批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動

 ※前編

daisippai.hatenablog.com

 前編では、東浩紀について論じた。後編では外山恒一について扱う。

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批評≠思想

「資本」主義に対抗して、それ以上に自らの批評の普遍性を打ち出すことのできる「革命家」。〔…〕革命家は、観客を育てるのではなくオルグする。言い換えれば、観客を無理やり当事者に変えてしまう。観客の育成は、当事者=優秀な党員を確保するためである。こちらは、むしろ、セクトを作ること、党派を作ること、タコツボを増殖させつつ拡大することが重要である。(『資本主義的、革命的』前編より) 

  私は前編で、批評家のあり方として一方の「資本家」の極に東浩紀を置き、もう一方すなわち「革命家」の極に外山恒一を置いた。しかし、これは実は恣意的な操作である。外山恒一は批評家ではないからだ。だからこれは正確には「思想のあり方」と言い直さなければならないのかもしれない。

 けれども、実際のところ東の作り出す「批評」ないし「批評観」を批判できている思想家は、現在、外山恒一だけである。実際に見てみよう。

外山佐々木敦も含めてこの座談会の参加者たちが共有しているらしい、浅田彰東浩紀のようなタイプの〝批評〟がイコール〝思想〟であったかのような特殊な状況を、特殊だと感じることのできない〝思想〟観がそもそもおかしい。〔…〕だって〝浅田まで〟はそもそもそうではなかったはずじゃん。〝浅田以降〟はそうなってて、浅田はその両方の状況を体験してると思うけどさ。〔…〕 

外山 〔…〕しかし本当はそういう議論の前提となっている「批評=思想といった等式」というもの自体が疑われなきゃいけないはずで、東のような狭い意味での〝批評家〟だけでなく、〝活動家〟のような人たちの言説まで含めて〝思想〟シーンが成り立ってると考えるなら、〝批評〟の主流はそりゃ東しかいないんだから東だったでしょうけど(笑)、〝思想〟の主流はそうではなかった、という認識になりますよ。〔…〕(東浩紀が1人で孤塁を守ってたような領域で〝東浩紀ひとり勝ち〟なのは当たり前(笑) -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(2) | 外山恒一のWEB版人民の敵

パフォーマティヴ=アクティヴ

  外山恒一にとって、「ニッポンの思想」は批評家だけで構成されているわけではない。そこにはアクティヴィスト(活動家・運動家)も参入しなければならないのである。この点において、外山はある種「批評」に対する他者として、『ゲンロン』座談会に接している。しかしだからといって、単に外山が運動家として、外野から東に対して異論を呈しているとは言い切れない。次のような浅田と東のやりとりを見てみよう。

浅田 〔…〕田中康夫が神戸で空港建設反対の住民投票を求める署名を三〇万集めた、僕はそれが批評的行為だとは思わないし、彼も文学者としてやっているなどとは絶対に言わない、単にアクティヴィストとして立派にやったと思います。あるいは、僕はそのレヴェルでは宮台真司の言うことをほとんど支持しますよ。〔…〕僕は東さんと違ってそれが批評的だとは思わないので、たんにアクティヴィストとして立派だと思うんです。 

 もちろん彼はパフォーマンスしかないんだから。

浅田 いや、僕はそれをパフォーマティヴな批評的行為としてではなく有効なアクティヴィズムの実践として評価すると言ったわけですよ。

 浅田さんの話は一貫してコンスタティヴなレヴェルとパフォーマティヴなレヴェルが別れているんですよ。〔…〕(「いま批評の場所はどこにあるのか」、26頁。強調引用者) 

 これは一九九九年一月、東浩紀鎌田哲哉福田和也浅田彰柄谷行人らが紀伊國屋ホールで交わした議論「いま批評の場所はどこにあるのか」(『批評空間』II-21所収)からの引用である。このシンポジウムについては様々な角度からの議論が可能であるが、ここではこの場面のやりとりについてだけ特に着目してみよう。

 かなり大雑把に言えば、「コンスタティヴなレヴェル」とは、あるテクストにベタに書かれていること(「この牛は危険である」という性質説明)であり、「パフォーマティヴなレヴェル」とはそのテクストが読まれることによって生じる様々な効果(「この牛は危険である(だから近づくな)」)を指す。この効果は当然、テクストとしては、読まれることによって「事後的に」生じるものだ。このパフォーマティヴな次元を鑑みるなら、テクストはつねに誤読/誤配の可能性に晒されている(例えば「この牛は危険である(じゃあ近づいてみよう)」になりうる)。

 東浩紀は一貫して、批評家は単にコンスタティヴなテクストを書く=「真面目に理論的な文章を書く」だけではなく、事後的にパフォーマティヴな実践をする=「その読まれる場所に対して自ら働きかける」ことが必要と考えている。言い換えれば、誤配がより生まれやすいように営業することが重要だと考えている(それは実際、上記の対談においても東によって「営業」と呼ばれている)。このことは前編で見たとおりだ。

 そこから生じる浅田彰東浩紀のすれ違いをよく見てみよう。上記の引用を見る限り、浅田においては「批評的行為」と「アクティヴィズム」は別れている。田中康夫の署名運動は、浅田にとってあくまでひとつの「運動」であり、「批評的行為だとは思わない」ものだ。それに対し東浩紀においては、「アクティヴィズム」という言葉はすぐさま「パフォーマンス」と言い換えられてしまう。この「言い換え」こそが東の戦略であることもまた、すでに前編で述べた(浅田はそれを察知し、すぐに話を戻している)。

 東にとって「アクティヴ」はあくまで「パフォーマティヴ」であり、「パフォーマティヴな批評活動」のひとつであり、それが有効かどうかよりも、「批評的かどうか」というある種の美的な価値判断によってのみ評価されるのだ。それは、「コンスタティヴな批評」とともに「批評」というひとつの営為を構成する一側面に過ぎない。すなわち、こう言っていいだろうが、東浩紀「批評一元論」である*1

 東にとっては、批評家がテクストの外で何か活動することもまた、全て批評活動であり「営業」の一環なのだ(かつてジャック・デリダは、挑発的に「テクストに外部はない」といったわけだが、東にとって「批評に外部はない」のである)。「批評という病」は、「アクティヴ」(運動)が全て「パフォーマティヴ」(営業)に言い換えられていく「ねじれ」を指している。この際、東による「運動」の消去は理論的に必然性を持っている。

 外山恒一の違和感は、アクティヴをパフォーマティヴと同一視し、言い換えることで「運動」を思想から消去し、「批評」と思想を同一視するこの東浩紀の手際に対するものである。この言い換えは、『存在論的、郵便的』がその核心に据える「コンスタティヴ/パフォーマティヴ」という対(デリダがオースティンから引用し改造した対概念)に由来するのだから、内在的な東浩紀批判にも繋がっていると言うべきだろう。

 こう言わねばならない。東浩紀(派)においては、事実上も権利上も、「批評」と「思想」は、非常に自明かつ「健康的に」、ねじれなく結び付いている。だから実際のところなんら批評をしていなくても「批評誌」やら「批評集団」やらを名乗ることができるし、なんら思想的なことに関わっていなかった批評家が、急に政治的/社会的な発言を要請されたりもするのである。

 しかしそれはもはや自明ではない。現代の批評になんらかの閉塞感があるとすれば、それは「批評」の外部を消去したことに由来するのではないだろうか。外山恒一は、そうした「批評」に対する異邦人であり、パルマコン」(毒=薬)だ。

〈我々少数派〉≠多数派

 では外山恒一自身はどうなのだろうか。一見東と全く異なるフィールドで戦っている外山恒一だが、外山は東に対して妙な親近感も持っている。

外山 〔…〕3回シリーズの座談会にこっちも律儀に3回シリーズの読書会をやってきて、回を追うごとに東への親近感というか、〝やっぱり同世代ではあるんだよなあ〟という近しさを感じるようになって我ながら困惑してるんですけど(笑)、東浩紀がデビュー以来ずっと続けてきてるのは、まさに〝運動〟なんだもん。〝批評シーン〟というタコツボの中で、東は一所懸命、〝運動〟を志向し、しかも何度も挫折を経験してるのに、へこたれずにまた別のことを考えて、〝運動〟を再建し、継続してきてる。この意味不明な情熱、パワー、そして〝運動家〟体質にはものすごく同世代性を感じるんだけど、〝ジャンル〟がなあ……(笑)。(批評シーンの中で東浩紀は一所懸命運動を志向している。しかし、ジャンルがなあ…… -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(3) | 外山恒一のWEB版人民の敵

 ここで外山が実は、東の「パフォーマティヴな批評的実践」に一定以上の評価を与えている点を押さえておこう。「タコツボの中の端のほうと端のほうでつながってない部分を出会わせてシャッフルしようと」することを外山は評価する。なぜか? むろん、それは外山恒一自身の「活動」であり「運動」もまた同様の性格をもつからである。

www.nicovideo.jp

 あえてニコニコ動画から貼ろう。外山恒一は「運動家」を自認するが、それはいま、「運動」と言った場合に想像される具体的な署名活動や、適当な若者たちが集って騒ぐ「デモ」ではない。外山はむしろそうした「真面目な市民の」活動に対しては嫌悪感すら持っているだろう。彼の「運動」はどこかいつもふざけているように見えるし、それゆえに野間易通から「サブカル」呼ばわり され、論争に発展したりもする。彼が「サブカル」かどうかはともかく、彼の「運動」は、この動画に見られるような明らかな、そして計算された「パフォーマンス」ではある(実際この動画は非常に「美しい」。計算された腕の角度、抑揚、間、「緊張と緩和」)。

 外山恒一も「イベントを仕掛けたり、雑誌を立ち上げたり、スペース運営にまで手を染めたり、とにかく思いつくかぎりの方法でシーンを活性化させ」てきた人物だ。しかし、前編ですでに書いたように、例の政見放送の目的は、やはり「タコツボを破壊すること」が最終目的なのではない。動画をもう一度見ていただきたい。

私は、諸君の中の少数派に呼びかけている。

少数派の諸君、今こそ団結し立ち上がらなければならない。

やつら多数派はやりたい放題だ。

我々少数派が、いよいよもって生きにくい世の中が作られようとしている。

〔…〕

今進められている様々の改革は、どうせ全部全てやつら多数派のための改革じゃないか。

我々少数派は、そんなものに期待しないし、もちろん協力もしない!

我々少数派は、もうこんな国に何も望まない!

我々少数派に残された選択肢はただ一つ!

こんな国はもう滅ぼす事だ!(強調引用者)

  しかし、繰り返される「我々」とは一体誰なのか? 多数派や少数派という図式は、例えば「性的少数者」とか、ある政策に関する「賛成派と反対派」のように、なんらかの限定があってはじめて生じる。しかし外山はここでなんの定義もしていない。ここでの〈我々少数派〉とは一体誰か?

 もちろん、「元から多数派と少数派が独立で存在しており、外山が少数派の仲間をしている」という順序でこの発言を捉えてはならない。ここで行われていることは、いわば「スピーチ・アクト(言語行為)」に他ならないからだ。ここで外山は「我々」と呼びかけることによって「我々」を創設しているのであり、この「我々」には何か初めからポジティヴな定義が存在していたわけではない。〈我々少数派〉は、セクトを団結させ、その同一性を獲得するための「約束」なのだ(ちなみに、外山恒一の率いる政治結社の名前は「我々団」である)。

 ここで起きていることはタコツボを破壊することではなく、むしろ「まったく新しい」タコツボを作り、増殖させていくことにほかならない。無数の少数者の、団結なき団結、共同性なき共同体としての〈我々〉なのである。そこでの結束は、「反−管理社会」以外にその定義や共通項を持たないし、事実上、そうした定義はほとんど具体的な提案、いや「建設的な提案」を持つものとはならないだろう。〈我々少数派〉の団結は原理上、どこまでもネガティヴな(積極的な定義を欠いた)集まりである(だから「スクラップ&スクラップ」なのだ)。ちなみに、東浩紀にはこの図式は「否定神学的」にしか見えないと思われる。

 おそらく、外山恒一にとっては、それがマルクス主義でもアナーキズムでもファシズムでも、そうした道具立てが、既存の価値観に対してそのつど「まったく新し」ければ、それで良いのである*2。その道具はつねに交換可能で、ある程度なんでも代入可能な「イデオロギーX」である。ここで、かつて書いた『資本主義リアリズム』についての拙論を想起していただきたい。外山が相手にし、「まったく新しい戦争」と呼んでいるものは、まさしく「資本主義リアリズム」である。 それについて具体的に見てみよう。

左翼=体制派

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全く新しい左右対立−イデオロギーX

 少々古いものではあるが、二〇〇四年、外山恒一は、柄谷行人をパロディするかのようにこの図を用意していた。

 4象限図を描くために、我々は縦軸と横軸を用いた。
 しかし我々が考えるに、この縦軸と横軸とは、同じ太さで引かれてはいない。
 結論から言えば冷戦の時代、縦軸の方が太く引かれていた。〔…〕
 そして今や、我々は横軸の方が太く引かれていると考える。
 横軸を挟んだ二つの勢力の対立──それが「まったく新しい戦争」の正体である。
〔…〕
 我々は、社会のPC化を推進する左翼勢力と、諸個人を監視・管理するハイテクを獲得した国家権力との結託による、まったく新しいスターリニズム体制の実現に抵抗し、これを阻止・粉砕する闘争に決起しなければならない。
〔…〕
 我々はあの4象限図で、左上領域に身を置くXである。
 縦軸が太く引かれ、左下の左翼勢力と連帯している時、Xは「アナキズム」と呼ばれる。
 横軸が太く引かれ、右上の右翼勢力との連帯が必然的に追求される現在のような時代には、Xはおそらく「ファシズム」と呼ばれるのである。

 外山の認識は、〈右翼・体制側 vs 左翼・アナキズム〉という旧来の体制が冷戦終結によって崩れ、その後は「まったく新しい戦争」が始まったというものである。その戦争においては、この図式は〈左翼・体制側 vs 右翼・ファシズム〉にとってかわる。それが「ファシズム」に限定されるべきものなのかどうかはさておき、基本的に「理性的/精神的価値」を目指す「X」へと向かうべきであるというのは私にとってまったく正しい言辞としか思えない。

ファシストは、資本主義に反対する。

共産主義者が資本主義に反対するのは、それが「正しくない」からである。

ファシストが資本主義に反対するのは、それが「美しくない」からである。(「ファシズムとはおおよそこんな思想である」

 しかし、ここで彼のファシズムの説明や、彼の「運動」にある種通底するものを見る必要があるだろう。つまり、外山恒一の活動は少なくとも極めて「美学的」であり、「芸術至上主義的」なのだ。私が外山の政見放送を「美しい」と評したのは、まさにそれが執拗なほどの形式美を追求しているからであり、外山の、いわば「美学イデオロギー」に起因するからである。

パフォーマティヴ=アクティヴ

 前編で私は東浩紀をこう評した。

東によれば批評とは日本における特異な現象であり、批評それ自体が考えるに値する。東の思索は、その批評の内容や対象というよりは、その批評という営為が生まれてくる現象そのものに向いている。

東は「批評」という語自体を批評という営為の「可能性の中心」に据えるのだ。

 東浩紀の用いる「批評」という言葉は、 まさに彼によって広告的に作られ、改造された言葉だった。その視座から、東は「現代日本の批評」の歴史を遡行し、解釈する(それは無論、東までの批評家たちがそうしてきたものでもあるのだが)。東は、「批評」という病そのものを、批評の可能性の条件として設定している。

 では外山恒一は何をしているのか。おわかりのように、外山恒一は、「運動」という語自体を運動という営為の「可能性の中心」に据えるのである。標語的にいえば、東浩紀が「批評」を批評する批評家なら、外山恒一は「運動」を運動する運動家だ。

 たとえば最新の著作である『全共闘以後』も、人脈などの関わりはあれ、基本的に、それぞれ全く異なる状況や問題に対応してきた「運動」を、「運動」であるというその形式においてまとめている。つまりここで描かれる運動史は、多数派に対する、〈我々少数派〉であり「人民の敵」たちの抵抗の歴史である。この歴史は一面においては非常に「パフォーマンス」の歴史なのだ。

 外山にとっては、新しいスターリニズムに、多数派の抑圧に、管理社会に抵抗すること——革命すること——は、政治闘争や権力争いなどではなく、パフォーマンスによってなされる(べき)ものである。たとえば最近の「運動」を取り上げれば、外山は二〇一三年以降の「原発推進派ほめご…大絶賛キャンペーン」では、原発推進自民党支持を「表明」しながら街を街宣車で回るという「嫌がらせ」を行っている。『全共闘以後』によれば、その際のBGMはタイマーズであったらしい(原発音頭 タイマーズ - YouTube)。この楽曲のイメージは外山恒一にぴったり重なるものだ。そしてこうしたパフォーマンスが極めて用意周到かつフレンドリーになされていることも明らかだ。

 しかしもちろん、多数派を冷やかしズラしてしまうこうしたパフォーマンスを、外山恒一はあの一九九九年の東とは正反対に、「アクティヴィズム」と、つまり「運動」と言い換えるだろう。こうした東浩紀外山恒一の奇妙な関係こそ、批評と運動、文学と政治のねじれであり、思想の二極化であり、「棲み分ける思想」を表すのである。

 いまや、東の「批評史」に対して正直に批判を展開した外山恒一は、「批評」というタコツボをかき乱す存在になっている。思想の「棲み分け」を批判してきた東がこれに今のところまともに応答していないことについては、少し分が悪いのではないだろうか。

(だから私は、この記事の前編を書いている途中に外山恒一ゲンロンカフェに登壇すると聞いて心底驚いた。「外山十番勝負」に東浩紀が入っていることを願っておこう) 

「正しさ」≠「美しさ」

 思想の二極は、いわば両方とも、ある種の「美学」によって支えられている。この美学こそ、リベラルな「正しさ」の同調圧力に抵抗するために用いられるのだ。東と外山は、お互いまったく違う角度からではあれ、現行「リベラル」に対して嫌悪感を持つ。

 「政治的正しさ」(ポリティカル・コネクトレス)の意味の充溢は、実際どこまでも「正しい」のだが、それ自体がまるで「反体制的」であるかのように振る舞いながら、抑圧的に機能する。それは誤配をなかったことにし、〈我々少数派〉を弾圧し、管理し、全てを「資本主義リアリズム」の監視下におくだろう。成熟/「熟議」という目的論モデルに〈我々〉を縛り続けるだろう。

 思想家たちは、そうした「正しさ」の重苦しさに、「表現の自由」というもうひとつの「正しさ」を対置するのではない。コンスタティヴなテクストを書きながら*3、それでも「観光客」のように軽やかに/「全共闘」のように鮮やかに、体制の監視から「逃走する」。そしてそのように「演じる」*4。それがいま「イデオロギーX」が、言い換えれば「思想」が目指していることなのではないだろうか。

 これは、批評家・絓秀実がベンヤミンからしばしば引用する、「政治の美学化」への抵抗であるということもできる。無論、東・外山ら自身の身振りが、「政治の美学化」へと近づいてしまっているのであり、そういう危険をつねに孕んではいるのだが。

ベンヤミンの高名な論文〔『複製技術時代の芸術作品』〕が言うところの、芸術作品の『展示的価値』という概念は、美術館によって購入されたその作品の交換価値は、一般的な労働力の価値の累乗された希少で貴重な労働力によって作られたものであるがゆえに高価だという論理に、芸術を回収しようとするのである。それは資本制の「美学化」——ベンヤミンに倣えば「政治の美学化」——にほかならない。しかし、これまたベンヤミンのその論文が言うように、「複製技術時代」の到来は、そのような特権的な芸術家の「労働」の崇高な「アウラ」を崩壊せしめずにはおかない。美術館におかれれば「それが芸術だ」という芸術の無根拠制が、複製技術時代には露呈してしまうのだ。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』)*5

 ある芸術作品の「値段」とは極めて資本主義にとってセンシティヴな問題である(政治)。けれども、一定の人間は——あるいは批評家は——それを覆い隠し、苦労の末作られた作品に相応の値段がつくのは普通だと考える(美学化)。私は、「思想」をただ観念的な、「ありうべき」規範として示したいわけではない。しかしながら、「政治の美学化」とは反対に「芸術の政治化」を達成し、見いだすことのできるような、本質的に資本主義に抵抗し脱構築するような〈ジャンク〉としての批評=運動が、やはり待ち望まれるのである。

 それは「つねにすでに」あるものなのか? それとも「いまだ−ない」、〈来たるべき〉ものなのか? その解答を、今のところ〈我々〉は持っていない。ここから先は、もはや「観客」であり「当事者」でもある〈あなた〉が判断するべき——批評するべき——次元になってくるのである。「私には、建設的な提案なんか一つも無い」。だから〈我々〉は今はただ、次のように問い続けるだけに甘んじよう。

 

 では、いま批評の場所はどこにあるのか?

 

(文責 - 左藤青

 

 

 

 

*1:もうひとつの点として、外山恒一浅田彰に対する評価「浅田はその両方の状況を体験してる」は重要である。たしかに、浅田は思想史上、この「批評一元論」へと繋がる橋渡しになった。詳しくは、「大失敗」ブログ、しげのかいりの記事を参照:浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(前編) - 批評集団「大失敗」

*2:ちなみに、個人的な体験で申し訳ないが、私が今年の9月ごろに外山氏と直接お話しさせていただいたとき、私は『全共闘以後』をどの層に読んで欲しいのか、そしてその読者をどうしたいのかを尋ねた。その際、外山氏は「ちょっと知的なことに興味がある大学生が読んで、何か面白い活動をしてくれればそれでいい」と述べていたように記憶している。

*3:外山恒一にはまだ自身の理論を開陳するタイプの「主著」は存在しないし、またそれを受け入れる出版社は今のところ少ない。大手出版社諸賢は、自身が資本主義の単なる奴隷ではないことを証明するためにも、一刻も早く外山恒一に本を書かせねばならないであろう。

*4:両者の演劇についての「軽い」共通点について。外山は演劇集団「どくんご」の熱烈なファンであり、彼のパフォーマンス自体も演劇的な側面を持つ。東浩紀は演劇部出身である。「〔…〕大学に入ってもちょっと演劇やってました。大学二年のときにはなんと、ぼくが脚本と演出をして、公演を打ったこともある。〔…〕そしてその公演がとにかくあらゆる意味で大失敗をし、そのときはじめて、というかいままでおそらくは唯一、俺には何もできないと真剣に思った」(東浩紀「オタクから遠く離れて」、『郵便的不安たちβ』所収、河出文庫、二〇一一年、二五三頁。強調引用者)また、東のトークイベントなどでの態度は極めて演劇的で、役割・ポジションを重視するものである。

*5:絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な——「1968年の革命」史論』、ちくま学芸文庫、二〇一八年(文庫版)、二六〇・二六一頁。もちろん、反対に「芸術の政治化」を考えなければならない。「それら〔赤瀬川原平の「千円札」〕は同等に美術館に展示され、〔…〕単なる(?)ジャンクなのである。にもかかわらず、それが——「反芸術」という——「芸術」だと主張される時、それは芸術が商品交換の論理に還元されえないという資本制の矛盾を突き、「芸術の政治化」(ベンヤミン)が遂行される」(同頁)。

「大失敗」九月・十月記事まとめ

 平素より大変お世話になっております。批評集団「大失敗」の左藤青(@satodex)です。

 早いもので、「大失敗」立ち上げから一ヶ月以上が立ちました。

 はじめはブログを作るつもりなどなく、宣伝する意識も薄かったのですが、一言で言うと成り行きでことが運び、基本的に週にひとつのペースで記事が上げるという勤勉なスタイルを継続できております。

 むろん、そうした受験勉強めいた勤勉さにも少しの休息が必要なものでしょう。今週は、これまでに書いてきた記事のまとめとしたいと思います。このまとめは一ヶ月程度に一度作っていくつもりです。

1、「哄笑批評宣言」(9月27日)

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 立ち上げに当たって「批評宣言」を書いたものです。マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』をダシに使って色々語っております。

「横断」(あるいは「誤配」)は常に事後的にのみ見出される。しかし、「資本主義リアリズム」はその事後的な可能性を、「いまだない」という外部をどこまでも消去していくことになるだろう。この不可能性を私たちは「大失敗」と呼ぼう。

 現代批評において、もはやクリシェのように繰り返される「横断」や、「誤配」(©︎東浩紀)というものが、「批評」なる営為の可能性の中心であることは認めつつも、一旦それにゴネてみる、というのがこの文章の趣旨です。

 その辺にいる、映画とか音楽とか好きな、適当なサブカルプチブル大学生(私のことではない)にとっては、そりゃ「横断」とかは素晴らしいことなのですが、批評ってそれだけだったっけ、と。〈僕たち〉の批評はまあ、いいけど、それだけではないということです。

 『大失敗』Vol.1は一月二十二日に京都文フリで発売します。郵送なども予定していますので、どうぞ皆様お買い求めください。上記記事にメンバー紹介もくっついてるので、とりあえず読んでいただければ幸いです。

2、【時評】人間の時代と「ポップ」なもの(9月29日)

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 なんとなく時評とかを書いたほうがウケるかなという安直な考えで書いたものです。いちおう連載しているのですが、本当に書くべきことのない、くだらない論争ばかりが日々生じていますので、よっぽど気が向くまで次回は書かないと思います。

 しかし『新潮45』に関しては、一応これから雑誌を作る身として触れておこうと思いました。

 現代はとりわけマイノリティの話にはやたらと過敏です。そしてその過敏さ自体はある意味完全に真っ当で、小川榮太郎に怒る人が出てくるのは当然です。しかし、いわばその「反応速度」こそ、週刊誌的なゴシップと全く共犯関係なのであって、要するに反応すればするほどゴシップ的なものの影響力と価値は相対的に上がっていくということです。

 これはのちに書いた東浩紀論にも通底しますが、私は基本的に、広告に声をあげて怒るのは広告を広めるだけでなんの意味もないと思っています。

 あと、一応付け加えておくと、この件について高橋源一郎さんが記事を書かれましたが、少なくとも「批評」としては適当なことしか書かれておりません。こういうものを「ポップ」というのではありません。

3、遠近法と声の抵抗(10月5日) 

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 十月頭の記事です。私は七〇年代〜八〇年代のニューウェイヴの時代の音楽が好きなのですが、P-MODELというのは、日本を代表するニューウェイヴ・バンドです。これは『ベルセルク』や『パプリカ』の音楽などで一般に知られている平沢進さんがかつてやっていたバンドでもあります。そのP-MODELの中でももっとも暗く実験的なアルバムを批評したものとなっています。

 平沢進のリスナー(「馬の骨」とか呼ばれています)というのはけっこう多いので、その辺を狙って書いた記事です。私は平沢進の歌詞が難解だと思ったことは一度もないのですが、リスナーたちのあいだでは考察の対象となっているようです。

 しかし、そもそも音楽のリスナーって基本批評的なものからすごく遠く(それはもちろん、聞き手のせいではなく、音楽批評にろくなものがないからなんですけど)、ジャンルの抱えている問題があるのかもしれません。

 4、【書評】外山恒一全共闘以後』(10月6日)

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 赤井さんは以前から私やしげのかいり(@hahaha8201)と親交があったのですが、今回の「大失敗」旗揚げに際してもっとも早くレスポンスをいただきました。是非とも『大失敗』で書きたい、と言っていただけたので、とりあえずは書評を書いてもらったという経緯です。この書評は外山さんご本人にも反応いただき、ブログでも紹介されました。

 私たち「大失敗」は、批評の(再)政治化、をテーマの一つとして持っています。そんな中、外山恒一東浩紀の「非政治的」批評史観にほぼ唯一批判的に反応している知識人だったわけです。『全共闘以後』もそういうコンセプトですね。

 私たちには東浩紀外山恒一によって現在の批評状況を見る(そしてそこから遡る)、というゆるいコンセンサスが一応あります(これは、私としては、京大熊野寮の外山さん&絓秀実さんのイベントに参加し、ご両名と直接お話しさせていただいたという体験も大きかったのですが)。赤井さんは平岡正明の専門家であり、左翼思想史などに強い関心をお持ちなので、書評を書くにはうってつけの人材でしょう。

 赤井さんの論考では、鬼気迫る文体ではありますが、割と誠実に『全共闘以後』がまとめられていると思います。

時代を問うことが思想的営為の第一条件だとするならば、単一な過去に規定された「現在の現実」をひっくり返しにかかっている外山恒一は、まぎれもなく思想家である。また近年の絓秀実や千坂恭二の動きも含めて考えれば、状況は水面下ですでに大きく動きだしているといっても過言ではないだろう。

 

5、浅田彰と資本主義(前編)(10月7日)

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 しげのかいりによる浅田彰論です。

 浅田彰は名前だけはよく知られているのですが、いまの若者にとっては、何をした人なのかよくわからず、ポストモダンの衒学的な評論家、としか思われていないのではないでしょうか。

 その印象もある意味間違っていないのですが、その「ノリつつシラケる」衒学こそ、彼のある種の政治的思想の発露であり、左翼思想史に位置付けられるものなのだというのが、忘れられつつある前提なんですね。たとえば『逃走論』に現れるゲイ・ピープルの思想は、かなりパフォーマティヴなもの、つまり「あえて」の思想なのですが、その「あえて」がなくなると、彼が一体何に向けてパフォーマンスをしていたのか、わからなくなってしまうわけです。

山口昌男の思想的なバックボーンを見たとき、そこにあるのは林達夫の精神史的なモチーフから遡行して作り出される新左翼の文化闘争である。その山口に影響を受けたバブル期のトリックスター=文化英雄というべき浅田彰もまた、かかる左翼の思想史を前提にした存在であると考えるべきであろう。 

 批評とか思想を読むって、ある意味そのコンテクストがわからないと理解できないところがあるので、かなり文脈依存ですよね(しかし文脈依存であることと売れることは大部分で反しますよね。パッと読んでもわからないものなんだから)。そしてコンテクストを欠いた「批評」は、コンテンツの「批評」でしかなく、批評ではないんです。

 なので、私たちとしてはその文脈をまず紹介するところから始めるべきだと思いました。これは相談の結果しげのに書いてもらったものです。しかし、編集段階で結構私の手が入っており、「ドゥルーズ=ガタリ」的に言えば、「しげのかいり=左藤」が書いたというべき作品でしょう(笑)。

 反応としては、浅田彰に影響を受けた(そして多くの場合今ではなぜかそれを反省している)読者たちによく読まれたように思います。彼らにとっては浅田の政治性はある種自明のことだったわけですけれど、私としては、浅田が(そして「大失敗」が)何をやっているのかよくわからない人たちにこそ読んで欲しいと思っています。なぜ人がこれほど浅田彰を崇めたり、避けたり、怖がったり、憎んだり、軽視する態度をあえて取ったりするのか。

浅田彰が資本主義を批判する共産主義者の立場に立ちながらも、資本主義の成功を容認し続けるのもそのためである。浅田彰共産主義は中心になることがないものだ。もしもそれが中心に位置するならば、一夜に悪夢へと変わるだろう。そのことを予期しながら、資本主義とは違い、先取りした形で共産主義を自虐的に評価する自己破壊に位置し続けるのが、中心に対する周縁人(トリックスター)の位置付けである。 

6、「反動的異化」に居直る(10月12日)

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 永観堂雁琳(@ganrim_)氏による記事です。

 彼がこの批評集団にいるのは割と異色なことではありますが、概ね彼が書いているとおりの理由です。雁琳さんがいることによって、単なる批評好きの集まりにはならず、政治的な色を出すことができるというのが私の目論見でした。この記事では、雁琳さん自身の「大失敗」に対する考えも開陳されています。

左藤氏の言うように、現今の批評が、裏返った現実への追従としての「運動」の夢を「自己啓発」に成り下がっているのだとすれば、すなわちオルタナティヴという名のイデオロギー装置に成り果てているのだとすれば、展望と絶望を同時に提示することによって現実を「異化する」しか道が残されていない。私が慮るに、その道は、展望の不可能性を語り続けることによって目の前の現実を超越した絶対的なるものを提示しようとするイロニーか、展望と絶望の遊戯的な交錯を続けることによって絶えず目の前の現実を別の位相へと転化し続けるユーモアか、その何れかになるであろう。

 妙に難しい書き方してますが、要するに差異化のゲームに甘んじ続けることのできるのがユーモアであり、そのように見せかけて実は何か絶対的な現実を措定してしまってるのがイロニーということで、これ自体、色々議論の歴史があります。→浪漫的イロニー(ろうまんてきいろにー)とは - コトバンク

『私はユーモアの人です』という蓮實さんの言葉ほどアイロニカルに響くものはないとも言えるし、無謀と見えるほど直截に原理に迫っていく柄谷さんの言葉が時に思わぬユーモアを帯びることもある。それが、しかし、批評の逆説というものなのでしょう(柄谷行人編『近代日本の批評Ⅱ』、浅田彰の発言)*1

 まあ私の立場がどうなのかはよくわかりませんが、この区分で言えば私は蓮實派で、雁琳さんは柄谷派だということになるのでしょう。とりあえず、「大失敗」はシリアスなものであると同時にポップ(というか「ギャグ」)でなくてはならないということはもともと考えていたことです。時評でも引用したブレヒトのイメージですけどね。 

7、浅田彰と資本主義(前編)(10月21日)

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 浅田論後半です。前半の論考は、浅田自身の立場が左翼思想史に規定されていること、その中でこそ彼は「トリック・スター」であることを見ようとしていたのですが、後半では、小林秀雄吉本隆明という批評の流れの中で、浅田を見てみようという内容になっています。

 「ボヘミアン的」というフレーズが使われていますが、結局この論考のオチは、世俗から離れた仙人のような立ち位置としての「ボヘミアン」が、もはや現代に至ると単なるフリーターでしかなくなってしまったということなんですね。いわばその転換点に浅田彰がいる。批評家に憧れる庶民ワナビーたちは、「ボヘミアン」になりたいがなれないフリーターになってしまったわけです。

 「横断」的に浮遊する非専門家であることを自負する「批評家」の形は、今や翻って、単なる契約社員的なものになってしまった。しかも、正社員からフリーターへというパースペクティブを下支えする、公務員の解体=ネオリベ政策は、吉本的な大衆のルサンチマン(いわゆる「税金ドロボー」叩き)によって力を持っているのである。
 この点に関して浅田彰に責任があるとは思わないが、『逃走論』は実は極めてネオリベ的なものである。考えなければならない点は、今日におけるボヘミアン的知識人は、「契約社員」以上の意味を持ってないこと、これである。

 また、この記事にいただいた「そらまぎる」氏のコメントがかなり適切なまとめになっているので、引用しておきます。

近年においては、もはや学者も「領域横断的」であり、「国際的」たることが求められるようになりました。自らの研究分野(およびテーマ)に関しても、2つ以上もっていなければならない、といったように専門性(深さ)を追求することが困難な状況です。そのようななかで研究を続けていこうとする者たちは、往々にして「ネオリベ的主体」となっていきます。言い換えるならば、研究者として通用する(=要求されている)人間は、一般企業において要求される人材と相違ないということです。
〔…〕
〔研究者は〕敗北を認め、「ジャンク」化していることに徹底的に絶望するところから、はじめなければならないと思います。〔…〕

8、資本主義的、革命的(前編)(10月26日)

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 私の記事です。東浩紀論になっており、こちらも東さんご本人に一言言及いただきました。

 「意外とおもしろかった」(小学生並みの感想)という一言ではありますが、私は一面においては素朴な東ファンですので、結構普通に嬉しかったと思います。このツイートの効果もあって、この記事は結構たくさんの方に読んでいただけました。内容はご一読いただければだいたいわかると思うのですが、「結局、東浩紀って何をしている人なのか?」というのは意外と見えづらいんですよね。しかし私にとっては彼はずっと同じことをしている人です。

 Twitterで「東浩紀」とかで検索すればわかりますが、もはや東の読者は彼を自己啓発のようにして読んでおり、東は「泣ける文章」を書く人になっています。が、その効果は東の人格以上に、かなり戦略として作られたものであり、しかもその戦略の必要性そのものを東は初期の論考で言っている。彼がやっていることは徹頭徹尾「広告」であり「営業」なのであって、仮に彼を批判する立場であったとしても、「顧客になってコンテンツを消費している」ことには変わりない、ということです。

 むろん、これはしげのかいりの浅田論とも繋がっている内容です。

いまや、むしろ、このような浅田彰の貴族的「広告」戦略に対置されるものが必要なのであって、それこそが「ボヘミアン」神話それ自体を真に批判しうるものになるはずだ。それは具体的には、既存の自由主義を“愚直”に批判する、政治性を持った「アジビラ」ということになるのではないだろうか。(浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(後編)より)

 続けて読めば何かしらの文脈が見えてくると思います。まだ『資本主義的、革命的』の後半を書いていないのですが、ここに外山恒一氏が登場してくるというのも我々の間で一致している見解です。

ボクたち、批評に飽きました

 さらっと書くつもりで長くなってしまい大変苦労しました。そういうわけで、また十一月も記事を更新していきますので、よろしくお願いいたします。よければ「読者になる」ボタンを押していただくか、Twitter (@daisippai19) をフォローしていただければ大変励みになります。

 なお、「大失敗」は書き手を募集しております。本誌の方でもウェブ上でも、何か書きたい方、「批評に飽きた」方はぜひTwitterのほうでDMください。

 繰り返しますが、『大失敗』Vol.1は一月二十二日に京都文フリで発売です。郵送なども予定していますので、どうぞ皆様お買い求めください。

 それでは失礼いたします。

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(文責 - 左藤青

*1:柄谷行人編『近代日本の批評Ⅱ』、講談社文芸文庫、一九九七年、二五二頁

資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について

 

新しい情報の提供があるわけでもなく、新しい価値判断があるわけでもない、ましてや学問的研究の積み重ねがあるわけでもない、なにか特定の題材を設定しては、それについてただひたすらに思考を展開し、そしてこれいった結論もなく終わる、奇妙に思弁的な散文(『ゲンロン4』33頁)

 東浩紀によって、「批評」とはこのように要約され、定義されている。東によれば批評とは日本における特異な現象であり、批評それ自体が考えるに値する。東の思索は、その批評の内容や対象というよりは、その批評という営為が生まれてくる現象そのものに向いている。

 東は「批評」という語自体を批評という営為の「可能性の中心」に据えるのだ。

 

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▲広告の例

 

歴史修正的

批評という病は、言い換えれば言葉と現実の乖離は、ねじれそのものが解消されなければ癒えることがない。そしてそのねじれはいまも変わらずに存在している(『ゲンロン4』33頁、強調引用者)

 こういう手法は、東浩紀の戦略としてオーソドックスなものである。彼の戦略は、「批評」であるとか「ポストモダン」であるとかいう、一般的に流布し、使われてきた語の定義を改造することによって、自らの思想を述べる点にある(デリダの「古名 paleonymie」の戦略に相当する)。

 そして実際彼の言葉とともに、「批評」や「ポストモダン」は全く豹変した意味を持ってしまい、まるではじめからそうであったかのような「遠近法」的な錯覚に読者は陥ることになる(たとえば彼を「ポストモダン」として批判する立場は、常にそのことに留意していなければならない)。

おそらく、デリダを研究している人であれば研究している人であるほど怒るでしょうが、僕はデリダ脱構築の理論は本質的には歴史修正主義の理論だと捉えています。歴史はいくらでも修正できる。というか、人間はいくらでも修正してしまう。人間とはそういう生き物で、言葉にはそういう性質がある〔…〕(「デッドレターとしての哲学」一二二、一二三頁)*1 

 東浩紀デリダの哲学を「歴史修正」の理論だと、思い切って言う。むろん、歴史修正だから悪だなどということをここで書きたいわけではない。哲学や批評と呼ばれる一定の思想運動は、本性的に「歴史修正的」であり、東はそれを自覚した書き手なのだ。これが『存在論的、郵便的』(以下『郵便本』と略記する)以来の東の「訂正可能性」にかかわる議論であることは言うまでもない。

暴力的

 したがって、私たちは『動物化するポストモダン』や『観光客の哲学』だけではなく、それを準備するかのようにして書かれていた『郵便的不安たち』や『現代日本の批評』や『ゲンロン4』巻頭言の短い文章を含めて、彼の主著とか「代表作」と呼ぶ必要がある。彼の「批評」=歴史修正はそこからすでに始まっているからだ。そうした前準備こそが、彼の本を理論的にも実践的にも支えているのだ。

 少なくとも「批評」に関わる東浩紀の文章は、ほぼ間違いなく①コンテクストを独自の仕方で圧縮し、その独特の状況認識/歴史認識を示すこと(批評に対する批評)、②それに対する応答を特異な場所に接続しながらキャッチーな言葉で示すこと(誤配)、という手順で書かれている。

 後者、すなわち誤配に関してはわかりやすいだろう。東浩紀はいつでも、彼がそれまで属していた領域からずれていこうとする。「オタクから見た日本社会」も「観光客の哲学」も、それまでと全く異なるように見える領域に「接ぎ木」する意志が明確に現れたサブタイトルである。もちろん、ここで問題なのは議論の内容ではない。文体であり語の選択が重要なのだ。「誤配」的文体は、「『遠いところ』にいる観客」であり「批評という病=ゲームを鑑賞し、その成否を判断する『観客』の共同体」を目指す。

 しかし、しばしば見落とされているのだが、東がその手際を最も発揮しているのは、実は①においてなのだ。自分に至るまでの「批評史」を暴力的なまでの手際で「要約」=「歴史修正」し、問題領域を確定するという段階にこそ、東浩紀の鋭利さがある。

 暴力的な要約能力。東浩紀の読者であればそれも皮膚感覚としては理解できるはずだ、東はこの戦略をひとつの文章のなかでも多用している。東が用いる「言い換えれば」や「すなわち」という接続語は、実は「言い換え」でもなんでもないものを接続している。この跳躍を自然なものに錯覚させ、読み手を「ドライヴさせ」るのが、彼の文章の特徴である。東浩紀の業績を一言でまとめれば、この文体を開発したことに尽きる。

 『郵便本』前後においては、東自身、こうした文体にまつわる問題系に対する異様なこだわりを見せていた。この時期の東は柄谷や蓮實の文体を分析したり、国語学者時枝誠記の仕事に着目したり、今から見れば非常にマニアックな問題に取り組んでいる。『郵便本』はジャック・デリダの文体の変化をある理論的な必然性において読み解くという、特異な問題意識から書かれている(「存在論脱構築」から「郵便的脱構築」への変異)。

柄谷文体と蓮實文体は、一時期よく言われていたように対照的なものには思えないんですね。実際は彼らの批評文はともに、使い方は違うけれど、「辞」の力に非常に頼っている。辞の力とは、今日の講演で言えば、パフォーマティヴな力です。しかしぼくは、もうそれには頼れないと考えています。かわりにぼくは、コンスタティヴな詞だけが、辞の支えも象徴界の配達もなしに、ただヒュンヒュンと発送されていくようなテクストを夢見ているのです。(『郵便的不安たちβ』、一〇二頁)

広告的

 この意味では、東浩紀の作風は『郵便本』と『郵便的不安たち』ですでに完成しており、『動ポモ』も『一般意志』も『ゲンロン0』もその実践編=応用編に過ぎないとすら言えるだろう。要するに、注意しなければならないのは、「批評」は、それ自体が東が用いるひとつの独特な用語であるということだ。

 例えば、哲学の歴史もまた、往々にしてある言葉、ある「用語(ターム)」に特殊な意味を付与し、特権化することで世界を説明してきた。「コギト」、「超越的/超越論的」、「ノエシスノエマ」、「存在論的差異」……云々である。東は初期の短い論考のなかで、しきりにこうした「大文字のキーワード」の必要性を主張している。東浩紀は、「批評」という語をそのキーワードとして、キャッチーな言葉として採用している批評家なのである。

 この東の戦略の強さは、仮に東浩紀を批判したとしても、その「用語」は変わらず使われていく点にある。哲学の歴史もそうであったように、そのシニフィアンにまつわる議論を重ねるほど、「データーベース消費」とか「セカイ系」とかいった用語の強度は、その適切さとは別に増していくことになるだろう。文脈を離れ、記号の集積として機能する「キャラ」のように。

 だから一言で言って、東浩紀は広告的である。彼が経営者としても手腕を持っているのは、彼が徹底的に広告的だからだ。広告を批判したところで、ただ広告を広めるだけであまり意味がない。東浩紀にキレる「オタク」は、広告に性の非対称性を見出す人種と似通ってくる(ここで、そうしたクレームが「適切」かどうかは本質的問題ではない)。もっとも、こうした「オタク」こそが東にとってよき読者でありよき顧客だったのだが。

独占的

 誤配は哲学的な意味を付与されているが、むろん、現実的な売上の問題でもある。東浩紀という批評家は、浅田彰=広告と柄谷行人=思弁のハイブリッドである。そういう意味で東浩紀は正しくニューアカデミズムの(『批評空間』の)後継者なのだ。

 誤配は資本主義下の「広告」の流通の中では最強である。それが佐々木敦評するところの「東浩紀一人勝ち」を生み出した。東はあらゆる語を「広告」として、流通性のあるものとして扱っている。東のテキストは、広告的な断片の寄せ集めである。

 この広告によって、読者すなわち観客すなわち顧客は〈どうやら「批評」というものがあって、それをやっている東浩紀は「批評家」で、それを読むと違った世界を見られるらしい〉と思い込んだり、あるいは〈これだからポストモダンはダメだ。俺たちの本当のセカイ系はこんなものではない〉と憤慨させられたりする。「あなたもまた『観光客』である」とは「あなたもまた(ゲンロンの)『顧客』である」と同義であり、この憤慨する読者はクレームを飛ばしてはいるが、同じく一人の消費者である。

 この思弁的マーケティングを、東浩紀は絶え間なく続けてきた。東浩紀がいち早く起業したのも、彼のこの嗅覚の鋭さによるのではないか。全てが資本のゲームと化し、知的な営みはせいぜい「大学」に任せればよい、専門性のない衒学的な議論はすべきではない、となれば、批評だの文学は、もはや「売れない商品」であり「不良債権」としてしか存在しえなくなってしまう*2。ならば、批評家とはそもそも批評が売れる構造を作る立場でなければならない。そのことに東浩紀以外に気づいていたのは、注で挙げた大塚英志くらいではないだろうか。

 その帰結が東の「一人勝ち」状態である。これは大企業による「独占」に似ている。東浩紀一人が本社の社長で、あとは「フリーター」、せいぜい「下請け業者」である。いくら下請け業者が五反田の社長に文句を言おうが、構図は変わらない。

資本主義的、革命的

 こうして「あっちもこっちもコピーだらけ」の批評市場が出来上がってしまった。しかし実は、私はこうした状況に対して、東の批評は欺瞞である、と言うつもりはない。とはいえ、東浩紀と同等かそれ以上の力を持つために、批評家は今すぐ起業せよという「意識の高い」ことを言うつもりもない。 

 いや、事実上、まさに東浩紀こそ「賢くチャレンジングな生き方」をしているのだが、このツイートの危機感に関しては権利上正しいだろう。この状況下で「批評」を別の形で成り立たせるには、おそらく別のアイディアが、「別の普遍性」が必要なのではないかという気がする。

 いまのところやり方は、大まかに言って二つあるのではないか。

①「資本家」

 この構造に順応しつつ、さらに「売れる」構造を思考し、そこにおいて文学や批評を存続させる「資本家」。「商業主義に屈しないために売る」というコンセプトは、ここでは矛盾ではない。資本主義それ自体が乗り越えられず、しかもそこで人文書というマイナーなジャンルでサヴァイヴしていくとなれば、批評家は資本家になるしかない。彼らは、徹頭徹尾タコツボを破壊しつつ、観客を育て、自分たちを売り込み続けなければならないのだ。この路線において、東浩紀は商売上のライバルであるが、ときには良い「取引先」にもなる。

 ただし、この路線で行く場合、流行をなんとか追い、その都度の読者を満足させるコンテンツを発し続けるだけの「自転車操業」になってしまう危険性もある(『ユリイカ』とか)。

②「革命家」

 そうした「資本」主義に対抗して、それ以上に自らの批評の普遍性を打ち出すことのできる「革命家」。こちらも多少なりとも売れなければ=知られなければ意味がないわけだが、それは手段にすぎない。しかしここでは、「観客」を育てるのは主たる目的ではない。革命家は、観客を育てるのではなくオルグする。言い換えれば、観客を無理やり当事者に変えてしまう。観客の育成は、当事者=優秀な党員を確保するためである。こちらは、むしろ、セクトを作ること、党派を作ること、タコツボを増殖させつつ拡大することが重要である。

 

 あくまで図式的な言い方だ。むろん、この二つは完全に相反するものではなく、両面を持つことは可能だし、そういう人間は存在する(おそらくそれが「知識人」と呼ばれる立場である)。そして、実際には、第三の選択肢として、学術誌と批評誌の中間のような位置を取りつつ、研究者という安定した「読者=観客」に売っていく、という戦術が存在する(これは、「結果として学者に読まれる」こととは異なる)。ただ、私にとってそういう戦略はアカデミズムの縮小再生産にしか見えない。この場合「横断」は「学際的」の言い換えでしかないのではないか。

 話が逸れた。東浩紀は、やはりどうあがいても「資本家」であろう。では、後者すなわち「革命家」にあたる人物は誰か。何人か想像できる。しかし、実は東浩紀と近い仕方で、しかしそれでいてまったく「東浩紀的ではないもの」を作り出している知識人が、日本にもう一人存在するように思うのだ。

 彼は東浩紀と一歳差で、ほとんど同年代であるが、東と全く違う文脈から言葉を発している。東ほどに覇権を握っているわけではないが、「マニアック」な人物ではない。それなりに知名度と話題性を持っているし、しかもそれは年々増してきている。

 

 それは誰か。もちろん、「反体制知識人」外山恒一にほかならない。

 

(後編に続く)

 

 ※後編書きました

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▲書いている途中で決まったイベント。これが決まったから書いたわけではない…

 

(文責  -  左藤 青

*1:現代思想デリダ特集号所収。二〇一四年。

*2:ここには大塚英志の影響を見る必要もあるかもしれない。ゼロ年代初頭の大塚と笙野頼子の論争について、不良債権としての「文学」 | 文学フリマを参照。以下、関係しそうな部分を抜粋しておく。「コミケ的なイベントに「文学」〔が〕学ぶことがあるとすれば、それが既存の版元以外の場所から新人が世に出ることを可能にしたという点、是非はともかく「同人誌で食っていける」という状況を生んだ点です。〔…〕プロになった者たちがコミケに戻っていくという現象もこのイベントの集客能力を支えています。それは例えば松本徹氏の時評で扱われる無数の同人誌に混じって柄谷行人氏が「トランスクリティーク」を手売りし、その隣で吉本隆明氏が「試行」バックナンバーを叩き売りし、あるいは高橋源一郎氏が「官能小説家無修版」(なんてあるのかどうかも知りませんが)をこそこそ売っているような「場」です。そのような「場」を「文学」が用意できず「まんが」が用意できたのは、はたして「まんが」の市場が巨大だったからだけなのでしょうか。それはやはりそのジャンルそのものの「生き残る意志」の問題のような気もするのです。/〔…〕必要なのはそういった議論を「仮想敵」を立てることで回避せず、きっちりと行い、実行に移すことで「文学」が自らの生き延びる手段を模索することではありませんか。/繰り返しますが、ぼくは「経済的自立」に「文学」の全ての価値があると言っているのではありません。しかし大西巨人氏のように黙々とHPに「文学」を無償で発信していく覚悟がないなら、現実的に「文学」や「文学者」を存続せしめる具体的な悪あがき一つせずに「文壇」で「文学」を秘儀のまま存続させるのは不可能だと言っているだけです」。

浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(後編)

※ 前編 

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ボヘミアンとしての批評家

 「ボヘミアン」とは、世俗の秩序や階級から背を向けて生活する自由人のことだが、近代日本の批評を確立者と(一応)見なされている小林秀雄は、まさしくこのボヘミアンの典型に他ならない。今日においても小林が一部で人気を維持し続けている秘密はここにあるはずだ。なぜ人が小林に魅せられるかと言えば、それは小林がボヘミアンであり、世間の事情から離れたところに位置する「仙人」であるからだろう。もっと正確に言えば、楽して生きているように見えるからではなかろうか。

 このような「ボヘミアン」の下地になったのは、大正以降の出版ブームである。大正期には円本全集が大量に発行され、俗にいう大正教養主義の元手となった。小林がよく引用するロシア文学(そのもっとも象徴的な存在がドストエフスキーである)はその時期に多く出版された。

 小林の処女作である『様々なる意匠』は大正期に勃興したイデオロギー的、文芸の潮流をすべて「意匠」であると切り捨てた仕事であって、この点で小林は大正教養主義の教養人ブームに背反しているかのよう見える。しかしこれは実際には「背反」などではなく、小林秀雄ボヘミアン的態度そのものが、大正教養主義の風潮に下支えされたものである、というべきであろう。教養主義の神話があったからこそ、小林秀雄ボヘミアンに「見えた」のである。

 教養主義を切り捨てることによって、唯一のボヘミアンでありえたのが小林秀雄である。小林秀雄の「真贋」から見れば、マルクス主義や芸術至上主義も「意匠」に過ぎず、それは本質的なモノをとらえた批評ではないということになる。そして今日においても続いていると(一応は)いわれている「批評」もまた、このボヘミアン神話によって規定されているのだ。例えば、批評が「横断的」でなければならない、とか、アカデミズムに規定された「難解な言辞」ではなく、多くの大衆に届く言葉を批評は使わなければならない、とかといった「固定観念」も、この神話があるからこそ機能するものである。

 学者はディシプリンによって規定された存在であり、ボヘミアン的ではない。だから横断的な言葉を吐くことができないし、批評家と違い神話的ではなく、極めて官僚的な格好悪い存在に見えてしまう。専門性もなければ何をしているのかわからない小林秀雄が「批評家」として尊敬されるのは、世俗を超越した卓越者、ボヘミアンすなわち「職につかない自由人」になりたい願望が批評の読者にはあるからではないか。

ボヘミアンからルサンチマン代理人

 このように小林秀雄の批評家としての人気は世俗から卓越した「自由人」ボヘミアンであることに裏打ちされたものである。小林秀雄のこのボヘミアン神話を継承したのが、世にも珍しく、詩人でありながら著名人である吉本隆明であろう。吉本隆明もまた、大学というディシプリンから距離を置き、専門分野をもたないが、にも関わらず深淵的な知識人であるかのように思われてきた存在だ。

 吉本は「吉本隆明だから偉い」という評価のされ方をしており、具体的に何をいったのか定かではないところがある。例えば「マス・イメージ」や「対幻想」といった概念というか、標語をよく耳にするだけであって、それが何を批判し、なにを称揚しているのかわからない。もちろん私だけがわからないのかもしれないが、少なくとも吉本隆明を評価する人々がこれらの概念の批評性を分析したモノを私は読んだことがない。

 しかしそのような吉本思想の中で、二つだけ理解可能な箇所がある。一つは『言語にとって美とは何か』で主張される「海をみた感動がうになった」というような極めて特異な言語論で、これに関しては言いたいことはよくわかる。しかし何故吉本がここに至ったのかは今のところ私には解読不可能である。よって、この言語論の思想的評価については別稿に譲りたい。

 同じくボヘミアン的な自由人批評家である小林秀雄吉本隆明の差異があるとすれば、「大衆の原像」という標語であろう。小林の批評性が、あくまで達人の「真贋」による品定めにあったのに対して、吉本という批評家を批評家たらしめているのは、彼が自らを「大衆の原像」を体現していると思い込むところにあるのだ。大衆の原像とは、知的たろうとたえず欲望する「知識人」に対置される、「知を求めない大衆」のことである。知識人とは違って、大衆は言葉を持たず、沈黙を守り続ける存在だ。しかし実際にはこのように沈黙し続ける非知的な「大衆」こそが世界を動かしている存在なのであり、知識人は大衆を持たなければならない。吉本が「大衆の原像」において言わんとしたことは以上である。

 これだけでは単なる「民主」主義なのだが、吉本の特異な点は、この「大衆の原像」思想が、大衆のルサンチマンと結びついている点であろう。つまり、知識人は、沈黙する大衆の側のルサンチマン(怨恨)を代理し、富裕層を批判する存在でなければならない。吉本隆明はこの「知識人」の定義において小林秀雄と異なる。

浅田彰とフリーター

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 浅田彰小林秀雄のごとき真贋も、吉本隆明のごときルサンチマンも批判しながら、しかし小林/吉本と同じ、ボヘミアン的・横断的知識人の立場を確立した批評家ではないだろうか。というのは、前編で解説したように、浅田は「バッタモン」を売る存在として、極めて露骨な形で貴族性を出していたからである。小林秀雄のばあい、その自由人的な立場がどのように確立されているかは真贋という神秘的な表現でカモフラージュされている。吉本隆明のばあいは、「大衆の原像」を代理する必要性を強弁するのみにとどまっている。そのどちらも、そのボヘミアン性は、いくら分析したところで、極めて曖昧な文学的な形でしか表現できないものであった。

 しかし明らかに、浅田彰の態度は端的かつ具体的に浅田が「金持ち」であることに由来している。その露骨な貴族主義によって、浅田彰ボヘミアンたりえている。だからこそ、浅田の共産主義は前編で詳しく分析したように極めて審美的なものである。浅田彰は、既存コミュニストの美意識を否定するからこそ、凡庸な革命思想を嘲笑い、射精を迎えないホモソーシャルセクシャリティを擁護することができるのだ。 

 

 ところで、フリーター的な生き方は80年代以降勃興したものである。正社員にはならず絶え間なく会社を変えて行き、制度から逸脱していくフリーターは、極めてボヘミアン的な存在ではなかろうか。そして浅田の『逃走論』はフリーター的な生き方と非常にシンクロしているテキストであろう。浅田彰になると、ボヘミアン的態度は資本主義のなかに組み込まれ、小林秀雄にあったような特権性を失って、単なるフリーターと同一にならざるをえない。

 「横断」的に浮遊する非専門家であることを自負する「批評家」の形は、今や翻って、単なる契約社員的なものになってしまった。しかも、正社員からフリーターへというパースペクティブを下支えする、公務員の解体=ネオリベ政策は、吉本的な大衆のルサンチマン(いわゆる「税金ドロボー」叩き)によって力を持っているのである。
 この点に関して浅田彰に責任があるとは思わないが、『逃走論』は実は極めてネオリベ的なものである。考えなければならない点は、今日におけるボヘミアン的知識人は、「契約社員」以上の意味を持ってないこと、これである。

『広告』から『アジビラ』へ

 前編でも触れたように浅田彰糸井重里はバブル期の資本主義を体現する存在である。しかし、それはそこに完全に同調した存在としてではなく、あくまでそれ以前の人々に対する「翻訳者」として彼らはあったと考えるべきである。その点で浅田彰共産主義を捨てていなかったことはある意味でプラスに働いている。共産主義的な文脈を踏まえた年長者を対象として、通俗化(「ジャンク」化)したボヘミアン神話を説明する広告を打ち出す際、すでに廃れつつある共産主義の文脈は、単純に、説明の通りをよくする機能を果たしたであろう。ハードコアな左翼の文脈を抑えている浅田彰が「広告屋」になれたのはそのためではないだろうか。

 浅田彰ボヘミアン神話を再構成する広告を生産し続ける。小林秀雄吉本隆明のように、その源泉を霧の中に隠した形ではなく、堂々と貴族であることを自負し、未だに神話を享受しなければならない人々を嘲笑いながら。しかしその嘲笑にこそ読者は惹かれ、彼と同じくボヘミアン的な卓越者たろうと、フリーター=戦士となりサヴァイブする。しかし彼らが卓越者になることは絶対にない。なぜなら浅田彰は「貴族」だからであり、フリーターは単なる下働きだからだ。

 いまや、むしろ、このような浅田彰の貴族的「広告」戦略に対置されるものが必要なのであって、それこそが「ボヘミアン」神話それ自体を真に批判しうるものになるはずだ。それは具体的には、既存の自由主義を“愚直”*1に批判する、政治性を持った「アジビラ」ということになるのではないだろうか。


 かかる批評的な戦略をもったアジテーターの登場は、外山恒一花咲政之輔を待たねばならない。

 

   

 

(文責 - しげのかいり

*1:ここでいわれている“愚直”は、浅田彰的な「美」に対抗しうる、「ユーモア」をもった書き手という意味である。それは単純なコミュニストではなく、その愚直さがかえって美ではなくユーモア・哄笑を誘う存在でなければならない。蓮實重彦の言う「愚鈍」のことである。

「反動的異化」に居直る —永觀堂雁琳「晦暝手帖」のこれまでとこれから  

 私、永觀堂雁琳は、この度左藤青(砂糖)氏(@satodex)によって結成された批評集団「大失敗」に招聘され、同会が出版する同人誌『大失敗』創刊号に評論を寄稿する運びとなった。批評集団「大失敗」のサイトの巻頭を飾る左藤氏による「哄笑批評宣言」には、2017年に自殺した批評家マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』を手引きにして、外部の可能性が消失した「資本主義リアリズム」という「現実」の下では最早屈託のないオルタナティヴ達によるストレートな「成功」など有り得ない、という旨が論じられている。そのような「絶望的」な情況下において左藤氏が模索する批評の可能性は、次のようなものである。左藤氏曰く、

①批評とはオルタナティヴを目指すものであり、誤配を誘発するものであり、ひとつの「現実」に対する抵抗でなければならない。②しかしそのとき、同時にその「大失敗」が発覚しなければならない

 こう言うこともできる。①批評は読者に何らかの、ある「運動」の夢を見させる。しかし同時に、②その「運動」の行き詰まりを見せ、絶望させ、憤激させ、不安を抱かせるものでもなければならない。そこで初めて批評はくだらない「自己啓発」であることをやめ、現実に対する異化効果を得る。 

 私なりに氏の戦略を分析してみれば、最早出口なしとなった「現実」に対して「批評」(誤配の誘発)という形で抵抗してみせはするし、それによって読者に対して「運動」の夢を見させはするが、その試みそのものの中に(或いは読者の夢そのものの中に)当初から否定的契機としての「大失敗」が組み込まれてなければならない、ということになる。現実に対する不可能なる反定立を仕掛け、絶望、憤激、不安に駆られることによってしか、批評は生き延びられないのだ、という氏の現状認識に基づく固い信念がここには込められているように思われる。ここに、素朴なオルタナティヴの定立に終始する(と氏が考える)「くだらない「自己啓発」」としての現今の批評に対する批判も、その否定的契機として織り込まれている。

 左藤氏の言うように、現今の批評が、裏返った現実への追従としての「運動」の夢を「自己啓発」に成り下がっているのだとすれば、すなわちオルタナティヴという名のイデオロギー装置に成り果てているのだとすれば、展望と絶望を同時に提示することによって現実を「異化する」しか道が残されていない。私が慮るに、その道は、展望の不可能性を語り続けることによって目の前の現実を超越した絶対的なるものを提示しようとするイロニーか、展望と絶望の遊戯的な交錯を続けることによって絶えず目の前の現実を別の位相へと転化し続けるユーモアか、その何れかになるであろう。「哄笑批評宣言」から読み取れる氏の志向する方向性は、悲劇ではなく喜劇、すなわちイロニーではなくユーモアである(私としては、もう一つ、それ自体が危険をも孕む脱出路として「神秘主義」というものを提示したい所である)。

 

 勿論、「大失敗」に招聘されたとはいえ、私がこのような氏の理念を完全に共有して活動している訳ではない。そのように振る舞うことこそ、ナイーヴに「成功」を信じることに他ならないのであり、氏が最も嫌悪する所のものでなければならない筈である。ツイッターにおいて(「反動主義」的な)「冷笑派」として数えられることの多い「イロニー派」の私がこの場に呼ばれたこともまた、現実に対する一つの「異化効果」であるということなのだろう。

 扨、ここまで批評集団「大失敗」の趣旨について私の考えを縷説してきたが、この記事においては、これまで私が書いてきた評論めいた幾つかの文章について上記の観点を踏まえて改めて紹介してみたい。というのも、私は普段、記事投稿サイトnote(https://note.mu/)に「晦暝手帖」と号して不定期に文章を投稿しているのである。何れも有料の記事となるが、左藤氏の御好意により、その紹介文を書いて良いという都合になった。一つ一つ紹介していこう。無論、詳細について識りたく思われるならば、御購入頂き、一読して頂くに及くことはない。 


①「中断」する生と加速する世界––『ゲンロン0 観光客の哲学』『勉強の哲学 来たるべきバカのために』『中動態の世界 意志と責任の考古学』に寄せて

https://note.mu/ganrim_/n/n2cf094ab8d00

「晦暝手帖」の劈頭を飾るこの文章では、昨年江湖に送り出され、洛陽の紙価を高めた三冊の批評的な色彩を持つ書物を紹介しつつ解釈する中で、そこに通底する世界観を拾い上げ、更にその世界観から零れ落ちているように見える現代の世界情勢を分析したものである。「大失敗」のコンセプトに最も沿った文章でありながら、同時にそのユーモア推奨に対する批判的な視座もまた(知らぬ内に)伏蔵している評論であると言える。私の見る所、三つの書物に共通したヴィジョンは、二者択一の両極を取らずに、所々で「中断」を重ねていく遊動的な生という世界観である。しかし、グローバル資本主義、およびその反発として巻き起こる宗教原理主義ナショナリズムの「加速」を踏まえた時に、そうした世界観は持ち堪えられるのか、或いは「中断」はここに至って一部の恵まれた者だけに許された生の様式なのではないか、という疑義が呈示される。

②「方法論的女性蔑視」について−『男子劣化社会』を読んで

https://note.mu/ganrim_/n/n0160c6593bd4

①の文章が「中断」の許されぬ「加速」する世界を訴えたとすれば、この文章はまさに「中断」する生が許されぬ性の人々に対して更なる「加速」へのアクセルを提案したものである。ここでは、アメリカの高名な心理学者フィリップ・ジンバルドーらの著書『男子劣化社会』に描かれた(アメリカの)男性の置かれた惨状を追いかけながら日本の男性をめぐる情勢について鑑み、それが現代世界の正統的「正義」を司るフェミニズムや政治的正しさに起因する所大きいこと、そしてこの傾向がひいては社会全体の自壊を招くことを指摘した。そして、特にそうした体制の下敷きになっている「弱者男性」に対して、社会的な自己認識を「方法論的に」見直し、かつそのような社会の中での「方法的な」生存戦略を、「リーサル・ウェポン」として呈示した。それが、窮境の逆張りであり居直りである、「方法論的女性蔑視」なのである。 

③「反動的新体制」の可能性−柳澤健葡萄牙サラザール』を読んで

https://note.mu/ganrim_/n/nccc081169020

一方で①の文章が現代日本の知的パラダイムにおける世界観とその限界を考察し、他方で②の文章が全世界的なその限界とそれを支持する体制を暴き立てた上でその破壊的突破を提案したものだとすれば、この文章は、そのような情況全体において喪われた歴史的社会的想像力を模索したものである。私はここで、文人外交官であった柳澤健の『葡萄牙サラザール』という著書を元にして、ポルトガルの無欲恬淡なる独裁者アントニオ・サラザールの生涯と事業を回顧した。そしてそこで、国際資本主義に抗って独立を確保した国家の庇護の下、中間共同体に支えられて生きる個人という「反動的新体制」の可能性を取り上げてみた。その上で、①②で指摘した一連の問題は、中間共同体の崩壊と個人主義社会自由主義によるその促進が根柢にあると考察する。サラザールについては手軽に読める纏まった資料が尠く、珍しい歴史読み物としても楽しんで頂けるのではないかと思う。

④「告発権力」について−ポリティカル・コレクトネスという名の新たなる専制

https://note.mu/ganrim_/n/n8929f06c8b15

これまでの論考は何れも別の書物に拠りつつ議論を展開したものであるが、この文章は、私自身が全体として近代における権力と暴力の在り方の一面を見ながら、現代世界を席捲する「告発権力」について考察したものである。「告発権力」とは、簡単に言えば、暴力を背景にせず「政治的正しさ」を背景にすることによって、その「正義」の上で政治的マイノリティと「規定」される属性に対して非対称的に割り振られる言説的な権力のことである。或いはこの論考が目指しているところをより有り体に言えば、普通は持たざるものの反権力的抵抗として捉えられる被抑圧者からの「告発」が、現代の「政治的正しさ」という体制の下では寧ろ権力そのものとして働いている、という事態の剔出である。ここから考えれば、決して「政治的に正しい」とは言えない(それどころか最も政治的に正しくないとも言える)これまでの三つの論考は、この「告発権力」に対して抵抗しうる視座を方々の観点から示唆したものであるとも言える。

 

 こうして各論考を概観してみると、全体を通じて私が提示してきたものはまさに、外部の無い「現実」に対して、通常「オルタナティヴ」として考えられるようなオルタナティヴの、通常「横断」として捉えられるような横断の「真逆」を反定立として提示することによる「異化効果」を狙ったものであると言える。こうした逆張り的な姿勢は、(まさにオルタナ右翼を煽動するように)ベタに受け入れられることを目指しながらも、同時にその強烈な「現実」否定がまさにその実現不可能性として逆照射されることによって、「現実」のメタ化を目指したものであるとも言える。例えば、「方法論的女性蔑視」が単に弱者男性のライフハック的な「方法」であると同時に、言説体系や社会関係の常識的な自明性を括弧に入れて認識するための「方法論」でもなければならないことには、そうした含意がある。

 こうして捉え直してみれば、私の営為は紛れも無く「イロニー」であると思う(何を背景にしたイロニーであるのかは読者諸賢に考えて頂きたい。それは無論、言葉や概念を超えたものであるように考えられる)。しかしながら、こうした「アイロニカルな」行いそのものが例えば余りに極端な言辞の故に、寧ろ「ユーモラス」に映ることもあるだろう。私自身は、そのように「ユーモア」であると取ってもらっても構わない。何れにせよ、一連の論考が人々を「絶望させ、憤激させ、不安を抱かせる」ものになっているとは思う。言うまでもないが、煽りばかりで不誠実だ何だと言われようとも私は意識的にそう書いているのであって、「反動的冷笑家」の名誉ある呼称を謹んでお受けする所存である。私はこれから批評誌「大失敗」にも寄稿するし、「晦暝手帖」にも引き続き書き続けるであろう。

 私、永觀堂雁琳は、読者諸賢により一層深く、酷薄で、底なき「晦暝」をこれからもお届けし続けられるよう、粉骨砕身するばかりである。

note.mu

  

 

(文責 - 永觀堂雁琳

浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(前編)

 トリックスターとは、あるコミュニティにおいて、「中⼼」的な地点が弱体化した際に、それを盛り上げるものとして登場する「周縁⼈」のことである(⼭⼝昌男「⽂化と両義性」)。中⼼と周縁の関係は常に両義的で、周縁という他者がいることによって、⾃⼰としての中⼼が確⽴する。⼀⽅で「異⼈」としての周縁⼈もまた、中⼼が存在しなければ「異⼈」たりうることはない。浅⽥彰は、この意味で正しく「トリックスター」であった。

 周知のことだが「トリックスター」を定義した山口昌男は思想的に新左翼のイデオローグであった津村喬と似た立場に立っていた存在である。山口昌男の思想的なバックボーンを見たとき、そこにあるのは林達夫の精神史的なモチーフから遡行して作り出される新左翼の文化闘争である。その山口に影響を受けたバブル期のトリックスター=文化英雄というべき浅田彰もまた、かかる左翼の思想史を前提にした存在であると考えるべきであろう。

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1、ポストモダンのバッタモンを売り続ける共産主義者

それは矛盾を孕んだ文化戦略ではあった。大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の担い手である流通産業が積極的にフィーチャーしてみせる。

 これは、1999 年の『voice』3 ⽉号に搭載された浅⽥彰の「セゾン⽂化を継ぐ者は誰か」からの引⽤だ。浅⽥のセゾン⽂化に対する批評には、彼の思想の根本にあると思われる「ノリつつシラケつつ」への繋がりも感じられる。というのも、このセゾン⽂化に対する浅田の批評は、彼のポストモダン哲学に対する意識とも繋がっている様に思えるからである。

 『逃⾛論』における「スキゾ/パラノ」と⾔った⼆⽂法図式は、実はどちらかを肯定しているというわけではない。どちらも批判しているのである。⼋〇年代の浅⽥彰は⼀貫して「どちらも批判し、どちらの⽴場にもつかない。故に、懐疑が存在しないものとして、スキゾをメタ的に肯定する」という⽴場をとる。したがって浅⽥は、語の正確な意味でのポストモダン思想を流通させるのではなく、知的な「ファッション」のなかでの、すなわちコードさえ理解すれば把握できるバッタモンの商品を流通させることに重きを置くという⽴場に⽴つ。

 ポストモダンの思想(フーコードゥルーズ)はもともと六八年革命と同時並行的に出てきたものであって、極めて政治的・社会的な思想のはずである。浅田彰はそのようなポストモダンの政治性を敢えて脱臭し、「センスが良い」かどうかが問題になる磁場を作り上げていく。すなわち、パラノイアックにマルクス主義的な前衛に固執していた「思想」をスキゾキッズも消費できるバッタモンとして売ったのがセゾンと浅田彰の戦略である。

 しかし、重要なのは、浅⽥彰自身が思想を認知させる対象は「スキゾ」ではなく、「パラノ」であるということだ。これはコピーライターである⽷井重⾥にも通じるところで、「おいしい⽣活」「じぶん新発⾒」、「くうねるあそぶ」といった作品は、⻄武百貨店を基本とした既存の企業に対する作品である。浅⽥と⽷井は実際には「スキゾ」型の⼈間を相⼿にしていたのではなく、「スキゾ」的な消費スタイルを「パラノ」たちの社会に流通させるため、「⼤企業」に動員されたことになる。

 浅⽥彰は『逃⾛論』の中で次のように述べる。

広告なんだけど、すぐにわかるとおり、絶えざる差異化の場であるこの世界では、当然スキゾ型のひとのほうが多いんですね。ほかの世界ではちょっと社会的に認められないんじゃないか、というぐらいのひともいる。逆に言えば、広告の世界というのは、そういうひとのもってるある種のガキっぽさを縦横に発揮できる場なわけで、その点では、さっきも言ったように、心のたのしい世界だといってもいい(「差異化のパラノイア」二四頁) 

 ここでいわれている「広告」の概念は、浅⽥彰⾃⾝にも当てはまる。浅⽥は『逃⾛論』の冒頭で「キッズ」について語るのだが、この「キッズ」について語ることこそ、広告ならびに浅⽥彰の社会的な需要だった。すなわち⼤衆消費社会の中で⽣きている若者の思想を売りつけ、旧世代にバッタモンを売りつける担い手としての需要である。これは⼤衆資本主義という冷戦以後のあってない「駄法螺」を商品として流通させることなのだ。これを浅⽥的にいえば、「キッズ」としての、すなわち消費者としての⽴場からは、⼤衆資本主義を批判する⾼度な思想さえ、⼤衆資本主義の「バッタモン」になっている、というわけである。

 浅⽥彰の思想は『GS』の第⼀号「反ユートピア」にも具体的に現れている。ここでの伊藤俊⼆、四⽅⽥⽝彦との⿍談で出てくるのは、フーリエの『愛の新世界』、スウィフトの『ガリバー旅⾏記』、オーウェルの『1984』であり、これらのユートピア/反ユートピア⼩説という線引きを批判する形で対話は進んでいく。すべての共産主義ユートピア)は成立した時点で悪夢へと変わるからだ。

 この意味で、浅⽥は商品と思想の二項対立を解体するが、思想の価値をぐらつかせはしない。ここで彼はあくまで思想=マルクス主義の⽴場なのである。浅⽥はその点でマルクス主義の規格からは外れることはない。「商品と思想が等価になった」ということを既存の⽴場から説明しながら、既存の⽴場を批判するような⾝振りをすること。これが「ノリつつシラケつつ」の概要である。浅⽥の⽴場は、⼤衆消費社会を批判する前衛⽂化を、⼤衆消費社会の商品にしてしまうという「セゾン⽂化」の戦略と合致する。

 しかも浅⽥は、そうして⼤衆消費社会に商品にされることを⽢んじて受け⼊れつつ、それを「わかった上」で、「あえて」それをやっているという体裁をとるのである。この点を理解すると、浅⽥彰の思想の、とりわけマルクス主義の⽴場と、バッタモン⼤衆消費社会を肯定する⾝振りとの、⼀⾒相反する整合性が浮かび上がってくる。 

2、赤いトリックスター 〜荒唐無稽なアナルセックス〜

 そもそも浅田彰アルチュセールを日本に輸入した今村仁司の影響下から出発した批評家であり、彼が京都大学に入学した頃には滝田修の事件があったわけで、当時の浅田彰マルクス主義に影響を受けていたのは間違いない。

 そしてそのことを裏付けるように『ゲンロン4』に掲載されていたインタビューでは、浅田は一貫してソ連型のマルクス主義の失敗とハイエク的な資本主義を肯定する立場に回る発言をしながら、自らはマルクス主義の立場にパラノイアックに固執している。

 以上の事からもわかるように浅田彰ニューアカ以降の批評家の中では、極めて稀な形でマルクス主義固執している批評家だと言えるだろう。しかしこのマルクス主義は単純な「マルクス主義浅田彰」の顔を描写するわけではない。

 浅田彰マルクス主義の異例な所は、現在あるマルクス主義は全て失敗作であったと断定する点にある。ゲンロンカフェにおける東浩紀中沢新一との鼎談で語られた「すべての共産主義は成立した時点で悪夢へと変わる」という発言がそのことを現している。ではなぜ悪夢になるのだろうか。我々はソビエト中華人民共和国の現状を見ているからこのことを肌感覚として理解できる。しかしなぜ浅田彰はすべての共産主義が悪夢と化してしまうことを断定できるのであろうか。それを理解するためには、まず浅田彰の資本主義観を理解する必要がある。浅田は朝日新聞上で行われた大江健三郎との対談で次のような発言をしている。 

 一般論として、近代とは、恐るべき終わりを予期しながら、常にそれを先送りすることによって均衡を保つプロセスです。

 世界の終わりの日が分かっていたなら、だれもその日には紙幣を受け取らない。だから、その前日も、いや、巡り巡って今日も、受け取らない。必ず明日があるという前提のもとで、最終的決算、つまり恐慌を繰り延べていくのが資本主義です。(平成二年五月一日夕刊)

 浅田的には、資本主義とは自己の破滅=恐慌を予期しながら、そのような恐慌、死の恐怖があるからこそ、延命されうるシステムだということになる。つまり資本主義は自己を破壊するものでありながらその破壊を阻止するために、より深い傷口を開けようとするシステムに他ならない。そしてこれは米ソ冷戦にも言えることである。資本主義とソビエト核兵器の大量生産を際限なく競い合っている状態は世界の終末を予感させるものだが、極めて均衡した状態であるとも言えるのだ。もしもこれが一方の陣営の弱体に寄ったならば、直ちに核兵器の発射ボタンが押され、世界は終末へと至る。現状ある共産主義が悪夢でしかないのは、それが資本主義の合わせ鏡となって、生産性の競争という極めてメタ的な形での資本主義的な均衡を保つほかないからである。

 その悪夢は、東浩紀中沢新一との鼎談における発言にもある通り、オナニーを覚えた猿である。浅田は、本来的にはオナニーを覚えたらやめられないのは猿ではなく人間だと考える。人間は恐慌と言う名のテクノブレイクを予期しながらも、オナニーとしての資本主義を止めることができない。一定程度の所で止めればいいものを紙幣の増幅をより増やそうとするのがオナニーの如き資本主義の理論である。

 対する浅田彰が何を持ってくるかと言えば、それはアナルセックスに他ならない。勃起をしたペニスをしごいてテクノブレイクに至るオナニーに対して、前立腺を刺激することでテクノブレイクに至らず何時間でも満たされない快楽に酔いしれる*1。このゲイ・ピープルの思想が、浅田彰の求める共産主義である*2。したがって射精という彼岸へと至った革命もまたテクノブレイクであって、射精ギリギリの地点で快楽にまどろむ存在が浅田彰なのだ。

 しかし注意するべきなのは、アナルセックス自体、その根本にあるのはマゾヒズム的な感性、すなわち自己破壊的な欲求である点である。そもそも排泄器官であるところの肛門を性器に変形し、変形されるプレイがアナルセックスであって、資本主義と同じく、そこには自己破壊の衝動が刻印されている。この資本主義と浅田的ゲイ・ピープルの破壊衝動の差異は、それが後に予期されるものであるのか、もしくは始まりであるかの違いである。資本主義的な自己破壊はただ予期されるものであり、到来しないものである。それに対してゲイ・ピープルは自己破壊そのものが目的になった思想である。それは、資本主義が結果的に産出してしまう倒錯的な均衡を先取りし、資本主義の破壊衝動が達成されることがない状態を続けていくことに他ならない。

 浅田彰が資本主義を批判する共産主義者の立場に立ちながらも、資本主義の成功を容認し続けるのもそのためである。浅田彰共産主義は中心になることがないものだ。もしもそれが中心に位置するならば、一夜に悪夢へと変わるだろう。そのことを予期しながら、資本主義とは違い、先取りした形で共産主義を自虐的に評価する自己破壊に位置し続けるのが、中心に対する周縁人(トリックスター)の位置付けである。

 したがって、共産主義は永遠に正しいものになることはなく、やはり「駄法螺」以上のものではない。駄法螺であるから、それは現実化したならば不条理な悪夢になるしかない。浅田彰共産主義は資本主義と対置されるものではない。それは永遠に資本主義の中にあり、資本主義を制圧することはない。しかし一方で、自爆し続けることで、この荒唐無稽な駄法螺は生き続けるのである。浅田彰トリックスターたる所以は、資本主義というテクノブレイクに対置され、周縁に位置し続ける「駄法螺」を永遠に発し続ける点にあるのだ。

 

(後編に続く)

 

daisippai.hatenablog.com

 

 

    

(文責 − しげのかいり

 

 

*1:ここでアナルセックスはテクノブレイクに至らないメタファーとして使われているが、実際にはアナルセックスがテクノブレイクに至ることもありうる。

*2:このような共産主義思想を持つ浅田彰に影響を受けた東浩紀が「ピストン東」と評されることは妥当なことではあるまいか。かかる文脈から見た時、ゲンロンカフェは正しくゲイ・ピープルの「誤配」=「散種」の場としての「ハッテン場」に他ならない。

【書評】外山恒一『全共闘以後』

水滸伝』とは時代の不満分子―――あぶれもの、はみだしものが彼らの“小宇宙”を、国家に対する二重権力を創出する物語である竹中労梁山泊窮民革命教程」)*1

  ゲバリスタ時代の竹中労を引いたこと自体に意味はない。

 とはいえ、外山恒一の大著『全共闘以後』を読みながら私の頭の中に描かれたイメージは、まさに哄笑と罵声を喚き散らすドブネズミたちの水滸伝であった。

 その風貌からし石原莞爾もかくやと思われる稀代のファシスト外山恒一によって提出された本書は、老師・絓秀実の一九六八年史論とともに、いま、新たなる思想―運動的な局面に向けて差し出されている。

 のっけから外山は喧嘩上等である。一頁目で「理想の時代⇒虚構の時代⇒動物の時代」というサブカル/オタク中心史観の大澤真幸東浩紀に対する異議と「通史の不在」を唱え、まず手始めに一九五五年から七〇年七月七日にいたるまでの「前史」を語り、そして八〇年安保、八五年における政治・思想・文化の断絶と混乱、八九年革命とそれ以降のドブネズミたち、九五年のオウム事件=まったく新しい戦争、二〇〇一年アフガン反戦以降のパヨク台頭、二〇一一年の三・一一以降と、現代史の約五〇年間に渡る政治・思想・文化の厖大な出来事を運動/現場の視点から記述していく。この物語は、壮絶にして奇妙奇天烈、さながら伝奇ロマンと言えよう。

 本書はだいたい各章ごとにスポットライトの当たる「主人公たち」が存在する。運動史に詳しくない読者からすれば、その誰もが「名もなき運動家」には違いない。もちろん外山もそのうちの一人であるが、そこで外山は以前の著作『青いムーブメント―まったく新しい80年代史』を有機的に吸収しつつも、自身を「私」という一人称ではなく「外山恒一」として、あくまでもこの群像劇的な物語のなかのひとりとして登場させる。登場人物たちひとりひとりに対しては「こいつ誰だよ」と思わずにいられないが、しかしドブネズミ世代を中心として、それぞれの運動が「作風」を帯びるほどに登場人物たちは奇々怪々にして豪快無比である。そしてこの運動者たちは、吉本隆明糸井重里浅田彰柄谷行人、あるいはYMO尾崎豊ブルーハーツタイマーズなどのビッグネームと並行して登場するために、読者はよりいっそう時代の社会状況を立体的に把握することができるというわけだ。

 ここには外山独特の批評が行われている部分がある。たとえば外山は、いわゆる「ポストモダンの"左"旋回」、すなわちイラク反戦運動戦後民主主義という「普通の左翼」へ転回した柄谷行人浅田彰を中心とする面々の様相と比較して、「ポストモダンの"右"旋回」と呼ぶべき事態を指摘する。ここでの主人公は、『宝島』の書き手であり、左翼への鋭い批判者だった呉智英の弟子筋たち、つまり大月隆寛浅羽通明オバタカズユキらである。運動の経験者であった呉と異なり、その弟子筋であり運動の経験がなかった新人類世代になると、左翼への批判は単なる左翼嫌いに近くなっていく。その傾向はポスト新人類世代にはより強まる。外山によれば、こうした書き手たちの読者層は「決起した同世代にコンプレックスを抱いて」おり、浅羽の「(決起した若者たちは)地に足がついていない」という言説によってこそ「普通の人生コースに踏みとどまった自分たちこそが実は正しかった」と自己肯定にいたったのだ。外山は、こうした言説こそがネトウヨの源流であると指摘する。この視点には、「運動的批評」とでも言うべき外山の批評性が現れているであろう。

 外山恒一という「運動者」による批評、それは学校の管理教育化からオウム事件を経て、市民社会による排除と包摂、あるいは異端の抹消と若者の囲い込み、そういった二重構造へと日本が変容していった過程を実地で経験してきた者だからこそ描ける史論なのかもしれない。外山は見聞き読みしてきた全共闘以後の運動史をこれでもかと饒舌に語りまくる。約六〇〇頁書いてもまだ足りない。圧倒的なまでの熱量がテクストを紡ぎ続ける。もはや外山は「キワモノ革命家」を超えて「時代の語り部」の域に入ったのではないか。

 しかし、この語り部の物語に対して「歴史としてはお粗末」だと批判している人物(どうやら運動関係者らしい)もいるが、私のような部外者からすればそんなことはどうでもよろしい。だが、あえてマジレスすれば、例えばアレクサンドル・コジェーヴが言うように「歴史的想起なしには、すなわち語られたり書かれたりした記憶なしに実在的歴史はない」*2のであり、あるいは野家啓一が言うようにstoryとhistoryが共にギリシア語の「ヒストリア」に由来する語源をもつことからしても*3、歴史が物語から独立していることなどありえないのである。要するに、ある出来事が客観的に実在すると仮定するのではなく、出来事の解釈によって読者の史観を奪い合うこと=「闘争」が重要なのであって、この点こそが『全共闘以後』における最大の政治性/批評性であることは疑いえない。

 時代を問うことが思想的営為の第一条件だとするならば、単一な過去に規定された「現在の現実」をひっくり返しにかかっている外山恒一は、まぎれもなく思想家である。また近年の絓秀実や千坂恭二の動きも含めて考えれば、状況は水面下ですでに大きく動きだしているといっても過言ではないだろう。

 そこで知的な書物などをお読みになられている若い皆様に申し上げる。こちらの水は甘くないし無臭でもない。てめぇの鼻がリベラルの糞でフン詰まっていなけりゃ、毒々しい思想の刺激臭が「運動者」の股ぐらから強烈に匂ってくるのを嗅ぎあてられるはずだ。いまクシャミしたやつから鼻かんで書店に行け。そして外山恒一を買え。

 以上、いささか短めではあるが書評とさせて頂く。

 

※ 公開時、「ポストモダンの"右"旋回」に関して事実誤認があり、外山さんご本人からご指摘がありました(現在は修正済みです)。お詫びして訂正いたします。

 

(文責 - 赤井浩太

*1:竹中労平岡正明『窮民革命のための序説「水滸伝」』、三一書房、一九七三年、七一頁

*2:アレクサンドル・コジェーヴヘーゲル読解入門』、上妻精ほか訳、国文社、一九八七年、二四七頁

*3:野家啓一『物語の哲学』岩波現代文庫、二〇〇五年、一二四頁