批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

評論

革命、抗い、生きてなお――アルチュセールの闘争のエクリチュール

「革命、抗い、生きてなお――アルチュセールの闘争のエクリチュール」(早良香月) 抗え。 1.来たるべき破壊のためのモデル構築――革命、哲学、イデオロギー 2.「革命の思想」の自律性——党派的、あまりにも党派的な 3.革命は「時間的切断」か「革命神話」か――…

〈法〉への憎しみーー外山恒一のファシズムにおける生成と構造

※今年一月に左藤青の質問箱に来た質問に対する回答を大幅に加筆修正したものです。 外山恒一は普遍的たりうるか 「支配からの卒業」 〈法〉への憎しみ 終わりに:〈我々〉とは誰か 外山恒一は普遍的たりうるか 先に言っておきますと、以前にも僕は外山恒一さ…

ベンヤミンのチェスはだれが勝つ――いざ大失敗の方へ!

よく知られている話しだが、チェスの名手であるロボットが制作されたことがあるという。そのロボットは、相手がどんな手を打ってきても、確実に勝てる手をもって応ずるのだった。[……]この装置に対応するものを、哲学において、ひとは想像してみることがで…

凝視と観察 ―― ジャン・ユスターシュ、あるいは凝視のあまりに/《ゲームの規則》、あるいは批評のレッスン ――

*本稿におけるジャン・ユスターシュについての伝記的記述とフィルモグラフィに関する記述、加えてユスターシュの発言の引用は、全面的に『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』(須藤健太郎著、共和国、2019年)に依拠している。ジャン・ユスター…

【時評】あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の成功を祝して

残念ながら「まともな分別」はもはや期待できなかった。二〇一九年度のあいちトリエンナーレが掲げている通り、「現代」は「情の時代」だからである(しかし「現代」とはいつからだろう?)。かくして、「表現の不自由展・その後」は鋭く現代を「批評」して…

加速主義と日本的身体 —柄谷行人から出発して

ここ数年、日本の言論界が今さら話題にしている思想「加速主義」や「暗黒啓蒙」に対して、私たちはある種の「もっともらしさ」や「既視感」を感じてしまった。……

資本主義の光 ——マイケル・マンの光

「家族」の問題をあぶり出すだけでは、マイケル・マンの資本主義の問題を取り扱うには不十分である。マイケル・マンを取り扱う際にマーク・フィッシャーが見落としているのは「夜景」を彩るビルディングの明かり。つまり「光」の問題が抜けているのだ。

松坂牛の天皇——天皇制と脱構築(後編)

だから--これは非常に残念なことなのだが--、はっきり言えば、「脱構築」が安倍政権を打倒することはないだろうし、天皇制を目に見える仕方で解体することもないだろう。それは喫緊に、差し迫った問題を、すぐさま、有効に、プラグマティックに、目に見…

松坂牛の天皇——天皇制と脱構築(前編)

「昭和」から「平成」へ、かつてあったはずのあの切断についても、これから生じることになるあの切断についても、それ自体ひとつの「配列」以外のなにものでもないことが意識されなければならない。(拙稿「昭和の終わりの『大失敗』」、『大失敗』創刊号、…

『大失敗』創刊号 巻頭言(左藤青+しげのかいり)

二〇一九年一月二〇日発売の『大失敗』創刊号、巻頭言の「《現実≠現在》へ もうひとつの〈前衛〉と「大失敗」のために」(左藤+しげの)です。

鈍刀(ひらがな)を振るうー赤井浩太について

daisippai.hatenablog.com 昨日、わたしの友人である赤井浩太さんが『すばるクリティーク賞』なる賞を受賞しました。これはたいへんめでたい事です。賞のなまえが県名の後に「情報」とか「クリエイティブ」とかつけさえすれば大学の名になるとおもっているバ…

角田光代『空中庭園』を読む(後編)

(前編) daisippai.hatenablog.com 郊外、この光あふれる空間 前半で見てきましたように、この小説『空中庭園』は作者である角田光代の意図を超えて空間の近代性そのものを問題化しています。それは言い換えれば、日本の住宅空間がきわめて形式的/機能的に…

角田光代『空中庭園』を読む(前編)

▲角田光代『空中庭園』(2003年) 郊外、この遍在する空間 酒鬼薔薇事件(一九九七)をはじめとして、「郊外」と呼ばれる社会空間が問題化したのは一九九〇年代でした。またそれと前後するかたちで「郊外」を主題とする書籍や論文や評論がさまざまな領域から…

待ちぼうける陽水——井上陽水『氷の世界』について(後編)

道は光ばかり胸の影を誰が知る(平沢進 - 空転G) ※前編 daisippai.hatenablog.com 〈夜〉=執行猶予 前編では、『氷の世界』が、常にある踏切=境界=「断絶」のイメージで貫かれていること、その彼岸と此岸のどっちつかずの緊張感において井上陽水は「待ち…

待ちぼうける陽水——井上陽水『氷の世界』について(前編)

『氷の世界』(一九七三年)の井上陽水は滞留している。ここでの滞留とはある境界の上で滞り、留まることである。言い換えれば、井上陽水はどっちつかずの場所で「待ちぼうけ」ているのだ。井上陽水の詩において、世界は動き続け、主体(「僕」)は動けない…

絓秀実入門(前編)差別意識とフォルマリズム

SNSが広まり、誰もが「表現すること」の快楽を享受しうることが可能な現代において、言論の自由並びに、表現の自由はきわめて「民主的」な権利となっている。しかし金井美恵子がいうように「書くという権利は誰にでも平等にあるわけなんですけれど、書く資格…

資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動

外山恒一にとって、「ニッポンの思想」は批評家だけで構成されているわけではない。そこにはアクティヴィスト(活動家・運動家)も参入しなければならないのである。この点において、外山はある種「批評」に対する他者として、『ゲンロン』座談会に接してい…

資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について

新しい情報の提供があるわけでもなく、新しい価値判断があるわけでもない、ましてや学問的研究の積み重ねがあるわけでもない、なにか特定の題材を設定しては、それについてただひたすらに思考を展開し、そしてこれいった結論もなく終わる、奇妙に思弁的な散…

浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(後編)

浅田彰は神話を再構成する広告を生産し続ける。小林や吉本のような形ではなく、堂々と貴族であることを自負し、未だに神話を享受しなければならない人々を嘲笑いながら。

浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(前編)

トリックスターとは、あるコミュニティにおいて、「中⼼」的な地点が弱体化した際に、それを盛り上げるものとして登場する「周縁⼈」のことである(⼭⼝昌男「⽂化と両義性」)。中⼼と周縁の関係は常に両義的で、周縁という他者がいることによって、⾃⼰と…

遠近法と声の抵抗——P-MODEL『Perspective』について

われわれが屋根裏部屋をもたなくなったときでも、またマンサルドをうしなったときでも、われわれが屋根裏部屋を愛したということや、マンサルドにすんだということは、いつものこることであろう。われわれは夜ごとの夢でそこにかえってゆく。この隠れ家は貝…