ゲームの規則』、青土社、2008年。

*9:さらに記述を連ねよう。ラ・シュネイ侯爵の愛人ジュヌヴィエーヴ・ド・マラは、けばけばしい東洋趣味で身辺を覆っている。召使のコルネイユユダヤ系の主人を貶すレイシストである。「将軍」と呼ばれる人物は「ドタバタ喜劇」のそもそもの発端となる浮気性のクリスチーヌを、過剰な懐古趣味にとらわれるあまり、「近頃珍しい」貞潔な妻と誤認する。異性愛、同性愛、健康への病的な拘り …… 列挙しはじめればきりのないほどの神経症的執着のリスト。そして愛の対象を「交換」しあうシステムは、文字どおり致命的な事件/事故へと導かれていく。

【時評】あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の成功を祝して

森林の木々/そのような個性体/森林の日々/そのような事業体/考えたりはせずに/編み出しはせずに/ラジオのような/体になって/I LOVE YOU(P-MODEL - "PERSONAL PULSE")

写真は機械で作られる近代的な表現であるにもかかわらず、逆説的なことに、写真は絵画、彫刻などよりももっと呪物化しやすい表現である(多木浩二天皇の肖像』*1

近代の「思想」は常に「美学」の前に敗北してきたと言えます。そして、日本においても、それは例外ではない(絓秀実『「超」言葉狩り宣言』*2

 個人的なことから述べさせてもらえば、電話をかけたり、かけられたりすることほど面倒くさいことはない。とりわけ事務的なものともなればその面倒くささは格が違ってくる。あの事務的なやりとりの質感は一個の恐怖でさえある。

 たとえば自分が買った商品に不具合があったとしても、よっぽど高価なものでもない限り、面倒くさいからそのまま放っておきたい(というかできることなら一日寝ていたい)。電話をかけてアホくさい会話をするくらいなら買い直した方がマシだとすら思う。そういう人間にとって、抗議の電話をかける人間ほど、すなわち(一言で言って)「クレーマー」ほど理解できないものはない。それは理念的に理解できないのではなく皮膚感覚的に理解できないのである。

 だが、「現代」すなわち「情の時代」において、これは理念的にこそ問題なのだ。

「情の時代」

 上記記事を参考としつつ、まずは流れをまとめておく。現在絶賛「炎上」中の「あいちトリエンナーレ2019」「表現不自由展・その後」は、「作家の選定にあたってその男女比を同等にすることを打ち出す」など、芸術監督:津田大介らしい「リベラル」な体裁も伴って「前売りチケットの売り上げも開始2カ月前の時点で前回より2倍多かった」(上記記事より)ほどに話題になっていた。

 しかし周知のように、そこで展示されていた「『慰安婦』少女像」や「昭和天皇の肖像を燃やす映像」が文字通り「炎上」し、抗議の電話が殺到する。八月二日には河村たかし名古屋市長)が大村秀章(愛知県知事)に「平和の少女像」展示中止を要請するなど、問題が広がり始める。脅迫やテロ予告的な電話も多くあったことから、三日にはやむなく展示が中止となった。その後も見るべきところのまるでない馬鹿げた騒ぎがいくつも連続している。

 

 さて、ネット上での意見は、そもそもこの表現を認めないもの、「表現の自由」は認めつつも、津田大介自身への個人攻撃を展開するもの、これまでの津田の発言や身振りとの矛盾を指摘し「ブーメラン」とするものなど様々であるが、たいていノイズでしかないので、この記事ではさしあたり無視しておく*3

 しかし上記の種々の批判はさしおいても、そもそも、私にとっても、「展示」のそれ自体の質(仮にこういう言い方をしておこう)は、「アート」として成立していると思えなかった。

 「アート」を定義するにあたって、ものの見方を多角的にし、議論をより豊かにするもの(ブレヒトのいう「異化効果」を持つもの)、とさしあたりは大雑把に言っておこう。それに従うのなら、仮にそれらの作品が「発禁」の憂き目に遭ってきたという事実を加味しても、「少女像」を置いたり、「御真影」を燃やしたりするのは、安易でしかない。それは既視感にあふれた「スキャンダル」でしかないのであり、「この問題に特定の立場からの回答は用意しません。自由をめぐる議論の契機を作りたいのです」というわりには、「解答」が用意されているように見える。このことは多く指摘される通りである。

「議論のトピックとしても、その揶揄の仕方にしても、このような安易な手は今までに何度も繰り返されてきたのであって、『別の見方』など何一つ提示しはしない。まともな分別があれば、このような『アート』は取るに足らないもの、すでにあるものの単なる反復として無視できるはずである」。私は、タイムラインに表示された「表現の不自由展・その後」の情報を見てこう思った。無論、一部の右翼はこれにいつも通り飽きもせず怒るだろう、しかし、一時的に津田が「炎上」するいつものパターンが繰り返されるだけに違いない、と。

 ただし残念ながら「まともな分別」はもはや期待できなかった。二〇一九年度のあいちトリエンナーレが掲げている通り、「現代」は「情の時代」だからである(しかし「現代」とはいつからだろう?)。かくして、「表現の不自由展・その後」は鋭く現代を「批評」してしまった。言い換えれば、成功を収めてしまったのであった。

反復——「風流夢譚」

 いったん迂回しよう。ところで、先ほど私は「単なる反復」といったが、こうした「表現の不自由」という問題系そのものもまた、なんども反復されてきたものである*4。たとえば、今回の事件と似たように、「天皇(制)」を揶揄して発禁(正確には「公開自粛」)となった文学作品に深沢七郎の「風流夢譚」(一九六〇年)がある。

 この事件はよく知られているが、一応要約しておこう。そもそも「風流夢譚」は主人公がひたすらに「不条理」な夢を見るという設定のもとに書かれる短編小説である。この作品は、以下のように、皇族が殺害される記述や、主人公と皇太后が汚く罵り合う「不敬」シーンを含み、出版されるや否や、(今風に言えば)「炎上」したわけである。

皇居広場は人の波で埋っているのだが、私のバスはその中をすーっと進んで行って、誰も轢きもしないで人の波のまん中へ行ったのだった。そこには、おでん屋や、綿菓子屋や、お面屋の店が出ていて、風車屋がバァーバァーと竹のくだを吹いて風船を鳴らしている、その横で皇太子殿下と美智子妃殿下が仰向けに寝かされていて、いま、殺られるところなのである〔…〕そうしてマサキリ〔マサカリ〕はさーっと振り下ろされて、皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がして、ずーッと向うまで転がっていった(深沢七郎「風流夢譚」)

昭憲皇太后はまた足をバタバタ暴れてわめいた。/「てめえだちは、誰のおかげで生きていられるのだ。みんな、わしだちのおかげだぞ」/と言うのだ。/「なにをこく、この糞ッタレ婆ァ、なんの証拠があってそんなことを言う。てめえだちの様な吸血鬼なんかに、ゼニをしぼりとられたことはあっても、おかげになんぞなったことはねえぞ」/と私も怒鳴った(同上)

 この作品は『中央公論』の一九六〇年十二月号に掲載され、すぐさま問題となる。その後、右翼団体からの度重なる脅迫を受け、一九六一年二月一日には実際に殺傷事件が起きてしまう。これらの展開を経て、「風流夢譚」は文庫化も全集入りもせず、二〇一二年に電子書籍化されるまでは長らく市場に流通しなかったため、読むことが困難なものであった。

 この問題が未だに「アクチュアル」であるのは、「風流夢譚」のアマゾンレビュー(評価:星1)を見てみればわかるだろう。未だにこの作品に激怒する人間はいる。そのレビューによれば、「〔…〕実際に読んでみたら、素人が面白半分で書いたものとしか思えない。どんな考えに基づいて書かれたのかわからないが、こういうかたちで皇室を侮辱するのは悪趣味過ぎる。また、こんな小説を安易に掲載してしまったのは中央公論の重大な過失であった」(強調引用者)。

 なぜこのヘボなレビューをとりあげたかと言えば、まさにこの状態が、「天皇(制)」をめぐる思考の中心にあるからである。「どんな考えに基づいて書かれたのかわからない」にも関わらず*5それについて書かれた「表現」を脊髄反射的に、感性的=美的(aesthetic)に、「侮辱」であり「悪趣味過ぎる」ものと判断することができ、掲載自体が「重大な過失」と断ずることができるものこそ、「天皇」という〈聖なる〉対象である。

 そしてこの事情は「表現の不自由展・その後」の「御真影」を燃やす「アート」においてもいっこう変わらない。実際、嶋田美子「焼かれるべき絵」において「御真影」を「焼却処分」したのは富山県立近代美術館であり、その点で複雑な事情を孕んだ、「議論を呼ぶ」作品である。しかしこの「アート」に怒っている人間の大半は、「ググる」ことさえすれば一瞬でわかるこの事情を理解していないようだ。「日本人」は、「どんな考えに基づいて書かれたのかわからない」としても、とにかく「ある形象」が燃やされることそのものに、無条件的な怒りを——むろんこの「無条件性」にも気づかず——覚えるのである。

 先ほど、私は「アート」を「議論を豊かにするもの」としてさしあたり定義した。しかし、どうやら他の「表現」と異なって、一つのトピック——すなわち天皇」をめぐる「表現の問題」が、「議論以前」の異様な暴力を引き起こすようである。これは、特定の、本来ほかの「表現」となんら変わらないはずの、たんなる一個のトピックなのだが、にも関わらずほかの「表現」をめぐる問題とは別種の思考を必要とする。

 一言で言えば、「天皇(制)」の問題は(そしてここでは論じないが、おそらく「慰安婦」の問題も)、日本において、今も昔もずっと「トラウマ」として機能していると言えるだろう(「トラウマ」は「日本的身体」にとって、抑圧=忘却されなければならないものである)。この「トラウマ」は、そこに触れるや否や、即座に市民たちの議論(「熟議」)をせきとめ、沈黙を求める魔術的な「防波堤」なのである。この臨界点においては、「表現の自由」は決して自明の概念ではない。

 この視座に立つ時、一九六〇年代と二〇一九年の言説空間を(「昭和」と「令和」の言説空間を)、水面下で、しかしはっきりと直線的に結ぶ一つの「持続」が見えてくる。「風流夢譚」事件は「過去」の野蛮な人間たちが引き起こした失敗ではなかった。この野蛮な状況=「情の時代」が、数十年来変わらず「現代」である。これが「表現の不自由展・その後」が奇しくも暴いてしまった「その後」——何も変わっていない「その後」——であろう。

 この「持続」について必要なのは、「批判=批評」(critique)である。いくら「議論」(argument)が望まれたとしても、それを「無意識」下に「タブー」化する美学的体質=「制度」を批評することなしには、私たちはそれを進めることができないからだ。

 ちなみに、批評家の赤井浩太は、『すばる』二〇一九年九月号掲載の「谷川雁の天啓詩」の末尾で、戦闘的な文体で、次のように述べている。

天皇がみずから退位した。それで何が終わったのか。何も終わっちゃいない。何が変わったのか。何も変わっちゃいない。何が新しくなったのか。何も新しくなっちゃいない。いっこうに流れ出ない歴史のお腐れ水、それが日本である。(赤井浩太「谷川雁の天啓詩」*6

 さて、私たちはこの六〇年間(あるいはそれ以前から)この淀んだ「水」の中で、一体なにをしていたのだろうか。  

資本制と芸術/芸術作品の価値

 天皇を「侮辱」するこの展示の公開以来、ツイッターでもネット記事でもすでに、「日本人を侮辱している」、「日本人の心を踏みにじっている」と言われ、さらに多くの場所で「こんなもののどこが芸術なのか」という疑義が呈されている。ここでは、単に写真を燃やされた程度で「国」や「国民」や「心」(なにそれ?)が危機に陥る「象徴天皇制」を思考しつつ*7、ここで言われている「こんなもののどこが芸術なのか」に実際に答えてみることにしよう。

 ところで、「表現の不自由展・その後」が「風流夢譚」以上に暴いている問題系として、資本制がある。この問題が「炎上」し始めた時、そこで問題となったのは、それが「不敬」であり、また「反日的」であることだが、それ以上に、そうした表現を「行政がお金を出したイベントに展示するのは、おかしい」河村たかし/8月1日)ということであった。おそらくこれが小さな展覧会で個人的に展示されていたなら、あるいは単なる一部の「過激派」きどりであったなら、これほど大きな問題にはならなかったであろう。結局、「血税」が「反日アート」に使われるというこの点が、この「炎上」の要点だったのである。それは税金の無駄遣いだというわけだ。

 「税金の無駄遣い」ほど大衆が嫌うものはないようだが、それでは、どのような芸術が「無駄遣い」ではない、「血税」に見合う、展示されるべき芸術となるのだろうか。このように問うためには、そもそも芸術の価値がどのように決定されるのか、このことを問わなければならない。つまり「価値」の発生について思考しなければならないのだ。私たちは日々芸術に(文学や映画や漫画まで「芸術」に含めるなら)金を払っているが、しかし、そもそもその値段はいかにして決定しうるのか。実はこの問題は、それ自体が資本主義の矛盾を突いているのである。

 よく知られているように、絓秀実は『革命的な、あまりに革命的な』で次のように指摘している。

芸術を制作する「労働」は、似たような絵を似たような技術で描いたとしても、大家と呼ばれる存在(ピカソ)の作品と貧乏画学生(馬の尻尾)のそれとでは、その交換価値に無限の高低が生ずることからも知られるように、そこにおいては抽象的人間労働という虚構が成立しがたい。芸術は近代においては商品としてしか存在しえないが(あるいは、商品化されることで芸術となる)、しかしそれは資本制の論理がそこで挫折するデッドロックなのである。資本制商品経済の論理は、芸術=商品という限界を設定することで、その内部を論理的に——自由で平等なものとして——構造化する。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』*8

  資本制においては、労働力は抽象化され、同じ時間の同じ技術力の労働によって同じ結果がもたらされるものとして想定される。しかし「芸術」においては、そもそもその交換価値は労働力から直接変換されるわけではない。この交換価値の決定には、資本制全体にとっての一種の「アポリア」が潜んでいる。

  資本主義(者)がこれを隠蔽するのは、まさにこの「アポリア」を「貴重な労働力」という「神話」に変換することによって、である。資本制そのものの「やりがい搾取」的構造がここにあるのだ。

 近代資本制はそのことを、いくつかの方途を用いて隠蔽してきた。それが資本制にとって必須のものと知られれば、芸術はその外部性を喪失しかねないからである。ベンヤミンの高名な論文〔『複製技術時代の芸術作品』〕が言うところの、芸術作品の『展示的価値』という概念は、美術館によって購入されたその作品の交換価値は、一般的な労働力の価値の累乗された希少で貴重な労働力によって作られたものであるがゆえに高価だという論理に、芸術を回収しようとするのである。それは資本制の「美学化」——ベンヤミンに倣えば「政治の美学化」——にほかならない。(同上)*9

 しかし、すぐのちに絓が指摘するように、このような「美学化」は、ベンヤミンのいう「複製技術時代」には崩壊する。あらゆる「芸術」はそれがコピーされ大量に印刷されることによって、その神秘性=儀式的使用価値(「アウラ」)を剥ぎ取られるからである*10ベンヤミンは種々の芸術形式を批評しながら、「『真正』な芸術作品のもつ比類ない価値は、それが儀式の上に基礎づけられていることにある。芸術作品の本来の使用価値、そして最初の使用価値は、儀式のうちにあったのである」と指摘しつつ、

〔技術的複製が可能になることによって〕真正性という基準が芸術の生産において役に立たないものとなる瞬間に、芸術の社会的機能全体が大きな転換を遂げる。芸術は儀式に基礎をおくかわりに、ある別の実践、すなわち、政治に基礎をおくことになるベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」*11

 ベンヤミンはこの論文の中で、「芸術」(=「表現」)を非政治的な「聖域」(「芸術のための芸術」)として神秘化する振る舞い(「政治の美学化」)を「ファシズム」として批判し、それに対抗しうる手立てとして「美学の政治化」を見出している。ここにおいて「芸術=表現」は聖域ではなく、政治的闘争の場なのだ。

 私が冒頭で述べた「ものの見方を多角的にし、議論をより豊かにするもの」という曖昧な定義は、ベンヤミン=絓にしたがってより精確に述べれば、「美学の政治化」を行うものが「アート」である、と言い換えられる。しかし、「芸術」の判断基準が「政治」にあり、「芸術」それ自体にもはやないということは、当たり前だが、もはや「価値」が事後的にしか決定できないということを示している。あらゆる「芸術」は、それがいかなる政治的なパフォーマンス力を持ち、また、いかに論じられたかを基準としてしか、つまり遅れざまでしかその価値を決定できないのである(おそらくこのことはデュシャン以降、「アート」の側でも意識的になされていることである)。だから冒頭で仮に述べた「『展示』のそれ自体の質」とは、実は語義的に不可能なものとなる。

 もはや教科書的とも言えるこの定義だが、これに忠実に従うかぎりで、実は結論は非常に逆説的なものになる。結局のところ、そもそも「行政がお金を出したイベントに展示するのは、おかしい」ものこそが、真に「展示されるべき」芸術作品ということになるからである。

 そのような展示こそが、そもそも「芸術」自体が資本制の臨界点であるという、もう一つの「トラウマ」を露呈させることで、「美学の政治化」を遂行する。「表現の不自由展・その後」は(これも逆説的に)「血税」で賄われ、それが問題化したからこそ「政治的」価値を持ったと言えるだろう。そこで暴露されたのは、天皇制と資本制が構成する不可視の「タブー」であり、「表現の自由」という理念の二重の限界なのである。

 資本制のもとでは、表現内容は批判していいが表現することは自由だ」という、「表現の自由」が叫ばれるときのおきまりの二分法は、その表現が流通するものであればあるほど単なる空疎な理念に過ぎなくなる。これは「民間」においても同じである。表現内容についての批判が殺到すれば、つまり「お客様」たる市民が不快になり「クレーム」を入れることになれば、「スポンサー」や「広告主」の名誉が(「企業イメージ」が)傷つくことになるからだ。そのようなことになれば、「表現が自由」だろうがなんだろうが、スポンサーは提供を取りやめるだろう*12。ここでは、「表現内容」と「表現すること」という区分は、厳密には成立しえない(また、一部の政治家たちが「表現の不自由展・その後」を批判するのは、結局、端的に大衆人気のためであるという点で、「ポピュリズム」の問題もここに存在する)。

 「芸術=表現」は、自身の「無駄遣い」=「ジャンク」性と「不自由さ」を露呈させることによってこそラディカルな価値を持つ。ジャンクではない、ましてや「自由」な「芸術=表現」などないだろうし、ありうべくもないのである。

 まとめよう。「表現の不自由展・その後」は、その一連の「出来事」において、「資本=ネーション=ステート」(柄谷行人による表現)の「三位一体」の癒着、そしてそこに働く「ファシズム的」イデオロギーを暴露したのである——そういうわけで、非常に残念だが、「表現の不自由展・その後」の大成功をことほぐ必要があるだろう。

 

パフォーマンス・アート

 なお、先ほども触れたが、「政治」という言葉を多義的に解釈するかぎりでは、「アート」(とりわけ「現代アート」)は「美学の政治化」を意識的に行っていると言える。すなわち、「これはアートではない」という批判を喚起することこそが、その作品を「アート」たらしめるという逆説の反復である(それを私は「デュシャン以降」と言った)。この一種の「アート」の自己否定的な構造、「スキャンダリズム」そのものを批判することはおそらく必要な作業だろう。だが、それが有効なものとして機能しつづける問題系について先に議論すべきであり、そのような賢しらな議論は「早すぎる」。

 

 最後に個人的なことをまた述べておけば、当然だが私は「批評家」ではない。それは、当初、「表現の不自由展・その後」が、まさか「アート」として成立するものとは私には到底思えなかった、この「批評眼」の鈍さからも証明できるだろう。この程度の安易な展示が「異化効果」をもつとは思えなかったのである。しかし、まさに「炎上」と脅迫による「表現規制」によって、「表現の不自由展・その後」は、天皇制、資本制をめぐる問題系が、未だなお、議論以前のものとして「持続」していることを露呈させることになってしまった。

 しかし結果として、この「持続」を暴いたのは、津田大介でもなければアーティストたちでもなく、むろんそれを論じた私でもない。おそらく津田は、一部の右翼や政治家がこれに怒るところまでは想定内だっただろうし、もしその想定内に終わったとすれば、この事件は単なるくだらない微温的な「炎上」で終わっていた。それでは終わらなかったわけである。

 だから、「表現の不自由展・その後」を「アート」にまで高めたのは、「こんなもののどこが芸術なのか」と叫び、電話をかけ、脅迫し、中止に追い込んだ鑑賞者たち自身である。正確には、彼らの脊髄反射的な行動、そしてそれに呼応した政治家たちの大衆扇動という「パフォーマンス」こそが、「アート」を成り立たせたのだ。

 おそらく「現代」においては、今も昔も、彼ら「ファシスト」こそが「芸術家」として、称揚されるべき人間たちなのである--むろん私は、「芸術家」になるくらいなら一日寝ていたい。

 

(文責 - 左藤青

 

※過去の記事

daisippai.hatenablog.com

 

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*1:多木浩二天皇の肖像』岩波現代文庫、二〇〇二年、一九二頁。

*2:絓秀実『「超」言葉狩り宣言』太田出版、一九九四年、一九頁。

*3:基本的なことを確認しておけば、最低限の「表現の自由」や「発言の自由」という理念(タテマエ)は当然守られるべきである。「発禁」や「自粛」や「回収」という一方的な暴力ほど馬鹿らしいことはない。しかし別に「表現」は聖域ではないのだから、私は「表現」でさえあれば全てが擁護されるべきだとは思わない(「表現」とはそもそも多義的な言葉であり、それは非常に抽象的な議論でしかない)。「美少女イラスト」と今回の展示を両方「表現」として相対化し、両者に対する津田の態度の差異を指摘して「揚げ足を取る」向きがあるが、むろんそれらは全く質的に異なる「表現」であり、それらの持つ意味も異なっている。たとえば、「美少女イラスト」が批判されるとき、その対象となるのはそのイラストを描く人間、あるいは消費する人間の「まなざし」であり、その具現化の過程が「無意識」的に参照している「俗情」、あるいは「差別的感情」である。一方、「少女像」は、(それが上手くいっているかどうかはわからないが)そうした秘された「俗情」の歴史・痕跡を意識的に暴こうとするものであり、「少女像」が右翼によって批判されるのは、まさにこの「意識」なのである。この意味で二つの表現は、全く別のレイヤー・別の次元に属している。津田本人の態度は別として、そしてこうした差異をどう評価するかは別として、少なくともそれらは同列には「批評=批判」できないだろう。

*4:なお、同様の問題として筒井康隆の「てんかん差別」並びに「断筆宣言」問題がある。現代に反復される「表現の自由」と「差別」の議論は、未だにこの事件における議論のレベルを抜け出ていないように思われる。「てんかん差別」問題についての当時の「てんかん協会」の要求(回収)や、それに類似する現代のヒステリックな「表現規制」は実際、的外れである。ただし、実際に「表現されているもの」について、そこで抑圧されている「差別」的な「まなざし」を批判し続ける作業は必要であり、「小説」や「漫画」や「イラスト」だからと言って、何かが免罪されるわけではない。

*5:なお、読めばわかるように、「風流夢譚」はそもそも「左慾」=左翼批判も含む作品である。そのほかにも複数の読解の余地(「腕時計」のメタファー、「辞世の句」など)を含んでおり、これを一概にたんなるシュールな「悪趣味」なエクリチュールと断ずることはできないだろう。

*6:赤井浩太「谷川雁の天啓詩」(『すばる』二〇一九年九月号所収)、二〇一九年、集英社。一八九頁。

*7:ところで、エピグラフの一つとして引用した多木浩二は、引用箇所で写真が複製技術という「近代的な機能」を持ちながら、「呪物化しやすい表現」であると一般的に指摘したあとで、「御真影」こそが「天皇」の代理物として、感情を喚起し、「臣民」を形成してきたと分析している(多木、同上)。ここでは、「国家」は「家」のまったきアナロジーであり、「近代的主体」は存在しえないという。またこの「御真影」は、実際には写真ではなくエドアルド・キヨッソーネが描いた肖像画であった。外界をそのまま映し出すという写真の写実的=近代的機能に反して、「明治政府にとっては、写真と写実的絵画の複写との区別など、はじめからたいした問題ではなかった。通用させるのは、人びとがたしかに天皇を撮ったと信じる〝写真〟である必要があったが、そのつくられかたはたいして重要ではなかった」のである(同上、一八九頁)。だが、「家」がいくら解体されたところで、市民社会の中で生き延びる「不能の父」たる天皇の存在について、多木以上に思考を進める必要がある。

*8:絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な——「1968年の革命」史論』ちくま学芸文庫、二六〇頁。

*9:同上、二六〇〜二六一頁。

*10:前掲の多木の議論は、ベンヤミンのこの定義を前提としつつ、それでもなお複製技術=写真が「呪物」として価値をもってしまうことを指摘しているのである。

*11:ベンヤミン「技術的複製可能性の時代の芸術作品」(河出文庫ベンヤミン・アンソロジー』所収)、二〇一一年、三〇八頁。強調ベンヤミン。なお、引用中のタイトルについてはより一般的なものに変更した。

*12:津田大介に対する批判としてまとめられたTogetterにおいても、説明欄に「こちらがあいちトリエンナーレのスポンサー様一覧です。抗議はこちらの企業・団体へ」とある。この投稿者は他にも多くのアンチ左翼系・嫌韓・嫌中系のまとめを投稿している人物であり、まともに取り合うべきではないにせよ、やはりこの問題が根本的に「クレーマー問題」であり、「お客様」を不快にさせた事件であったことを忘れてはならない。

「大失敗」、『情況』にインタビューを受けました

平素より大変お世話になります、左藤青です。

 

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こういうわけで、私たち「大失敗」は『情況』からインタビューを受けました。「大失敗」が公式の場にこうして大々的に?取り上げられるのはこれが初めてです。記念すべき第一回ということで、読者の皆様におかれましてはいますぐご購入ください。Amazonではすでに予約できます。

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 この『情況』七月号では、もちろん「目玉」である「大失敗」インタビューの他に、「政治とは経済なのである」と題した特集が組まれており(詳しくは『情況』のTwitterをご覧ください)、安彦良和氏インタビュー、山本太郎氏、西部忠氏の論考など、かなりボリュームのある内容となっています。

 「大失敗」にとっては、とりわけ、兼ねて私たちが「ほめ殺し」してきた外山恒一氏の論考「選挙じゃなにも変わらない」や、山本桜子氏「シン・フェイン文学」などが重要になってくるでしょう。

 

 実はゴールデンウィーク機関精神史とのイベント「令和残俠伝」と文フリ東京のちょうどはざまにこのインタビューがありました。以前にも公開したこの写真は、その際撮られたものだったわけです(実際の記事では使われていないので、レアです)。

 インタビューでは、しげのかいり、赤井浩太、私の三人が満遍なく語っています。「大失敗」の発足経緯、運営方針、運営理念、「大失敗」の反響、現状批判、『大失敗』二号以降への展望など、これで「大失敗」丸わかりということで、ぜひご覧ください。

 個人的な感想としては、インタビューというもの自体が初めてですが、自分が語ったことが文字に起こされ、編集され返ってくるというのが奇妙な感覚でした。掲載にあたってかなり綿密にやり取りをしましたが、口語の躍動感を損なわないように意識しました。

 

 なお、「大失敗」は、あらゆるメディアからのインタビュー、お仕事をお待ちしております! よろしくお願いいたします。あとで悪口言うかもしれませんが。

 

※ ご依頼はツイッターのDMかメール(daisippai19@gmail.com)からお願いします

 

※ 『大失敗』創刊号は現在増刷準備中です

 

(文責:左藤青)

twitter.com

 

 

daisippai.hatenablog.com

 

 

『小失敗』Note配信開始

いつもお世話になっております、左藤青です。先月の文フリ東京で創刊号と併せて発売したおまけ雑誌『小失敗』ですが、会場で創刊号もろとも無事完売いたしました。

創刊号は現在増刷の準備中なのですが、ありがたいことに『小失敗』についても読みたいという声が上がっております。こちらは「おまけ」なので再版の予定はないのですが、せっかくなのでNoteで公開したいと思います。

前衛批評おまけ雑誌『小失敗』(Note版)|前衛批評集団「大失敗」|note

 

内容は主に三つの部門から成ります。運営三人(赤井浩太、左藤青、しげのかいり)によるエッセイ「大失敗読書会」レポート「前衛のための義務教育」(運営三人によるレビュー20個)です。詳しくは上のリンクから目次をご覧下さい。

 

値段は400円ですが、紙ではA468頁、文字数にして56000字以上もある「おまけ」です。

『大失敗』創刊号はなかなかソリッドな論考しか載っていないのですが、『小失敗』はもう少しラフに読め、運営三人のキャラクターがわかりやすい内容になっています。「大失敗入門」に最適なのではないでしょうか。

なお、三つほど無料でレビューの試し読みができます。いずれもなかなかポレミックな内容です。ご一読下さい。

【書評】赤井浩太:スタイルをめぐる闘争(津村喬『戦略とスタイル』)|前衛批評集団「大失敗」|note

【書評】左藤青:一億総批評家社会(東浩紀『郵便的不安たちβ』)|前衛批評集団「大失敗」|note

【書評】しげのかいり:「批評家」になんかなりたくない(金井美恵子『夜になっても遊び続けろ』)|前衛批評集団「大失敗」|note

 

「大失敗」は現在二号を準備中ですが、近々、また別の何かしらについて告知させていただくことになると思います。今後とも「大失敗」をよろしくお願いします。

 



 

(文責 - 左藤青)

 

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加速主義と日本的身体 —柄谷行人から出発して

good-bye good-bye good-morning

different ≠ another("different ≠ another" - P-MODEL

内分泌のカタストロフィー/思考機能の感覚代行/健忘症の優しい私は/花がいとしい/鳥がいとしい ("趣味の時代" - ハルメンズ 

日本的身体

 ここ数年、日本の言論界が今さら話題にしている思想「加速主義」や「暗黒啓蒙」に対して、私たちはある種の「もっともらしさ」や「既視感」を感じてしまった。おそらく、加速主義はその成立の現場においては「いかがわしい」思想であったのだろう。しかしこの「いかがわしい」思想も、日本の言語空間に輸入されるとたちどころに口当たりの良い「もっともらしい」思想になってしまう。

 この日本という言語空間の「体質」は今に始まった事ではない。例えばアメリカの社会学者デイヴィッド・リースマンが来日した際、大学教授でもなさそうな一般市民が講演に押し寄せリースマンを驚愕させた事態、あるいは、フーコードゥルーズの難解なテクストが「ニューアカデミズム」として「流行」する事態と同じものだ。

 もちろん、「思想がその成立現場から離れてしまう」という現象は、日本特有のものではない。例えば、アメリカという風土は、どんな背景を持つ思想であれ、往々にしてプラグマティックな「道具」や「手法」に加工してしまう。しかし、私たちにとっては、外来思想の奥行きや「本来の」価値が理解されないということが問題なのではない。すなわち、日本人の人文知に対するアカデミックな認識やら語学力やらが劣っているという端的な事実は、「批評」の問題とはならない。日本においてより深刻なのは、どんなに「目新しく」、「異なった」(different)思想であれ、それが、日本という場所に対する「もう一つの(another)価値」を持つことがないということである。内部を脅かす異物であるはずの「いかがわしい」思想は、それ自体がまさに外部であることによって逆説的に内部に位置するメインカルチャーを補強してしまうのだ。この風土のなかで、「批評家」や研究者たちは、こうした外来思想を平明に解説し、読者たちの趣味的な好奇心を満たす「輸入業者」として動員されるのである。

 しかしもちろんこれは外来思想に限った話ではない。国内においては、例えば敗戦後の焼け跡を称揚した「堕落論」の坂口安吾もまた、時が経つにつれてもともと持っていたはずの「いかがわしさ」をなかったものとされ、戦後の自由と平等を擁護する「戦後民主主義者」としての安吾像へと変貌していった。こうした事情は、少なくとも日本という一個の身体——これを日本的身体と呼ぼう——がもつ深刻な問題である。

 加速主義が仮にラディカルな思想だとしても、それは「ラディカルなもの」として紹介されるがゆえに、この凝り固まった身体を粉砕するような破壊力は持ち得ない。「日本的身体」は、エスニック料理を楽しむ品のいい消費者として、あらゆる思想を「現代思想」として美味しく調理して食べている。

 この状況では、加速主義は日本の「体質」を強固にするものにしかなり得ないだろう。もしも私たちがかかる現実を理解した上で思想しようとするならば、柄谷行人が言ったように、日本という身体の在り方そのものを変革するような思想のあり方を自覚的な仕方で模索しなければならないはずだ。

日本のポスト・モダニズムは、西洋かぶれの外見を持ちながら、この種のナショナリズムを含意している。それはありとあらゆるものを外から導入しながら、「外部」を持たない閉じられた言説体系である。そこでは、自分の考えていることだけがすべてであって、自分がどう在るかは忘れられている。むろん、どんな人間も他人が自分をどう思っているかくらいは知っているが、それは結局自意識でしかない。他者に対して過敏な者がしばしば“他者“を持たないように、現在の日本の言説空間は「外部」を持たない。いいかえれば《批評》の不在である(「批評とポストモダン」)

 ここで柄谷行人が批判しているのは日本のポストモダニズムであり、そこから遡行された京都学派である。柄谷によれば、彼らは一見「西洋かぶれ」の外見を持ちながら、それを規定する日本の風土(すなわち自身の身体)に対して無頓着であった。その結果、彼らは単なるナショナリズムへと陥ってしまう。

 柄谷のいうとおり、「私たち」はいつでも、「自分の考えていることだけがすべてであって、自分がどう在るか」を忘れている。つまり、こうした議論の内容の新奇さに気を取られ、新たなものとして対象化して熱中したり、あるいはそれをパロディして「メタ化/ネタ化」した気になっているとき、私たちはまさにその議論の手元的で形式的な反復性、そしてその対象をまなざす我々自身の「手癖」に気づくことができない。つまり、自身の身体の「スタイル」に気づくことができない。

 この種の、柄谷のいう《批評》の不在は日本においては奇異な事でもなんでもない。むしろ《批評》の不在こそ日本においては常態なのだ。

宣長のいうような自然=生成は、制度あるいは構築を拒絶するかにみえて、それ自体独特の制度であり構築なのだ。もしわれわれが神・超越者あるいはそのヴァリエーションに対して、西欧人のように闘い、挑むのならば、的はずれである。(「批評とポストモダン」)

 日本における批評の《不在》は「脱構築」(構築からの脱出)ではなく、むしろ精巧に作られた構築であり、「制度」に過ぎないと柄谷は批判している。 この状況下では、例えば「戦争」に論評を加える知識人を批判して「国民は黙つて事変に処した」と喝破した小林秀雄さえまた、「構築を批判する構築論者」でしかなくなってしまう。私たちに見えないのは、この「自然」という構築物であり、制度を拒絶する制度に守られた日本の土壌であり風土であり、日本的身体に他ならないのだ。ここでは、あらゆる「いかがわしい」思想が「もっともらしい」思想として流通し、「いかがわしい」ものであったことが忘れ去られてしまう。いわば、日本においては「他者」と出会うことなどできないのである。

 これは、日本という「身体」であり、日本語という「文体」に強く根付いた問題である。どれだけグローバル化が「加速」し、日本という固有の場所が無くなっていくように見えたとしても、あるいは様々な言説の中で「現代思想」の状況が変わっているかのように見せられていたとしても、この身体の「制度」は未だ残り続けている。

 

なんでもよく、どうでもいい

 加速主義の議論は 「暗黒啓蒙」と言う名からも分かる通り、啓蒙主義を批判しながら啓蒙主義の最たるものである自由主義啓蒙思想に結びつくパラドックスをはらんでいる。しかしそもそも、このパラドックスだけでは加速主義の「いかがわしさ」を論証することはできないだろう。これはちょうど柄谷行人江藤淳を引用して批判している「護憲論者」と同じ身振りに過ぎない。

江藤淳の議論は、その逆の、すべてを憲法から流出させる連中の論理と似ている。あるいは、もっとラディカルである。というのは、後者は、「原理」に固執するようにみえながら、誰がどうみても現状と背反する「憲法九条」をうやむやにしているからだ。本当は彼らは文脈をこえた、同一的な「意味」に固執する人々ではない(無作為の権力) 

 加速主義を流通させている「のっぺりとした土壌」としての日本の言論空間は、小林秀雄のように原理原則にこだわらないという原理原則に則っている。この原理原則とはすなわち、「護憲論者」のように原理と現場とのズレをうやむやにする「制度」である。この意味では日本人はほとんど全員「護憲論者」でしかない。一言で言ってしまえば日本の言論空間=日本的身体にとっては、あらゆるものが「なんでもよく、どうでもいい」からである。

 日本的身体にとっては、新しく持ち込まれた「異なるもの」の材料がニック・ランドだろうがサッカナ・シーだろうが(つまり肉料理だろうが魚料理だろうが)同じであり、どうせ調理して口当たりを良くして食べるのだから、同じなのである。それが「新しい思想」として流通しさえすれば、後は「なんでもよく、どうでもいい」のだ。

 むしろこうした流通ルートに「シラケつつノリ」、訳知り顔の紹介者あるいは「批評家」として、読者たちに「美食」を供して名を売り金を稼ぐことの方が、多くの人間にとって重要である(むろんこの流れから完全に身を切り離すことなど、誰にもできない)。このレベルではそもそも日本において近代は未発達であるだとか、資本主義社会が徹底されていないと言った丸山真男小室直樹の議論は「野暮」の二文字、あるいは「ネタにマジレス」というクリシェで片付けられるだけだろう(しかしネタはベタに機能する)。そもそも丸山的な問題意識を持っていたとしたら、この反復性に気付くはずである。

 むろん、かかる風土からは絶対に《批評》は生まれない。《批評》は原理主義でも現場主義でもない。《批評》は、原理が必然的に持ってしまう現実とのズレに対する鋭い反省から、はじめて生まれるのである。

柄谷行人クリシェ/差別の問題

 ところで、柄谷はこの日本的身体から、自身をどの程度切断しえたのか。柄谷がこの問題を掘り下げたのは、中上健次という切り口からである。柄谷にとっては中上健次は差別小説を書いた単なる小説家ではない。柄谷にとって中上とは「日本近代文学が中心としてきた近代小説という枠におさまらなかった」小説家に他ならない。

中上健次における過剰性は、どんな同時代作家よりも彼を健康にし且つ病的にしている。いっそ彼は「病気」だといった方が良い。「病者の光学」という言葉が彼にはふさわしい。彼において、暴力的なのは、本当は肯定の力だ。が、その肯定力は、どんな否定力よりも破壊的である(「今ここへ――中上健次」)

 柄谷行人は一般的な「今・ここ」と中上健次が肯定する《今・ここ》を峻別する。「今・ここ」とは差別を隠蔽する「同一性」の場であるが、中上が肯定する過剰な《今・ここ》はむしろ、同一性に隠蔽された場である「今・ここ」を破壊し、差異を露呈させる肯定の力だ。しかし柄谷の論旨にもある独断が見えると言わざるをえない。《今・ここ》は、柄谷がいうような「破壊的な肯定の力」ばかりを持つとは限らないからだ。むしろそれは、時に肯定の力によって粉砕されるはずの「否定」の力へと結びつき、対極の「今・ここ」に反転してしまいうるのではないだろうか。

 例えば、在日朝鮮人の問題である。在日朝鮮人の差別はもはや「隠蔽」されたものではない。それは、そうした差別(による特権)が「隠蔽されていること」を「在日特権」として糾弾する陰謀論者じみた人間がいることから逆説的に明らかである(むろんそれは特権でも何でもない)。

 しかし「在日特権を許さない」人々がいくら最終的には「同一性」(同質性)を目指していたとしても、彼らが根拠とするのは、つねに在日朝鮮人と日本人との「差異」である。彼らこそが、まさに差異が隠蔽された「今・ここ」を粉砕する力、言ってしまえば「破壊的な肯定の力」を利用しているのだ。すなわち、差別主義者は「同一性」のもとに差別を隠蔽するのではなく、むしろ差別を利用する。同一性と差別は、柄谷が言うように必ずしも一致するわけではない。差異が露呈していたとして、相変わらずそれが否定的に働くことはつねにある。

 これは柄谷が単に中上健次を誤読しているという問題ではない。重要なのは、むしろ柄谷自身が「加速主義」や日本のポストモダンと同じ病理を抱えているのではないかということである。先に述べたように、柄谷は中上健次の小説を「日本近代文学が中心としてきた近代小説という枠におさまらなかった」小説として評価している。この読み方自体を否定するつもりはない。しかし「近代小説におさまらない」というこの「オルタナティヴ性」が、柄谷行人における肯定的な評価の根拠になっている点が問題なのだ。

 つまり柄谷行人にとっては、中上の小説が「近代小説」の枠組みから逸脱するもの、すなわち小説とは「異なるもの」でさえあれば、「なんでもよく、どうでもいい」わけである。中上健次あるいは差別の問題もその地平線の内側からのみ評価されるものであって、そのバイアスの外にある問題はあらかじめなかったこととされてしまう。したがって柄谷行人のテクスト読解は、その対象(中上のテクスト)がいかに「いかがわしい」ものであったとしても、そこから出てくる結論はいつも「のっぺり」とした、単に「もっともらしい」だけのものになるだろう。

 なお、この傾向は現在の柄谷をみればさらに明らかである。先に引用したのは護憲論者を批判するかつての柄谷だが、今の柄谷行人は誰がどう見てもかつての彼が批判していた対象に成り下がっている。すなわち、柄谷もまた「『原理』に固執するようにみえながら、誰がどうみても現状と背反する事実をうやむやにしている」日本的身体にのっかった書き手の一人に過ぎなかった(あるいはそうなった)のだ。

 さて、中上を論じるにあたって、柄谷行人の正確な「真贋」が「真贋」であるがゆえに見落としているのは、中上健次の小説そのものが持つ「小説としての暴力性」である。柄谷は「日本近代文学が中心としてきた近代小説という枠におさまらなかった」と手癖的に評価してしまうことで、「小説的な暴力性」そのものの異物性をむしろ無視してしまったのだ。

 柄谷にとって「小説」は単に近代のドグマでしかない。だからこそ、それと「異なる」中上の「肯定の力」を必要としたのだ。しかし、言ってしまえば柄谷の「小説」観はリアリズムを前提にしたものに過ぎない。

 「小説」はそもそも散文芸術であるがゆえに、市民社会に依存しつつも、当の市民社会にとっての「雑文」(=ジャンク)にとどまる*1。しかし、「小説」は、まさにそれ自体がジャンクであり、弁証法から抜け落ちるものであるからこそ、弁証法に対する「内部における外部」として機能しうるのである。この「内部における外部」という構図は、柄谷自身が「脱構築」として見出していたものであるが、それにも関わらず、中上に接する柄谷はこの表裏一体の関係性を見落としている。

 「今・ここ」にある日本的身体を問題にしつつも、「近代小説」の二重性を見落とした柄谷の議論は、自身の在り方にいつまでも気づかない日本的身体の問題と通底している。つまり本質的な問題は、「近代」の持つ相反する二重性の中にこそあるのだ。この問題は、「近代」の半面しか見ない加速主義の議論にさえ敷衍できるのである。

different ≠ another

 加速主義(とりわけニック・ランド)の抱える問題についても触れておく。日本的身体にも加速主義にも共通する問題は、「異なるもの」をつねに「もう一つのもの」として無批判に受け止めてしまう遠近法である。真に〈EXIT〉しなければならないのはこの地平であろう。

 加速主義の抱える問題は、「差別がない」時代に「差別をいう」ことがラディカルであるかのように錯覚している、露悪的で幼稚な心象である。オルタナ右翼が、たかがポリティカル・コレクトネスに差別を、民主主義に自由を対置した程度でダークでタブーな「現実」を発見した気になっているのなら、その凡庸さにはつい笑いが込み上げてしまう。それは「オルタナ」などではなく、単なる現実追認であり、大多数の人間が持つよくある差別意識に過ぎないからである*2。また、彼らの「技術的進歩」にまつわる議論についても凡庸と言わざるをえない。それは、単なるリニアな時間性、すなわち二〇世紀の哲学が批判してきた「目的論」あるいは「終末論」の安易な変奏に過ぎないのではないだろうか。

 この点で、私たちは当然だが(少なくとも『資本主義リアリズム』の時点での)マーク・フィッシャーの方を相対的に評価する。フィッシャーは「もう一つのもの」を希求しつつも、むしろ安易な「オルタナティヴ」をリアリズムと同等に批判し、原理と現実のズレに直面した「加速主義者」であった。

 しかし、ランド的=オルタナ右翼的「暗黒」趣味では、「相関主義」を超えるどころか、単に議論をポストモダン以前に、もっといえばカント以前にまで差し戻してしまうだけだろう(もっとも、彼らはそれでいいというかもしれないが)。このような「反動」は「新しい」反動などではない。それは「今・ここ」の遠近法に無自覚・共犯的な単なるルサンチマンである。だからそれは何の「異化」効果も持たないし、いつしか忘れられるのみだろう。このような「新しいもの」は、これまでもつねにすでに忘れられてきたのだ。

 「差別」は実際にある。しかしそれはもはや「同一」の空間によって、すなわち「同調圧力」によって隠蔽され、抑圧されるものではない。それはむしろ「黙つて事変に処し」ていることによって自明なものになった土壌=身体から「他者」をながめ見た時に、その「遠近法」的差異によって強調され、発見され、作り出されるものなのだ。

健忘症=潔癖症を超えて

 ここまでにも何度か触れたように、日本的身体、日本という「制度」は、遠近法を利用している。この身体は、どんな「異なる」思想であれ、既視感のうちに包摂してしまうだろう。一方、この身体は、日本人のアイデンティティを実際に脅かしかねない「在日」の、その己に似た相貌についてはアレルギーを引き起こす。すなわち、そこにある「差異」=「距離」を極端に強調し、体外へ排出しようとするのだ。そのようにすることで、制度はいつまでも自分の身体を「固有=清潔」(propre)なままに守り続けている。

 この身体の身振りのうちで、どんなトピックも、いずれも「なんでもよく、どうでもいい」退屈な趣味の問題へと還元され、いつのまにか忘れさせられてしまうだろう。かかる健忘症=潔癖症こそ私たちは批判しなければならない。新たに現れてくる様々な影。しかしそれは繰り返されてきた問題であって、実は「目新しい」ものでも「いかがわしい」ものでも「もう一つの」ものでもなかった。「目新しい」ものはいつでも、「差異化という差別」を生む「もっともらしい」ものでしかなかった。

 この「遠近法」を狂わせるために、私たちは自分たちの身体の関節を、そして自明となっている文体の流れを脱臼させなければならない。差し迫った問題は、加速することではない。からだ(身体=文体)をどのようにして変えるか、これである。 それはおそらく、「新しいもの」や、「奇異なもの」、あるいは「マイナーなもの」を持ち出すことによっては不可能だろう。そうした諸々は、「趣味」に陥ってしまうに過ぎず、その時点で既に無毒化されているからだ。言い換えれば、それは日本的身体の「健康」に従事しているのである。

 だから、「あの思想はもはや古くなったので、新たな枠組みが必要だ」と「状況分析」を述べ、何かを「批評」した気になるのはもうやめよう。むしろ私たちは、一見「アクチュアリティ」からかけ離れ、「終わった」、「遅れた」と思われているつるりとした過去の資料に目を向けるべきなのだ。そこにこそ、日本的身体の見せかけの統一性=単一性を複数化し、リニアな時間を脱臼させる、抵抗の手立てを見いだすことができるはずだからである。

 もはや「風流」として自明のものとなった記憶の中からこそ、身体を不意打ちし、時間の関節を外し、「いかがわしさ」の幽霊が到来する。資本に内包されてしまう「もっともらしい」様々なる意匠を超えて、今そこに幽霊が徘徊している。

 

しげのかいり左藤青 共同執筆)

 

 

 

daisippai.hatenablog.com

 

*1:このことを指摘した批評家として、中村光夫を挙げることができる。

*2:したがって「オルタナ右翼」は「オルタナ」でもなんでもなく、単なるベタな差別主義者ではないだろうか。それは歴史の中で何度も出てきては「オルタナティブ」を自称してきたものだ。

(紹介)『大失敗』創刊号についてのご感想

 いつもお世話になっております、「大失敗」左藤青です。一月の京都文フリと五月の東京文フリで無事『大失敗』創刊号を完売することができました。ありがとうございます。

 様々な方からメールやTwitterその他様々な場所でご感想をいただいているのですが、その中に、素晴らしい「批評」がございましたので、ご本人の許可を得てご紹介させていただきます。『大失敗』をお持ちの方はぜひ傍に創刊号を置いて、お持ちでない方は『大失敗』創刊号内容紹介をご一読いただいてから、ご覧ください。

※なお、匿名希望とのことでお名前等は伏せさせていただきます。

 

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レコロ様、ならびに『大失敗』誌同人の皆様

 夜分に失礼いたします。連絡が遅くなってしまいましたが、ようやく『大失敗』誌を読むことができましたので、感想を送らせていただきます。

 複数の著者によって書かれた複数の文章をおさめた同人誌について、よくまとまった見解のようなものは示すというのはやはり難しいことだと思います。むしろそんな乱暴なことをしてもよいのだろうかとちょっと尻込みしてしまいます。

 けれども無茶を承知で言うのであれば、『大失敗』誌におさめられたそれぞれの文章に共通するものは、その雑誌名のキャッチーで「広告的な」響きに反して、思考停止を許してくれるわかりやすさからあくまで距離をとりつづけることであったはずだとわたしは読みました。

 しげのさんの文章は作家の「自由」で「純粋」な想像=創造と「不純なもの」を「否認」し自己を構成=「更正」しようとする潔癖症とをパラレルに、レコロさんの文章は極度に主観的なものとしての夢すなわち「当為としての天皇」というバーチャルなヴィジョンを、左藤さんの文章はパンク的な「あらゆる意味のレッテルに対する否定」の「大失敗」を「病だの悲劇だの」として享楽する「「エモい」言葉」あるいは態度を、それぞれ批判しているわけですが、これらはおそらく、わたしたち文学や批評の読者が思考停止の安楽をもとめて手にとってしまいやすいものの羅列であるとも言えるでしょう。

 そしてまた、巻頭と巻末の絓氏とディスコゾンビさんの文章がそれぞれ、「国民主権」を謳う市民社会がつねにすでに「トーテミズム」としての天皇制との共犯関係にあることと、60年代に始まっていまにいたる時代の「末代までの恥」を産んだどうしようもなさとを示してしまっているがために、わたしたち読者は、同じく手にとりやすい「平和主義」にも、「若者」の文化に引きこもることも許されてはいません。

 そのうえ、小野まき子さんの文章は、「「われわれ」は(それが仮に「ゲロ」だの「クソ」だの「テンノウ」だのといった、即物的(ジャンク)な露悪趣味だったとしても)、センセーショナルな広告的戦略に安易に動員されるべきではないだろう」、つまりこの『大失敗』という冊子に書きこまれたさまざまな言葉のリストにも、簡単に「同化」してはならない、この冊子をさえ「古びた写真のように」、あるいは「植物図鑑のように」読まなければならないと読者に告げてしまっています。

 だから『大失敗』誌の(言うまでもなく意図的なものであれ非意図的なものであれ)わたしたち読者に対する呼びかけは、(あなたたち、ではなく)あなたも考えよ、というものであったのではないかとわたしは考えます。しかもそれは、誰かを励まし勇気づけるような、あなたにも考えることはできる、あなた自身の考えを大切にしなさい、というような受け止めやすい自己啓発あるいは啓蒙的なものではまったくなく、容易にいたりうる思考の陥穽への経路を先回りして封鎖し、ほとんど袋小路のような場所にいることをわたしたちに認識させたうえでの(ある意味厳しい)呼びかけであったのでしょう。

 ひとまず『大失敗』誌についての感想をここまでまとめたところにいたって、この冊子が受け取り手に(ちょっと信じ難いほどの怒りと叱責をも含む)さまざまな反応を引き起こした理由がわかるような気がします。

 単純にそれは、この冊子におさめられた文章のひとつひとつが、わたしたちが(「生きた自由な言葉」の操作によって)手にしたと信じこんでいる結論すなわちあるひとつの「アクチュアル actual = 顕在的なもの」の不自由さあるいは有限性を指摘してみせたからではないでしょうか。ただそれは、ある種古典的なものにさえ見える「批評的知性」が、やはりその当然の(不自由な)帰結としてなさなければならなかったことであるようにも、わたしには思えています。

 

 

 本当は個別の文章についてもそれぞれそれなりの長さの感想を書きたかったのですが、それでは今月が終わってもメールを送れないような気がして、乱暴気味ですが短くまとめたものを送ることといたしました。

 末筆ながら、レコロさまと、『大失敗』同人の皆様との、ご健勝とご多幸とを心からお祈り申し上げます。

 

『大失敗』の読者に与える袋小路と思考停止の禁止に至って

2019年5月16日

〇〇〇〇

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ご感想はTwitter・メールなどで受け付けております。

(編集 - 左藤青

 

「大失敗」のスタイル変革を要望する

 

※ 赤井浩太による報告記事

 

 5月3日に行われた『機関精神史』主宰・後藤護氏と赤井浩太によるトークイベント(『令和残俠伝 ー止められるか俺たちを』)は盛況に終わり、東京文フリで売られた『大失敗』も完売という形で終わったことは喜ばしいことである。しかしながらこのゴールデンウィークは、我々の問題点が明らかになったゴールデンウィークでもある。

 まず後藤護氏とのトークイベントだが、大失敗側は後藤氏におんぶに抱っこで何もできていなかったと総括するべきだろう。あのトークイベントを見て平岡正明氏に関心を持ってくれた人がいたなら良かったが、わたしにはあのトークイベントで十全に平岡正明が魅力的に語られていたとは思えない。今回のトークイベントでは後藤氏の平岡像と赤井浩太の平岡像がすれ違いを起こしてしまい、わたしには対話が成り立っていたように見えなかった。それは赤井氏と後藤氏との認識のズレに起因するものではないし、後藤氏が赤井よりも、あるいは赤井が後藤氏よりも馬鹿だったからスレ違いを起こしたわけでもない。

 原因は赤井浩太のあがり症にある。赤井は生真面目な性格の持ち主で、であるが故に持ち前のサービス精神でもって客に問いかけようとしていたが、返す刀で後藤護と丁々発止することを忘れていたのだ。これでは片手落ちである。

 この性格的原因は赤井浩太個人の問題を超えて思想的な課題になるだろうが、それ以前に、我々は常日頃から集団制作の必要性を問い続けてきた。しかしながら今回のトークイベントでは、その集団制作的な思想運動がうまく機能していたとはいえない。わたしも左藤も赤井浩太に孤立無援の戦いをしいてしまった。この問題は平岡正明から、より広く「批評」ないし「批評同人誌」を議題とする二部にも見られることである。

 二部では左藤と後藤氏が主に議論する流れになっていたが、二部のセッションでは左藤の研究対象であるデリダや、批評同人誌の内輪批評に話に収縮してしまった印象がある。今回のトークイベントでは荒木優太をはじめとする、現在批評家として活動している人間がたくさん見てくれたから成立したものの、正直わたしの理想とするトークイベントにはなっていなかった。なによりも、コンテンツをいかに売るか。もしくはコンテンツの趣味判断に議論が終始してしまい、よりマクロの「来たるべき知」のあり方を語り合うようなイベントにはなっていなかったように思う。

 もしかしたら批評や文学の読者はしみったれた連中が多いから、この内容でも我慢できたのかもしれない。しかしもっとポジティブなことを後藤氏と対話できたらより強度あるトークイベントが実現できたのではなかろうか。わたしは最後の最後で登壇したものの、大味気味の表現しか出来ず、自分の無力さを痛感せざるを得なかった。

 我々は常日頃から「党」の重要性や持続力を考えることを強調してきた。しかしこのままでは我々の党は、すぐ滅んでしまうものになる筈である。ゴールデンウィークの「成功」に浮かれず、より一層「集団制作」の練度向上に励む必要がある筈だ。これが、先ずなおさなければならない課題の一つである。

 

 二つ目に問題を挙げるとすれば「売れた」ことである。売れたこと自体が問題なのではない。売れてからが問題なのだ。我が大失敗は『大失敗』を「売るため」に作っているのではない。それは目的の一つだが、第一目標ではないだろう。我々の目標は「問題提起」する事ではなかったか。いくらか売れたところでちり紙に使われてしまっては元も子もない。赤井浩太や左藤青や小野まき子やディスコゾンビ氏、あるいは絓秀実氏の優れた論考を読んで、批判し、糧にしてくれなければ意味がないのだろう。つまり、買ってそれでおしまい。あとは本棚の肥やしでは作った必要がないではないのだ。したがって我々が真に成功したという言えるのは、読者の中から異論含めた意見が出てきて、そこからまた新しい思想運動の萌芽が生まれた時だけだ。そしてこの問題は我々内部の問題だけではなく、買ってくれた読者に対する異議申し立てでもある。読み手こそが思想し、批判的に『大失敗』を読まなければ『大失敗』の意味がない。つまり読者も十年一日のごとく同じようなジャーゴンを用いた「感想」という名の批評ごっこを「ツイート」をする呑気な消費者ではいられない筈だ。『大失敗』を買った時点で、少なからず我々にオルグされており、そして執筆者になる可能性をたぶんにある。つまりわたしは『大失敗』に対する積極的な批判と投稿を要望する(その点で住本麻子氏による『小失敗』への批判が出てきたのは喜ばしいことである)。

 

 最後に、先にも触れたが私見によれば、今回のゴールデンウィークは我々の反省点と問題点が浮き彫りになったゴールデンウィークだということができる。我々に未だ足りないのは、むろん「党」を前提にしてモノを考える「革命中心の思想」であり、持続する運動を形成しうるだけの組織作りである。そしてそれは言うまでもなく自己批判と対話の不十分が招いた結果だ。他者性を欠いた有象無象に党など作れるはずがない。

 その点で我々とは多少立場が違うが、我々にとって後藤護氏の立場は積極的に評価すべきものである。なぜなら彼の立場はきわめてシンプルだ。その点が良い。「マニエリスム」と精神史。むろんそれだけではないし、この二つも多層的な意味を持っているに違いないが、このような蝶番になるであろうフレーズが明解であることはアジビラとして必要条件であるとわたしは考えている。『機関精神史』は、こうしたフレーズを明解にすることによって自らの立場を規定し、対話することによって雑誌全体に余裕を持たせることに成功している。自己は自己がなにものかに侵食されない限りで余裕を持つものである。後藤護氏の立場はきわめて明解であるがゆえに対立物を見定めて、対象を見ることに成功しているのではないか。今日の『大失敗』に必要なのはこの余裕である。紋切り型を拒否するのではなく、紋切り型によって紋切り型を制す花田清輝以来の批評運動をあり方をより一層確固たるものにしなければならないのではないかとわたしは考えている。

 さわさりながら、このようなイベントや状況に恵まれたことが、昨年九月から我々がやってきた運動の成果であるのはれっきとした事実だ。その点を踏まえた上で十年一日のごとき反復に陥らない意識変化と新しい風こそ、我々には必要なのだ。「風」の流れを変えること。そこからしか革命は生まれない。ファシスト的熱風をコミュニズムの風へと変化する新たな執筆者こそ我々は待ち望んでいる。

 

(文責 - しげのかいり

 

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※ ここでしげのが触れているGWの「大失敗」については下記参照。

daisippai.hatenablog.com