批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

左藤青

【時評】抽象化の悪と「想像力」のゆくえ ——磯﨑憲一郎による落合陽一・古市憲寿批判

僕は小説家・磯﨑憲一郎を尊敬しているし、氏の作品が好きである。「批評」を標榜している割には、とりわけ小説の類をそんなに読めていない僕にとって、端正で執拗なまでの具体的描写と、時には突飛な場面転換が持ち味の磯﨑の作品は数少ない愛読書であり、…

「大失敗」十一月記事まとめ

(九月・十月の記事まとめはこちらです) 平素より大変お世話になっております。批評集団「大失敗」の左藤青(@satodex)です。 いよいよ寒くなってきましたね。実は『大失敗』第一号の原稿がだいたい出揃い、今編集作業に入っています。胃が痛いです。本誌…

待ちぼうける陽水——井上陽水『氷の世界』について(後編)

道は光ばかり胸の影を誰が知る(平沢進 - 空転G) ※前編 daisippai.hatenablog.com 〈夜〉=執行猶予 前編では、『氷の世界』が、常にある踏切=境界=「断絶」のイメージで貫かれていること、その彼岸と此岸のどっちつかずの緊張感において井上陽水は「待ち…

待ちぼうける陽水——井上陽水『氷の世界』について(前編)

『氷の世界』(一九七三年)の井上陽水は滞留している。ここでの滞留とはある境界の上で滞り、留まることである。言い換えれば、井上陽水はどっちつかずの場所で「待ちぼうけ」ているのだ。井上陽水の詩において、世界は動き続け、主体(「僕」)は動けない…

資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動

外山恒一にとって、「ニッポンの思想」は批評家だけで構成されているわけではない。そこにはアクティヴィスト(活動家・運動家)も参入しなければならないのである。この点において、外山はある種「批評」に対する他者として、『ゲンロン』座談会に接してい…

「大失敗」九月・十月記事まとめ

記事のまとめです。外山恒一、浅田彰、東浩紀、平沢進など。

資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について

新しい情報の提供があるわけでもなく、新しい価値判断があるわけでもない、ましてや学問的研究の積み重ねがあるわけでもない、なにか特定の題材を設定しては、それについてただひたすらに思考を展開し、そしてこれいった結論もなく終わる、奇妙に思弁的な散…

遠近法と声の抵抗——P-MODEL『Perspective』について

われわれが屋根裏部屋をもたなくなったときでも、またマンサルドをうしなったときでも、われわれが屋根裏部屋を愛したということや、マンサルドにすんだということは、いつものこることであろう。われわれは夜ごとの夢でそこにかえってゆく。この隠れ家は貝…

【時評】人間の時代と「ポップ」なもの —『新潮45』のキャッチーさに抗して  

あまりに人間的 何か新しいことをやらかさなきゃいけません。私のビジネスはひどく難しい。なぜって、人間の情に訴えるのが私の商売ですからね。そりゃ、人間の心を揺すぶることはまだいくらかはありますよ。ほんのいくらかはね。ところが、そういう手でも何…

哄笑批評宣言

マーク・フィッシャーが死んだ 資本主義が唯一の存続可能な政治・経済的制度であるのみならず、今やそれに対する論理一貫した代替物を想像することすら不可能だ、という意識が蔓延した状態(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』邦訳10頁) それが「…