批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(後編)

※ 前編 

daisippai.hatenablog.com

ボヘミアンとしての批評家

 「ボヘミアン」とは、世俗の秩序や階級から背を向けて生活する自由人のことだが、近代日本の批評を確立者と(一応)見なされている小林秀雄は、まさしくこのボヘミアンの典型に他ならない。今日においても小林が一部で人気を維持し続けている秘密はここにあるはずだ。なぜ人が小林に魅せられるかと言えば、それは小林がボヘミアンであり、世間の事情から離れたところに位置する「仙人」であるからだろう。もっと正確に言えば、楽して生きているように見えるからではなかろうか。

 このような「ボヘミアン」の下地になったのは、大正以降の出版ブームである。大正期には円本全集が大量に発行され、俗にいう大正教養主義の元手となった。小林がよく引用するロシア文学(そのもっとも象徴的な存在がドストエフスキーである)はその時期に多く出版された。

 小林の処女作である『様々なる意匠』は大正期に勃興したイデオロギー的、文芸の潮流をすべて「意匠」であると切り捨てた仕事であって、この点で小林は大正教養主義の教養人ブームに背反しているかのよう見える。しかしこれは実際には「背反」などではなく、小林秀雄ボヘミアン的態度そのものが、大正教養主義の風潮に下支えされたものである、というべきであろう。教養主義の神話があったからこそ、小林秀雄ボヘミアンに「見えた」のである。

 教養主義を切り捨てることによって、唯一のボヘミアンでありえたのが小林秀雄である。小林秀雄の「真贋」から見れば、マルクス主義や芸術至上主義も「意匠」に過ぎず、それは本質的なモノをとらえた批評ではないということになる。そして今日においても続いていると(一応は)いわれている「批評」もまた、このボヘミアン神話によって規定されているのだ。例えば、批評が「横断的」でなければならない、とか、アカデミズムに規定された「難解な言辞」ではなく、多くの大衆に届く言葉を批評は使わなければならない、とかといった「固定観念」も、この神話があるからこそ機能するものである。

 学者はディシプリンによって規定された存在であり、ボヘミアン的ではない。だから横断的な言葉を吐くことができないし、批評家と違い神話的ではなく、極めて官僚的な格好悪い存在に見えてしまう。専門性もなければ何をしているのかわからない小林秀雄が「批評家」として尊敬されるのは、世俗を超越した卓越者、ボヘミアンすなわち「職につかない自由人」になりたい願望が批評の読者にはあるからではないか。

ボヘミアンからルサンチマン代理人

 このように小林秀雄の批評家としての人気は世俗から卓越した「自由人」ボヘミアンであることに裏打ちされたものである。小林秀雄のこのボヘミアン神話を継承したのが、世にも珍しく、詩人でありながら著名人である吉本隆明であろう。吉本隆明もまた、大学というディシプリンから距離を置き、専門分野をもたないが、にも関わらず深淵的な知識人であるかのように思われてきた存在だ。

 吉本は「吉本隆明だから偉い」という評価のされ方をしており、具体的に何をいったのか定かではないところがある。例えば「マス・イメージ」や「対幻想」といった概念というか、標語をよく耳にするだけであって、それが何を批判し、なにを称揚しているのかわからない。もちろん私だけがわからないのかもしれないが、少なくとも吉本隆明を評価する人々がこれらの概念の批評性を分析したモノを私は読んだことがない。

 しかしそのような吉本思想の中で、二つだけ理解可能な箇所がある。一つは『言語にとって美とは何か』で主張される「海をみた感動がうになった」というような極めて特異な言語論で、これに関しては言いたいことはよくわかる。しかし何故吉本がここに至ったのかは今のところ私には解読不可能である。よって、この言語論の思想的評価については別稿に譲りたい。

 同じくボヘミアン的な自由人批評家である小林秀雄吉本隆明の差異があるとすれば、「大衆の原像」という標語であろう。小林の批評性が、あくまで達人の「真贋」による品定めにあったのに対して、吉本という批評家を批評家たらしめているのは、彼が自らを「大衆の原像」を体現していると思い込むところにあるのだ。大衆の原像とは、知的たろうとたえず欲望する「知識人」に対置される、「知を求めない大衆」のことである。知識人とは違って、大衆は言葉を持たず、沈黙を守り続ける存在だ。しかし実際にはこのように沈黙し続ける非知的な「大衆」こそが世界を動かしている存在なのであり、知識人は大衆を持たなければならない。吉本が「大衆の原像」において言わんとしたことは以上である。

 これだけでは単なる「民主」主義なのだが、吉本の特異な点は、この「大衆の原像」思想が、大衆のルサンチマンと結びついている点であろう。つまり、知識人は、沈黙する大衆の側のルサンチマン(怨恨)を代理し、富裕層を批判する存在でなければならない。吉本隆明はこの「知識人」の定義において小林秀雄と異なる。

浅田彰とフリーター

f:id:daisippai:20181021194339j:plain

 浅田彰小林秀雄のごとき真贋も、吉本隆明のごときルサンチマンも批判しながら、しかし小林/吉本と同じ、ボヘミアン的・横断的知識人の立場を確立した批評家ではないだろうか。というのは、前編で解説したように、浅田は「バッタモン」を売る存在として、極めて露骨な形で貴族性を出していたからである。小林秀雄のばあい、その自由人的な立場がどのように確立されているかは真贋という神秘的な表現でカモフラージュされている。吉本隆明のばあいは、「大衆の原像」を代理する必要性を強弁するのみにとどまっている。そのどちらも、そのボヘミアン性は、いくら分析したところで、極めて曖昧な文学的な形でしか表現できないものであった。

 しかし明らかに、浅田彰の態度は端的かつ具体的に浅田が「金持ち」であることに由来している。その露骨な貴族主義によって、浅田彰ボヘミアンたりえている。だからこそ、浅田の共産主義は前編で詳しく分析したように極めて審美的なものである。浅田彰は、既存コミュニストの美意識を否定するからこそ、凡庸な革命思想を嘲笑い、射精を迎えないホモソーシャルセクシャリティを擁護することができるのだ。 

 

 ところで、フリーター的な生き方は80年代以降勃興したものである。正社員にはならず絶え間なく会社を変えて行き、制度から逸脱していくフリーターは、極めてボヘミアン的な存在ではなかろうか。そして浅田の『逃走論』はフリーター的な生き方と非常にシンクロしているテキストであろう。浅田彰になると、ボヘミアン的態度は資本主義のなかに組み込まれ、小林秀雄にあったような特権性を失って、単なるフリーターと同一にならざるをえない。

 「横断」的に浮遊する非専門家であることを自負する「批評家」の形は、今や翻って、単なる契約社員的なものになってしまった。しかも、正社員からフリーターへというパースペクティブを下支えする、公務員の解体=ネオリベ政策は、吉本的な大衆のルサンチマン(いわゆる「税金ドロボー」叩き)によって力を持っているのである。
 この点に関して浅田彰に責任があるとは思わないが、『逃走論』は実は極めてネオリベ的なものである。考えなければならない点は、今日におけるボヘミアン的知識人は、「契約社員」以上の意味を持ってないこと、これである。

『広告』から『アジビラ』へ

 前編でも触れたように浅田彰糸井重里はバブル期の資本主義を体現する存在である。しかし、それはそこに完全に同調した存在としてではなく、あくまでそれ以前の人々に対する「翻訳者」として彼らはあったと考えるべきである。その点で浅田彰共産主義を捨てていなかったことはある意味でプラスに働いている。共産主義的な文脈を踏まえた年長者を対象として、通俗化(「ジャンク」化)したボヘミアン神話を説明する広告を打ち出す際、すでに廃れつつある共産主義の文脈は、単純に、説明の通りをよくする機能を果たしたであろう。ハードコアな左翼の文脈を抑えている浅田彰が「広告屋」になれたのはそのためではないだろうか。

 浅田彰ボヘミアン神話を再構成する広告を生産し続ける。小林秀雄吉本隆明のように、その源泉を霧の中に隠した形ではなく、堂々と貴族であることを自負し、未だに神話を享受しなければならない人々を嘲笑いながら。しかしその嘲笑にこそ読者は惹かれ、彼と同じくボヘミアン的な卓越者たろうと、フリーター=戦士となりサヴァイブする。しかし彼らが卓越者になることは絶対にない。なぜなら浅田彰は「貴族」だからであり、フリーターは単なる下働きだからだ。

 いまや、むしろ、このような浅田彰の貴族的「広告」戦略に対置されるものが必要なのであって、それこそが「ボヘミアン」神話それ自体を真に批判しうるものになるはずだ。それは具体的には、既存の自由主義を“愚直”*1に批判する、政治性を持った「アジビラ」ということになるのではないだろうか。


 かかる批評的な戦略をもったアジテーターの登場は、外山恒一花咲政之輔を待たねばならない。

 

   

 

(文責 - しげのかいり

*1:ここでいわれている“愚直”は、浅田彰的な「美」に対抗しうる、「ユーモア」をもった書き手という意味である。それは単純なコミュニストではなく、その愚直さがかえって美ではなくユーモア・哄笑を誘う存在でなければならない。蓮實重彦の言う「愚鈍」のことである。

「反動的異化」に居直る —永觀堂雁琳「晦暝手帖」のこれまでとこれから  

 私、永觀堂雁琳は、この度左藤青(砂糖)氏(@satodex)によって結成された批評集団「大失敗」に招聘され、同会が出版する同人誌『大失敗』創刊号に評論を寄稿する運びとなった。批評集団「大失敗」のサイトの巻頭を飾る左藤氏による「哄笑批評宣言」には、2017年に自殺した批評家マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』を手引きにして、外部の可能性が消失した「資本主義リアリズム」という「現実」の下では最早屈託のないオルタナティヴ達によるストレートな「成功」など有り得ない、という旨が論じられている。そのような「絶望的」な情況下において左藤氏が模索する批評の可能性は、次のようなものである。左藤氏曰く、

①批評とはオルタナティヴを目指すものであり、誤配を誘発するものであり、ひとつの「現実」に対する抵抗でなければならない。②しかしそのとき、同時にその「大失敗」が発覚しなければならない

 こう言うこともできる。①批評は読者に何らかの、ある「運動」の夢を見させる。しかし同時に、②その「運動」の行き詰まりを見せ、絶望させ、憤激させ、不安を抱かせるものでもなければならない。そこで初めて批評はくだらない「自己啓発」であることをやめ、現実に対する異化効果を得る。 

 私なりに氏の戦略を分析してみれば、最早出口なしとなった「現実」に対して「批評」(誤配の誘発)という形で抵抗してみせはするし、それによって読者に対して「運動」の夢を見させはするが、その試みそのものの中に(或いは読者の夢そのものの中に)当初から否定的契機としての「大失敗」が組み込まれてなければならない、ということになる。現実に対する不可能なる反定立を仕掛け、絶望、憤激、不安に駆られることによってしか、批評は生き延びられないのだ、という氏の現状認識に基づく固い信念がここには込められているように思われる。ここに、素朴なオルタナティヴの定立に終始する(と氏が考える)「くだらない「自己啓発」」としての現今の批評に対する批判も、その否定的契機として織り込まれている。

 左藤氏の言うように、現今の批評が、裏返った現実への追従としての「運動」の夢を「自己啓発」に成り下がっているのだとすれば、すなわちオルタナティヴという名のイデオロギー装置に成り果てているのだとすれば、展望と絶望を同時に提示することによって現実を「異化する」しか道が残されていない。私が慮るに、その道は、展望の不可能性を語り続けることによって目の前の現実を超越した絶対的なるものを提示しようとするイロニーか、展望と絶望の遊戯的な交錯を続けることによって絶えず目の前の現実を別の位相へと転化し続けるユーモアか、その何れかになるであろう。「哄笑批評宣言」から読み取れる氏の志向する方向性は、悲劇ではなく喜劇、すなわちイロニーではなくユーモアである(私としては、もう一つ、それ自体が危険をも孕む脱出路として「神秘主義」というものを提示したい所である)。

 

 勿論、「大失敗」に招聘されたとはいえ、私がこのような氏の理念を完全に共有して活動している訳ではない。そのように振る舞うことこそ、ナイーヴに「成功」を信じることに他ならないのであり、氏が最も嫌悪する所のものでなければならない筈である。ツイッターにおいて(「反動主義」的な)「冷笑派」として数えられることの多い「イロニー派」の私がこの場に呼ばれたこともまた、現実に対する一つの「異化効果」であるということなのだろう。

 扨、ここまで批評集団「大失敗」の趣旨について私の考えを縷説してきたが、この記事においては、これまで私が書いてきた評論めいた幾つかの文章について上記の観点を踏まえて改めて紹介してみたい。というのも、私は普段、記事投稿サイトnote(https://note.mu/)に「晦暝手帖」と号して不定期に文章を投稿しているのである。何れも有料の記事となるが、左藤氏の御好意により、その紹介文を書いて良いという都合になった。一つ一つ紹介していこう。無論、詳細について識りたく思われるならば、御購入頂き、一読して頂くに及くことはない。 


①「中断」する生と加速する世界––『ゲンロン0 観光客の哲学』『勉強の哲学 来たるべきバカのために』『中動態の世界 意志と責任の考古学』に寄せて

https://note.mu/ganrim_/n/n2cf094ab8d00

「晦暝手帖」の劈頭を飾るこの文章では、昨年江湖に送り出され、洛陽の紙価を高めた三冊の批評的な色彩を持つ書物を紹介しつつ解釈する中で、そこに通底する世界観を拾い上げ、更にその世界観から零れ落ちているように見える現代の世界情勢を分析したものである。「大失敗」のコンセプトに最も沿った文章でありながら、同時にそのユーモア推奨に対する批判的な視座もまた(知らぬ内に)伏蔵している評論であると言える。私の見る所、三つの書物に共通したヴィジョンは、二者択一の両極を取らずに、所々で「中断」を重ねていく遊動的な生という世界観である。しかし、グローバル資本主義、およびその反発として巻き起こる宗教原理主義ナショナリズムの「加速」を踏まえた時に、そうした世界観は持ち堪えられるのか、或いは「中断」はここに至って一部の恵まれた者だけに許された生の様式なのではないか、という疑義が呈示される。

②「方法論的女性蔑視」について−『男子劣化社会』を読んで

https://note.mu/ganrim_/n/n0160c6593bd4

①の文章が「中断」の許されぬ「加速」する世界を訴えたとすれば、この文章はまさに「中断」する生が許されぬ性の人々に対して更なる「加速」へのアクセルを提案したものである。ここでは、アメリカの高名な心理学者フィリップ・ジンバルドーらの著書『男子劣化社会』に描かれた(アメリカの)男性の置かれた惨状を追いかけながら日本の男性をめぐる情勢について鑑み、それが現代世界の正統的「正義」を司るフェミニズムや政治的正しさに起因する所大きいこと、そしてこの傾向がひいては社会全体の自壊を招くことを指摘した。そして、特にそうした体制の下敷きになっている「弱者男性」に対して、社会的な自己認識を「方法論的に」見直し、かつそのような社会の中での「方法的な」生存戦略を、「リーサル・ウェポン」として呈示した。それが、窮境の逆張りであり居直りである、「方法論的女性蔑視」なのである。 

③「反動的新体制」の可能性−柳澤健葡萄牙サラザール』を読んで

https://note.mu/ganrim_/n/nccc081169020

一方で①の文章が現代日本の知的パラダイムにおける世界観とその限界を考察し、他方で②の文章が全世界的なその限界とそれを支持する体制を暴き立てた上でその破壊的突破を提案したものだとすれば、この文章は、そのような情況全体において喪われた歴史的社会的想像力を模索したものである。私はここで、文人外交官であった柳澤健の『葡萄牙サラザール』という著書を元にして、ポルトガルの無欲恬淡なる独裁者アントニオ・サラザールの生涯と事業を回顧した。そしてそこで、国際資本主義に抗って独立を確保した国家の庇護の下、中間共同体に支えられて生きる個人という「反動的新体制」の可能性を取り上げてみた。その上で、①②で指摘した一連の問題は、中間共同体の崩壊と個人主義社会自由主義によるその促進が根柢にあると考察する。サラザールについては手軽に読める纏まった資料が尠く、珍しい歴史読み物としても楽しんで頂けるのではないかと思う。

④「告発権力」について−ポリティカル・コレクトネスという名の新たなる専制

https://note.mu/ganrim_/n/n8929f06c8b15

これまでの論考は何れも別の書物に拠りつつ議論を展開したものであるが、この文章は、私自身が全体として近代における権力と暴力の在り方の一面を見ながら、現代世界を席捲する「告発権力」について考察したものである。「告発権力」とは、簡単に言えば、暴力を背景にせず「政治的正しさ」を背景にすることによって、その「正義」の上で政治的マイノリティと「規定」される属性に対して非対称的に割り振られる言説的な権力のことである。或いはこの論考が目指しているところをより有り体に言えば、普通は持たざるものの反権力的抵抗として捉えられる被抑圧者からの「告発」が、現代の「政治的正しさ」という体制の下では寧ろ権力そのものとして働いている、という事態の剔出である。ここから考えれば、決して「政治的に正しい」とは言えない(それどころか最も政治的に正しくないとも言える)これまでの三つの論考は、この「告発権力」に対して抵抗しうる視座を方々の観点から示唆したものであるとも言える。

 

 こうして各論考を概観してみると、全体を通じて私が提示してきたものはまさに、外部の無い「現実」に対して、通常「オルタナティヴ」として考えられるようなオルタナティヴの、通常「横断」として捉えられるような横断の「真逆」を反定立として提示することによる「異化効果」を狙ったものであると言える。こうした逆張り的な姿勢は、(まさにオルタナ右翼を煽動するように)ベタに受け入れられることを目指しながらも、同時にその強烈な「現実」否定がまさにその実現不可能性として逆照射されることによって、「現実」のメタ化を目指したものであるとも言える。例えば、「方法論的女性蔑視」が単に弱者男性のライフハック的な「方法」であると同時に、言説体系や社会関係の常識的な自明性を括弧に入れて認識するための「方法論」でもなければならないことには、そうした含意がある。

 こうして捉え直してみれば、私の営為は紛れも無く「イロニー」であると思う(何を背景にしたイロニーであるのかは読者諸賢に考えて頂きたい。それは無論、言葉や概念を超えたものであるように考えられる)。しかしながら、こうした「アイロニカルな」行いそのものが例えば余りに極端な言辞の故に、寧ろ「ユーモラス」に映ることもあるだろう。私自身は、そのように「ユーモア」であると取ってもらっても構わない。何れにせよ、一連の論考が人々を「絶望させ、憤激させ、不安を抱かせる」ものになっているとは思う。言うまでもないが、煽りばかりで不誠実だ何だと言われようとも私は意識的にそう書いているのであって、「反動的冷笑家」の名誉ある呼称を謹んでお受けする所存である。私はこれから批評誌「大失敗」にも寄稿するし、「晦暝手帖」にも引き続き書き続けるであろう。

 私、永觀堂雁琳は、読者諸賢により一層深く、酷薄で、底なき「晦暝」をこれからもお届けし続けられるよう、粉骨砕身するばかりである。

note.mu

  

 

(文責 - 永觀堂雁琳

浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(前編)

 トリックスターとは、あるコミュニティにおいて、「中⼼」的な地点が弱体化した際に、それを盛り上げるものとして登場する「周縁⼈」のことである(⼭⼝昌男「⽂化と両義性」)。中⼼と周縁の関係は常に両義的で、周縁という他者がいることによって、⾃⼰としての中⼼が確⽴する。⼀⽅で「異⼈」としての周縁⼈もまた、中⼼が存在しなければ「異⼈」たりうることはない。浅⽥彰は、この意味で正しく「トリックスター」であった。

 周知のことだが「トリックスター」を定義した山口昌男は思想的に新左翼のイデオローグであった津村喬と似た立場に立っていた存在である。山口昌男の思想的なバックボーンを見たとき、そこにあるのは林達夫の精神史的なモチーフから遡行して作り出される新左翼の文化闘争である。その山口に影響を受けたバブル期のトリックスター=文化英雄というべき浅田彰もまた、かかる左翼の思想史を前提にした存在であると考えるべきであろう。

f:id:daisippai:20181007222445j:plain

 

1、ポストモダンのバッタモンを売り続ける共産主義者

それは矛盾を孕んだ文化戦略ではあった。大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の担い手である流通産業が積極的にフィーチャーしてみせる。

 これは、1999 年の『voice』3 ⽉号に搭載された浅⽥彰の「セゾン⽂化を継ぐ者は誰か」からの引⽤だ。浅⽥のセゾン⽂化に対する批評には、彼の思想の根本にあると思われる「ノリつつシラケつつ」への繋がりも感じられる。というのも、このセゾン⽂化に対する浅田の批評は、彼のポストモダン哲学に対する意識とも繋がっている様に思えるからである。

 『逃⾛論』における「スキゾ/パラノ」と⾔った⼆⽂法図式は、実はどちらかを肯定しているというわけではない。どちらも批判しているのである。⼋〇年代の浅⽥彰は⼀貫して「どちらも批判し、どちらの⽴場にもつかない。故に、懐疑が存在しないものとして、スキゾをメタ的に肯定する」という⽴場をとる。したがって浅⽥は、語の正確な意味でのポストモダン思想を流通させるのではなく、知的な「ファッション」のなかでの、すなわちコードさえ理解すれば把握できるバッタモンの商品を流通させることに重きを置くという⽴場に⽴つ。

 ポストモダンの思想(フーコードゥルーズ)はもともと六八年革命と同時並行的に出てきたものであって、極めて政治的・社会的な思想のはずである。浅田彰はそのようなポストモダンの政治性を敢えて脱臭し、「センスが良い」かどうかが問題になる磁場を作り上げていく。すなわち、パラノイアックにマルクス主義的な前衛に固執していた「思想」をスキゾキッズも消費できるバッタモンとして売ったのがセゾンと浅田彰の戦略である。

 しかし、重要なのは、浅⽥彰自身が思想を認知させる対象は「スキゾ」ではなく、「パラノ」であるということだ。これはコピーライターである⽷井重⾥にも通じるところで、「おいしい⽣活」「じぶん新発⾒」、「くうねるあそぶ」といった作品は、⻄武百貨店を基本とした既存の企業に対する作品である。浅⽥と⽷井は実際には「スキゾ」型の⼈間を相⼿にしていたのではなく、「スキゾ」的な消費スタイルを「パラノ」たちの社会に流通させるため、「⼤企業」に動員されたことになる。

 浅⽥彰は『逃⾛論』の中で次のように述べる。

広告なんだけど、すぐにわかるとおり、絶えざる差異化の場であるこの世界では、当然スキゾ型のひとのほうが多いんですね。ほかの世界ではちょっと社会的に認められないんじゃないか、というぐらいのひともいる。逆に言えば、広告の世界というのは、そういうひとのもってるある種のガキっぽさを縦横に発揮できる場なわけで、その点では、さっきも言ったように、心のたのしい世界だといってもいい(「差異化のパラノイア」二四頁) 

 ここでいわれている「広告」の概念は、浅⽥彰⾃⾝にも当てはまる。浅⽥は『逃⾛論』の冒頭で「キッズ」について語るのだが、この「キッズ」について語ることこそ、広告ならびに浅⽥彰の社会的な需要だった。すなわち⼤衆消費社会の中で⽣きている若者の思想を売りつけ、旧世代にバッタモンを売りつける担い手としての需要である。これは⼤衆資本主義という冷戦以後のあってない「駄法螺」を商品として流通させることなのだ。これを浅⽥的にいえば、「キッズ」としての、すなわち消費者としての⽴場からは、⼤衆資本主義を批判する⾼度な思想さえ、⼤衆資本主義の「バッタモン」になっている、というわけである。

 浅⽥彰の思想は『GS』の第⼀号「反ユートピア」にも具体的に現れている。ここでの伊藤俊⼆、四⽅⽥⽝彦との⿍談で出てくるのは、フーリエの『愛の新世界』、スウィフトの『ガリバー旅⾏記』、オーウェルの『1984』であり、これらのユートピア/反ユートピア⼩説という線引きを批判する形で対話は進んでいく。すべての共産主義ユートピア)は成立した時点で悪夢へと変わるからだ。

 この意味で、浅⽥は商品と思想の二項対立を解体するが、思想の価値をぐらつかせはしない。ここで彼はあくまで思想=マルクス主義の⽴場なのである。浅⽥はその点でマルクス主義の規格からは外れることはない。「商品と思想が等価になった」ということを既存の⽴場から説明しながら、既存の⽴場を批判するような⾝振りをすること。これが「ノリつつシラケつつ」の概要である。浅⽥の⽴場は、⼤衆消費社会を批判する前衛⽂化を、⼤衆消費社会の商品にしてしまうという「セゾン⽂化」の戦略と合致する。

 しかも浅⽥は、そうして⼤衆消費社会に商品にされることを⽢んじて受け⼊れつつ、それを「わかった上」で、「あえて」それをやっているという体裁をとるのである。この点を理解すると、浅⽥彰の思想の、とりわけマルクス主義の⽴場と、バッタモン⼤衆消費社会を肯定する⾝振りとの、⼀⾒相反する整合性が浮かび上がってくる。 

2、赤いトリックスター 〜荒唐無稽なアナルセックス〜

 そもそも浅田彰アルチュセールを日本に輸入した今村仁司の影響下から出発した批評家であり、彼が京都大学に入学した頃には滝田修の事件があったわけで、当時の浅田彰マルクス主義に影響を受けていたのは間違いない。

 そしてそのことを裏付けるように『ゲンロン4』に掲載されていたインタビューでは、浅田は一貫してソ連型のマルクス主義の失敗とハイエク的な資本主義を肯定する立場に回る発言をしながら、自らはマルクス主義の立場にパラノイアックに固執している。

 以上の事からもわかるように浅田彰ニューアカ以降の批評家の中では、極めて稀な形でマルクス主義固執している批評家だと言えるだろう。しかしこのマルクス主義は単純な「マルクス主義浅田彰」の顔を描写するわけではない。

 浅田彰マルクス主義の異例な所は、現在あるマルクス主義は全て失敗作であったと断定する点にある。ゲンロンカフェにおける東浩紀中沢新一との鼎談で語られた「すべての共産主義は成立した時点で悪夢へと変わる」という発言がそのことを現している。ではなぜ悪夢になるのだろうか。我々はソビエト中華人民共和国の現状を見ているからこのことを肌感覚として理解できる。しかしなぜ浅田彰はすべての共産主義が悪夢と化してしまうことを断定できるのであろうか。それを理解するためには、まず浅田彰の資本主義観を理解する必要がある。浅田は朝日新聞上で行われた大江健三郎との対談で次のような発言をしている。 

 一般論として、近代とは、恐るべき終わりを予期しながら、常にそれを先送りすることによって均衡を保つプロセスです。

 世界の終わりの日が分かっていたなら、だれもその日には紙幣を受け取らない。だから、その前日も、いや、巡り巡って今日も、受け取らない。必ず明日があるという前提のもとで、最終的決算、つまり恐慌を繰り延べていくのが資本主義です。(平成二年五月一日夕刊)

 浅田的には、資本主義とは自己の破滅=恐慌を予期しながら、そのような恐慌、死の恐怖があるからこそ、延命されうるシステムだということになる。つまり資本主義は自己を破壊するものでありながらその破壊を阻止するために、より深い傷口を開けようとするシステムに他ならない。そしてこれは米ソ冷戦にも言えることである。資本主義とソビエト核兵器の大量生産を際限なく競い合っている状態は世界の終末を予感させるものだが、極めて均衡した状態であるとも言えるのだ。もしもこれが一方の陣営の弱体に寄ったならば、直ちに核兵器の発射ボタンが押され、世界は終末へと至る。現状ある共産主義が悪夢でしかないのは、それが資本主義の合わせ鏡となって、生産性の競争という極めてメタ的な形での資本主義的な均衡を保つほかないからである。

 その悪夢は、東浩紀中沢新一との鼎談における発言にもある通り、オナニーを覚えた猿である。浅田は、本来的にはオナニーを覚えたらやめられないのは猿ではなく人間だと考える。人間は恐慌と言う名のテクノブレイクを予期しながらも、オナニーとしての資本主義を止めることができない。一定程度の所で止めればいいものを紙幣の増幅をより増やそうとするのがオナニーの如き資本主義の理論である。

 対する浅田彰が何を持ってくるかと言えば、それはアナルセックスに他ならない。勃起をしたペニスをしごいてテクノブレイクに至るオナニーに対して、前立腺を刺激することでテクノブレイクに至らず何時間でも満たされない快楽に酔いしれる*1。このゲイ・ピープルの思想が、浅田彰の求める共産主義である*2。したがって射精という彼岸へと至った革命もまたテクノブレイクであって、射精ギリギリの地点で快楽にまどろむ存在が浅田彰なのだ。

 しかし注意するべきなのは、アナルセックス自体、その根本にあるのはマゾヒズム的な感性、すなわち自己破壊的な欲求である点である。そもそも排泄器官であるところの肛門を性器に変形し、変形されるプレイがアナルセックスであって、資本主義と同じく、そこには自己破壊の衝動が刻印されている。この資本主義と浅田的ゲイ・ピープルの破壊衝動の差異は、それが後に予期されるものであるのか、もしくは始まりであるかの違いである。資本主義的な自己破壊はただ予期されるものであり、到来しないものである。それに対してゲイ・ピープルは自己破壊そのものが目的になった思想である。それは、資本主義が結果的に産出してしまう倒錯的な均衡を先取りし、資本主義の破壊衝動が達成されることがない状態を続けていくことに他ならない。

 浅田彰が資本主義を批判する共産主義者の立場に立ちながらも、資本主義の成功を容認し続けるのもそのためである。浅田彰共産主義は中心になることがないものだ。もしもそれが中心に位置するならば、一夜に悪夢へと変わるだろう。そのことを予期しながら、資本主義とは違い、先取りした形で共産主義を自虐的に評価する自己破壊に位置し続けるのが、中心に対する周縁人(トリックスター)の位置付けである。

 したがって、共産主義は永遠に正しいものになることはなく、やはり「駄法螺」以上のものではない。駄法螺であるから、それは現実化したならば不条理な悪夢になるしかない。浅田彰共産主義は資本主義と対置されるものではない。それは永遠に資本主義の中にあり、資本主義を制圧することはない。しかし一方で、自爆し続けることで、この荒唐無稽な駄法螺は生き続けるのである。浅田彰トリックスターたる所以は、資本主義というテクノブレイクに対置され、周縁に位置し続ける「駄法螺」を永遠に発し続ける点にあるのだ。

 

(後編に続く)

 

daisippai.hatenablog.com

 

 

    

(文責 − しげのかいり

 

 

*1:ここでアナルセックスはテクノブレイクに至らないメタファーとして使われているが、実際にはアナルセックスがテクノブレイクに至ることもありうる。

*2:このような共産主義思想を持つ浅田彰に影響を受けた東浩紀が「ピストン東」と評されることは妥当なことではあるまいか。かかる文脈から見た時、ゲンロンカフェは正しくゲイ・ピープルの「誤配」=「散種」の場としての「ハッテン場」に他ならない。

【書評】外山恒一『全共闘以後』

水滸伝』とは時代の不満分子―――あぶれもの、はみだしものが彼らの“小宇宙”を、国家に対する二重権力を創出する物語である竹中労梁山泊窮民革命教程」)*1

  ゲバリスタ時代の竹中労を引いたこと自体に意味はない。

 とはいえ、外山恒一の大著『全共闘以後』を読みながら私の頭の中に描かれたイメージは、まさに哄笑と罵声を喚き散らすドブネズミたちの水滸伝であった。

 その風貌からし石原莞爾もかくやと思われる稀代のファシスト外山恒一によって提出された本書は、老師・絓秀実の一九六八年史論とともに、いま、新たなる思想―運動的な局面に向けて差し出されている。

 のっけから外山は喧嘩上等である。一頁目で「理想の時代⇒虚構の時代⇒動物の時代」というサブカル/オタク中心史観の大澤真幸東浩紀に対する異議と「通史の不在」を唱え、まず手始めに一九五五年から七〇年七月七日にいたるまでの「前史」を語り、そして八〇年安保、八五年における政治・思想・文化の断絶と混乱、八九年革命とそれ以降のドブネズミたち、九五年のオウム事件=まったく新しい戦争、二〇〇一年アフガン反戦以降のパヨク台頭、二〇一一年の三・一一以降と、現代史の約五〇年間に渡る政治・思想・文化の厖大な出来事を運動/現場の視点から記述していく。この物語は、壮絶にして奇妙奇天烈、さながら伝奇ロマンと言えよう。

 本書はだいたい各章ごとにスポットライトの当たる「主人公たち」が存在する。運動史に詳しくない読者からすれば、その誰もが「名もなき運動家」には違いない。もちろん外山もそのうちの一人であるが、そこで外山は以前の著作『青いムーブメント―まったく新しい80年代史』を有機的に吸収しつつも、自身を「私」という一人称ではなく「外山恒一」として、あくまでもこの群像劇的な物語のなかのひとりとして登場させる。登場人物たちひとりひとりに対しては「こいつ誰だよ」と思わずにいられないが、しかしドブネズミ世代を中心として、それぞれの運動が「作風」を帯びるほどに登場人物たちは奇々怪々にして豪快無比である。そしてこの運動者たちは、吉本隆明糸井重里浅田彰柄谷行人、あるいはYMO尾崎豊ブルーハーツタイマーズなどのビッグネームと並行して登場するために、読者はよりいっそう時代の社会状況を立体的に把握することができるというわけだ。

 ここには外山独特の批評が行われている部分がある。たとえば外山は、いわゆる「ポストモダンの"左"旋回」、すなわちイラク反戦運動戦後民主主義という「普通の左翼」へ転回した柄谷行人浅田彰を中心とする面々の様相と比較して、「ポストモダンの"右"旋回」と呼ぶべき事態を指摘する。ここでの主人公は、『宝島』の書き手であり、左翼への鋭い批判者だった呉智英の弟子筋たち、つまり大月隆寛浅羽通明オバタカズユキらである。運動の経験者であった呉と異なり、その弟子筋であり運動の経験がなかった新人類世代になると、左翼への批判は単なる左翼嫌いに近くなっていく。その傾向はポスト新人類世代にはより強まる。外山によれば、こうした書き手たちの読者層は「決起した同世代にコンプレックスを抱いて」おり、浅羽の「(決起した若者たちは)地に足がついていない」という言説によってこそ「普通の人生コースに踏みとどまった自分たちこそが実は正しかった」と自己肯定にいたったのだ。外山は、こうした言説こそがネトウヨの源流であると指摘する。この視点には、「運動的批評」とでも言うべき外山の批評性が現れているであろう。

 外山恒一という「運動者」による批評、それは学校の管理教育化からオウム事件を経て、市民社会による排除と包摂、あるいは異端の抹消と若者の囲い込み、そういった二重構造へと日本が変容していった過程を実地で経験してきた者だからこそ描ける史論なのかもしれない。外山は見聞き読みしてきた全共闘以後の運動史をこれでもかと饒舌に語りまくる。約六〇〇頁書いてもまだ足りない。圧倒的なまでの熱量がテクストを紡ぎ続ける。もはや外山は「キワモノ革命家」を超えて「時代の語り部」の域に入ったのではないか。

 しかし、この語り部の物語に対して「歴史としてはお粗末」だと批判している人物(どうやら運動関係者らしい)もいるが、私のような部外者からすればそんなことはどうでもよろしい。だが、あえてマジレスすれば、例えばアレクサンドル・コジェーヴが言うように「歴史的想起なしには、すなわち語られたり書かれたりした記憶なしに実在的歴史はない」*2のであり、あるいは野家啓一が言うようにstoryとhistoryが共にギリシア語の「ヒストリア」に由来する語源をもつことからしても*3、歴史が物語から独立していることなどありえないのである。要するに、ある出来事が客観的に実在すると仮定するのではなく、出来事の解釈によって読者の史観を奪い合うこと=「闘争」が重要なのであって、この点こそが『全共闘以後』における最大の政治性/批評性であることは疑いえない。

 時代を問うことが思想的営為の第一条件だとするならば、単一な過去に規定された「現在の現実」をひっくり返しにかかっている外山恒一は、まぎれもなく思想家である。また近年の絓秀実や千坂恭二の動きも含めて考えれば、状況は水面下ですでに大きく動きだしているといっても過言ではないだろう。

 そこで知的な書物などをお読みになられている若い皆様に申し上げる。こちらの水は甘くないし無臭でもない。てめぇの鼻がリベラルの糞でフン詰まっていなけりゃ、毒々しい思想の刺激臭が「運動者」の股ぐらから強烈に匂ってくるのを嗅ぎあてられるはずだ。いまクシャミしたやつから鼻かんで書店に行け。そして外山恒一を買え。

 以上、いささか短めではあるが書評とさせて頂く。

 

※ 公開時、「ポストモダンの"右"旋回」に関して事実誤認があり、外山さんご本人からご指摘がありました(現在は修正済みです)。お詫びして訂正いたします。

 

(文責 - 赤井浩太

*1:竹中労平岡正明『窮民革命のための序説「水滸伝」』、三一書房、一九七三年、七一頁

*2:アレクサンドル・コジェーヴヘーゲル読解入門』、上妻精ほか訳、国文社、一九八七年、二四七頁

*3:野家啓一『物語の哲学』岩波現代文庫、二〇〇五年、一二四頁

遠近法と声の抵抗——P-MODEL『Perspective』について

 

われわれが屋根裏部屋をもたなくなったときでも、またマンサルドをうしなったときでも、われわれが屋根裏部屋を愛したということや、マンサルドにすんだということは、いつものこることであろう。われわれは夜ごとの夢でそこにかえってゆく。この隠れ家は貝殻の価値をもつ。そしてわれわれが眠りの迷路の端にゆきつき、深い眠りの国に達すると、おそらく人類存在以前の休息を知ることであろう。ガストン・バシュラール『空間の詩学』)*1

空間はかたく/うめてゆかれて

この身キミの目/うかれさせてもP-MODEL - Perspective II) 

 

f:id:daisippai:20181005181302p:plain

 平沢進率いるP-MODELというバンドが、かつてあった。私がP-MODELを批評するのはこれが初めてではなく、別の場所で以前書いたものがある。これと被る部分が大いにあるので、もし以前の記事を読んだ人には既視感があるかもしれない。

デビューと「大失敗」

 P-MODELは一九七九年にデビューしたロック・バンドである。デビュー時のメンバーは、平沢進田中靖美秋山勝彦田井中貞利。彼らはいわゆる「テクノ・ポップ」のバンドとして認知されていた。

 テクノ・ポップの源泉をひとつに限定することはできないが、例えば六〇年代以降のドイツの電子音楽(カン、クラフトワーク、ノイ!、タンジェリン・ドリームなど)にそのひとつを求めることもできる。そしてそれはシンセサイザーの登場とも連動している。しかしもちろん、それは当時からテクノと呼ばれていたわけではなかった。「テクノ」という言葉が一般的になったのはイエロー・マジック・オーケストラの登場によるものである。

 実際P-MODELも「テクノ」というよりはパンク的サウンドに「ピコピコ」を加味したものであり、シーンと連動した言い方では「ニューウェイヴ・パンク」だった。 当時はXTCDEVOTalking Headsといった欧米のバンドたちも、同じく「パンクでありながらワザとポップ」というサウンドを作るようになっていったわけだが、こうしたバンドにおいては、「ポップさ」はひとつのパロディとして、(「ノリつつシラケつつ」!)方法論として用られている。

 それは、社会と音楽と批評とが緊密な関係を保っていた、遠い昔だったからこそ可能であったスタイルだ。

話す言葉は管理されたし/手紙を出せばとりあげられる

二重思考の平穏無事から/無頓着の人殺しまで

きらいな人から/はなれられない/いまわしい人から/はなれられない

はなれなくても/ダイジョブ

ハロー/活字の中から ハロー/音のミゾから

ハロー/ラジオの中から ハロー/ブラウン管から

ハロー/私しぶとい伝染病P-MODEL - ダイジョブ

 P-MODELの歌詞は都市を批評し、テクノロジー、ミーハーな大衆を批判するものだった。シニカルな社会批評を「(テクノ)ポップ」な音楽に乗せて歌うというのは、ある種の「あえて」だったわけだが、当然当時のリスナーの多くは、P-MODELをただ「新しくキャッチーなもの」として消費することになったし、ライブは「ただ盛り上がるだけ」のものにしかならなかった(むろん、平沢進は「それ以上」を望んでいたのである)。つまり、「あえて」は通用しなかったのだ。

敗北宣言

 結果として、P-MODELは初期の「ポップ」路線を捨て実験的なポスト・パンクへと舵を切ることになる。それは世間がYMOを中心とするテクノ・ブームに沸き、音楽が「芸能」になり、テクノ歌謡が量産されはじめた頃だった。

 彼らは方向性の異なる秋山をクビにし、三人体制で三枚目のアルバム『ポプリ』(1981)を製作する。このあたりから、P-MODELの歌詞は初期のようにわかりやすいものではなくなる。なぜなら、いくら社会批評を歌ったところで、聞き手はそれをただ消費するだけだからだ。それが批評として受け取られることはない。

 こうして平沢は、非常に抽象的な歌詞を歌うようになる。それはある種の「隠喩」であって、もはや何かのメッセージを健全に伝達したりはしない。P-MODELの歌詞は、アジテーションであることをやめたのだ。

目覚めるとfuneral/夜明けの前に時は止まった

ボクは月をうらんでいない

勝負は始めについていたから 

ふりむくとcarnival/人混みに浮かぶボクの抜け殻

うしろ髪に巻かれて笑う/せめて香りのgestalt

あなたの頬を紅く染めてP-MODEL - Potpourri) 

 「時は止ま」った。「ボク」は「抜け殻」になった。そこで期待できることは、「香りのgestalt」=残り香、痕跡に、「あなた」が気づいてくれることだけである。

 この3rdでは、他にもこのように抽象的な歌詞が散見される。ここで滲んでいる一つの敗北感。ピンクや黄色のケバケバしい色に塗られていた楽器やアルバムジャケットは、モノクロに塗り替えられた。平沢は『Potpourri』を「敗北宣言」と呼んでいるが、それは、何かを伝えることを諦めた言葉たちのことを言い表しているのだ。この歌詞の内向化と複雑化は、私たちが問題とする4th『Perspective』(1982)において頂点に達する。

言葉があるだけ

身の丈百寸/絵姿うわばみ

たしかにこわいが/見る目にゃふつう

めぐる日ぼうしの/ゾウの日々/ゾウの日々

寸善尺魔/えんきんほうきん遠近法

実録狂乱/めぐる日々めぐるP-MODEL - うわばみ

 ここを開始点にしよう。この歌詞には社会性はもはやなく、意味や寓意よりも語感が重視され、隠喩的なものになっている。平沢はこの時期、言葉の意味よりも、その音的な質感を強調した歌詞を書いている(1曲目“Heaven”の歌詞にそれは顕著だ)。

 だが、周辺の事情を加味することで、あえてこの歌詞の意味を読み取ってみよう。このアルバムのジャケットはサン=テグジュペリ星の王子さま』の挿絵である。そこでは、本編同様「うわばみがゾウを飲み込んだ姿」が描かれている(それは一目見る限り「帽子」にしか見えない)。

f:id:daisippai:20181005185715j:plain

 この情報を合わせれば、その隠喩はそれなりに読み解くことが可能なものとなる。うわばみの絵は、「たしかにこわいが(帽子にしか見えないから)見る目にゃふつう」であり、「めぐる日」は、「ぼうしの(飲み込まれた)ゾウの日々」である。

 ここで重要になるのは、うわばみの本質(「たしかにこわい」)と見た目(「見る目にゃ普通」)の差異であり、距離感(「えんきんほうきん遠近法」)である。「遠近」は、『Perspective』のテーマとなっている(題名どおり)。すなわちここで問題になっているのは、空間的な奥行きなのだ。

 そして「遠近法」は歌詞だけの問題ではない。このアルバムをレコーディングする際重要になったのは、具体的なリヴァーヴ(音の反響、残響)である。『Perspective』では、通常のスタジオの機材で可能なリヴァーヴには満足がいかず、ドラムを階段の踊り場に設置し、そこで音を録音したことが知られている。「遠近法」は具体的にも抽象的にもこのアルバムのテーマである。

 そのためこのアルバムの楽曲では過剰なほどのリヴァーヴが施され、ポップ・ミュージックとしてはもはや音のバランスが崩壊している。6曲目“Perspective”は、強烈なスネアの一撃から曲が始まる。

厳粛な光の視覚/言葉だけが身をかこむ

あらゆる物ものがたり/流れるTime 

立像の無常は動かぬ律動/夢はいつも終わりから

うかれる目がチャンス殺す/流れるTime

Cosmosは高さに宿り/消えぬ想い歩巾がかこむ

言葉なくては見えないこの身よ果てろ/流れるTime

P-MODEL - Perspective

 重要なのは、「言葉だけが身をかこむ」、「あらゆる物ものがたり」や「言葉なくては見えないこの身よ果てろ」という表現だ。『Perspective』の「遠近法」は、単に視覚的なものに留まらない。何しろ「言葉なくては見えない」のだ。ここで問題となっている「奥行き」とは、実際の物理的な空間(音の広がり)であると同時に、「言葉」のことでもある。これをつづめて、「言語空間」と呼ぶことができる。

ゾンビ/そのわけは/ドキュメントの教理

ゾンビ/目に映るを/言葉で殺す

〔…〕

ここはここになくただストーリー

すれちがうNarratage の亡霊P-MODEL - Zombi) 

 言語空間においては、他者に意味を明確に伝えることはできない。言語というドキュメントは、解釈を挟む以上相対的である。言葉は「意味そのもの」を伝えるのではなく、ただ「物語」を生成する。つまり、ものの「大きさそのもの」ではなく、「奥行き」だけを伝えるのだ。それゆえ、「ここはここになく」、「ただストーリー」(=「あらゆる物ものがたり」)と言われるのである。「ここ」を「ここ」として捉えようという企図は、言語空間という媒介によって失敗に終わる。

 その意味では、『Perspective』も『Potpourri』と同じく失敗と落胆がコンセプトである。「消えぬ想い」という計測不可能なものは、「歩巾」という計測可能なもの(「厳粛な光の視角」、「コスモス=秩序」)に囲まれてしまう。

 ゾンビとは「ナラタージュ(語り)の亡霊」であり、言葉で殺された「ここ」そのものだ。「いま・ここ」にあるのは、かつての亡霊の往来である。言葉はいつでも、すでに死んでいる。

きめこまやかにのこぎり鳥は/見える角度で姿を変える

うそなんかじゃありゃしない

ましてほんとうなんかじゃありゃしない

日記があるだけ/のこぎり鳥はどこ義理欠いた

底意地とれて/のこりギリギリ

〔…〕

時はやおそくのこぎり鳥は 直線上の視界の奴隷

いちぬけたいねさようなら

ましていちぬけたいねさようなら

言葉があるだけ/のこぎり鳥はどこ義理欠いた

底意地とれて/のこりギリギリP-MODEL - のこりギリギリ

 8曲目、 “のこりギリギリ”では、ほとんどラップのように語感の近い言葉が並べ立てられている。「見える角度で姿を変え」、「直線上の視界の奴隷」でしかない「のこぎり鳥」には、「嘘」すらない。そこには「日記」があるだけであり、日記という私的なドキュメントに「嘘」や「本当」は存在しないからだ。

 「日記があるだけ」、「言葉があるだけ」……。この歌詞全体をみると、この部分の歌詞は「カガミ」「日記」「恐怖」「言葉」があるだけ、という風に言い換えられている、このカガミや日記が、あるいは言葉が、「自身を映すもの」であることに着目しなければならない。言語が過剰に相対的であるということは、そこには、自身の虚像だけががある、ということなのだ。「言葉なくては見えないこの身」だが、見たところで、そこには「嘘」も「本当」もなく、ただ、「この身」だけが存在している。

 「のこぎり鳥」は、「直線上の視界」、すなわち遠近法の奴隷である。だからそれは見える角度で姿を変え、そのものとして現れることがない。もちろん、その多面性は言語の多義性とパラレルである。視界の内側、言葉の内側をどこまでも掘ったところで、そこにはまた結局自分自身が現れてしまう。他者=「キミ」に出会うことができない。

 言葉は現実を捉えることなどできないし、ましてや他者に意味を伝えることもできない。平沢はこの構造から「いちぬけたい」のである。

自傷

とりあえずは外へ/ランダムに歩く

くだらぬ迷路の/かべぞいに行けば

Shining…Solid air

〔…〕

とりあえずは夜に/ランダムに歩く

もういちどキミを/さがしに行くため

Shining…Solid airP-MODEL - Solid Air

 

 徹頭徹尾再成補修/低速列車高速列車

 列車は列車線路を行く

 南極北極強行突破/ゆれるひずみは

 反面展望私はおりる

 Neo Science Fiction 秩序を欠いて狂え

 Livin' Lovin' New Transport

 いっきに飛ぶように本気で愛してP-MODEL - 列車)

 『Perspective』には相反する二つの側面がある。一つは「敗北」である。言語空間を介してしか世界は捉えられないし、それゆえ常に世界は錯視的であり、他者に正確な意味を伝えることなどはできない。いくら社会批判をそこに込めたところで、それが聴き取られることはない。言葉は「厳粛な光の視覚」であり、「直線上の視界の奴隷」であり、「秩序」である。

 しかし、平沢はもう一方で他者との関係を欲望する。言語の秩序(「くだらぬ迷路」)の外側へと抜け出ることによって(「いっきに飛ぶように本気で愛して」)。

 このような二つの関係をまとめると、『Perspective』の企図は自身の言葉の破壊にあるということになる。敵は「社会」や「街」ではなく、自分自身だったのだ。『Perspective』は、その空間それ自体を根本的に突き詰め、その裂け目(「ゆれるひずみ」)を作り出し、内破させようとする、ひとつの自傷行為である。

声の抵抗

その声この身/トンネルすると

この感じの愉快/スポンジにして

ひょうたんのキミのこまをすいとる

 

すぐにもわたし/うなずいたのは

その声のもとの/遠くの感じ

空間に水をそそぐひびきの

空間はかたく/うめてゆかれて

この身キミの目/うかれさせても

身体の中吹く/風のうちから

行かないで/行かないで(P-MODEL - Perspective II) 

 『Perspective』の最後の一曲(9曲目)で「わたし」が頷く「その声」は、「この身」を「トンネル」しながら、「遠くの感じ」を保つ。ここで平沢が歌うのは、ここまでの二つのテーマが、矛盾しながらひとつになり、内破していく様である。「身体の中吹く」、「この身」という、まさにここを貫く「声」は、同時に遠くにもある。だから、それは「愉快」なのだ。

 ここで平沢はそれを「水をそそぐひびき」、「声」と音声的な隠喩で表している。これは、ここまでに見た視覚的な隠喩(「目にうつる」、「遠近法」、「うかれる目」、「光」、「Shining」、「直線上の視界」)と、実は対比的である。

 次のように言えるだろう。『Perspective』のコンセプトを一言でまとめると、声による遠近法への抵抗である。音による光への抵抗、無意味による意味への抵抗、と言ってもいい。それは、このアルバムが「リヴァーヴ」や歌詞の「語感」に異様なほど執着していることと無関係ではないし、歌詞がもはや寓意的ではなくなってしまったこととも無関係ではない。ここで平沢は徹底して「声」、「音」のもとに立つことによって、「目」=言葉=歌詞の、秩序の世界から逸脱しようとしているのだ。

 このアルバムの音楽的特徴のもう一つの点は、展開が非常に乏しく、ミニマルに作られていることである。1曲目“Heaven”と6曲目“シーラカンス”に特に顕著だが、ほとんどの楽曲は、同じフレーズの禁欲的な反復だけで成り立っている(「コード一発」で作られているものが多いことからもそう言えるか)。同じ意識が途切れることなく続き、リズムが反復していく様はある種の「一気に飛ぶ」ようなトリップ効果を狙っていると言えるかもしれない。この「神秘体験」において、意味の世界は破壊されていく。

 反響と反復、音の質感それ自体への偏執。その要素のどれもが、目で見える散文的言語空間(「歌詞」)の意味の秩序と充溢から「いち抜け」しようとしている。つまり、目に見えないもの、耳でしか聞こえないもの、韻文、「声」によって秩序の外部へと抜け出そうとしている。だからP-MODELは「パンク」なのだ。それは平沢において、不在の他者(「キミ」)のもとへ向かうことなのである。

 平沢進の歌詞が特異なのは、その内容やテーマにおいてだけではない。その特異さは、それを音と文の「裂け目」において示したことであり、(とりわけ日本語の)「歌詞」に固有かつ新たな表現を達成したこと、これである。これは「ロックとして特殊」というような矮小な評価では済まないだろう。

 「大成功」?

 概ねこれで文章は終わりである。ただし、以前も書いた通り、上記で論じたような、『Perspective』で提起された「言語」の問題、あるいは他者との「コミュニケーション不全」は、実はその後すぐに解決されている。具体的にはそれは催眠療法によって、である。

 この時期の平沢はユングに傾倒していた。ユングによれば表面上は異なるように見える自己と他者、あるいは異なる民族でも、夢ないし無意識という深層においては一つのものを共有している。

鳥になり 獣になり ボクのままでキミになる

おやすみ これすなわち こんにちは(P-MODEL - Rem Sleep

 この楽曲(『スキューバ』、一九八四年)は、平沢のユング趣味を端的に表している。つまり、言葉=意識では他者に到達しえず、あれほどに孤独を強調していた平沢が、無意識(=「おやすみ」)を介することで今度はいとも簡単に他者にアクセスする(=「これすなわち/こんにちは」)。いわば平沢は敗北と失敗を乗り越えたのである。「ボクはキミだから」。まあ一言で言うと、平沢はニューエイジ思想に接近したのだが。

 一九八二年『Perspective』であれほどにアナーキーな音楽を披露した平沢は、二年後一九八四年『スキューバ』に至ると、いとも簡単に「ボクがキミ」である場所(「夢」)に到達している。いわば平沢進はそこで「答え」を見つけてしまった。

 

 しかし、「ボクがキミ」であるような場所は、またもうひとつの空間、出口のない全体、より強固なもうひとつの「コスモス(秩序)」に過ぎないのではないだろうか。こうしたユング的解決こそ、回避しなければならないものなのではないだろうか。少なくともある時期以降の平沢進の歌詞が「ワン・パターン」なのは、彼がもう悩んでいないからであり、「答え」を見つけたからだ。「裂け目」は今や綺麗に縫合されている。

(こうした問題意識は、実は、ケラリーノ・サンドロヴィッチの作詞に、すなわちP-MODELに多大に影響を受けたニューウェイヴ・バンド有頂天の歌詞に、引き継がれているようにも思われる。ケラの詩は、平沢進の詩の発展編として考えられるべきであろう)

 少なくとも私たちが『大失敗』と名乗る限りは、『Perspective』の問題を引き継ごう。たぶん私たちは、もはや「休息」としてはありえないような臨界点としての「言語空間」にとどまり、別の「空間の詩学」を目指す必要がある。

  

  

 

(文責 - 左藤青

*1:岩村行雄訳、ちくま学芸文庫、二〇〇二年、五三、五四頁

【時評】人間の時代と「ポップ」なもの —『新潮45』のキャッチーさに抗して  

 あまりに人間的

何か新しいことをやらかさなきゃいけません。私のビジネスはひどく難しい。なぜって、人間の情に訴えるのが私の商売ですからね。そりゃ、人間の心を揺すぶることはまだいくらかはありますよ。ほんのいくらかはね。ところが、そういう手でも何度も使うともう効き目がなくなっちまうんです。こいつが困ったことだ〔…〕(『三文オペラ』第一幕冒頭)*1

 ご存知のように、「理念をかざす左翼と、人間の現実に寄り添う右翼」という対立項はもはや成立していない。その両者は、その中の極めて数少ない例外を除いて、ほとんど共存し、共犯関係にある。

 リベラル派に関していえば、「マイノリティ」や弱者の疎外を見出し、それに対する共感、さらに最悪な場合、同情によって動いているところがある。彼らは間違いなく、自他共に認めるヒューマニストたちである。そこでは、「進歩」とは「マイノリティに対する配慮がよりなされていくこと」と規定されている。

 一方で保守派、少なくとも「ネトウヨ」は、自分たちの現実がそうしたヒューマニスティックな「理念」と食い違うことを主張する。彼らにとっては「動物的」欲望・情念・他者との食い合い・経済といった「下部構造」こそが真理なのであり、「寛容」や「連帯」を強要するリベラルな言説は、真理を疎外し、抑圧するものでしかない。そこからさらに彼らの一部は、そうした疎外と抑圧を受けている自分たちこそが「弱者」なのだ、と宣言することもある。

 しかし実は、「動物的」欲望を起源として採用する際、「ネトウヨ」はその欲望こそを真の「人間の現実」として再創設しているにすぎない(ある意味「精神分析的」である)。だから彼らはリベラル派の失敗を見て、あざ笑うことができるのだ。その「笑い」の根底には、やはりリベラル派も単なる「人間」にすぎないという、その同質性=「現実」への安心がある。「やっぱり人間は所詮こういうものだ」という安堵である。

 だがこれは「理念と現実」の戦いや「進歩と保守」の戦いなどではなく、「人間」の定義の奪い合いにすぎない。お互いが、自分たちこそが「人間」の真の「現実」、しかも疎外され、抑圧された「弱者」の現実をよく知っていると主張し、それを回復しようとすること。それは疎外論への非政治的回帰でしかない。〈弱者〉探しゲームだ。こうした「ゲーム」に批評はない。(あるいは「政治」に見向きもしない批評家たち!)

 人間というものの同質性をより弱く設定した方が勝ちという状況において、2017年に話題になった、「平等に貧しくなろう」という上野千鶴子のコメントは、事実としても隠喩としても非常に批評的である。あれはリベラル的な言説の当然の帰結なのだ。まさしく「人間の時代」である(しかもそれは「動物の時代」ということでもある)。

新潮45』 のキャッチーさ

 ネット上の流通形式は(あるいは「資本主義は」と言ってもいいのかもしれないが)、発言の質にかかわらず、共感や反感を増幅する装置として、ひとつの「現実」を補強するものとして機能する。『新潮45』的な「炎上商法」は、そうしたシステムのなかでは当然発生するものである。それに共感する声も反抗する声も、「動物的」反応によって流通していくのだ。

 例えば、私は『新潮45』の小川の文章に対して映像で反論し、大いに拡散されているツイートを見かけた(彼がYouTuberなのかなんなのかは知らない)。その動画は沖縄の海で撮影されたもので、非常に「爽やか」な印象を与える。また、ドローンによる空撮が派手で「テレビ的」である。カメラワークやカット編集も緻密だった(視聴者の視線の誘導の巧みさ、また早いテンポの編集。ヒカキンの動画の豪華版、といえばわかるだろうか)。

 それは実際、映像作品としてよくできているが、その「見やすさ」こそがコマーシャリズムなのである。実際その反論している内容に特筆すべき点は何もない凡庸なもので、なんの新規性も異化効果もない。そのツイートないし動画が「正論」などと呼ばれ拡散されるのは、明らかに映像の力による。フォーマットの、伝達経路の、形式上の力によって、我々は共感させられるわけだ。

 『新潮45』が問題なのは、真剣に取るに値しないあのヘイト的主張内容ではなく、特定のセンシティヴな話題に言及して「炎上」すれば儲かるという端的な形式的事実の方だ。「文春」的なものが強いのは当たり前であり、「炎上しても廃刊・休刊までに至らないギリギリ」を攻めるデッドヒートがすでに始まっているのだ。

 

 こうした「キャッチーなもの」に無意識のうちに隷従してしまう態度は、まさに左翼によってこそ省みられなければならない(それが「理性」だからだ)。しかし、現行リベラル派はどこまでも「共感」ベースで動いているために、キャッチーさに加担している(=集団クレーマーになっている)。そういう意味では多くの評論家たちの『新潮45』休刊に対する「違和感」は適切と言える*2

 だから、リベラルのなかでも「理知的」な部類に入るとみなされる人間ですら、自民党やら冷笑主義者やらの「敵」の失態を見つけ出し、揶揄することが「止められない」のだ。彼らはその快楽を遮断できない。「あいつは他人を冷笑したのだからわれわれから冷笑されても仕方がない」と言い、自らがそうした冷笑主義者、あるいは「ネトウヨ」たちと同レベルの、低俗なリテラシーしか有していないことを自慢げに宣言する。日本は「右傾化」したのではなくたんに頭が悪くなったのだ。

 是非とも忌避しなければならないのは、「人間的なもの」と、それに対する動物的な反応である。おそらく、「人間的なもの」を相対化したうえで、それを成り立たせしめる構造へのまなざしを持たなければならない。

(ただし私はそれであらゆる「人間性」が割り切れる、あるいはこれからは割り切れるようになっていく、というSF的「実在論」に立つつもりもない。「人間」という名前は常に「余剰」あるいは「幽霊」のように我々につきまとうだろう)

ディス・イズ・ポップ

 ところで、上記のような現状で最も価値を貶められているのは、「ポップ」という概念であると私は思う。私は「キャッチー」なものを批判したが、「ポップ」はそれと異なる。私がここで「ポップ」と言いたいのは例えばアンディ・ウォーホル的なものなのだが、実際には私はXTCというバンドの“This Is Pop?”という曲を思い浮かべている。

 

XTC - This Is Pop? (1978) - YouTube

In a milk bar and feeling lost
Drinking sodas as cold as frost
Someone leans in my direction
Quizzing on my juke-box selection
What do you call that noise
That you put on?
This is pop, yeah, yeah
This is

〔…〕

「お前が選んだそのノイズ、なんて言うんだよ?」

「これがポップなんだよ、これが」

 初期にはニューウェイヴ・パンクを代表するバンドだったXTC。“This Is Pop?”は上に引用したように「ノイズ」を肯定し、これこそが「ポップ」だと宣言するような歌詞になっている。しかし、PVを見てみるとむしろ逆の意味も読み取れてしまう。

 見れば分かる通り、そのPVは大量生産される製品を皮肉るような内容になっている。アンディ・パートリッジがレコードをミッキーマウスの耳風に掲げるところなど、まさに「ニューウェイヴ」的な皮肉の精神が溢れているが、このPVは、音楽ももはやスーパーマーケットで売られる安物の肉と大して変わらない「既製品=ポップ」なのだ、と、つまりむしろ「ポップ」さを批判しているようにも読める。

 要するに、「ディス・イズ・ポップ」という言明は、「これこそがポップだ」と単に指示する意味としても取れるし、逆に「こんな(大量生産された)ものがいわゆる『ポップ』なのだ」という皮肉としても取れる。これはまさにウォーホルの「ポップ・アート」ともほぼ同じなのであって、この二重所属性が「ポップ」に必要なのである。「パロディ」と言ってもいい。それは人間的「共感」に終わることがない。没入したとたんにそれを突き放す。

 

 「ポップ」を目指すということは、実は我々の「動物的」な部分を認めるということである。もちろん、われわれは自分たちの動物性を完全に切り離し、完全に理性的に思考することはできない。流通に振り回され、暴力的な「リツイート」の海の中で生きていかざるをえないだろう。

 しかし、まさに情報は「暴力的」なのだから、それを利用しない手はない。「ノイズ」をポップなものとしてムリヤリ聞かせること。それでいてこの自分たちが発する「ノイズ」こそが真にポップであると、開き直って自らを肯定して演じること。「ポップ」は人間的共感・人間的反感をどこまでも異化・相対化していくだろう。

 私たちは喉元過ぎれば熱さを忘れるわけで、別に忘れてもよいが、忘れやすいことは覚えておかなくてはならない。たとえば、『ジョジョ』六部の「ジェイル・ハウス・ロック」(物事を三つまでしか記憶できなくさせるスタンド能力)戦を思い返してみよう。この闘いこそ、まさに我々が今置かれている状況なのである。

 

〔…〕ジェーコブ、お前はまだ勉強が足りんぞ。これからは君も苦労が多いぞ、ポリー。こういうクズ野郎どもをまともな人間に仕立てなきゃならんのだからなあ。一体お前らにゃわかってんのか、人間らしいやり方ってものが。(『三文オペラ』第一幕)*3

 

    

 

 

(文責:左藤青 @satodex

*1:ブレヒト三文オペラ』岩淵達治訳、岩波文庫、二〇〇六年、一四、一五頁。乞食たちのボス、ピーチャムの台詞。

*2:例えば、https://twitter.com/masayachiba/status/1044561780372959233

*3:ブレヒト、前掲書、四五、四六頁。ギャングのボス、メッキースの台詞。

哄笑批評宣言

 マーク・フィッシャーが死んだ

 資本主義が唯一の存続可能な政治・経済的制度であるのみならず、今やそれに対する論理一貫した代替物を想像することすら不可能だ、という意識が蔓延した状態(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』邦訳10頁)

 それが「資本主義リアリズム」である。社会の可能性の単数化、必然化に対するこの諦観。「この道しかない」。可能世界の消去、想像力の欠如。

 たとえば「現実は小さな改善を積み重ねることしかできない。大きな話や理念や革命の話を安易に持ち出してはならない/そういうことは専門家に任せるべきだ」という極めてもっともな考え方も、このリアリズムに属している。

 

 マーク・フィッシャーが見た世界は、冷戦が終結し、もはや資本主義とは別の可能性を、冗談以外では想像することのできなくなった世界である。「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」。そこにおいては、一見資本主義に反旗を翻すような「反・資本主義運動」や「カウンターカルチャー」すら、実は資本主義を強化し、リアリズムを補強するものとして機能してしまう可能性がある。

反・資本主義運動は、資本主義に代わる首尾一貫した政治経済モデルを提案することができなかったため、その真の狙いが資本主義を脱することではなく、ただたんに、そのもっとも酷い悪態を緩和することにあるのではないかと疑われた。〔…〕反・資本主義運動とは、そもそも叶うはずがないと自ら諦めつつも、一連のヒステリカルな要求を繰り返すものなのだ、との印象を残すことになった(『資本主義リアリズム』邦訳41頁)

 もちろん、フィッシャーは反資本主義運動一般を批判しているわけではない。けれども、フィッシャーにしたがえば、少なくとも「リベラル派」のデモなどは批判対象になる。それは、たんに資本主義の内側に留まっており、決して自身の普遍性を示すことができない。したがってオルタナティヴを決して示さないのである。これはすでに、ジジェクをはじめ様々な思想家によって指摘されていることでもある。

 もちろん、私たちは現代日本のリベラル・デモにもほぼ同類の問題を見出すことができる。震災後、「知識人」と一部のメディアは、まるで最後の希望を見出したかのように、SEALDsのデモに飛びついた。あるいは作り出した。しかし、それが何か現実の別の姿、ありうるかもしれない「別の選択肢」を見せてくれただろうか。

 おそらく、多くのデモは、「政治的に正しい」主張なのだろう。それはある人間の「実存」にとって必要な運動であり、真剣な要求なのだ。しかし、明らかにそれは「別の選択肢」としては機能していなかったし、これからもそうなることはないだろう、ということを、私たちは確信している。そもそも、デモの参加者たちもおそらく「別の現実」などを望んでいないし、そんなことは目的ではないと言うだろう。ただ、彼/彼女らは自らの目の前の「現実」を快適に生きたいのだ。

 

 このように、フィッシャーは「資本主義リアリズム」の打破、すなわち選択肢の複数化を非常に困難な問題として捉えた。けれども彼はそれこそが、ある種の思想の役目だと考えていた。

ブレヒトをはじめ、フーコーバディウに至るラディカルな思想家の数々が主張してきたように、社会の解放を目指す政治はつねに「自然秩序(あたりまえ)」という体裁を破壊すべきで、必然で不可避と見せられていたことをただの偶然として明かしていくと同様に、不可能と思われたことを達成可能であると見せなければならない。現時点で現実的と呼ばれるものも、かつては「不可能」と呼ばれていたことをここで思い出してみよう。〔…〕(『資本主義リアリズム』邦訳50頁) 

 この認識自体は、これはおそらくある種の思想家、あるいは「批評家」に一貫していると思われる。思想/「批評」とはオルタナティヴを思考する営みなのだ。私はこの定義に同意する。私たちの団体「大失敗」も、基本的にはここから出発している。しかし一方で、こうした記述は単にコンセプトを示しているだけにすぎないわけで、いたって当たり前、とも言える。 

 それとは別で、私たちがフィッシャーを読んでラディカルだと思った点が二つある。

 

臨界点

 一点は、彼が「オルタナティヴ」のハードルをどこまでもあげていく部分である。一方で彼は現行体制を差異化する「別の選択肢」をどうしようもなく渇望している。しかしもう一方で、彼は現実に起きる反体制運動や、実際に目の前に生じてくる「別の選択肢」については、それは同じ「現実」を補強する共犯関係でしかない、と批評する。安易でリベラルな「答え」に対する奇妙な禁欲がここにはある。

 「批評家」の立場は、元来このダブル・バインドの中に、(福田恆存柄谷行人が言うところの)「臨界点」に立つ感覚の中にあるのではないだろうか*1。「批評家」は生ぬるく、ありえそうな(「実現可能な」)、リベラルな選択肢にすぐに飛びついてはならない。彼らはなぜかいつでも、夢見ると同時に厳しい現状認識を持たなければならない。安易な答えから常に身をかわし、自らにとっての臨界点に、なぜか彼らは行かなければならない……。

(「なぜか」そうなのだ。例えば外山恒一は、東浩紀の「活動家」としての素質をほとんど手放しで評価しているが、なぜ東がそこまで「批評」というジャンルにこだわるのかが理解できない*2。そして東浩紀はむしろ、そうした「活動家」たちを理解できないだろう)

 ところで、私たちにとっては、「批評家」たちのそうした悪戦苦闘はとても「面白い」ものだ(例えば柄谷行人の本は笑いなしには読めない)。彼らは幽霊を幻視する霊能者、あるいはオカルトマニアのようである。彼らは、一般にほとんど共有できないような問題意識を持って、「運動」であり「闘争」を続けている。

 それは「タコツボの中」においては悲劇的で英雄的だが、そこを少し離れて見たとき、おそらくはほとんど「喜劇」としてしか見えないはずである。この喜劇に、「批評」のひとつの類型を見ることさえできるかもしれない。むろん、これは別に皮肉で言っているのではなく、私たちはこの面白さこそ最もポジティヴな意義である、と言っているのだ。

 

自殺という実践

 さて、『資本主義リアリズム』のもう一つのラディカルな点は、マーク・フィッシャーが自殺している点である。フィッシャーは二〇一七年一月に四十八歳で死んだ。うつ病の末の自殺である。この死こそ、批評的「実践」ではないだろうか。

 人の死をひとつの理由に還元することはできないが、彼の著作はそう思わせるだけの内容を持っていた。フィッシャーは2008年の著作集である『資本主義リアリズム』の最後では、思想という営為の未来に希望を見出している。ところがその九年後——その間に何があったかは知らないが——結果として、彼は自らの批評活動の可能性を、死というひとつの結末に収斂させてしまった。このことによって、『資本主義リアリズム』を読むという体験は大きく変えられてしまった。

歴史の終わりというこの長くて暗い闇の時代を、絶好のチャンスとして捉えなければならない。資本主義リアリズムの蔓延、まさしくこの圧迫的な状況が意味するのは、それとは異なる政治・経済的な可能性へのかすかな希望さえも、不相応に大きな影響力を持ちうるということだ。ほんのわずかな出来事でも、資本主義リアリズム下で可能性の地平を形成してきた反動主義の灰色のカーテンに裂け目を入れることができる。(『資本主義リアリズム』邦訳198、199頁) 

 最後に述べられるこのかすかな「希望」を、彼の自殺という本来余計でしかない情報を目に入れずに読むことができるのだろうか。この「希望」の記述は、まさに彼自身の死によって、「かすかな希望をもとめて、まるで実ることのない努力をし続けるうつ病患者の姿」に、つまり「絶望」に変えられてしまったのだ。

 彼は「資本主義リアリズム」に抵抗した。が、その死によって、むしろその抵抗の不可能性を描いてしまったのである。これは悲劇的でも喜劇的でもある。彼は自殺という実践によって我々の読解そのものを変えてしまった。これを批評的と言わずしてなんと言うべきだろう?

 「批評家はかくあるべし」と語っている間は楽観的でいい。だが結局、「資本主義リアリズム」はそうした人間を簡単に殺す。フィッシャーは単なるサブカル評論家で、うつ病患者で、現実とは何も関係がない、とそれでもあなたは言うだろうか。

 フィッシャー自身が、たとえばカート・コバーンの死にポストモダン文化の膠着状態を見出していたように、私たちはマーク・フィッシャーの死にこそ、「批評」/思想という営為そのものの不可能性を見る。彼が少なくとも一時期にはもっていた希望に反して。

 自殺というひとつの失敗の実演、デモンストレーションこそ、彼にとって最も冷静な「現状認識」ではなかったか。それとも、「横断」だの「オルタナティヴ」だのをお題目に掲げ、さも「成功」しているような顔でサブカルチャーを論じることが、いまや賢い「批評」の在り方なのだろうか。

 

大失敗

 「横断」(あるいは「誤配」)は常に事後的にのみ見出される。しかし、「資本主義リアリズム」はその事後的な可能性を、「いまだない」という外部をどこまでも消去していくことになるだろう。この不可能性を私たちは「大失敗」と呼ぼう。

 私たちの積極的なテーゼは、以下である。①批評とはオルタナティヴを目指すものであり、誤配を誘発するものであり、ひとつの「現実」に対する抵抗でなければならない。②しかしそのとき、同時にその「大失敗」が発覚しなければならない

 こう言うこともできる。①批評は読者に何らかの、ある「運動」の夢を見させる。しかし同時に、②その「運動」の行き詰まりを見せ、絶望させ、憤激させ、不安を抱かせるものでもなければならない。そこで初めて批評はくだらない「自己啓発」であることをやめ、現実に対する異化効果を得る。

 

 さて、これまで私は「私たち」という一人称を用いてきた。しかしそれは不適切だ。実は、ここに書かれたことはあくまで「私」の考えにすぎないのである。私たちは自分たちになんの共同性があるかも知らないままに集まった。

 私たちは五人で批評誌『大失敗』を書いたのであり、「私たち一人一人が複数人なのだから、もうそれだけで多数」だった。私たちは、それぞれが全く異なる切り口を持っている。そういうわけで、メンバーを紹介しよう。

 

左藤青(@satodex):私である。名前は「さとう あおい」と読む。京都の大学院生。専攻は哲学、とくにジャック・デリダ。得意分野はポピュラー音楽。企画と編集を担当するほか、今回は八〇年代ニューウェイヴ・パンクと昭和の終わりについて書く。以前、「航路通」の名前で『ララランド』とか平沢進について文章を書いたこともある。

 

しげのかいり(@hahaha8201):もともと「放蕩息子」という名前のアルファだったが、大衆に嫌気がさして辞める。新潟在住である。批評誌『アレ』で「映画放談」を連載していた。問題意識は資本主義、市民社会、都市など。今回は文芸批評を書く。

 

ディスコゾンビ#104(@discozombie104):漫画家、イラストレーター。東方Projectの二次創作や、漫画評論系の同人誌を出しているほか、「保田塾」保田やすひろ氏とのコラボも行なっている。「名無し会」のデザイン関係も請け負っており、今回の冊子のデザイン、ロゴ制作などもお任せしている。彼自身のエッセイも掲載されるが、そこでは八〇年代・九〇年代カルチャーについての密な記述が期待できるだろう。

ホームページ: *Hologram Rose*

 

⼩野まき⼦:新潟在住。大学ではメディア論、身体論などを学ぶ。舞台芸術への関心が強く、俳優、作品プロデューサーの経験もある。『大失敗』ではベルトルト・ブレヒト「セチュアンの善人」について論じる予定。

 

赤井浩太(@rouge_22):神戸在住。25歳、無職。大学時代は休学して世界30か国を旅したりしていた。卒業後、東京の出版社に就職するも、一年半で退職して現在にいたる。「石ころたちの私語り」で『文芸思潮』第12回エッセイ賞佳作受賞。現在は平岡正明谷川雁を主に研究している。左翼思想史、政治と文学、都市社会論などが主な関心の範囲。

 

 おそらくメンバーそれぞれにとって「批評」は、全く違うものだと思う。だが、「ネトウヨ」だろうが極左だろうが、評論家だろうが実作者だろうが、共通しているのは「現実」に対する抵抗、「現実」の「異化」を目指すこと、である。この意味で私たちは、「批評」という恥晒しな名のもとに文章を書くのだ。

 

 さしあたってこれを私たちの批評宣言とすることができるだろう。

 

 上記のメンバーたちによる『大失敗』Vol.1は2019年1月20日、京都文フリで発売される(郵送による販売も行う予定)。発売までは、このブログやTwitterで文章を発表していく。

 ぜひ買って読んでみて欲しい。それに値するだけの内容は十分用意できるし、今の「批評」に飽きた人も、「批評とは何か」を知らない人も惹きつけるつもりで作っている。

 ちなみに私は自殺する気など毛頭ない。

  

 

(文責:左藤青)