批評集団「大失敗」

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【絓秀実氏寄稿決定】『大失敗』創刊号内容紹介

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私たちに必要なのは「生きた自由な言葉」なる、ブルジョワの玩具ではないし、私たちがそのようなものを持ちうるはずもない。ここにあるのは、『神曲』の如きカノンによって構成される「不自由な」言葉の敗走であり、陰に陽に永続し続ける階級社会に対する、「たたかうエクリチュール」なのである。(左藤としげのによる「巻頭言」から抜粋) 

 ご無沙汰しております、批評集団「大失敗」です。

 九月に「大失敗」立ち上げて以来、ブログを書いたり色々していたわけですけれども、あまりに創刊号の内容を公開しないので周囲から「本当に出るのか?」と心配されている有様です。この度、二〇一九年一月に刊行する創刊号の内容紹介をしたいと思います。

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  ▲創刊号表紙

 コンテンツは次の通りです。全体としては二つのテーマから成っています。

  • 絓秀実「柳田国男戦後民主主義の神話」(特別寄稿)
  • テーマ①《異化》としての批評
    • 小野まき子「煙草と図鑑 ブレヒト『セチュアンの善人』について」
    • しげのかいり「金井美恵子論 吐き気あるいは野蛮な情熱」
  • テーマ②「昭和の終わり」と「平成の終わり」
    • 赤井浩太「宮台真司の夢 私小説作家から天皇主義者へ」
    • 左藤青「昭和の終わりの『大失敗』 八八年の有頂天から」
    • ディスコゾンビ#104「俺と空手とS−MX 我々は如何にして恋愛資本主義と戦ってきたか?」(コラム)

絓秀実「柳田国男戦後民主主義の神話」(特別寄稿)

 本ブログでも以前取り扱った、批評家・絓秀実氏による論考です。先日(十二月十五日)の京大人文研のシンポジウム「1968年と宗教―全共闘以後の「革命」のゆくえ―」における絓氏のご発表を収録する形になっています。

 絓秀実氏は、一九四九年生まれの文芸評論家です。「六八年の思想」をはじめ、多種多様な哲学的・批評的言説をたくみに用いつつ思想史を解きほぐし、一方で個別具体の政治運動や芸術運動に「フェティシスト的に拘泥」(王寺賢太による表現)する、独自の批評を展開されてきました。

 本論考は、戦後民主主義、そしてその勘所としての天皇制について思想史を整理し、その問題に迫る内容となっています。『アナキスト民俗学』や『増補 革命的な、あまりに革命的な』(特に付論部分)で展開された議論のまとめ、かつ直接的な問題提起として受け止めることができます。

柳田の神学は、その危惧をこえて強力であった。そのことは、東日本大震災以降における今の天皇のパフォーマンスにおいて明らかになったことである。震災以降、全国を巡る天皇夫妻のパフォーマンス、あるいは、それと相即してなされた海外の戦地歴訪は、それがいかに「ヒューマン」なものに見えようとも、「祖先崇拝」=天皇制トーテミズムの再活性化以外のものではないだろう。繰り返すまでもなく、そのような「祖先崇拝」イデオロギーの顕在化とともに、戦後民主主義を守れという声も高まり、天皇をその「象徴」(=トーテム)と見なす言説が、当然のことのように発せられるようになったのである。(「柳田国男戦後民主主義の神話」本文より)

 ここで絓氏が直接的に参照しているのはフロイトのトーテム理論であり、いわば一種の「日本精神分析」になっているわけですが、この論考における議論が個別具体の文学や表象の問題に直結していることは間違いありません(もちろん「表象の問題」とは「表現の自由」の問題であり、「ポリティカル・コレクトネス」の問題にほかならない)。表象の(再)政治化という私たちの問題意識にとって、絓氏は大きな参照元となりました。

 シンポジウムを聞き逃した方から絓氏の批評に初めて触れる方まで、読み応えのあるものとなっているでしょう。

テーマ①《異化》としての批評

ブレヒトをはじめ、フーコーバディウに至るラディカルな思想家の数々が主張してきたように、社会の解放を目指す政治はつねに「自然秩序(あたりまえ)」という体裁を破壊すべきで、必然で不可避と見せられていたことをただの偶然として明かしていくと同様に、不可能と思われたことを達成可能であると見せなければならない。現時点で現実的と呼ばれるものも、かつては「不可能」と呼ばれていたことをここで思い出してみよう。〔…〕(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』*1

ある出来事ないしは性格を異化するというのは、簡単にいって、まずその出来事ないしは性格から当然なもの、既知のもの、明白なものを取り去って、それに対する驚きや好奇心をつくりだすことである。〔…〕異化するというのは、だから、歴史化するということであり、つまり諸々の出来事や人物を、歴史的なものとして、移り変わるものとして表現することである(ベルトルト・ブレヒト「実験的演劇について」*2) 

 「異化効果」はブレヒトによって(そしてロシア・フォルマニズムではシクロフスキーによって)提唱されました。「異化」とは何でしょうか。

 このように問うてしまうと、たちどころに「異化」は空虚なものになるでしょう。あるものをあるものに変えると言っても、何をどのように変えて、どうするのか、《異化》という言葉には何も書き込まれていません。それは端的に歴史に左右されるからであり、《異化》は「誤配」と同じく事後的にしか確認できないからです。言い換えればそれは、「〜とは何か」という問いに答えうるような一つの「理論」ではありません。

 それはあくまで実践であり、行為であり、効果です。それは奇妙なほど「不安定」なひとつの出来事だと言えます。ともすれば、他人を不快にさえさせれば《異化》であるというような安易さにすら結びつくでしょう。

 これは批評も同じく、それは積極的に定義を持つものではありません。もちろんあるコンテクストの中で批評の役割を確定することは普通に可能ですが、とはいえ、批評の本質であり批評の存在について問う(「〜とは何か」)ことはできないのではないでしょうか。批評は一個の自立したコンテンツではなく、したがって、またひとつの効果でしかありませんでした。批評もまた「不安定」です。

 ブレヒトアリストテレスの演劇論に対抗していました。それは観客を登場人物、物語に感情移入=同化させる理論だからです。《異化》という実践は、感情移入を拒みます。なぜなら、《異化》は世界の見え方をがらっと変えてしまう、言い換えれば、観客のそれまでの世界観を「疎外」するからです(しかし実は、もしかしたら昔のえらい人はこれを「啓蒙」と呼んだのかもしれません。あるいは最近では「ダーク・エンライトメント」と)。

 このようにして既存の価値基準を「同じもの」でありながら「同一ではない」ものに変化させる効果こそ、《異化》と呼ばれたのでした。ところで、いま「批評」と呼ばれるものはそうした不快さや不安定さを持っているでしょうか。このことについてはすでに別の場所でも触れましたが(哄笑批評宣言)、この答えは宙吊りのままにしておきましょう。

 しかし、もし〈同〉化が必然であるとしたら、《異化》はそれほど簡単ではありません。そのような中で、いかにして〈同〉という〈主〉を《異化》すべきでしょうか。

 そのような観点から次の二つの論考を収録いたしました。

小野まき子「煙草と図鑑 ブレヒト『セチュアンの善人』について」

二〇一八年はブレヒトの当たり年であった。(「煙草と図鑑」本文より)

 ブレヒトの戯曲『セチュアンの善人』は、「善人であれ、しかも生きよ」というテーゼで知られています。この戯曲の中では、神々によって要請される「善人である」ことと、一方で一個の人間として「生きる」ことが、常に矛盾した形で展開されていくのでした。

沈徳〔シェン・テ〕 (不安でいっぱいになって)でも自信がないんです、神様。こんなに物価が高くて、どうして善人でいられるでしょう?

神二 悪いがそれはわしらには手のつけようがない。経済の問題にはかかわれんのでな。(ブレヒト「セチュアンの善人」*3

 娼婦であったシェン・テは、セチュアンの町を訪れた神を家に泊めてやり、神からの礼で煙草屋を営み始めるのでした。%2%同時にシェン・テは、神から「善人」であるよう命を受けます。しかし劇内では、この「善人であること」と「生きること」は、絶えず「弁証法的」な対立を含むものとして表現されていきます。つまりシェン・テは、道徳と労働の間で——上部構造と下部構造のあいだで——引き裂かれていくのです。

 この分裂は具体的に描写されます。善人であるがゆえに他者に施しを与えてしまい、貧乏になっていくシェン・テは、資本の原理に則り、自己のために他者を排斥することのできるシュイ・タを「従兄弟」として作り出し、一人二役を演じることで、なんとかそれを両立しようとするのです。

 小野の論考では、この戯曲における「煙草」というモチーフに着目することで、物語を貫通する「弁証法的」構造を解釈していきます。煙草はもちろん、単に劇中に登場する象徴・表象に止まるものではありません。煙草は公共空間にとっては、他人の権利を侵害する「悪」として排斥されるものでした。

このことは当然、近代都市の群衆の問題として理解されるべきであろう。交換価値の支配する大都市の群衆は、彼ら自身が名もなき社会の成員=労働者であり、清潔に管理されるべき商品なのだ。(「煙草と図鑑」本文より)

 このように資本主義や都市空間へのブレヒトの鮮烈な問題意識を明らかにしていく小野の論考ですが、議論の後半では、「当たり年」であったとされる(例えば:『東京芸術祭』は現代の人々に生じる分断を解消する「お祭り」 - インタビュー : CINRA.NET)二〇一八年のブレヒトの用いられ方に対し、スーザン・ソンタグベンヤミン中平卓馬の写真論などの材料を使いつつ、批判的な考察を展開します。ブレヒトは度々「アクチュアル」な作家とされています。しかし、仮にそうだとしたら、その「アクチュアル」さはどのように担保されているのでしょうか。また現代の作家たちは、劇場という空間の中でどのようにして観客を扱っているのでしょうか。小野まき子の論考です。

都市の人間について何ごとかを語れる重要な詩人は、たぶんブレヒトが最初である。(ヴァルター・ベンヤミンブレヒトの詩への注釈」、*4

しげのかいり「金井美恵子論 吐き気あるいは野蛮な情熱」

さしあたっての問題は書くことのはじまりと同時にやってくる。なぜならばわたしたちは書くことを原点とすることによってしか、作品のはじまりという文学創造の原理へ到達することが出来ないからである。(金井美恵子「書くことのはじまりにむかって」*5

吐き気がするほどロマンチックだぜ/お前は(ロマンチスト - The Stalin

 金井美恵子は一九四七年生まれの小説家・詩人・批評家です。ヌーヴォー・ロマンに影響を受けた、長くうねるような文体や、批評家や小説家を皮肉るエッセーで知られる金井ですが、しげのかいりの論考では、金井の初期小説作品における「書くこと」が分析されます。

 しげのによれば、金井の「書くこと」は初期作品から執拗に繰り返される《私》と《あなた》の構造のうちで、極めて奇矯な自己撞着的構造を持っています。ここでの分析では、「書く」行為は、「読む」ことで摂取した=食べたものを「吐くこと」であり、エクリチュールは一個の吐瀉物なのです。

金井美恵子にとって「書くこと」とは、「読むこと」によって必然的に催す「吐き気」である。作家・金井美恵子は、書くことの動機として主体的な意志を必要としない。「書くこと」は「読むこと」によって突き上がってくる「吐き気」によって作られるにすぎないからである。(「金井美恵子論」本文より) 

 論考後半では、メニングハウス『吐き気』などを手掛かりに、「吐き気」をめぐる美/醜の問題に考察が及びます。「吐き気」は、美学的には、そして政治的にはどのように扱われるべきでしょうか。ここから見出される「不純なスターリン主義」とは何でしょうか。「吐き気がするほどロマンチック」(ザ・スターリン)な、しげのかいりによる金井美恵子論です。

テーマ②「昭和の終わり」と「平成の終わり」

 「昭和」から「平成」へ、かつてあったはずのあの切断についても、これから生じることになるあの切断についても、それ自体ひとつの「配列」以外のなにものでもないことが意識されなければならない。この視座からすれば、たとえば「平成生まれ」のような共同性に根ざして特定の出来事や対象を扱うことは、もはや「制度」に対し現状追認的である、と言わなければならなくなる。(左藤「昭和の終わりの『大失敗』」より)

一九四五年以後、この国には「戦前」と「戦後」という区別が存在する。これは「敗戦」を契機とするとはいえ、やはり「神」であった天皇が「人間」になってからの時間的思考だ。だから、ぼくたちが生きているこの日本社会には、いまでも「天皇制」の時間が流れていると言えるだろう。(赤井「宮台真司の夢」より)  

 『近代日本の批評』(柄谷行人編)『現代日本の批評』(東浩紀編)を見れば分かる通り、批評はときに時代を語ってきました。たとえば『現代日本の批評』は、座談会を七五年から八九年、八九年から〇一年で区分しています。そのことは、市川真人による基調報告「一九八九年の地殻変動」を見れば明らかです。もちろんこの「地殻変動」は「冷戦終結」でもあり、また様々な業界(音楽、ゲーム、お笑い、etc.)にとってもある種の変わり目であったわけですが、これらの「変わり目」がそのまま「昭和の終わり」/「平成の始まり」に(つまり昭和天皇崩御に)重なっていることは偶然でしょうか。

 『大失敗』が刊行される二〇一九年は、平成最後の年です。この平成最後の年に直面して、日本では再度「象徴天皇制」のある不思議さが露わになるとともに、「平成」とはなんだったのかという問いや、平成の出来事を回顧する言説も多く見られるようになりました。二〇一九年になればそれはさらに増えていくでしょう。二〇一九年はひとつの「区切り」や「変わり目」として認識されており、ひょっとしたらのちに「地殻変動」と呼ばれるのかもしれません。

 さてそのような「変動」をいま迎えようとしている、この切迫にある私たちは、〈いま・ここ〉の多様なアクチュアリティを語るのではなく元号という時間をめぐる言説・表象についていま一度考えてみたいと思います。そのことは、〈アクチュアリティ〉という言葉の新しさが消去するであろう、ある「持続」を暴露するのかもしれません。

赤井浩太「宮台真司の夢 私小説作家から天皇主義者へ」

 宮台真司はこうして一時はリベラル知識人の代表格と目されるようになるのだが、彼がその手口の裏側で温存したのが「天皇制」であったことは、反リベラルを自称する現在の彼を見れば明らかである。しかし、今もう一つあらためて明らかにされねばならないことは、彼がデビュー当初から現在まで一貫して「私小説作家」であったということだ。(「宮台真司の夢」本文より)

 昭和の終わり=平成のはじまりにデビューした社会学者・宮台真司は、九十年代を通じてある種のヒーローでした。システム理論という社会学的分析を武器に世相を斬り、様々な言説を論破していくパフォーマンスによって、「批評の社会学化」(「社会学の批評化」)を成し遂げた「リベラル知識人」宮台真司ですが、近年の彼がリベラルを批判し、「天皇主義者」を自称していることはよく知られています。

 赤井の論考では、そのように社会学的分析が反リベラル・「天皇主義」へと傾いていく様を、宮台の分析手法そのものが要請するものとして、つまり宮台の秘された内在的スタイルの問題として批評します。赤井によれば、宮台真司社会学者などではなく、「私小説」作家でありました。

つまり、彼は世界の「歴史」よりも私の「夢」を生きたかったのである。ただ、その志向を「社会」に投影したという一点において、彼は社会学を隠れ蓑にした私小説作家であった。(「宮台真司の夢」本文より)

 そのような「天皇主義」の問題とはなんでしょうか。そして、その問題を超えて思考するためにどうすればいいのでしょうか。そのような問題意識から出発し、宮台真司に対する痛烈な批判=ディスを含む、「批評界のMC」赤井浩太の論考です。

——仕方ねぇからシンジくんに見せてやるよ、マジもんの批評ハーコーアジビラスタイルってやつを。そして読者の皆様、大変長らくお待たせいたしました。ここからは白黒ならぬ赤白の決着をつけるショー・ビジネスでございます。不肖のわたくし、「大失敗」の鉄砲玉でありますが、打たれても出る杭、叩かれても出るモグラ、それでもドグマを説くのは、本邦まるで省みられることのないのルンペンの皆様のためであります。サァサァ、おあにいさん、おあねえさん、いらっしゃい、いらっしゃい! 退屈はさせないよ!(「宮台真司の夢」本文より)

左藤青「昭和の終わりの『大失敗』 八八年の有頂天から」

セックス・ピストルズが象徴した七〇年第後半の反体制=「パンク・ロック」は、実際非常に「ポップ」だったわけだが、そのポップさが単なるスタイルへと形骸化し、ひねくれた都会人のファッションになったものが「ニューウェイヴ」なのだ。パンクは「ロックは死んだ」と宣言した。ニューウェイヴは「すべてはコピーである」とあざ笑う。しかし、パンク/ニューウェイヴどちらにせよ、音楽だけではなく、ある種の態度決定にまつわる、雑に言えば「実存」にまつわる「運動」だったことは確かだ。それはものの見方を規定し、社会に接する態度を規定したのだ。(「昭和の終わりの『大失敗』」本文より)

  かねて「大失敗」は「ニューウェイヴ」を標榜してきました。しかし「ニューウェイヴ」とはなんでしょうか。それは確かに一つの音楽のスタイルです。XTCDEVO、一時期のYMOなどに代表させられるような軽薄短小なスタイル、「スカスカ」な音……けれどもそうした音楽たちは、その時代においては、ある「実存」に関するものでした。

 ここで左藤が着目するのは、そうしたニューウェイヴ・スタイルのある種の臨界点としての「ナゴム・レコード」です。ナゴムは、日本でも最初期(一九八三年)に創設されたインディーズ・レーベルです。

 ケラ(現在のケラリーノ・サンドロヴィッチ)が代表となった「ナゴム」には、筋肉少女帯電気グルーヴといったバンド、そしてもちろん大槻ケンヂピエール瀧といった「サブカル人」を輩出しました。「ナゴム」は、演劇、文筆、俳優、など音楽にとどまらない才能が集う場所であったわけですが、その実、非常にくだらないものでした。

www.youtube.com

(「人生」は電気グルーヴの前身)

 この「ナゴム」のしょうもなさを批評の問題として引き受けることを考えつつ、ここで左藤はとりわけ、ケラ率いるニューウェイヴ・バンド「有頂天」の一九八八年のアルバム『G∩N』(ガン)を批評します。

 最近(おそらくは演劇の業績で)紫綬褒章を受章したケラリーノ・サンドロヴィッチは、八八年の昭和天皇吐血と「自粛」ムード(浅田彰はこれを指して「土人」と揶揄した)のなかで、次のように歌っていました。

王様はキトク/今に塔も折れる

あった国にあったボク/あったボクら

「ブチコワセ」なんてコトバ/ブチコワして

今日もアソコへ行こう(有頂天 - Sの終わり)

 この「Sの終わり」は「昭和の終わり」です。『G∩N』(=癌)では、他の楽曲でも、この「危篤」、「病」のイメージが頻出し、昭和天皇崩御を存分にネタにしていきます。この意味では、彼らの音楽は一種の「不敬」音楽でした。

 「大失敗」の名前の元ネタとなった楽曲「大失敗’85」も含むアルバム『G∩N』を通じて、表象の(無)意味と元号を考える、左藤青の論考です。

ディスコゾンビ#104「俺と空手とS−MX 我々は如何にして恋愛資本主義と戦ってきたか?」(コラム)

モテ/非モテという対立軸があった。(「俺と空手とS−MX」本文より)

 「昭和の終わり」と「平成の終わり」を生き抜く漫画家・ディスコゾンビ#104氏によるコラムです。八〇年代から今までを支配する「モテ−非モテ構造」(恋愛資本主義)を記述するこの文章では、多種多様な商品・広告・コンテンツが現れては消えていきます。そうしたコンテンツたちは、男の承認欲求を満たそうとする「商法」として整理され、その商法と非モテたちの「戦記」が描かれるのです。

究極の社会的弱者K.K.O.非モテらによる一斉武装決起によりSNS、とりわけツイッターは阿鼻叫喚の地獄と化した!(「俺と空手とS−MX」本文より)

  ある意味もっとも「アクチュアル」なこのコラムは、「昭和の終わり」から「平成の終わり」にかけての歴史を語るものとして重要な役割を果たしています。S-MXという「恋愛仕様」車を頂点とする恋愛資本主義に男たちはどのように立ち向かうのでしょうか。ディスコゾンビ#104による論考です。

 

*1:マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』、セバスチャン・ブロイ、河南瑠莉訳、堀内出版、二〇一八年、五〇頁。

*2:『今日の世界は演劇によって再現できるか ブレヒト演劇論集』所収。千田是也訳、白水社、一九六二年、一二三、一二四頁。

*3:ベルトルト・ブレヒト「セチュアンの善人」『ブレヒト戯曲全集第5巻』所収。岩淵達治訳、未來社、一九九九年。岩淵訳では「ゼチュアンの善人」。

*4:ボードレール 他五篇』三〇二頁

*5:金井美恵子「書くことの始まりにむかって」、『金井美恵子エッセイ・コレクション{1964–2013}1 夜になっても遊びつづけろ』所収(平凡社、二〇一三年)、三〇頁。

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角田光代『空中庭園』を読む(後編)

 (前編) 

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郊外、この光あふれる空間

 前半で見てきましたように、この小説『空中庭園』は作者である角田光代の意図を超えて空間の近代性そのものを問題化しています。それは言い換えれば、日本の住宅空間がきわめて形式的/機能的に近代化=西洋化したことを意味し、また日本的な空間の性質というものを半ば喪失したということも意味するでしょう。仮に前者を「明るさ」や「透明」といった言葉で表現するなら、その逆は「暗さ」や「影」といった性質であるわけですから、空間における「日本的な性質」は後者の側にあったのではないでしょうか。

 そのように仮定して考えてみますと、たとえば「美」の探究者である谷崎潤一郎が、『痴人の愛』(一九二四)に見られるような軽薄な西洋趣味から一転し、いわゆる「古典回帰」の時期に書いた『陰翳礼讃』(一九三九)では、やはり「暗さ」や「影」に重きが置かれています。

われらは落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを塡めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。思うに西洋人の云う「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ不気味な静かさを指すのであろう。〔…〕その神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている蔭を追い除けてしまったら、忽焉としてのその床の間はたゝの空白に帰するのである。われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる絵画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』)*1

 谷崎はこのように「陰翳の世界」という美学を特権化するわけでありますが、わたくしたちには「東洋の神秘」や「陰翳の魔法」と言われても、正直なところよく分かりません。例えば「古民家」や「茶室」といった日本的な空間は、むしろわたくしたちにとってはエキゾチックな印象を与えるでしょう。それにもかかわらず、なにかもっともらしく「これが落ち着く」とか「これが自然だ」などと言うのは愚かしい欺瞞でしかありません。

 わたくしたちが最も落ち着く場所、それはむしろ「陰翳の魔法」が解けてしまった場所ではないでしょうか。つまり、ただの空白、それも澄ました顔に塗りつけられたような化粧としての白ではなく、本当にどうでもいいような白さ、何かの問題を惹起するような自己主張をもたない白さ、そういった空白の空間です。

 この空間は、具体的な文化の質から自由になった無限の空間だと思います。すなわち、平等かつ均質に切り取った非-目的の空間、もしくは多目的にひらかれた空間、それこそが団地の、あるいはオフィスビルディングなどの実際の姿ではないでしょうか。だから、例えば一見してアパートに見える建物がじつは収納倉庫であったり、もしくは建物それ自体がスクラップ&ビルドされたとしても、何の変りもなく見えてくるのでありましょう。

 そのようなわけで、団地の居住空間は文化的な固有性から自由になり平等化された空間それ自体を実質としています。この建築様式が日本において一般化されたのは、個人の自由と平等を掲げた戦後民主主義が日本人の心理に浸透していく過程と同時期でありました。この「戦後民主主義」と「団地」を結び付けて考えるとき、たとえば原武史が指摘しているように、暮らしの在りようはアメリカ型であっても、労働者住宅に酷似するこの団地という建築様式そのものは「標準設計制度を指向した点で、同時代のソ連と共通していた。実際に公団は職員を国交が回復して間もないソ連に派遣させ、団地建設の模様を視察させてい」*2たわけですから、日本の団地暮らしに「ハコとしてのソ連」という要素があったことを踏まえねばなりません。

 ここで『空中庭園』の「ダンチ」に戻ってみますと、やはりそこには「落懸」や「花活」や「違い棚」といった伝統的文化から自由になり、そしてしばしば倫理を代行するようにさえ思える「東洋の神秘」という美学的な特権性をも剥奪した、平等で透明な空間が現れていることが分かります。すなわち、谷崎が言うような「われらの祖先」といった内的な時間によって担保される空間ではなく、「外からも見えて心を癒さなければいけない」とされるベランダの鉢植え、空中に浮かぶ一見して華やかな庭園が、ここでは問題として浮上してくるでしょう。このような「ダンチ」の空間には、絵里子の自意識を形成する要因でもあった「外からの視線」がミクロな権力として遍在し作用していることが分かります。

あの時期〔フランス革命以前から〕しばしば求められたあの「世論」の支配、それは直接で集団的で無名の一種の視線によって物が知られ、人が見られるだろうという、その事実によって権力が行使されうるような一つの働き方なのです。世論を主たる原動力とするような権力には、陰の地帯を許容することはできないでしょう。ベンサムの企図が人の関心を誘ったのは、それが多くの異なる領域に適用できるものとして、「透明による」権力の方式、「光をあてる」ことによって服従させる方式を与えてくれたからです。一望監視装置とは、「城館」の形態(壁に囲まれた天守閣)を若干利用して逆説的に細部にわたって読みとれる空間を造り出すことだったのです。(ミシェル・フーコー「権力の眼」)*3

 現代における「政治と空間」という問題圏のなかでは、やはりミシェル・フーコーを避けて通ることはできないわけでありますが、とはいえ「監視」と聞くや否や、そらきた「パノプティコン」だ、やれ「規律=訓練」だと、たしかにそのとおりではあるものの、しかしまるで試験問題かのように即答するその態度は、本来的な意味での哲学や批評といった営為からはあまりにも遠いものだと言わざるをえません。だから、一問一答式の回答をするのではなく、近代の空間について思考するときに起点となる要素をフーコーから導き出すとするのならば、それは「光」なのです。

 ミシェル・フーコーが喝破したこの近代空間の論理は、前編でも参照した批評家・秋山駿の「千篇一律の光景」や角田の『空中庭園』の風景を裏書きしています。この空間とは「光をあてる」という条件によって可能になる権力空間であり、「見られる」ことはそれなしにはありえないわけですから、「世論」という名の大衆の専制は、「光の専制政治」と言いかえることができます。すなわち、全ての人びとが全ての人びとに対して、後ろめたい陰、つまり「秘密」はないとして「服従する」のです。だから、秋山は団地居住者のことを「社会に対して秘密を抱くことのもっとも寡い新しい種族の一群」と書いたのかもしれません。

 『空中庭園』の世界における「外からも見えて心を癒さなければいけない」ベランダは、フーコーがあらゆる建造物に見出した「一望監視装置」の構造を内面化した空間と言えます。つまり、家庭の内部という独立性が消失することを前提にしたうえで戦略的・意識的に「光」をあてさせるということ、それは換言すれば、演じられた空間であります。こうした意識空間、すなわち前述の空間化した絵里子の自意識は、無数のまなざしに対して、あるいは外部の「ルール」に対して、強迫観念に駆られるがごとく自身を透明にしていきます。家庭の隅々まで「光かがやく」ように、自分たちが「明るく善なるもの」であるように。

 さて、このように分析できてしまう『空中庭園』でありますが、わたくしはいささかつまらないことをしたと反省しています。というのも、フーコーの図式であるところの微視的権力の遍在、それによって自分たちの日常生活が規定されているとして、そこから何が見えてくるかと言えば、外在的な構造による非-人間の世界しか見ることができないからです。もし具体的な日常生活という観点から、実体的存在である人間の姿や経験を論じてみようということであれば、ここからは別の方法を採らねばならないでしょう。

 では、別の方法とはいったい何でしょうか。『空中庭園』の世界にそって言うならば、それは母・絵里子の自意識ではなく、娘のマナや息子のコウの身体性をとおして郊外を知覚することです。この子どもの視点は、絵里子の勘違いであるところの「子どもは素直である」という思い込みに対して、じつのところまったく素直ではなく、いやある意味では「素直すぎる」と言っていいリアリストのそれでありましょう。

 たとえば、絵里子が自分の家をいつまでも「光かがやく新しい未来」の場所だと思っているのに対して、マナは「ダンチはのっぺりしていて、外壁がずいぶん汚れている。巨大なのに、どことなくみずぼらしい」と感じています。時間の経過を把握しているこの素朴な感想はニュータウンがもはやNewではないことを理解しています。ただ一方で、郊外の風景に対する弟・コウの直観は、マナの理解よりもはるかに身体性に依拠していて示唆的と言えるのではないでしょうか。

建ち並ぶ高層アパートの、ほとんどすべての窓は南を向いている。〔…〕南には全面窓、北には全面ドア。その眺めは、なんていうか、ものすごくみにくい。グロテスクだとも思う。すべて等しい大きさの窓が、すべて等しい角度で南を向いていれば、それぞれに等しく光が射し込むと、設計者は考えたのだろうか。〔…〕もしくはただ単純に、光があふれれば平和になる――少なくとも平和そうに見えるという、単純な理由からだろうか。(角田光代空中庭園』)*4

 コウの批評は設計主義批判そのものと言えます。ここでは同一の方向、等質の規格、そうした建築様式を志向させる「光」が、その専制的な力学によって「平和」という観念に接合されます。そのような世界観に対して、「ものすごくみにくい」「グロテスク」だと評するコウの態度はきわめて身体的な把握の仕方であります。

 ここで言うグロテスクな平和とはどのような事態を意味するのでしょうか。それはコウによれば「ぼくんちの、あの重苦しい決意みたいなもの。チェーンソーを手にした殺人鬼の姿が見えたとしても、絶対にそちらを見ないような意志」としての「平和」です。そのような「平和」が「光」によって可能になるというのであれば、やはりここでも「光」は世界に必ず存在する邪悪さを隠蔽する欺瞞的なものとして現れていることが分かります。だから、「平和」をもたらすとされる「光」を重要視する建築思想に対して、コウは「グロテスク」で「重苦しい」と考えているのです。

 「平和」を強要する「光の専制政治」に対して、母・絵里子は自意識を家庭に反映させて演技的なものとして空間化し、無数のまなざしを受け容れるわけですが、一方でコウは自分の身体に依拠して、反抗的な行動まではしなくとも心の裡では抵抗しています。それはどのような抵抗かと言えば、次のようなセリフが象徴的でありましょう。 

もし童貞だったらこういうもの〔学校でのいじめや同調圧力、家族のモットー〕に、気持ちの上でどんなふうに対抗できたろう。きっと、できなかったんじゃないかな。押しつぶされていたんじゃないかな。マナ姉の安っぽい想像どおり、部屋に閉じこもって出なくなっていたかもしれないし、家の空気をかきまわすために非平和的な行為に走ったかもしれない。(『空中庭園』) *5

 コウの「童貞」に対する裏返しの信仰を嘲笑することは容易く、また一般的に考えればそれは歪んだ自己肯定とも言えるわけですが、しかし、中学三年生の地味でおとなしいコウにとって自分が非童貞であるということは、他の男子と比較してどうこうということではなく、自分を否定してくるあらゆる暴力に抵抗するための心理的防壁として機能しています。それは一体どのようなことなのでしょうか。ここでは同心円状にひろがる自己の内側にしか存在しない他の男子ではなく、他者の身体を導入することが重要になります。

 コウは同じ「ダンチ」に住む一歳年上のミソノと共に童貞・処女を捨てるわけですが、しかし二人は「おたがいに愛しあっていたからじゃなくて、似たような切実さで体験を求めていた」のでした。童貞や処女を捨てる以前の二人の切実さとは何か、それは小説のなかで具体的に説明されているわけではありません。しかし、ミソノのことを「ブス」だと思っているコウは、自分が学校社会に馴染めない人間であることを自覚していて、それでもミソノは「あの広大な学校でぼくと口をきいてくれる唯一の人間」なのです。他方で、ミソノもまたコウに「自分の前世」を語り聞かせるというなかなかの人物であります。

 このことから見えてくる「切実さ」とは何でしょうか。それは理想の自分を他者に投影する関係、すなわち離れつつも内閉した関係ではなく、むしろ「疎外された者」あるいは「中二病患者」という意味で、すでに二人は同調圧力のつよい学校社会においては近似している者同士の関係です。だから「似たような切実さ」とはそういった意味合いにおいてであり、そうであるがゆえにコウとミソノは、性交という身体的方法を用いて他者とはちがう存在としての自己を獲得したのだとわたくしは思います。 

郊外、この覆い尽くす空間

 このようにしてコウは郊外社会を生きているわけですが、ある日、入院した祖母を見舞うために、コウは病院へ行きます。そこの廊下から見える景色、そして他の二か所の高所から見える景色を総括して、コウは次のように感じたのでした。

ディスカバリー・センター〔ショッピングモール〕と、病院と、自分の家〔ダンチ〕、それぞれから外を眺めていると、ぼくは自分が神さまになったような気分になる。それは全能感だとか多幸感とかでは全然なくて、京橋一家全員の、いや、ミソノや北野先生や、この町に住む全員の、決定された行動範囲を見まわっている気分だ。そこからだれも脱走などしないよう。きちんと線の内側におさまっているよう。ささやかな毎日をひたすらくりかえしていくように。神さまってのが実際こんな立場なんだとしたら、神さまというはずいぶんみじめな気分のものなんだな。(『空中庭園』)*6

 「神さま」の視点を獲得したコウは、実は近代的視座を得たと言い換えることができます。なぜなら、前近代の都市が中心的な建造物を起点にして秩序付けられる象徴空間として把握されていたのに対して、近代都市の最終的な所産であるところの郊外は、中心がなく全てが等質なように、幾何学的で抽象的な図像としてしか視えないからです。そこからコウは「町に住む全員」を見渡して、「線の内側」に郊外を見るわけですが、しかし実際はこの町に限らず全ての郊外が「外部なき内側」と言えるでしょう。

 とはいえ、そのようなコウが示唆するのは「視点」の問題だけではなく、むしろ重要なことはこの郊外の「空間」と「時間」であります。これらをコウは「決定された行動範囲」と「ささやかな毎日をひたすらくりかしていく」と表現していますが、この言葉が直観的であるにせよ、都市社会の構造として考えてみてもやはり正しいのではないでしょうか。ここでは近代都市に対するアンリ・ルフェーヴルの考察が適切な補助線として利用できますので、その部分を引用してみます。

居住の側では、日常生活の裁断や調整、自動車(《私的》交通手段)の厖大な止揚、移動性(制動されてもいて、不十分な)、マスメディアの影響などが、諸個人や諸集団(家族、組織体)を風景や国土から切り離した。近隣は姿がうすれ、地区は崩壊する。人々(住民たち)は、場所や瞬間の質的相違がもはや重要性を持たないところの、指示や合図でいっぱいの幾何学的同域へとむかう傾向をもった空間のなかを移動する。(アンリ・ルフェーヴル『都市への権利』)*7

 またルフェーヴルは別のところでこのようにも書いています。「まさに完全な日常性、諸々の機能、処方、融通のきかない時間割などといったものが、この居住地のなかにおいて記入され意義づけられるのである」*8と。ここでコウの見解とルフェーヴルの指摘はほとんど合致していることが分かるでしょう。ひたすら繰り返される「ささやかな毎日」とは、「完全な日常性」「融通のきかない時間割」であり、「線の内側」にある「決定された行動範囲」とは、「指示や合図でいっぱいの幾何学的同域」として考えることができます。

 では、このことを前提に『空中庭園』の「時間」と「空間」を検討してみましょう。ここからはふだん何気なくすごしている日常生活についての意識的な理解がわたくしたちの方に求められます。

 まず郊外におけるささやかな毎日=日常は、なぜひたすら繰り返され、また融通のきかない時間割として存在するのでしょうか。『空中庭園』の世界では、何度も「バス」や「電車」が出てきて、絵里子をショッピングモールや実家やバイト先まで運び、マナやコウを学校やラブホテル(「ホテル野猿」)まで送ったりします。そこから考えるに、この小説世界の郊外では、住民が団地からあらゆる場所へ行くにしては、たとえば自転車では遠すぎることが暗示されているとは言えないでしょうか。言い換えれば、この郊外は居住地だけが孤立している閉鎖的な空間なのです。

 例えば東京の多摩ニュータウンはそうした場所でしょう。いくつかの小高い丘を覆うように団地やマンションが林立し、その網目を縫うようにバスが巡回して、最後は駅や商業施設へと到着します。こうした環境が意味するところは、住民の行動範囲や行先がバスをはじめとした交通機関によって規定される計画された閉鎖-循環的な空間であるということです。ルフェーヴルは次のように書いています。

表象の空間でありテクノクラートの空間であるこの道具的な空間は、実際の社会的空間ではない。道具的である限り、空間は収縮し、閉鎖し、反復的なものと認知ずみのシニフィアン以外の何ものをも認めない傾向にある。(ルフェーヴル『空間と政治』)*9

 『空中庭園』の世界に置き換えて言うならば、ディスカバリー・センター(ショッピング・モール)と、ダンチ(「グランドアーバンメゾン」)とのあいだを、バスは時刻表に従って何度も往復します。この時間が、例えば絵里子の日常を「融通のきかない」ものとして支配し、それを裏返せば、絵里子の「時間割」は絵里子の予定ではなくバス会社の予定によって規定されていると言えましょう。こうした時間の支配は、ルフェーヴルの言う「制動されていて、不十分な」移動性そのものでもあります。しかし絵里子はこの時間割によって提供される場所、すなわちショッピングセンターによって生かされているのです。実家の母の相手をさせられることにウンザリしていた絵里子は、「ディスカバリー・センター」のことを「私を私の殺意から救ってくれたのは、時間でもなく家族でもなく、その郊外型ショッピングセンターだった」*10と考えています。すなわち、ショッピングセンターは住民にとって解放の場になりえているのですが、しかしマナと同級生の森崎は、この空間設計の狡知を見抜いています。

ディスカバリー・センターは、この町のトウキョウであり、この町のディズニーランドであり、この町の飛行場であり外国であり、更生施設であり職業安定所である。

でもな、ひょっとしたら、ディスカバリー・センターはおれたちを救ったんじゃなく、ここに閉じこめてしまっただけなのかもな、と森崎くんは言う。そういうことを考えると、爆弾をつくりたくなるのだそうだ。*11

 ルフェーヴルを引用した箇所ですでに確認したように、商業地区と住居地区によって完結した「小トウキョウ」である郊外は、つねに人々を反復−循環させるような閉鎖的構造になっています。この「決定された行動範囲」には、住民の生々しい殺意をも、夢のような消費によって解放=救済する装置すら内蔵されているのです。前半の論で書いた「出口のない郊外」とは、このような意味でもあります。

 他方で、同級生の森崎はその構造を理解したうえで「爆弾をつくりたくなる」と言います。実はこの森崎の心境は、徹底したニヒリストである秋山駿と、さほど遠い距離にあるわけではありません。森崎は、企業資本の投資とその配分の上に成立し管理された郊外的空間、そしてその空間に記入された意味や記号によって住民を飼い慣らしていく郊外社会に風穴を空けようとしているのではないでしょうか。他方で、秋山はその爆弾を自己自身へと向けて、「否定」という「創造的な虚無」に「私」を見出します。

この自己、あるいは、私という存在は、一つの否定の意識とともに在る奇妙な存在ではないか、と思われてくる。何の否定か。現実的に生活しつつある人間、あるいは社会的に生存しつつある人間についての、否定である。私とは何か、と問うとき、これまでまったく疑いを容れぬほど明らかだった生活の流れ、社会的な生存の意識の流れが、ぷつりと中断され、すべてが不可解なものとなり、何も知らぬ者になってしまう。そして、眼の前に、絶えず新しい、真っ白なページ状の場面が現れる。したがって、とにかく、何の意味もなく、何処へという当てもなく、すぐ歩き出さなければ、それこそすべてが無になってしまう。だから、この「私」という存在は、一時代前の旧式の言葉で呼んでみると――あの「創造的な虚無」というものと、ほとんど等しい存在ではないか、と私は思う。(秋山駿『舗石の思想』)*12

 秋山の意図は明確でありましょう。すなわち、外界の現実社会に働きかけようとするのではなく、自分の内部を白紙化させ社会から切断することによって「何も知らぬ者」になり、それゆえに「絶えず新しい」場面へと自己を運んでいくことが可能になったのです。だから秋山の自己否定は、社会を変えるための手段としてではなく、自分が「舗石の零度」に位置することのみを目的とした方法ではありますが、しかしそのことによって、日常生活の自明性を相対化できるようになります。言い換えれば、自らの生の社会性を否定し、何でもない「石ころ」になって、水平化された郊外の市民社会とは異なる次元に身を置くことで秋山は批評家になりえたのだと言えるでしょう。

 一方で、同級生・森崎はどうでしょうか。マナによれば森崎は「実際に爆弾をつくれるくらい賢い高校生でない」ということですが、しかし「浮ついてない。地に足がついて」いる家庭で育っています。彼の家にはマナの一家にないものがあります。それは「日向と日陰と、埃と醤油のしみと、テリトリーと無関心」です。

 この区切りのある生活環境と、彼の頭のなかで作られつつある「爆弾」には、どのような関係があるのでしょうか。あるいはこの「爆弾」発言は、いわゆる「中二病」の一種にすぎないのでしょうか。ここで初めのほうに書いた古屋健三による「内向の世代」の定義が有用になります。一市民のふりをしながらも「さながら市井に隠れた犯罪者のような、心と生活とのこの背理が内向の世代のぶきみさ」。すなわち、市井の暮らしのなかで育った森崎は、言ってみれば、埃の被った日陰にある自分のテリトリーで、「内向」の心性を育んだと考えられます。つまり、彼は「爆弾をつくりたくなる」という「秘密」を持っているのです。

 わたくしはここで想像をたくましくしてみたいと思います。もし森崎が何かの偶然で爆弾を手に入れたとしたら、彼はそれをどこに向かって投げるでしょうか。彼は郊外社会の密閉された循環構造を理解していました。それならば、やはりショッピングセンターでしょうか。あるいはダンチでしょうか。もしくはバスを爆発させるでしょうか。わたくしはそのどれでもないと考えます。爆薬の詰まったそれを手にしたとき彼は、きっとこう悟るはずでしょう。郊外でこれを爆発させても何も変わらない、と。まったく無意味である、と。

 なぜなら、もし彼が正確に郊外の空間構造を把握しているのならば、たとえショッピングセンターを爆破したところで、一か月後にはまた同じように復元されていることが容易に想像できるはずだからです。あるいは、より強固で豊かなものとして復活してさえいるかもしれません。歴史的な積み重ねをもつ文化の固有性、それを持たない交換可能な空間にとって、破壊など意味がないと言えます。むしろ破壊=否定されることによって、監視カメラの増設や警備員の増員といったような、より完全に密閉された空間として再生するはずです。そうすることによって、モノと労働力の需要は増え、また絵里子のような善良な消費者も安心して買い物ができるのですから、一石二鳥どころか一石三鳥というわけでありましょう。

 そのうえで森崎が爆弾を使用するならば、例えばこのショッピングセンターを経営する本社ビル、すなわち郊外社会の消費を規定する決定の中心であるところの都市を爆破するでしょう。その行動が、「東アジア反日武装戦線〈狼〉」による三菱重工爆破事件と妙な重なりを見せるのは偶然ではありません。ただその違いは、当時は外側へと向けられていた帝国主義が、現在は内側に向けられているというだけのことです。それは都市が郊外から隔絶した外部であることを意味しません。なぜなら都市もまた、家族単位で大量の消費が行われ、また労働力をも供給するところの郊外に依存しているのですから、資本家と消費者/労働者という主-奴の関係がやはり厳然として存在しています。

 ともかくここから分かることは、わたくしの虚妄としか言いようのない想像によって仮定された森崎と秋山駿が実は同じ心性を持っているということであります。すなわち、両者は「社会を否定する」という一点を同じくして表裏の関係にあるということです。秋山は自己の内部に留まってそれを否定し続けることで内なる社会性をも否定し、一方で森崎は都市へ向かって爆弾を投げることで、その従属‐依存の関係に覆い尽くされた郊外社会を否定しようとするでしょう。

 どちらが善いのか、あるいはどちらも悪いのか、何を基準にしてこの郊外を生きればよいのか。角田光代の『空中庭園』から導き出されたこの問いは、今もなおわたくしを含めた郊外に住む人びとに向かって差し出されています。

 

 

 

(文責 - 赤井浩太

 

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▲ ホテル野猿東京都八王子市大塚ラブホテル2008年頃に改装され、「フェスタリゾート野猿」という名称に変わっている)

 

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*1:谷崎潤一郎『陰翳礼讃』中公論新社、一九七五年、三五頁。

*2:原武史団地の空間政治学NHKブックス、二〇一二年、四四頁。

*3:ミシェル・フーコーフーコー・コレクション4 権力・監禁』筑摩書房、二〇〇六年、三八五―三八六頁。

*4:角田光代空中庭園文藝春秋、二〇〇五年、二四五頁。

*5:同上、二二九、二三〇頁。

*6:同上、二四〇頁。

*7:アンリ・ルフェーヴル『都市への権利』筑摩書房、二〇一一年、一一八、一一九頁。

*8:同上、三五頁。

*9:アンリ・ルフェーヴル『空間と政治』晶文社、一九七五年、一四九、一五〇頁。

*10:角田光代空中庭園文藝春秋、二〇〇五年、一〇一頁。

*11:同上、三一頁

*12:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇二年、一九三頁

角田光代『空中庭園』を読む(前編)

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角田光代空中庭園』(2003年)

郊外、この遍在する空間

 酒鬼薔薇事件(一九九七)をはじめとして、「郊外」と呼ばれる社会空間が問題化したのは一九九〇年代でした。またそれと前後するかたちで「郊外」を主題とする書籍や論文や評論がさまざまな領域から出版されてきました。そうして、現在ではある種の一ジャンルといって差し支えないほど郊外にかんする言説の積み重ねが存在しています。

 いまその膨大な言説史をまとめる余裕はありません。ただ、わたくしはみずからが育った場所でもある郊外という空間/場所について、一篇の小説を通して思考してみたいと思います。ところで、それは存在論的な問いでしょうか。しかし、そのように問うには困難がつきまといます。なぜと言うに、郊外とは文化的な固有性を持たない抽象の空間であり、それこそが構成要件となっているからでありましょう。すなわち、そこに「根ざす」ことの不可能性を顕わにし、またどこまでも幾何学的かつ条理的であるという意味で、その交換可能性とともに空虚そのものを体現する近代の実体が、この郊外という空間なのです。

 唐突なようですが、わたくしは旅が好きでして、暇と金さえあれば日本中をうろうろしたい衝動に駆られます。暇と金がなくてもたまらず実家のある東京西郊を出て、地方各地をふらふらしてみますと、いたるところで「見知っている風景」に出会うことができます。たとえば大きな国道、バス停、駐車場、マンション、団地、ファミレス、コンビニ、スーパー、ショッピングモール、ホームセンター、ラブホテル、学習塾や予備校、ドラッグストア、ガソリンスタンド、中古車販売店、街金の看板、パチンコ屋、チェーンの飲食店、ドンキホーテTSUTAYAやGEO、それから駅周辺のちょっとした盛り場。

 さて、このように眺めることのできる平凡なつまらない空間にも、さまざまな人びとが実際に生きているわけですから、この空間が空疎な廃墟のように感じられたとしても、それはやはり外から見る者の傲慢と言うべきでしょう。郊外を内側から見るというということは、換言すれば、このどこか退屈な郊外にその身を曝すという体験に他なりません。そして、その体験を考える上では、やはり文学が必要になるのでしょう。わたくしはそう思い直して、そそくさと自分の実家に帰り、家の近くにあるファミレスで——おかわり自由のコーヒーをすすりつつ——一冊の小説を読もうと思います。

郊外、この日常的な空間

 現代に見ることのできる郊外を文学において初めて主題化したのは、おそらく「内向の世代」と呼ばれる一群の作家たちでありましょう。この世代に含まれるのは、後藤明生黒井千次阿部昭坂上弘古井由吉高井有一、大庭みな子、富岡多恵子などの作家たちですが、古屋健三によれば、こうした「内向の世代」の特徴とは次のようなものでした。

内向の世代とは歴史的に明確に定められた世代であって、それも敗戦時の混乱を柔い感性に刻み込んだ世代を指すことになる。〔…〕この世代のいまひとつの大きな特徴は、その心の傷に特別拘って、戦後社会に適合不能にならず、いかなる混乱のなかでも崩れない日常の営みに縋ったことだという。かれらは荒涼とした心を抱えながらなに喰わぬ顔で小市民的な日常生活を送っていく。さながら市井に隠れた犯罪者のような、心と生活とのこの背理が内向の世代のぶきみさであり、魅力であろう。*1

 鍵となるのは、平穏な「日常生活」であり、そしてその日々を過ごす人びとが抱える「荒涼とした心」です。これに「郊外」というわたくしたちのテーマを引きつけるとき、召喚するのにもっとも適切なのは上に挙げた小説家たちよりも、むしろ小説家に随伴したひとりの批評家・秋山駿であります。

 ここでは秋山駿の批評ともエッセイともつかぬ文章を一冊の小説を読むための補助線にしたいと思います。まず秋山駿という批評家は、現在の若き批評読みたちにはあまり知られていない批評家の一人でありますが、これが少し上の世代になりますと、それはもうよく知られた力のある批評家であったそうです。一九九三年生まれのわたくしはそんなことも知らずに、ただ「郊外のリアリティ」の元素を求めて、『舗石の思想』(一九八〇)をはじめとした秋山駿の著作を読んでいました。というのも、郊外を自明のものとして生きるわたくしたちにも触知可能な風景が、秋山のテクストにはあるように感じたからです。

 まず秋山駿の人生には、古屋健三が言うように「胸を躍らすような物語はなく、砂を噛むような日常が拡がってい」ました*2。これは秋山自身のコンセプトである「人生の評論化」とも深く関係します。すなわち、銃後の戦争という破局——わたくしたちにとっては「震災」や「原発事故」ということになりましょうか——を経た秋山が、自己批評的なスタイルでもって自らの日常的な生を捉えるとき、それは「石ころ」のようなものになるのです。

ノートは、書くために在るのではない、破るために在るのだ、と。人の生もそうに違いない。人の生は、生の物語を書くために在るのではない。むしろ、物語を破るために在るのだ、と。〔…〕戦争は、人間から生の物語を剥ぎ取って宙吊りにしてしまった。そのとき、人間の生存は、なにか一塊の石ころに等しいものになってしまったのである。ただ固く、沈黙する、無意味なものに。ただ物がそこに存在する。仕方なく存在している、というようなものに。そして、不意に亡んでいった。*3

 「日常」と呼ばれるジャンルのさまざまな物語は、わたくしたちの「しんどい」としか言いようのない日常生活からは遠く離れた桃源郷のごときものであるがゆえに、どうしようもなく現実逃避の場となっていることは周知のとおりでありますけれども、他方で秋山駿はこうした人間の生のありようをひとつの石ころにまで還元し、そこからわたくしたちの日常生活を批評します。それはいわば「舗石の零度」とでも言うべき視点、白日の下、すべてがフラットに曝け出される空間、その不気味なほどに低いところにある眼は、今日の郊外社会の断面を切り出してみせるのです。

わたくし達の生のもっとも貴重なものは、その根を、人間的なものの暗闇の深処へと下ろしている。その暗闇とは、秘密の場面である。そして、そういう秘密は、やはり地下室とか、頭蓋骨の内部とか、深く人目からは隠された場処でしか醸成され得ないのである。ところが、われわれ、つまり団地居住者は、それとは違っている。秘密なぞ、ない。秘密の場処なぞ、持ち得ない。いわば、われわれは、社会に対して秘密を抱くことのもっとも寡い新しい種族の一群として、ここに生存しているのである。*4

 団地などの郊外社会では、秘密の何かを行う場所、あるいは何かを隠したり、自分が隠れたりする、そうした深い暗闇の空間は、秋山の指摘通りなかなか見つからないのではないでしょうか。街の空間はどこも区画整理されており、道という道は街灯に明るく照らし出されていて、ドミノのように整然と並ぶ建築群には柵や壁が張り巡らされて隙がありません。それは建物の影に隠れて煙草を吸うことすらままならないほどです。そして、人びとが行き交う駅や商店街や公共施設などの場所では常に監視カメラの眼が光っています。

 たしかに「犯罪」や「危険」といった平穏な日常を壊乱するものを排除するには、こうした都市工学的な施策は有効でしょう。しかし、その空間管理のメタ・メッセージは、つまり、人びとの生活や行動は穏健かつ良識的であらねばならない、危険な秘密や怪しい隠しごとなどはもってのほか、というものであります。

 このメタ・メッセージを内面化した人間というのは、それはそれで不気味な存在ではないでしょうか。今わたくしたちが考えなければならないことは、「安心」や「安全」を空間的に消費することと引き換えに、みずからの身体や行動を高度な管理の視線に晒してしまうことであり、それにとどまらず、むしろみずからその視線にひれ伏すことが一般的であるという事態についてです。この社会的な事態は、郊外という透明な空間を前提としますので、やはり郊外の物質性や構造といったことにも考えを広げてみねばなりません。

 さて、前置きがずいぶんと長くなりましたが、ここで小説をとり出しましょう。よく知られている現代小説の作家です。角田光代の『空中庭園』(二〇〇二年)は、以上に挙げたような問題のありようをよく描きだしており、「郊外を生きる」ということを考える上で読まれるべき一冊だとわたくしは思います。  

郊外、この透明な空間

 この小説の核心的なテーゼを、登場人物の一家の長女・マナが次のように示しています。

何ごともつつみかくさず、タブーをつくらず、できるだけすべてのことを分かち合おう、というモットーのもとにあたしたちは家族をいとなんでいる。*5

 マナは、母親が作ったこの「モットー」の脆弱さを鋭く見抜き、そして「いくつかの過去はこの家の蛍光灯の下に引っぱり出され、よきものとして共有される」ことにも辟易としています。実際にコンビニで雑誌を立ち読みしている母親に声をかけただけで、ひどく動揺し狼狽する様子を見て、「秘密をなくそう、というモットーはこんなにもみっともないことなのだ」とひとり心の裡で理解するのです。

 またマナは、自分の家である「ダンチ」に帰ってくるときには必ず在宅しているはずの母親の帰宅時間が、なぜか日に日に遅くなっていくことを不審に思い、母を尾行することにします。そうしてショッピングモールで年齢にそぐわない買い物をする母親を見てしまったとき、ついにマナは母親の決めた「モットー」が引き起こす逆説を見破ることになります。

かくしごとをしない、というモットーは、ひょっとしたら、とてつもなくおおきな隠れ蓑になるんじゃないか。あたしたち家族の一日は、いや、あたしたちの存在そのものは、家族に言えない秘密だけで成り立っていて、そのこと自体をかくすために、かくしごと禁止令なんかがあるんじゃないか。その禁止令があるかぎり、あたしたちは家族のだれをも疑ったりはしないのだから。*6

 事実、マナをふくめた京橋一家の家庭は、母親が高校生のころに立てた計画に沿って作られたという、とてつもなく大きな「秘密」の上に成立している存在であったのです。しかし、前述したように、秋山駿によれば団地居住者は秘密を持ちえないはずです。とすると、秋山はこの小説の母親よりも純朴で素直なだけだったのでしょうか。

 たしかに秋山は、団地居住者の生活というものは、独自の秘密を持たないような「千篇一律の光景」のなかにあり、「上下左右の七つか八つの窓が、ほとんど同一の家庭の光景を明るく照らし出していた」と書いています*7

 しかし、じつのところ「秘密」に対する両者は、マナが洞察した「モットーの逆説」において共犯的な関係にあります。すなわち、「秘密がある」ということを蛍光灯の下や明るい窓の中でも「秘密」にするために、「秘密はない」という「建前」を作り上げる、秋山的に言えば「千篇一律」的な家庭を営んでいるのであって、その光や明るさによって演出された建前=千篇一律の「表層」こそが欺瞞に満ちた「秘密」を透明なものにするのです。

 こうした狡知を、母親である絵里子はひきこもりだった中学時代を経て、そして不遇にされた高校生時代に思いつくのですが、それは自分の母に対する反抗心の結果でありました。つまり、他人のいじめや暴力によってひきこもってしまった子どもの自分を守ろうとせず、世間から許してもらうために自分のいたらなさを泣いて詫びるという狡い母に絵里子は失望したのです。

 だから絵里子は、自分の子どもを「無用な憎しみや悪意から守り、善なるものに目を向けさせ、絶望や恐怖などよせつけない」ように、そうした家庭を築くことを決意します。要するに、自分の実家を「反面教師」にしたのです。その実家は「陽が射さずに暗く、じめじめして」いたという絵里子の回想が示すとおり、母親としての絵里子が住まう「ダンチ」(絵里子はあくまでも「グランドアーバンメゾン」と呼びます)とは正反対の性質を持つ空間でした。そして、現在の住まいは「光かがやくあかるい場所」であり、そのベランダに並べた鉢植えの庭園は「居間からも食卓からも、外からも見えて心を癒さなければいけない」とされている空間なのです。

 このように対比される二つの空間のうち、「ダンチ」=「グランドアーバンメゾン」は、絵里子の自意識を通して生み出される空間でありましょう。その自意識とは、「外」という他人=社会に対して、自分たちの家族は明るく善であり、心癒される場を作り上げている、ということを示す意識にほかなりません。

 自意識が空間化したこの家庭は、必然的に内部の独立性を失いますが、それは同時に外部との境界を失うということでもあります。このことは第一次集住の農村と、その外部であった第二次集住の都市とが、土地の商品化と都市内部の人口増加によって内破-外破され「外部なき郊外」を生む、この資本の論理の比喩として読むことができるでしょう。

 すなわち、絵里子が住む「ダンチ」の家庭は、小市民的な道徳観を有する外部の監視社会と地続きになってしまい、内も外もなく、荒涼とした郊外的な空間になってしまいます。実際に、この家族の父が自身の不倫(なんと凡庸な秘密でありましょうか)を絵里子に打ち明けようとした場面で、絵里子の空間化した自意識は顕わになります。

秘密をできるかぎりもたないようにしようというとりきめをつくったのは私だった。私の家庭は母のつくったあのみじめな家とはちがう、私のつくりあげた家庭に、かくすべき恥ずかしいことも、悪いことも、みっともないことも存在しない。だからなんでも言い合おうと、私はくりかえし提案したのだった。けれどここにいる私の夫は、私の母とまるきりおなじに、自分の抱えるかくすべきものをわざわざ披露しようとしている。彼が守ろうとしているのは秘密をもたないという私たちのルールではない。自分自身だ*8

 他者の視線を意識して作り上げられるがゆえに、みっともないことが存在しない家庭、自分たちを守ってはいけない家庭、すなわち外=郊外と家庭が地続きになった意識空間というものは、読む者に空恐ろしい印象を与えるわけですが、作者である角田光代が郊外の問題と家庭のありようを比定して、それに通底するかたちで絵里子の空間化した自意識を描いたかどうかは定かではありません。ただわたくしはこの小説を郊外社会に対する批評的なものとして読みました。しかし、いわゆる「文壇文士」なる者はそのような読み方をしなかったようです。角田自身の反応とともに引用しましょう。

久世光彦さんが「BRIO」という雑誌に書いた『空中庭園』の書評が、ものすっごい堪えたんです。こきおろされた訳じゃないんですよ。すごく面白くて読まされたという主旨の文章が続いて、でもいちばん最後に、「だから何なの? って思っちゃった」と添えてあった。つまりあの小説は、ある家族がいて、でもこんなに嘘がありますよ、って暴露して暴露して、暴露したまま終わる小説なので、久世さんのおっしゃることもわかるんですね。こんなに醜いものですよ、で終わってしまっていいの? ということを、とても丁寧に書いて下さった。*9

 わたくしは死体を足蹴にする趣味はありませんので、なるべく穏当に言いたいのですが、この小説をただのスキャンダラスな「暴露小説」として読むことなど、そこらへんの中学生でも造作なくできることでしょう。しかも角田自身がその評価を受け容れてしまっている様子からして、ご自身が何を書いたのかについてあまり自覚的ではないようです。

 たしかに物語の結末は何の救いもない殺伐とした終わり方ではありますが、しかしそれこそが郊外的な社会のありようを映し出していると言えます。なぜなら、農村/都市という内-外の境界線が無化してしまった結果の郊外、そしてその比喩であるところのこの家庭には、どこかへと脱出できるような「出口」は存在しないからです。あるいは絵里子の自意識に沿って言えば、社会=他者と家庭=自己の、この両者の間に何の緩衝地帯も内部の独立性も持たないために――社会のまなざしによって内面化された道徳のために、この一家はどこにいても自分の過ちや秘密事を許されることはないでしょう。

 以上のように、『空中庭園』という小説の文学的トポスが、郊外やニュータウンを想起させるような場所であるのはなぜなのか、久世光彦はそれについてまったく考えておらず、それがゆえに「だから何なの?」というつまらない問いしか出てこないわけです。ここは「だから何もない」と無表情に答えて然るべきでしょう。

 この作品を評価する理由、それはどこにも行くことのできない内閉した郊外の現実、そしてそこで生きることのドラマの不可能性を、戯画的に描いてみせたことだとわたくしなどは思います。

 

(後編へ続く)

 

   

 

(文責 - 赤井浩太

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*1:古屋健三『「内向の世代」論』慶應義塾大学出版会、一九九八年、一九、二〇頁。

*2:古屋健三『「内向の世代」論』慶應義塾大学出版会、一九九八年、三三頁。

*3:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇二年、一〇〇頁。

*4:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇二年、三三頁。

*5:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、一〇頁

*6:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、三九頁

*7:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇五年、三四頁

*8:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、一三五頁

*9:特別対談 『書評の愉しみ』 三浦しをん×角田光代(前編) | ポプラビーチ

「大失敗」十一月記事まとめ

(九月・十月の記事まとめはこちらです)

 平素より大変お世話になっております。批評集団「大失敗」の左藤青(@satodex)です。

 いよいよ寒くなってきましたね。実は『大失敗』第一号の原稿がだいたい出揃い、今編集作業に入っています。胃が痛いです。本誌の方の情報も、もう少ししたら解禁していきます。「アクチュアル」かどうかはわかりませんが、この平成の終わりに出るものとしてはきっと異色で面白いものになっているはずです。

 さて、十一月の記事まとめです。

10、資本主義的、革命的(後編)(11月9日)

daisippai.hatenablog.com

 ブログ立ち上げから十個目の記事です。前編と合わせて結構読まれた気がしますし、いまのところ僕の代表作みたいな扱いを受けていて、お褒めいただく機会も多かったです(ありがとうございます)。外山恒一の戦略ないし理論的射程を、「批評」的文脈と比較しつつ、言語化した例はそれほどなかったのではないかと思っています。

 まあ、書いていることはある種の読者にとってはだいたい「自明」ではあるのですが、「こんなの自明だよ」ということを、誰もやってないうちに言語化してしまうのも批評ですよね(というか、その「自明さ」は文章が書かれたあとから発覚する一種の錯覚だったりするわけです)。そういう錯覚、ないし「共同の場」を作ることができていれば幸いです。

 そしてこれは、個人的にはブログ記事の中で書くのに一番苦労したものでもあります。外山論と言いつつ東浩紀に関する記述が多いのも、そういう痕跡が見えますね。苦労の甲斐あって、とくに「我々」の問題、「共同性のない共同体」(これは実はバタイユジャン=リュック・ナンシーブランショといったフランスの思想家たちの主題でもある)についての箇所は自分で気に入っています。

 柄谷は近年、デモによって社会は「デモがある社会」に変わる、よってデモは社会を変えているという、ほとんど空虚なロジックを組み立てているわけですが(笑)、外山氏がやっているのは実はこれを派手に・面白くしたものなのではないか、と思うんです。

 もちろん彼は真面目に「ファシスト」でもあるわけだからそれだけではないと思いますが、少なくともパフォーマンスの次元では、柄谷ロジックの空虚さをラディカルに実践できるのは外山恒一だけでしょう。彼がいることによって社会は直接的には変わらないかもしれないけれど、少なくとも「運動がある社会に」は変わると、まあそういうことですよね(東の「批評」の場合も同じです)。それは結局、「人民」が持っている当たり前のような「リアリティ」を揺さぶることであり、異化を目指すということです。

 そんな感じの記事でした。結構中心的に使っている『批評空間』の「いま批評の場所はどこにあるのか」座談会は、現在の「批評」観(批評=思想)がどれほど偏ってるかを知るためにはかなり重要な座談会ですね。いま読んでる人間がどれほどいるのか知らないけど。 

11、絓秀実入門(前編)(11月16日)

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 しげのかいりによる絓秀実論です。しげのは絓氏の文章を兼ねてからよく読んでいて、僕は彼から長年「スガを読め」と言われてきた(笑)。やはり気合が入っているなと思います。

 絓秀実氏といえば「一九六八年」論で有名な批評家です。けれども、その射程を六八年五月に押し込めて、単なる全共闘経験者・左翼運動家のように捉えるのも少し違っていて、彼の六八年論はリテラルに運動を語りつつ、同じ枠内で、しかも一定以上の抽象度で表象文化(文学やら芸術やら)の話をするから「批評」として成り立っているわけで、その両義性というか、不可思議としかいえないバランスとダイナミズムが考えられるべきですよね。

 僕は密かに現在の状況を「絓秀実ルネサンス」だと思っているのですが、これは「小林秀雄の言葉は今なお生き生きとして我々の思考を捉えている」とか「吉本隆明(略)」とかいった、そういうおじいちゃん的言説ではなく、絓氏の批評の射程が今だに現代の問題に突き刺さっており、それが特に震災以後際立ってきたように感じるからですね。絓秀実の批評は誠実な「批判(critique)」として、単純に昔も今も有効であるのではないかと。

 これも、筒井康隆との論争(?)を扱ったことで結構読まれたようです。僕の東・外山論は一気に拡散されて読まれたような感じだったのですが、しげのかいりの記事はそういうインスタントに消費されるものというより、少しずつ拡散されて、じわじわと読者を獲得したような感じで、僕と彼の文章の性質の違いがわかって個人的には面白かった(まあ題材の違いも大きくありますけど)。しげのかいりは自衛隊でお国のために日々シバかれているため、中編以降がいつになるかわかりませんが、まあ気長にお待ちください。 

12・13、待ちぼうける陽水(前編11月23日、後編11月30日)

daisippai.hatenablog.com

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 左藤の井上陽水論です。割と記事が足りなくなり、かつて書いたものを急遽書き直したものです(もはや僕としげのの共同ブログみたいになっており、疲れてきたので「大失敗」は書き手を募集しています)。

 僕はフォークというジャンルはそれほど好きではないのですが、陽水に関しては割とよく聴きます。まあいまさら陽水論を誰が読むんだという感じで、これは本当にジワっとしか伸びなかったですが、毎回ビュー数を狙っていくサイトでもありません(そんなことをしても我々には一銭も入らない)。

 記事がかわいそうなので、せめても長々語っておきましょう。これは批評家・蓮實重彦の表層批評=テマティスム(小説や映画を、その物語や主題や「言いたいこと」といった「深層」ではなく、具体的な描写や作家の手癖から読み込む)を一回真似してみよう、と思って書いたものです。「踏切り」が何かの比喩(「都会」とか)ではなく、むしろそれは具体的な「境界のイメージ」なのだ、みたいな話がそれっぽいなと自分では思います。うまくできたかはわかりませんが。

 けれども、自戒を込めていうと、このテマティスム自体はわりと誰でも時間かければ真似できると思うのです。その上、何か巨大な謎を明らかにしたような気に(書き手も読み手も)させられるんで結構危ない手法でもあるんですよね。そもそも蓮實の文体そのものにも独特の快楽があって(ああいう文体を開発できるのが批評家だなと思います)あれも真似すれば書けるけど「書けるだけ」だけなんですよ。むしろ問題は、どういう「深層」を裏切ることができるかであって、手法自体はそれほどすごいことではありません。やたら流行っている業界もあるようですが。

 この場合は大澤真幸の『虚構の時代の果て』に一瞬だけ登場する陽水に関する解釈(竹田青嗣からの引用ですけど)がその「裏切る相手」だったわけで、途中で岡村靖幸みたいな全然関係ない名前も使いつつ、『虚構の時代の果て』が提出している図式自体に疑義を呈することができればいいと思いました。「虚構の時代」と「理想の時代」とかいうけど、両方結局都合よく「待ちぼうけ」てるだけのモラトリアムなんじゃないの? みたいな話です。

 そして、後編で書いたようにもちろんそれは「いま・ここ」の問題でもあって、我々はどれほど希望がなくても勝手に希望があるかのように、つまり何かの意味を「待ちぼうけ」ればなんとかなるかのように「お話」を作るわけですね。シンギュラリティとか。もちろん、人間は物語がないと生きていけないとも言えるのだけれども、一方で、例えばスラヴォイ・ジジェクが去年『絶望する勇気』という本を書いたけれど、あそこで言われていることは正しい指摘だと思っています。

ここで浮上するのは偽物の活動という概念である。要するに、人々は何かを変えるために活動するだけではない、人々は何かが起こるのを妨げるために、つまり何も変わらないようにするために行為することもできるのである。これはまさに強迫神経症の典型的な戦略である。〔…〕/〔…〕危険なのは受け身の姿勢ではなく、にせの積極性である。つまり、「積極的」でありたい、「関与」したい、事態の無意味さを糊塗したいという衝動である、人々はなんでも首を突っ込む、「何かをする」。〔…〕われわれは、今日の苦境に効果的に介入できるようになるために、一歩身を引いて思考する必要があるのだ。(スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気』)*1

 実は言っていることはごく当たり前の「理性的」で「知性的」な言説なんですが、日本にはほとんどこういう人は、とくにリベラルにはいないんじゃないですか。 柄谷でさえデモ行くんだから。

十一月まとめ

 そういえば、十一月の出来事として、第一号に寄稿を予定されていた永観堂雁琳氏が急遽辞められるということがあったようです。まあ我々いかんせん地味なので、彼のような「活動家」にはどうにも内向的なオタクの集団に見えてしまったのかもしれません。実際そうなんだけど。もちろん、理念は共有しているはずですから(?)これからも我々は(というか、僕は)雁琳氏の「批評」から遠く離れて、密かに応援しております。

 さて、そんな不人気批評集団「大失敗」ですから、皆様におかれましてはブログの「読者になる」ボタンを押していただくか、Twitter (@daisippai19) をフォローしていただければ大変励みになります。あと質問箱も始めましたので、ご利用ください。

 「大失敗」は本当に書き手を募集しております。本誌第一号の原稿は足りてるんですけど、ウェブ上で何か書きたい方、次号以降で書きたい方、「『批評』に飽きた」方はぜひTwitterのほうでDMください。ご相談だけでも結構です。

 

 『大失敗』Vol.1は一月二十二日に京都文フリで発売です。どうぞ皆様お買い求めください。

 それでは失礼いたします。

 

(文責 - 左藤青 @satodex

*1:スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気』中山徹訳、青土社、2018年。448、449頁。強調ジジェク

待ちぼうける陽水——井上陽水『氷の世界』について(後編)

道は光ばかり
胸の影を誰が知る(平沢進 - 空転G)

※前編

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〈夜〉=執行猶予

 前編では、『氷の世界』が、常にある踏切=境界=「断絶」のイメージで貫かれていること、その彼岸と此岸のどっちつかずの緊張感において井上陽水は「待ちぼうけ」ていることを記述した。けれどもここからは、いささか例外的すなわち特権的な事項について述べておかなければならない。

 外を見つめながらも内に引きこもり続け、「断絶」を必要としながらその「断絶」の裂開を希求する、不在の他者だけをただ待ち続ける、そのようなひとつの「メシアニズム」がここにある。けれども、実は井上陽水は、この自身の欲望が全く不合理であることをどこかで理解している。つまり、いつまでも「待つ」ことが不可能だと知っている。それを確認するために、ここでは井上陽水の〈夜〉の性格について書いておく必要がある*1

夜が来た/華やかな/ドレスを着飾り夜が来た

きれいだな/ふるえそう/今夜は誰でも愛せそう井上陽水 - はじまり)

 ここで井上陽水は「今夜は誰でも愛せそう」という驚きを隠せない文言を口にしている。目の前に現れる他者は全て避け続けてきた井上陽水が、である。アルバムの(一曲目からシームレスにつながった)二曲目であり、40秒にも満たないこの楽曲において、そして全体の「はじまり」を告げるこの位相において、井上陽水はここまでに記述してきた図式、すなわち欲望と他者の二重性を全て破壊し、開き直ってあらゆる他者を肯定するかのように見える。

 一方で最後の楽曲である“おやすみ”を見てみよう。

あやとり糸は昔/切れたままなのに

想いつづけていれば/心がやすまる

もうすべて終わったのに/みんな/みんな終わったのに

 

偽り事の中で/君をたしかめて

泣いたり笑ったりが/今日も続いてる

もうすべて終わったのに/みんな/みんな終わったのに

 

深く眠ってしまおう/誰も起こすまい

あたたかそうな毛布で/体をつつもう

もうすべて終わったから/みんな/終わったから(井上陽水 - おやすみ) 

 ここでは、「今夜は誰でも愛せそう」(“はじまり”)と「想いつづけていれば/心がやすまる」(“おやすみ”)の対応関係に目を向けなければならない。

 すなわち、井上陽水は「はじまり」の躁状態(=祭りの前)で、〈夜〉の訪れを告げ(「夜が来た」)、その〈夜〉が終わる「おやすみ」の鬱状態(=祭りの後)において、「もうすべて終わったのに/みんな/みんな終わったのに/深く眠ってしまおう/誰も起こすまい」と述べているのである。

 〈夜〉は、一種の祝祭の空間であり時間なのだ。そこでだけ井上陽水は、あらゆる「断絶」=距離を排除し、「君をたしかめ」ることができる(もしかすると、『ツァラトゥストラ』のニーチェならば、全く逆に、この〈夜〉を「大いなる正午」と呼ぶかもしれない)。そして、「深く眠」ることは、その〈夜〉の終わり、〈夜〉の不可能性を表示するのである。

 もう一つの補助線を引こう。

思ったよりも夜霧は冷たく/二人の声もふるえていました

“僕は君を”と言いかけた時/街の灯が消えました

もう星は帰ろうとしている/帰れない二人を残して

 

街は静かに眠りを続けて/口ぐせの様な夢を見ている

結んだ手と手のぬくもりだけが/とてもたしかに見えたのに

もう夢は急がされている/帰れない二人を残して(“帰れない二人”)

 この詩において忌野清志郎井上陽水が述べる一種の「理想状態」は、またもや〈夜〉として表現される。あれほど他者との「断絶」を強調してきた井上陽水が、ここでは「帰れない二人」として容易に他者との共同を告知する。「“僕は君を”と言いかけ」、二人が直接コミュニケーションしようとしたその瞬間、「街の灯が消え」、〈夜〉が訪れる。〈夜〉は一つの「例外状態」なのである。

 「二人」(僕と君)はあくまで〈夜〉の間だけその理想を持つことができるのだ。けれども、その〈夜〉さえ、「急がされて」いる。“おやすみ”を見れば明らかなように、「偽り事」なのは、まさに〈夜〉そのものなのである。〈夜〉はつねに明けるし、一旦停止はあくまで一旦停止であり、完全な停止ではない(モラトリアム)。

 踏切りを前にした「待ちぼうけ」・滞留(祭りの前)、〈夜〉の祝祭時間・祝祭空間(祭りの最中)、そのどちらかに属している限り、井上陽水は、いつまでも終わることのない夢に安堵していることができる。けれども、実際には彼は、〈夜〉の「執行猶予性」を自覚してしまっていた。このことは井上陽水にとって絶望である。“氷の世界”のディストピアは、その執行猶予が嘘でしかないことに気づいてしまった、その絶望を表象する。

誰か指切りしようよ/僕と指切りしようよ
軽い嘘でもいいから/今日は一日はりつめた気持でいたい(井上陽水 - 氷の世界)

 ここで明らかになるのは、実は井上陽水は滞留に対しても、不在の他者に対しても、ひとつも心酔してはいないことである。“チエちゃん”も“小春おばさん”も、他のあらゆる「君」も、「偽り事の中」でしか愛することができない。けれども、全てが虚構であり、「もうすべて終わっ」ていたとしても、「想いつづけていれば/心がやすまる」のだ。

 井上陽水は、その安堵・その滞留がいつか解かれてしまうことを知っている。一旦停止が結局たんなる「一旦」停止であり、執行猶予が猶予に過ぎないことを知っている。井上陽水に残されたのは、できる限りその時間を「のばしてほしい」と、願うことだけである。

踏切りのむこうに恋人がいる/あたたかいごはんの匂いがする
ふきこぼれてもいいけど/食事の時間はのばしてほしい
ここはあかずの踏切り(井上陽水 - あかずの踏切り) 

 “おやすみ”はその井上陽水の醒めた告白である。「あかずの踏切り」はいつか開くだろう。遅延に遅延を重ねた挙句*2、麺が伸びきった中華そばのような気だるさとともに、井上陽水は最後、「深く眠」る(“おやすみ”)。ここに見えるのは、すべてを諦めた鬱病患者の姿である。"夢の中へ"(一九七三年、シングル)は、この文脈から遡行して捉えられるべきであろう。

探しものはなんですか?/まだまだ探す気ですか?

夢の中へ行ってみたいと思いませんか?(井上陽水 - 夢の中へ)

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▲ 一九八八年、日産・セフィーロのCMに「みなさん、お元気ですか?」と言いながら登場する井上陽水

四畳半と連合赤軍

連合赤軍とその悲劇を同時代的なものとして——つまり自分自身の問題として——引き受けざるをえなかった人々とは、世代的に言えば、主として、『団塊の世代』に属する人々である。団塊の世代とは、そこ(連合赤軍事件)までの人生が、ちょうど日本の『理想の時代』と重なっていた人々であると、言っても良いだろう。/団塊の世代に属する優れた思想家は、共通の課題をかかえているように見える。彼らの思想的課題の中核は〔…〕理想を否定しつつ、いかにしてなお理想を維持するか、といったほとんど解答不能な問いに集約させることができる(大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』)*3

 『虚構の時代の果て』(一九九六)で大澤真幸はいみじくも上のように書いている。上の引用はこう続く。「そのような思想家の代表的な例の一人として、竹田青嗣を見ることができる。竹田の鮮烈な問題意識に満ちた井上陽水論はよく知られている」。

 周知のように、この時期の井上陽水のスタイル、そして同時代の同じく内向的な歌詞の内容を特徴とするフォーク・ソングは「四畳半フォーク」と呼ばれた(井上陽水をここに含むかどうかは定義によるだろうが、それはここで問題ではない)。彼らは、社会や政治よりも、自分の身の回りにしか興味がない若者たちと言われ、「シラケ世代」を代表していたと言われている。むろん、この七〇年代・八〇年代=全共闘以後が「シラケ」=「虚構の時代」であるという認識に反駁するには、外山恒一の卓越した記述を参照するだけでよい。 

 さておき、確かにここまでに見たように、井上陽水の歌詞は内向的である。前回も引用した通り、「都会では自殺する若者が増えている/今朝来た新聞に書いていた/けれども問題は今日の雨/傘がない」(“傘がない”、一九七二年)。ここでは、新聞に書かれている「社会」問題などよりも、「私」に傘がないという事柄の方がずっと「問題」なのである。

 しかし、ここで竹田と大澤が依拠するのはそのような井上陽水の像ではない。彼らが着目するのは“あこがれ”(『断絶』収録)である。

さびしい時は男がわかる/笑顔で隠す男の涙

男は一人旅するものだ/荒野をめざし旅するものだ

これが男の姿なら/私もついあこがれてしまう(井上陽水 - あこがれ)

 随分マッチョな歌詞だ。『断絶』は連合赤軍の年(一九七二年)に発売された1stである。大澤は、竹田の陽水論を次のように分析する。

陽水の場合には、同じ認識を共有しつつ、逆に自分の中の現実主義者としての側面を嚙みつぶし、(理想像のまさに「理想」としての対象性ではなく)理想へとあこがれる内的な欲望=志向性のみを保持しようとしたのだ。幻想に固執する理想主義者でもなく、しかし一切の理想に対して冷笑的なだけの現実主義者でもない、緊張にみちた中間的な立場を竹田は評価する。(大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』)*4

 この記事を読んできた読者なら、この竹田=大澤の読解にすでに違和感を持ったかもしれない。我々は「あこがれ」る陽水などではなく、「待ちぼうけ」る陽水を読んだからである。もう少し我慢して、彼らの議論を参照しよう。

 一方で、竹田青嗣井上陽水を批判してもいる。大澤真幸は、それを彼の図式「理想の時代」と「虚構の時代」に当てはめることで、次のように述べる。

たとえば井上陽水は、一九七三年に発表した『夢の中へ』〔…〕において、次のように歌う。〔…〕『カバンの中も、つくえの中も、探したけれど見つからない』探しもの、『休む事も許されず、笑う事も止められて、はいつくばって はいつくばって』探さなければならない対象とは、『理想』であろう。〔…〕しかし、積極的な『理想』として探求することをやめたとき、見つかる何かとは、もはや理想ではなく、『夢』すなわち虚構である。竹田青嗣は、この曲を好まない。ここでは、『理想』から『虚構』への越境が完了してしまっているからである。(大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』)*5

 大澤真幸社会学的分析は、戦後日本において、「理想の時代」がいかに形骸化し「虚構の時代」へと変わっていったのか、積極的な理想がいつのまにか、ありもしない「夢」への欲動へと変わっていったのか——そしてそれがいかにして地下鉄サリンへと繋がっていったのか——を、たしかに見事に暴露しているようである。その分析のうえでは、井上陽水(そして村上春樹)が「理想」と「虚構」の移行期に出現し、「理想」が「虚構」へと移動していった、その移行期を代表する作家として見られている。

 その分析は五頁にも満たないが、あえて取り上げてみよう。竹田=大澤によれば、ここで“あこがれ”は「理想」を示し(「これが男の姿なら/私もついあこがれてしまう」)、“夢の中へ”は「虚構」を示す(「夢の中へ行ってみたいと思いませんか?」)。ここで移行が完了したのである。ところで、私たちが読解してきた『氷の世界』はその移行の後の作品である。しかし、本当にそうだっただろうか。それは“あこがれ”(一九七二)から“夢の中へ”(一九七三)のたった一年で、いや、正確に言えばたった十ヶ月で変容したものだったのだろうか。

 そもそも井上陽水が「あこがれ」たのは本当に竹田=大澤のいう「理想」だったのか、検討する必要がある。「理想に埋没もせず、冷笑もせず、理想への志向だけが残っている」ような態度を井上陽水一度でもとったのだろうか?(この疑問から遡れば、こう問うこともできるだろう。そもそも「理想の時代」と「虚構の時代」は区別できるのだろうか。それは結局、どちらも単純に不在にすぎないわけだ)前回私はこう書いた。

 滞留は苦しみであるが、安堵でもある。この意味で、「僕は君を待ってる」のだが、ただし、井上陽水が待っているのはそのドアが開く寸前までである。ドアが開いた瞬間、井上陽水は一切の興味を失うであろう。井上陽水の眼前にはただ空席がある。その空席に座る人なら、「君」だろうが、「小春おばさん」だろうが、「チエちゃん」だろうが誰だって望ましいのだ。ただし、実際にそこに座らない限りで。

 理想とは訪れないものであり、訪れないものとは理想である。 

 つまり、井上陽水が「男らしさ」や「女らしさ」に「あこがれ」ているのは(「男は強く/すべてを悟り/女は弱く何かにすがり/正義の為に戦う男/無口でいつもほほえむ女/これが男と女なら/私もつい、あこがれてしまう」)、単純にそれらが虚構であり、不在であることの表明にすぎないのではないだろうか。

 また、積極的に読解してみれば、井上陽水はここで、戯画的な「男らしさ」や「女らしさ」を用意して、そのマッチョな理念の虚構性を皮肉っていると捉えることすら可能である。一言で言えば、これはパロディなのではないだろうか。ここでの理念は、「これが男と女なら」と、仮定法で語られている。事実上、それはどこまでも仮定=虚構にとどまるだろう。

 むろん、このように陽水が理想との距離を取っていることは竹田=大澤も認めている。けれども、彼らはそうした態度を「これだけでは、青春の喪失や挫折を自己哀惜したり、苦々しく語る定型に収まってしまう」*6として、ある種の「定型」へと追いやり、「第二の態度」=「理想像の挫折にもかかわらず、理想を憧憬する欲望・志向性を維持しようとする態度」の評価へと向かう。

 確かに、そのような「欲望・志向性」を否定することはできない。にしても、少なくとも『氷の世界』の井上陽水は、ここまでに見てきたように、初めからそれが嘘だとわかっている理念、〈夜〉が明ければ醒めてしまい、ウソだと気づいてしまう理念、すなわち虚構の理想を掲げているだけである。だから彼は、その執行猶予=モラトリアムのなかでは、どこまでも安心できるのだ。「理想に埋没もせず、冷笑もせず、理想への志向だけが残っている」のは、たんに「想いつづけていれば/心がやすまる」からにすぎない。

 それは「理想から虚構へ」という、この上なく単純で垂直な図式で計量することができるだろうか?

虚構の時代の果ての果て

 井上陽水はいつでも、たんに「心が休まる」ウソを思い描きたいだけである。井上陽水の歌詞が、単なるくだらないモラトリアムであることは、いうまでもない。ただし、そのとき同時に、井上陽水が実は持っていた、「理想と現実」の間の緊張とはまた別の緊張すなわち〈夜〉=「執行猶予性」の自覚に注意すべきである。例えばここに岡村靖幸を接続することもできる。

カタログ眺めるあの娘の瞳/まだ爛爛としている/oh my little girl

クレジットの領収書/もういい加減に7時からハイダウェイ

借金の返済日、今月の月水までさ

 

ぼくらがいつか大人になった時

こんなことしてちゃ/絶対戦争すりゃすぐ負けちゃうよ

かっこいいな/あれいいな/欲しがってばかりのBaby

かっこいいな/あれいいな

でも本当に大事なKissなら僕しか販売してない(岡村靖幸 - (E)na)

 地下鉄サリン事件の五年前、“(E)na”(一九九〇年)ではこう歌われていた。これに限らず岡村靖幸の歌詞は、高度経済成長期の若者たちのナルシシズムを痛快に表現する。しかしそれだけではなく岡村靖幸は同時にある種の不安も暴露するのだ。すなわちそれは、「借金の返済日、今月の月水までさ」であり、「こんなことしてちゃ/絶対戦争すりゃすぐ負けちゃうよ」である。ここで岡村靖幸が吐露するのは、成熟できないことへの不安であり、そのツケが回ってくることへの恐怖なのだ(ところで絶対に来るとわかっているものが来ることは、たとえばホラー映画の典型的な構成でもある)。

 ここで引き合いに出した岡村靖幸の歌詞は大澤が言うところの「虚構の時代の果て」に属すものであり、井上陽水“夢の中へ”の遠い縁戚に他ならない。確かに彼らが属しているのは虚構の世界であり、これを「アイロニカルな没入」(相対化しながらそれに没入する矛盾した態度)として読む点では大澤の分析は正しい。

 けれども、高度経済成長という子供じみた虚構の中で戯れ、流行りのファッションで身を固めてただセックスするだけの若者たちの心情を歌いながら、岡村靖幸はしかし、それが「虚構」であることを十分に理解し、不安を持っている。「借金の返済日」=戦争という現実がいつか到来することに汗ばんでいる。

 岡村靖幸井上陽水も「虚構の時代」においてすでに、それが虚構(=モラトリアム)であって、いつかは終わるものだという不安を常に持っている。それは「現実と理想」の緊張状態ではないかもしれないが、彼らは「虚構と現実」の緊張状態の中には常に属していたのである。 おそらく注目しなければならなかったのは、その臨界点であり、限界であり、切迫だったのではないか。

 最後に説教くさいことを書いて終わろう。虚構の時代の果てすら終わりそうな「平成の終わり」においては、この執行猶予性は消失しているのかもしれない。実際のところ、もはやそうした「夢」も「子供じみた虚構」も残されてはいない。〈夜〉などもうなく、「道は光ばかり」であるかのようだ。

 「想いつづけていれば/心がやすまる/もうすべて終わったのに/みんな/みんな終わったのに」は、「祭りの後(ポスト・フェストゥム*7)」という鬱病的心性を表示するわけだが、私たちはおそらく、本質的に躁鬱的な時代を生きている。鬱病患者であり、もう「待ち終わった」私たちにとってよりリアルなのは過去であり、現在はその取り返しのつかない大失敗(後の祭り)としてのみ位置を占めている。「ポスト現実」である。

 たぶん、現在目の前にある問題たちは、井上陽水が見ていたであろう五〇年前(一九六八年)の現実からほとんど変わっていない。けれども、そうした「理想の時代」の問題を問うことにはいまいちリアリティ(あるいは「アクチュアリティ」)がないと思われているようだ。このような状態においては、新しい〈夜〉、新しい「待ちぼうけ」を希求するよりも、昼にとどまりつつも、眩し過ぎて目が潰れるほどの陽光を考えるほうが得策なのかもしれない。

 現実そのものがどこかしら虚構じみていながらも、それ自体どこまでも強固になり、「別の現実」を想像すること自体が不可能になっている(資本主義リアリズム)。階級闘争も精神病理も身体的苦痛も何もかも、存在する問題をすべて「心がやすまる」技術革新で解決しようとする新しいメシアニズム、新しい「待ちぼうけ」としての加速主義が台頭するのは、そのような背景からである。むろん、どれほど心を休めていようが、私たちがいる場所は相変わらず「氷の世界」でしかない。

  

(文責 - 左藤 青

 

*1:ところで、本稿とは関係ないが、〈夜〉について鋭く批評したフランスの思想家に、モーリス・ブランショエマニュエル・レヴィナスを挙げることができる。いつか別の場所で、おそらくまったく別の仕方ではあるが、この〈夜〉についても考えてみたい。

*2:むろん、モラトリアムの語源は「遅れ mora」である。

*3:大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』ちくま学芸文庫、二〇〇九年、五六頁。

*4:同上、五七頁。

*5:同上、六一、六二頁。

*6:同上、五七頁。

*7:木村敏の表現。これにある意味で対置されるものとして「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」があり、それは分裂病的と言われる。

待ちぼうける陽水——井上陽水『氷の世界』について(前編)

そうすると、避けがたい二重の不可能性のなかにいることになります。つまりそれは、決定することの不可能であると同時に、決定不可能なもののなかに留まることの不可能性でもあるのです(J.デリダ『滞留』)

美術館で会った人だろ/そうさあんた/まちがいないさ

なのにどうして街で会うと/いつも知らんぷり(P-MODEL - 美術館で会った人だろ)

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滞留

 『氷の世界』(一九七三年)の井上陽水滞留している。ここでの滞留とはある境界の上で滞り、留まることである。井上陽水はどっちつかずの場所で「待ちぼうけ」ているのだ。

 井上陽水の詩において、世界は動き続け、主体(「僕」)は動けない。井上陽水は、世界を部屋の窓から、ただ他人事として見ている。

窓の外ではリンゴ売り/声を枯らしてリンゴ売り

きっと誰かがふざけて

リンゴ売りの真似をしているだけなんだろう(井上陽水 - 氷の世界)

 アルバムの題と同じ名を持つこの詩において、つまり、アルバムという「全体」のなかの単なるひとつの構成要素でありながらその全体を代表し、中心を刻む権威を与えられたその位置において、すでに自己解題がなされているのである。“氷の世界”が表象=代理するものは、部屋の中、内部での滞留にほかならない。

 しかし、ここで真の意味で滞留しているのは、井上陽水の時間的/空間的な座標だけではない。実際のところ、決定の余地もまた同様に滞留したままである。だから井上陽水はリンゴ売りが本物なのか嘘なのか、「きっと」と疑うだけで決定できず、その手前でただ、滞留する。

 井上陽水は窓の外を見に行くことが(「運動」することが)できない。結果として、ここで世界は窓に遮蔽され間接的なもののまま滞留する(この「窓」についてはすぐのちに触れることになるだろう)。井上陽水は世界に追いつくことができない。部屋の中では、世界は、ただの書き割りの絵であり、風景でしかない。

 にもかかわらず、井上陽水はその場でただ安堵するわけではなく、「シラケ」続けているわけではない。井上陽水は外の世界につねに足をとられつづける。 

誰か指切りしようよ/僕と指切りしようよ

軽い嘘でもいいから/今日は一日はりつめた気持でいたい

小指が僕にからんで/動きが取れなくなれば

みんな笑ってくれるし/僕もそんなに悪い気はしないはずだよ(井上陽水 - 氷の世界)

 部屋の中では、距離も時間も世界から離れ、遅延していくのだが、ここには部屋の「外」を志向する欲望と、部屋から出たくないという「内」を志向する欲望の両義性がある。

 他者との関係(「指切り」)が仮に「軽い嘘」であったとしても、井上陽水はその関係への欲望を停止させることができない。なぜなら、そうしなければ「はりつめた気持」でいることが不可能だからである。ここで井上陽水が「はりつめた」と呼ぶものは、この内−外の二重性に潜む緊張である。井上陽水は引きこもっているが、その滞留はただの安住ではなく「滞り」なのだ。

 その意味で、より抽象的な意味で井上陽水が滞留しているのは、単なる内部だけではなくて、欲望と欲望の緊張関係の内部でもある。井上陽水は内にただ篭るだけでもなければ、外に出ていくわけでもなく、その間の緊張関係に滞留しているのだ。

 

 しかし、おそらく井上陽水は世界にも他者にも出会うことがないだろう。井上陽水は、他者を風景としてしか捉えることができないのだ。井上陽水が他者と出会いえない理由は明快である。それは井上陽水の滞留する地点が、世界から徹底して断絶した座標だからだ。井上陽水にとって私と世界、内部と外部は絶えず「断絶」されている。ひとまずこの断絶を言語化しなければ、氷の世界の両義性は理解されえないだろう。

電車/境界/断絶

 井上陽水の詩に、執拗なほど電車や踏切りといった表象が登場するのは、電車が「都会の象徴」として機能するからだと、とりあえずは素朴に言ってもよい。

 たとえば(『氷の世界』収録曲ではないが)“東へ西へ”では電車は次のようにして登場する。

電車は今日もスシヅメ/のびる線路が拍車をかける

満員いつも満員/床にたおれた老婆が笑う

お情け無用のお祭り電車に呼吸も止められ

身動きできずに夢見る旅路へ/だから

ガンバレみんなガンバレ/夢の電車は東へ西へ(井上陽水 - 東へ西へ)

 ここでの「満員電車」は明らかに、都会の喧騒に対する嫌悪感を表現している。ほとんど捨て鉢に歌われる「ガンバレ」は、現代社会に対する倦怠感や皮肉として読まれる。確かにこのように井上陽水の詩の表層には、都会、あるいは人工物全般に対するたやすい嫌悪感がはりついている。

 しかしそれはあくまで表面的なものにすぎない。なぜなら踏切りは、そして線路は、何よりまず、彼岸と此岸の境界であり、断絶だからである。

 井上陽水の詩は実際のところ都市批評としてはほとんど機能していない。それは都市に対する鋭い批評ではなく、ただ凡庸な嫌悪を表出するに留まっている。井上陽水の風景描写は、すべて内省に還元されるものでしかない。

 それは例えばファースト・アルバム収録の“傘がない”の歌詞などに露骨だが(「都会では自殺する若者が増えている/今朝来た新聞に書いていた/けれども問題は今日の雨/傘がない」)、『氷の世界』の中でもなお、より抽象度を高めたかたちで展開されている。「人を傷つけたいな/誰か傷つけたいな/だけどできない理由は/やっぱりただ自分が怖いだけなんだな」(“氷の世界”)。ここではもはや、傷つけるという形ですら、井上陽水は他者との関係をもたないのだ。

 

 だから、この時期の井上陽水の詩に頻出する電車、踏切、線路の表象は、そもそも単純に境界線のイメージであると言わなければならない。それは、内と外の「断絶」を、そしてさらに、その手前で留まり続ける「僕」を表現する。

踏切りのむこうに恋人がいる/あたたかいごはんの匂いがする

ふきこぼれてもいいけど/食事の時間はのばしてほしい

ここはあかずの踏切り

電車は行き先を隠していたが/僕には調べる余裕もない

子供は踏切りのむこうと/こっちでキャッチボールをしている

ここはあかずの踏切り

相変わらず僕は待っている/踏切りがあくのを待っている

極彩色の色どりで/次々と電車が駆け抜けてゆく

ここはあかずの踏切り(井上陽水 - あかずの踏切り)

 踏切りはある種の境界であり、断絶である。井上陽水のファースト・アルバムもまた『断絶』(一九七二)の名を共有しているわけだが、井上陽水はつねにその「断絶」のこちら側に滞留する。「踏切り」は「むこう」と「こっち」のはざまを裁断し、「僕」は「あかずの踏切り」に阻まれてしまう。同じく踏切りのイメージを共有する以下の詩では、それはさらに露骨となる。

ある日踏切りの向こうに君がいて/通り過ぎる汽車を待つ

遮断機があがり/振り向いた君は/もう大人の顔をしてるだろう

この腕を差し伸べて/その肩を抱きしめて

ありふれた幸せに/持ち込めればいいのだけれど

今日も一日が過ぎてゆく(井上陽水 - 白い一日) 

 ここで遮断機はただ空間を遮断しているだけではなく、時間の断絶(遅延)さえも生んでいる(「振り向いた君は/もう大人の顔をしてるだろう」)

 この詩が井上陽水ではなく小椋佳によって書かれたなどという周辺事情を超越し、“白い一日”は『氷の世界』を自己批評し、井上陽水の作家性の中心を暴露している。問題になるのはまさしく遮断機なのだ。「僕」はその遮断の向こうに直接触れられない。断絶の手前で、「この腕を差し伸べて/その肩を抱きしめて/ありふれた幸せに/持ち込めればいいのだけれど」、とただ願うだけだ。だから、ただ「今日も一日が過ぎてゆく」。

 「踏切りのむこう/こっち」、これが「窓の外/部屋の中」の対立関係とパラレルであることは言うまでもない。すなわち、“氷の世界”における「窓の外」は「むこう」であり、「部屋の中」は「こっち」である。その間を裁断する「窓」とは、「踏切り」であり、「境界」なのだ。井上陽水はこうして、他者/外部から断絶される。 

不在の他者/他者の不在

 ただし対照的なのは、“あかずの踏切り”や“白い一日”の「むこう」は触れられない「君」として特権化されているのにもかかわらず、“氷の世界”の「窓の外」の「リンゴ売り」はむしろディストピアのように描かれていることである。ここには二つの他者が存在しているように見える。

いつも僕は君を待ってる/早くドアを開けておくれ

僕の部屋に甘い臭い/僕にすこしわけておくれ

マジックパズルで遊ぼう/時を忘れて

楽しい夕べに/何かが待っているみたい

 

少しドアを開けてみたら/誰か「こんにちは」と言った

だけどそれは隣の住人/さようならとドアを閉めた

今夜の為に買ってた/花がしおれて

悲しい気持ちが/ますますセンチメンタルに(井上陽水 - 待ちぼうけ) 

 忌野清志郎との共作であるこの詩において明確なのは、同じ他者でも「君」と「誰か」の対立である。「僕は君を待って」いるが、しかしドアを実際に開けてみて、実際に出会えるのは「誰か」であり「隣の住人」である。その「誰か」に対して「僕」は「さようならとドアを閉め」る。

 「君」であろうが「誰か」であろうが、他者であることには変わりがない。にも関わらず、ここには当然のように明確な差異が横たわっている。ここにはいわば二つの他者があり、その両者には明確に非対称性がある。

 「僕」は外部から内部に他者が到来する瞬間をただ部屋で待っているのだ。ここでも井上陽水は「待ちぼうけ」ている。

 

 では井上陽水はどのような他者を待っているのか。「君」とは誰なのか。ここで迂回して、やや具体的な問題に取り組まなければならないだろう。それはすなわち固有名の問題である。先ほども挙げた通り井上陽水には都会に対するのっぺりとした嫌悪感があるが、それと対応するようにして、井上陽水には一種の田舎に対する郷愁がある。 

小春おばさんの家は/北風が通りすぎた

小さな田舎町/僕の大好きな/貸本屋のある田舎町

 

小春おばさん/逢いに行くよ/明日必ず/逢いに行くよ(井上陽水 - 小春おばさん) 

 ここで「小春おばさん」の固有名は、「田舎町」を単に表象している。ここでも井上陽水の都会/田舎は、たしかに単なるディストピアユートピアに対応してもいるが、“小春おばさん”はマイナー調のいささか大げさな曲調で歌い上げられ、そのEマイナーはむしろ「逢いに行くこと」の不可能性を示している。そして『氷の世界』にはもう一つ女性の固有名を冠せられた曲がある。

ひまわり模様の飛行機にのり/夏の日にあの娘は行ってしまった

誰にも「さよなら」言わないままで/誰にも見送られずに

ひとりで空へ/まぶしい空へ/消えてしまった

〔…〕

見知らぬ街から遠くの街へ/何かを見つけて戻ってくるの?

それともどこかに住みついたまま/帰ってこないつもりなの?

どうして君は/だまって海を/渡っていったの?

ひとりで空へ/まぶしい空へ/消えてしまったの?(“チエちゃん”)

 この固有名は、“小春おばさん”と対照的ながら同じ事態を指している。すなわち、「小春おばさん」は「僕」が去った後の田舎町におり、「チエちゃん」は「僕」の元から去っている。すなわちこの二つの固有名は共に不在という性格を共有している。二つの固有名が存在するのは、会いに行くことが不可能な「ここではないどこか」であり過去なのである。ここでは、都会/田舎という二項対立というよりも、むしろノスタルジーとでもいうべきものが井上陽水を支配している。

 ここでそろそろ気づかなければならないだろう。井上陽水が安堵して肯定できる他者は、そして理想とする他者は、目の前にいない他者である。井上陽水は、「不在の他者」にこそ惹かれている。目の前に現前する他者は、それは「隣の住人/さようならとドアを閉めた」という形で排除されてしまうからだ。

 しかし不在の他者という語には注意しなければならない。実際のところ、それは順序が逆なのだ。待ち望んでいる誰かが不在であるのではない。不在であるからこそ待ち望むのである。誰かがいない(他者の不在)ではなくいない誰か(不在の他者)なのだ。

 井上陽水が他者を理想化しえるのは、まさにその関係が遮断され、間接的なものに止まり、断絶の向こうにあるからに他ならない。理想的なものの到来を待っているのではなく、待っているものが理想になると言わなければならない。つまり井上陽水が滞留している部屋は、他者を待つ場であり、そして同時に、決して他者が訪れてはいけない場所なのである。

 不可能なものであるうちは強くそれを望むのに、実際達成されてみれば熱が冷めてしまうというようなことは、たとえば恋愛において身近にありうる。井上陽水がここで無意識のうちに表出している欲望は、それである。理想が理想たり得るのは、それが達成されえないからだ。「この腕を差し伸べて/その肩を抱きしめて/ありふれた幸せに/持ち込めればいいのだけれど」(“白い一日”)と言いつつ井上陽水が真の意味で恐怖しているのは、むしろ理想が達成されてしまうことのほうである。だから井上陽水は暗に、「あかずの踏切り」がいっこうにあかないままであることを欲望しているはずだ。外への欲望と内への欲望のズレは、単に、自らが醒めてしまうこと、すべてに「シラケ」てしまうこと、「はりつめた気持ち」が失われることを恐れているのである。

 しかし、滞留は苦しみであるが、安堵でもある。この意味で、「僕は君を待ってる」のだが、ただし、井上陽水が待っているのはそのドアが開く寸前までである。ドアが開いた瞬間、井上陽水は一切の興味を失うであろう。井上陽水の眼前にはただ空席がある。その空席に座る人なら、「君」だろうが、「小春おばさん」だろうが、「チエちゃん」だろうが誰だって望ましいのだ。ただし、実際にそこに座らない限りで。

 理想とは訪れないものであり、訪れないものとは理想である。

無自覚な転倒

遠くで暮すことが/二人によくないのはわかっていました

くもりガラスの/外は雨/私の気持ちは書けません

さみしさだけを手紙につめて/ふるさとに住むあなたに送る

あなたにとって見飽きた文字が/季節の中でうもれてしまう

あざやか色の春はかげろう/まぶしい夏の光は強く

秋風のあと雪が追いかけ/季節はめぐり/あなたを変える(井上陽水 - 心もよう) 

 けれども、井上陽水にはその転倒が自覚できない。井上陽水にとって不在は、表面上、直接的なコミュニケーションへの渇望と同一視されるのである。

 ここで手紙という間接的なコミュニケーションの中でさえ、井上陽水は自分(の感情)が直接他者のもとに晒されることを許せない。なぜなら、そこで井上陽水が書いたものは、「あなたにとって見飽きた文字」でしかなく、「季節の中でうもれてしまう」ものだからだ。井上陽水は、他者を風景に還元しながら、自らが風景となってしまうことを恐怖する。だから、「私の気持ちは書け」ない(しかし我々は、他者に風景化されるその暴力性を了承した上でしか、コミュニケーションなどできはしないのだが)。

 だから、井上陽水は「文字」という間接的な媒介を、矛盾した二つの意味で許すことができないことになる。①それが直接的なコミュニケーションではない(手紙は「遠くで暮らす」「さみしさ」を解消しない)。②それが直接的なコミュニケーションである(不在の他者の純粋な「不在性」を傷つけてしまうことになる)。窓の外のリンゴ売りに井上陽水が悪意を向けるのは、たとえその姿が見えなくても、「声を枯らした」その声が届いてしまうからなのだ。こうして井上陽水は『氷の世界』の中で、徹底して、他者とのコミュニケーションを避け続ける。井上陽水は事実上、断絶を望んでいる。

 不在であるからこそ他者を待ち望むことができる。にもかかわらず、一方でその間接性を排除しようとし、嫌悪し、直接的な他者の到来こそを待ってしまう。それが『氷の世界』の逆説なのである。

 井上陽水はつねに誰かに裏切られること・誰かに飽きてしまうことを恐れ、観念的でどこにもいない他者を「待ちぼうけ」る。そしてその待つという所作の「はりつめた気持ち」こそ、井上陽水が安堵していられる唯一の「四畳半」であり、モラトリアムなのだ。彼の楽曲はその限りで「四畳半フォーク」なのだ。

 

 しかし、『氷の世界』はこれだけではない。このアルバムには、じつはひとつの「例外状態」が存在している。後編ではこの「例外状態」と、大澤真幸『虚構の時代の果て』における井上陽水の取り扱い(連合赤軍の後の世代としての井上陽水)について論じる。

 

   

 

(後編に続く)

 

(文責 - 左藤 青

絓秀実入門(前編)差別意識とフォルマリズム

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▲映画『LEFT ALONE1』(2005)より、絓 秀実

作家神話の破壊としてのフォルマリズム

 SNSが広まり、誰もが「表現すること」の快楽を享受しうることが可能な現代において、言論の自由並びに、表現の自由はきわめて「民主的」な権利となっている。しかし金井美恵子がいうように「書くという権利は誰にでも平等にあるわけなんですけれど、書く資格というのは違う」わけであって、誰もが憲法の下に「書く権利」はいうまでもなく認められるが、それが即時的に批判を寄せ付けぬものになるわけではない。誰もが糾弾される可能性を孕んでいる。敢えて極論するなら、「書く権利」とは「言葉狩りされる権利」に他ならない。
 その点で、一見すると政治と文学の対立のように仮定される「言葉狩り」の問題は、本来的には文学と文学の対立である。言葉狩りによる「失語症」に陥った作家を単なる「権力の被害者」と想定することは許されない。

金井美恵子:〕それと、あれはなんと言うの、言葉狩りとかなんとか、すごく批判されたじゃないですか。何、あれ?いいじゃない、やってりゃ、と思うけど、言葉狩りなんて。それに筒井康隆が、何が一番馬鹿だなあと思ったかと言うと、言葉なんて小説家にとって、自由でもなんでもないでしょう。いかにそれが「自由」ではないということを意識しつづけるということが、エクリチュールじゃないですか。文学は絶対的な表現の自由の聖域であって、それがどうやって保証されているかと言えば、それは虚構だっていうのが、彼の考え方でしょう。文学なんて聖域なんかじゃありませんよ。(「不自由なエクリチュールとしての小説」、絓秀実・金井美恵子の対談)*1

 ここで金井美恵子が批判しているような、「言葉」が不自由である、という認識を欠いた作家たちは未だに大勢いる。特に筒井康隆のようなアイロニカルな作家ほど、「言論の自由」の名の下に自らの加害者意識を被害者意識に転化し、暴力性を隠蔽する工作をはかっている。そのような人間たちが自称したがるのが「炭鉱のカナリア」なる珍妙なメタファーだ。炭鉱のカナリアは、有毒ガスが発生した際、人間よりも先に察知して鳴き声(さえずり)を止める。「言論の自由」を振りかざす彼らは、そのようなものとして自らを規定しているのだろうが、実のところ、かのカナリアは自らが出している有毒ガスに対しては無頓着であり、鳴き声を止めることなく「言論の自由が脅かされている」とさえずり続けているのではないか。

 作家は「不可侵にして侵すべからず」存在ではない。しかしそれがかくのごとく天皇として「不可侵にして侵すべからず」存在に倒錯してしまう可能性は充分にある。かかる神聖化を拒否し、糾弾し破壊することこそ批評に要請されるものであろう。そしてそれは「言葉狩り」のことであることはいうまでもない。

優雅で感傷的な筒井康隆

 筒井康隆と絓秀実による論争は、高等学校国語教科書に採用された筒井康隆の小説『無人警察』の中に癲癇への差別的表現があることをてんかん協会が批判したところから端を発している。筒井はてんかん協会に対して、断筆宣言で応答。「直接的には日本の癲癇協会などの糾弾への抗議でもあるが、また、自由に小説が書けない状況や、及び、そうした社会の風潮を是認したり、見て見ぬふりをしたりする気配が多くの言論の媒体にまで見られる傾向に対しての抗議でもある」と筒井は説明している。
 この論争は現代では筒井康隆の「勝利」に終わったと認知されている場合が多い。しかしそれは全くの誤謬に他ならないのではないか。かかる歴史認識のもっとも批判されるべき点は、政治と文学の対立に立って筒井康隆を擁護する位置づけである。筒井康隆を文学の場におき、絓秀実を政治の場に置くという紋切り型的な見識は愚劣としか言いようのないものであろう。第一に、そうした「表現の自由」に対しては、前章で示したような「糾弾する自由」がある。そして第二に、何よりも絓秀実の立場(「言葉狩り」)が、まずもってフォルマリズムの立場であることが認識されるべきなのである。

 前章で金井美恵子を引いて主張したように「言葉」は不自由なものである。何ゆえ不自由なのか。それは作家の占有物ではないからである。言葉は作家の占有物ではないし、語り手の占有物ではない。言葉はコミュニケーションする段階で生じる共通認識であり、道具である。この言葉はあまりにも自明なものとして使われているために「使われる」ことに対して無自覚なものになっている場合が多い。この無自覚性を批判するのがフォルマリズムに他ならない。

 周知のようにフォルマリズムは形式が内実を規定することを主張した文学運動であって、フォルマリズムの立場では「何を指し示すか」よりも「どのように指し示されるか」の方が重要になる。言いかえれば上部構造の「本質的」な議論よりも、それを規定している下部構造の方が重要なものになるのだ。「言葉狩り」論者は自覚を問わず、常にフォルマリスティックになる。
 差別は日常生活の中で無意識に反復された身振りによって規定されるものである。日本の左翼運動を差別運動にパラダイムシフトさせた津村喬は、これを「スタイル」と呼んでいる。「スタイル」は「風」によって規定される。「学風」「社風」といったものだ。こうした諸々の「風」は、明示的かつ非明示的に、日常生活の運動を規定している。だからこそ差別論者の、あの「差別される方にも問題がある」「差別は不可避的なものだ」という愚劣な論理が要請されるのだ。差別が不可避的なもののように思われるのは、無意識に「風」の中へと自らを位置づけているからであって、形式としての「スタイル」に対する批判意識を欠いているからに他ならない。
 この身振りに関する闘争が言葉の次元に集約すると、それはフォルマリズムになるのであって、言葉狩りの運動とは本来的に文学の形式を変革する文学運動のはずだったのである。

 

 しかし事態を筒井康隆の「勝利」へと導いたのは、そもそもてんかん協会側に、政治的であるという自己認識があったからだ。

筒井によるてんかんの通俗イメージの流布は、教科書のみに限定して批判されるべき問題ではありません。てんかん協会は、協会が当初行なっていた「無人警察」所収の文庫・全集等の回収などというーこれ自体は全く誤ったー要求の不当さを「表現の自由」の側から糾弾されたことへの反作用として、問題を教科書に絞ったのでしょうが、これまた「芸術(文学)」という文化的イメージへの妥協にほかならない。(『「超」言葉狩り宣言』)

 絓秀実は筒井康隆が表現している通俗イメージ、すなわち無自覚に筒井康隆が共有しているであろう差別意識てんかん協会が批判しなかったことに疑問を呈している。つまりてんかん協会は筒井康隆の問題を無自覚な「通俗イメージ」にあるのではなく、その政治意識の低さによるものであると誤認したわけである。それは言葉の内実ではなく形式を問題にするフォルマリズム的な視座が、てんかん協会には決定的に欠如していることに起因する問題であろう。
 周知のように六〇年代に隆盛した新左翼のスローガンは「想像力が権力を取る」であった。しかしこのスローガンは正確には「想像力の権力を批判する」と言った方が正しいはずだ。なぜならば、新左翼とは旧左翼の資本主義との共犯関係と、並びに全体主義化していたスターリン主義への批判から出てきたものであるからだ。資本主義社会やファシズムを批判する旧左翼もまた、資本主義と同じ想像力しか持ち得ない。だからこそスターリン主義全体主義化してしまう。この問題意識があるからこそ、党による大衆の啓蒙を是とする前衛共産党神話を批判し、かかる前衛ではおさまりきらない「他者」の問題、差別問題を津村喬は提起できたのである。
 絓秀実の筒井康隆に対する批判も正しく「想像力への批判」である。そして言うまでもなく、想像力の批判は、フォルマリズム的な文学的「言葉狩り」の次元によって要請されるものでなければならない。 

ベンヤミン的な闘争へ

 かかるてんかん協会の誤認は結果として筒井康隆の“優雅”で“感傷的”な被差別意識(=差別意識)を温存させることになった。筒井康隆の通俗イメージは、無知によって構成されるだけではない。それはSF的想像力の「芸術的政治性」によって起因するものである。

 周知のように「芸術的政治」とはベンヤミンナチスを批判する際に用いた造語だが、これは政治的な判断でしかないものを、極めて美的に表現することで、あたかもそれが許されていると民衆を扇動させる方法論を指した言葉だ。例えば罪のないユダヤ人を虐殺しても、それを神話とトレースさせることで、勇猛果敢であるかのようにみせ、人々を賛同させるやり方のことである。これに対してベンヤミンは「政治的芸術」を対抗させる。政治的芸術とは、かかる芸術的政治の欺瞞を暴露させる方法であり、実体よりも美化された独裁者の錯誤と、そのような美意識のレトリックを批判する方法論を指す。
 この点で筒井康隆に対抗し、その通俗イメージを明るみに出した絓秀実の立場はベンヤミン的なものであろう。絓秀実=ベンヤミンは美のために批評することはない。なぜならそれはファシストの論理だからである。「美しい」からこそファシズムは民衆に許されているのだ。絓秀実=ベンヤミンは、美の判断基準であるクリティークを積極的に動員する。したがって彼らは必ずしも美しいものを擁護する批評家ではない。むしろ彼らは美しいものを批判するのだ。代わりに彼らが擁護するのは、かかる美の詐欺性を糾弾しうるユーモラスな批評精神である。
 筒井康隆的なSFのばあい、この美は「皮肉(イロニー)」として称揚される。皮肉は「炭鉱のカナリア」であるから、社会に対して超越的な立場に立てると考えている。しかし筒井康隆的なSFは再三言っているように超越的な立場でもなければ、ましてや「言論の自由」の名の下に再批判を封殺できるものではない。加害者でありながら被害者であることを自認し続ける筒井康隆は未だに「ファシスト」と評価するほかなく、我々は彼の作品を「言葉狩り」しなければならない。

中上健次から天皇制批判へ

 本稿は筒井康隆と絓秀実の論争を絓秀実の勝利であると書き続けてきた。これは『「超」言葉狩り宣言』の読解を通したものだが、この著作には絓秀実と金静美との対談が収録されている。この中で、金は部落解放運動が戦中の天皇ファシズムに加担したことを糾弾しているのだが、そこからさらに作家・中上健次天皇主義に対する疑問にまで話が及んでいる。
 ところが、絓秀実にとって中上健次はカノンとなりうる作家のはずである。中上は『日輪の翼』を象徴として、天皇に対してシンパシーを抱く発言を繰り返していた。ある意味で金のリゴリスティックな問題提起は中上をカノンにしていた絓秀実にも当てはまる問題であり、苛烈であると言うほかない。この金静美の批判から、絓秀実の天皇制に対する問題意識が始まったのではないだろうか。中編ではこの問題を扱いたい。

 

(中編に続く)

 

  

 

(文責 - しげのかいり

*1:絓秀実『「超」言葉狩り宣言』所収。太田出版、一九九四年