批評集団「大失敗」

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角田光代『空中庭園』を読む(前編)

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角田光代空中庭園』(2003年)

郊外、この遍在する空間

 酒鬼薔薇事件(一九九七)をはじめとして、「郊外」と呼ばれる社会空間が問題化したのは一九九〇年代でした。またそれと前後するかたちで「郊外」を主題とする書籍や論文や評論がさまざまな領域から出版されてきました。そうして、現在ではある種の一ジャンルといって差し支えないほど郊外にかんする言説の積み重ねが存在しています。

 いまその膨大な言説史をまとめる余裕はありません。ただ、わたくしはみずからが育った場所でもある郊外という空間/場所について、一篇の小説を通して思考してみたいと思います。ところで、それは存在論的な問いでしょうか。しかし、そのように問うには困難がつきまといます。なぜと言うに、郊外とは文化的な固有性を持たない抽象の空間であり、それこそが構成要件となっているからでありましょう。すなわち、そこに「根ざす」ことの不可能性を顕わにし、またどこまでも幾何学的かつ条理的であるという意味で、その交換可能性とともに空虚そのものを体現する近代の実体が、この郊外という空間なのです。

 唐突なようですが、わたくしは旅が好きでして、暇と金さえあれば日本中をうろうろしたい衝動に駆られます。暇と金がなくてもたまらず実家のある東京西郊を出て、地方各地をふらふらしてみますと、いたるところで「見知っている風景」に出会うことができます。たとえば大きな国道、バス停、駐車場、マンション、団地、ファミレス、コンビニ、スーパー、ショッピングモール、ホームセンター、ラブホテル、学習塾や予備校、ドラッグストア、ガソリンスタンド、中古車販売店、街金の看板、パチンコ屋、チェーンの飲食店、ドンキホーテTSUTAYAやGEO、それから駅周辺のちょっとした盛り場。

 さて、このように眺めることのできる平凡なつまらない空間にも、さまざまな人びとが実際に生きているわけですから、この空間が空疎な廃墟のように感じられたとしても、それはやはり外から見る者の傲慢と言うべきでしょう。郊外を内側から見るというということは、換言すれば、このどこか退屈な郊外にその身を曝すという体験に他なりません。そして、その体験を考える上では、やはり文学が必要になるのでしょう。わたくしはそう思い直して、そそくさと自分の実家に帰り、家の近くにあるファミレスで——おかわり自由のコーヒーをすすりつつ——一冊の小説を読もうと思います。

郊外、この日常的な空間

 現代に見ることのできる郊外を文学において初めて主題化したのは、おそらく「内向の世代」と呼ばれる一群の作家たちでありましょう。この世代に含まれるのは、後藤明生黒井千次阿部昭坂上弘古井由吉高井有一、大庭みな子、富岡多恵子などの作家たちですが、古屋健三によれば、こうした「内向の世代」の特徴とは次のようなものでした。

内向の世代とは歴史的に明確に定められた世代であって、それも敗戦時の混乱を柔い感性に刻み込んだ世代を指すことになる。〔…〕この世代のいまひとつの大きな特徴は、その心の傷に特別拘って、戦後社会に適合不能にならず、いかなる混乱のなかでも崩れない日常の営みに縋ったことだという。かれらは荒涼とした心を抱えながらなに喰わぬ顔で小市民的な日常生活を送っていく。さながら市井に隠れた犯罪者のような、心と生活とのこの背理が内向の世代のぶきみさであり、魅力であろう。*1

 鍵となるのは、平穏な「日常生活」であり、そしてその日々を過ごす人びとが抱える「荒涼とした心」です。これに「郊外」というわたくしたちのテーマを引きつけるとき、召喚するのにもっとも適切なのは上に挙げた小説家たちよりも、むしろ小説家に随伴したひとりの批評家・秋山駿であります。

 ここでは秋山駿の批評ともエッセイともつかぬ文章を一冊の小説を読むための補助線にしたいと思います。まず秋山駿という批評家は、現在の若き批評読みたちにはあまり知られていない批評家の一人でありますが、これが少し上の世代になりますと、それはもうよく知られた力のある批評家であったそうです。一九九三年生まれのわたくしはそんなことも知らずに、ただ「郊外のリアリティ」の元素を求めて、『舗石の思想』(一九八〇)をはじめとした秋山駿の著作を読んでいました。というのも、郊外を自明のものとして生きるわたくしたちにも触知可能な風景が、秋山のテクストにはあるように感じたからです。

 まず秋山駿の人生には、古屋健三が言うように「胸を躍らすような物語はなく、砂を噛むような日常が拡がってい」ました*2。これは秋山自身のコンセプトである「人生の評論化」とも深く関係します。すなわち、銃後の戦争という破局——わたくしたちにとっては「震災」や「原発事故」ということになりましょうか——を経た秋山が、自己批評的なスタイルでもって自らの日常的な生を捉えるとき、それは「石ころ」のようなものになるのです。

ノートは、書くために在るのではない、破るために在るのだ、と。人の生もそうに違いない。人の生は、生の物語を書くために在るのではない。むしろ、物語を破るために在るのだ、と。〔…〕戦争は、人間から生の物語を剥ぎ取って宙吊りにしてしまった。そのとき、人間の生存は、なにか一塊の石ころに等しいものになってしまったのである。ただ固く、沈黙する、無意味なものに。ただ物がそこに存在する。仕方なく存在している、というようなものに。そして、不意に亡んでいった。*3

 「日常」と呼ばれるジャンルのさまざまな物語は、わたくしたちの「しんどい」としか言いようのない日常生活からは遠く離れた桃源郷のごときものであるがゆえに、どうしようもなく現実逃避の場となっていることは周知のとおりでありますけれども、他方で秋山駿はこうした人間の生のありようをひとつの石ころにまで還元し、そこからわたくしたちの日常生活を批評します。それはいわば「舗石の零度」とでも言うべき視点、白日の下、すべてがフラットに曝け出される空間、その不気味なほどに低いところにある眼は、今日の郊外社会の断面を切り出してみせるのです。

わたくし達の生のもっとも貴重なものは、その根を、人間的なものの暗闇の深処へと下ろしている。その暗闇とは、秘密の場面である。そして、そういう秘密は、やはり地下室とか、頭蓋骨の内部とか、深く人目からは隠された場処でしか醸成され得ないのである。ところが、われわれ、つまり団地居住者は、それとは違っている。秘密なぞ、ない。秘密の場処なぞ、持ち得ない。いわば、われわれは、社会に対して秘密を抱くことのもっとも寡い新しい種族の一群として、ここに生存しているのである。*4

 団地などの郊外社会では、秘密の何かを行う場所、あるいは何かを隠したり、自分が隠れたりする、そうした深い暗闇の空間は、秋山の指摘通りなかなか見つからないのではないでしょうか。街の空間はどこも区画整理されており、道という道は街灯に明るく照らし出されていて、ドミノのように整然と並ぶ建築群には柵や壁が張り巡らされて隙がありません。それは建物の影に隠れて煙草を吸うことすらままならないほどです。そして、人びとが行き交う駅や商店街や公共施設などの場所では常に監視カメラの眼が光っています。

 たしかに「犯罪」や「危険」といった平穏な日常を壊乱するものを排除するには、こうした都市工学的な施策は有効でしょう。しかし、その空間管理のメタ・メッセージは、つまり、人びとの生活や行動は穏健かつ良識的であらねばならない、危険な秘密や怪しい隠しごとなどはもってのほか、というものであります。

 このメタ・メッセージを内面化した人間というのは、それはそれで不気味な存在ではないでしょうか。今わたくしたちが考えなければならないことは、「安心」や「安全」を空間的に消費することと引き換えに、みずからの身体や行動を高度な管理の視線に晒してしまうことであり、それにとどまらず、むしろみずからその視線にひれ伏すことが一般的であるという事態についてです。この社会的な事態は、郊外という透明な空間を前提としますので、やはり郊外の物質性や構造といったことにも考えを広げてみねばなりません。

 さて、前置きがずいぶんと長くなりましたが、ここで小説をとり出しましょう。よく知られている現代小説の作家です。角田光代の『空中庭園』(二〇〇二年)は、以上に挙げたような問題のありようをよく描きだしており、「郊外を生きる」ということを考える上で読まれるべき一冊だとわたくしは思います。  

郊外、この透明な空間

 この小説の核心的なテーゼを、登場人物の一家の長女・マナが次のように示しています。

何ごともつつみかくさず、タブーをつくらず、できるだけすべてのことを分かち合おう、というモットーのもとにあたしたちは家族をいとなんでいる。*5

 マナは、母親が作ったこの「モットー」の脆弱さを鋭く見抜き、そして「いくつかの過去はこの家の蛍光灯の下に引っぱり出され、よきものとして共有される」ことにも辟易としています。実際にコンビニで雑誌を立ち読みしている母親に声をかけただけで、ひどく動揺し狼狽する様子を見て、「秘密をなくそう、というモットーはこんなにもみっともないことなのだ」とひとり心の裡で理解するのです。

 またマナは、自分の家である「ダンチ」に帰ってくるときには必ず在宅しているはずの母親の帰宅時間が、なぜか日に日に遅くなっていくことを不審に思い、母を尾行することにします。そうしてショッピングモールで年齢にそぐわない買い物をする母親を見てしまったとき、ついにマナは母親の決めた「モットー」が引き起こす逆説を見破ることになります。

かくしごとをしない、というモットーは、ひょっとしたら、とてつもなくおおきな隠れ蓑になるんじゃないか。あたしたち家族の一日は、いや、あたしたちの存在そのものは、家族に言えない秘密だけで成り立っていて、そのこと自体をかくすために、かくしごと禁止令なんかがあるんじゃないか。その禁止令があるかぎり、あたしたちは家族のだれをも疑ったりはしないのだから。*6

 事実、マナをふくめた京橋一家の家庭は、母親が高校生のころに立てた計画に沿って作られたという、とてつもなく大きな「秘密」の上に成立している存在であったのです。しかし、前述したように、秋山駿によれば団地居住者は秘密を持ちえないはずです。とすると、秋山はこの小説の母親よりも純朴で素直なだけだったのでしょうか。

 たしかに秋山は、団地居住者の生活というものは、独自の秘密を持たないような「千篇一律の光景」のなかにあり、「上下左右の七つか八つの窓が、ほとんど同一の家庭の光景を明るく照らし出していた」と書いています*7

 しかし、じつのところ「秘密」に対する両者は、マナが洞察した「モットーの逆説」において共犯的な関係にあります。すなわち、「秘密がある」ということを蛍光灯の下や明るい窓の中でも「秘密」にするために、「秘密はない」という「建前」を作り上げる、秋山的に言えば「千篇一律」的な家庭を営んでいるのであって、その光や明るさによって演出された建前=千篇一律の「表層」こそが欺瞞に満ちた「秘密」を透明なものにするのです。

 こうした狡知を、母親である絵里子はひきこもりだった中学時代を経て、そして不遇にされた高校生時代に思いつくのですが、それは自分の母に対する反抗心の結果でありました。つまり、他人のいじめや暴力によってひきこもってしまった子どもの自分を守ろうとせず、世間から許してもらうために自分のいたらなさを泣いて詫びるという狡い母に絵里子は失望したのです。

 だから絵里子は、自分の子どもを「無用な憎しみや悪意から守り、善なるものに目を向けさせ、絶望や恐怖などよせつけない」ように、そうした家庭を築くことを決意します。要するに、自分の実家を「反面教師」にしたのです。その実家は「陽が射さずに暗く、じめじめして」いたという絵里子の回想が示すとおり、母親としての絵里子が住まう「ダンチ」(絵里子はあくまでも「グランドアーバンメゾン」と呼びます)とは正反対の性質を持つ空間でした。そして、現在の住まいは「光かがやくあかるい場所」であり、そのベランダに並べた鉢植えの庭園は「居間からも食卓からも、外からも見えて心を癒さなければいけない」とされている空間なのです。

 このように対比される二つの空間のうち、「ダンチ」=「グランドアーバンメゾン」は、絵里子の自意識を通して生み出される空間でありましょう。その自意識とは、「外」という他人=社会に対して、自分たちの家族は明るく善であり、心癒される場を作り上げている、ということを示す意識にほかなりません。

 自意識が空間化したこの家庭は、必然的に内部の独立性を失いますが、それは同時に外部との境界を失うということでもあります。このことは第一次集住の農村と、その外部であった第二次集住の都市とが、土地の商品化と都市内部の人口増加によって内破-外破され「外部なき郊外」を生む、この資本の論理の比喩として読むことができるでしょう。

 すなわち、絵里子が住む「ダンチ」の家庭は、小市民的な道徳観を有する外部の監視社会と地続きになってしまい、内も外もなく、荒涼とした郊外的な空間になってしまいます。実際に、この家族の父が自身の不倫(なんと凡庸な秘密でありましょうか)を絵里子に打ち明けようとした場面で、絵里子の空間化した自意識は顕わになります。

秘密をできるかぎりもたないようにしようというとりきめをつくったのは私だった。私の家庭は母のつくったあのみじめな家とはちがう、私のつくりあげた家庭に、かくすべき恥ずかしいことも、悪いことも、みっともないことも存在しない。だからなんでも言い合おうと、私はくりかえし提案したのだった。けれどここにいる私の夫は、私の母とまるきりおなじに、自分の抱えるかくすべきものをわざわざ披露しようとしている。彼が守ろうとしているのは秘密をもたないという私たちのルールではない。自分自身だ*8

 他者の視線を意識して作り上げられるがゆえに、みっともないことが存在しない家庭、自分たちを守ってはいけない家庭、すなわち外=郊外と家庭が地続きになった意識空間というものは、読む者に空恐ろしい印象を与えるわけですが、作者である角田光代が郊外の問題と家庭のありようを比定して、それに通底するかたちで絵里子の空間化した自意識を描いたかどうかは定かではありません。ただわたくしはこの小説を郊外社会に対する批評的なものとして読みました。しかし、いわゆる「文壇文士」なる者はそのような読み方をしなかったようです。角田自身の反応とともに引用しましょう。

久世光彦さんが「BRIO」という雑誌に書いた『空中庭園』の書評が、ものすっごい堪えたんです。こきおろされた訳じゃないんですよ。すごく面白くて読まされたという主旨の文章が続いて、でもいちばん最後に、「だから何なの? って思っちゃった」と添えてあった。つまりあの小説は、ある家族がいて、でもこんなに嘘がありますよ、って暴露して暴露して、暴露したまま終わる小説なので、久世さんのおっしゃることもわかるんですね。こんなに醜いものですよ、で終わってしまっていいの? ということを、とても丁寧に書いて下さった。*9

 わたくしは死体を足蹴にする趣味はありませんので、なるべく穏当に言いたいのですが、この小説をただのスキャンダラスな「暴露小説」として読むことなど、そこらへんの中学生でも造作なくできることでしょう。しかも角田自身がその評価を受け容れてしまっている様子からして、ご自身が何を書いたのかについてあまり自覚的ではないようです。

 たしかに物語の結末は何の救いもない殺伐とした終わり方ではありますが、しかしそれこそが郊外的な社会のありようを映し出していると言えます。なぜなら、農村/都市という内-外の境界線が無化してしまった結果の郊外、そしてその比喩であるところのこの家庭には、どこかへと脱出できるような「出口」は存在しないからです。あるいは絵里子の自意識に沿って言えば、社会=他者と家庭=自己の、この両者の間に何の緩衝地帯も内部の独立性も持たないために――社会のまなざしによって内面化された道徳のために、この一家はどこにいても自分の過ちや秘密事を許されることはないでしょう。

 以上のように、『空中庭園』という小説の文学的トポスが、郊外やニュータウンを想起させるような場所であるのはなぜなのか、久世光彦はそれについてまったく考えておらず、それがゆえに「だから何なの?」というつまらない問いしか出てこないわけです。ここは「だから何もない」と無表情に答えて然るべきでしょう。

 この作品を評価する理由、それはどこにも行くことのできない内閉した郊外の現実、そしてそこで生きることのドラマの不可能性を、戯画的に描いてみせたことだとわたくしなどは思います。

 

(後編へ続く)

 

   

 

(文責 - 赤井浩太

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*1:古屋健三『「内向の世代」論』慶應義塾大学出版会、一九九八年、一九、二〇頁。

*2:古屋健三『「内向の世代」論』慶應義塾大学出版会、一九九八年、三三頁。

*3:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇二年、一〇〇頁。

*4:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇二年、三三頁。

*5:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、一〇頁

*6:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、三九頁

*7:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇五年、三四頁

*8:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、一三五頁

*9:特別対談 『書評の愉しみ』 三浦しをん×角田光代(前編) | ポプラビーチ