批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

大失敗のRadio-Activity 第二回(前半)「京都駅ビルのアンチ・モダン」(ゲスト:松田樹)

左藤青です。「大失敗のRadio-Activity」第二回を更新しました。

 

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大失敗のRadio-Activity 第二回(前半)「京都駅ビルのアンチ・モダン」(ゲスト:松田樹)

 

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2018年に爆誕した前衛批評集団「大失敗」がラジオにも進出。日本や世界で起きている様々なアクチュアルな出来事について、赤井浩太と左藤青で語っていくひとつの「アクティヴィティ」です。

第二回は長さの関係で二分割! 今回から、二ヶ月に一回程度様々な場所に行って、その場所や都市や建築について批評を加えていく「大失敗散歩」をしていきます。今回は、ゲストに中上健次研究者の松田樹さん(神戸大)をお迎えしつつ、京都駅ビルにいってきました。
京都駅ビル原広司による建築。原広司による建築の背景、その是非などについて語っています(外ロケ部分は若干聞きづらいものとなっていますのでご注意ください)。また、原広司と交流のある大江健三郎についても言及しています。


ラジオ後、なんと松田さんが内容についての注釈をつけてくれました!とても詳しく書いてくれているので、お聞きいただいた後にお読みいただくとより知識が深まるかと。

以下松田さん。


『大失敗』ラジオ注釈・第二回(前半)(松田樹)

 

大江健三郎における「建築」の問題

収録中では、大江健三郎井上光晴の小説について「建築」という語を用いて批判的に言及していると述べた。正確には、大江は井上の小説が持つ「建築」=「構造的」な性格を評価しつつ、それが「混沌」にまで発展して行かないため、(小説の長短にかかわらず)「長篇」というよりも「中篇」と呼ぶに相応しいと批判している(大江健三郎江藤淳編『われらの文学20井上光晴』、大江健三郎「解説」)。なお、参考までに、大江文学(のみならず戦後日本文学)と「建築」の問題については、石川義正『錯乱の日本文学』に詳細な言及がある。ただし、石川は、以下に見るような「集落」ではなく、「塔」的なものへの関心から大江における「建築」の問題を分析している。

 

*「谷」の形式をした京都駅ビルの「集落」的構造 ≒ 大江健三郎「谷間の村」?

1990年 JR京都駅改築について国際的コンペを開催
   ←1990年8月〜91年7月 内子町立大瀬中学校設計
1991年 コンペ審査にて原広司氏案が決定    
   ←1991年10月〜92年7月 内子町立大瀬中学校施行
1993年 12月 京都駅ビル建設工事着工
1997年 7月12日 JR京都駅開業(https://www.kyoto-station-building.co.jp/about/を参考にした)


ここからは、原広司が手掛けた京都駅ビルの建築が、同じく原のデザインによる大江の母校・大瀬中学校の建て替えのプロジェクトと並行して進んでいることが読み取れる。また、原と大江は、大瀬中学建築に際して、両者の関心の近さが窺われる、以下のような文章を記している。
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大江健三郎の母校・愛媛県喜多郡内子町立大瀬中学校。設計は原広司+アトリエ・ファイ建築研究所。写真は『GA JAPAN』創刊号1992・AUTUMNより)

 

原広司「文学と建築の場所」(『GA JAPAN』創刊号1992・AUTUMN)

 大江健三郎にしても、私にしても、共同体となるものについてあれこれと考えてきた。今日、共同体の行方はほとんどわからない。この状況が、文学の現場にどのような影響を与えているか知るべくもないが、何らかのかたちで建築に現われているだろう。(中略)たまたま、大瀬の谷では、文学と建築の場所が物理的に重なり合った。もちろん膨大な大江文学に対して、建築は、文学内の一つの局所的場所とも比べるべくもない小さな点にすぎない。端的に言えば、私は大江健三郎の文学に対する一つの解釈(むしろ解釈の断片)を、建築学的に表現しようとした。

大江健三郎「新建築が発掘される」(『GA JAPAN』創刊号1992・AUTUMN)

 原広司の解説にそくしていうなら、ここに新しく建築された中学校を先頭にした集落が、村の風景を新しく整えているのである。破壊されたものを恢復させる仕方で。その中学校を中心にすえた風景が、新しい意識において総合されなおした、つまり新しく社会化された自然の景観を村にもたらしているのである。村の小さな予算の域をこえて人々がこの中学校の実現のために努力し、いまは中学校の下方を流れる川に沿って整備するヴォランティア活動が始められている。そのような村の共同体の、新しい秩序の構想の実現は、いまやくっきりとあきらかである。


ここに挙げた二つのエッセイから窺われるように、大瀬中学校建築に際して原と大江に共通して見られる関心は、想像力を通じて失われた共同体をフィクショナルに立ち上げる(大江の所謂「破壊されたものを恢復」)ことである。だが、並行して建てられた京都駅ビルの「谷」の構造が、大江の母校が位置する「谷間の村」と類比的に捉えられるとすれば、移動の通過点である駅を「共同体」や「集落」に見立てる原の発想は興味深いとはいえ、収録中にも議論になった通り、それが今日有効に機能しているのかは些か疑問であろう。

 

例えば、イベント用にしつらえられたという中空の舞台も——もしもその場所が当初の計画のように活用されたならば、大江の『万延元年のフットボール』を思わせる祝祭空間が演出されたかもしれないが——現在は使用が禁止されたことで既にトマソンと化していたし、我々が休日に訪れた際も百貨店やホテルが入る駅ビル上層階にはほとんど人がおらず、谷間の底辺に位置する中央改札口とバス乗り場周辺だけが京都の中心部に向かう観光客で混雑していた(松田樹)

 

 

パーソナリティ:赤井浩太左藤青、ゲスト=松田樹(神戸大学

編集・BGM:左藤青

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【第一回】大失敗のRadio-Activity「批評家の一年:赤井浩太の場合」

左藤青です。大失敗の新企画、「大失敗のRadio-Activity」第一回を更新しました。

 

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2018年に爆誕した前衛批評集団「大失敗」がラジオにも進出。日本や世界で起きている様々なアクチュアルな出来事について、赤井浩太と左藤青で語っていくひとつの「アクティヴィティ」です。記念すべき第一回となる今回は、2019年に文芸誌『すばる』(集英社)から批評家としてデビューした赤井浩太が、この一年どのような生活を送っていたのかについて語りつつ、「批評」と言われるジャンルの輪郭に迫っていきます。

赤井・左藤ともに若干まだ語りがかたいですが徐々にこなれていくと思います、たぶん!

 

次回はゲストとして、中上健次の研究者である松田樹さんにご出演いただきます。

 

 

 

パーソナリティ:赤井浩太左藤青

編集・BGM:左藤青

 

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新体制、大失敗ラジオ、通販再開

・はじめに

 「大失敗」読者の皆さま、ご無沙汰しております。赤井浩太です。

 今年五月の文フリ東京から今日にいたるまで、われわれ「大失敗」はあまり目立った活動をしてきませんでした。というのも、三人体制の運営だとひとりひとりに負荷がかかりすぎてしまい、簡単に言えばへばってしまったからです。とはいえ、まったく何もしていなかったわけではありません。今回の記事では、「大失敗のこれから」について書こうと思います。

 

・「大失敗」新体制について

 まずは組織の拡大についてお知らせします。このたび「大失敗」には新たに二人の正規メンバーが加わりました。一人目は袴田渥美。彼は「大失敗」創設以前からわれわれと交流があり、じつは数年前のプロトタイプ「大失敗」でも参加予定だった、いわば「まぼろしの四人目」です。そして最近やっと参加する準備が整ったとのことで運営メンバーに加わることになりました。彼の論考はすでに大失敗ブログに掲載されていますので、ぜひ読んでみてください。

凝視と観察 ―― ジャン・ユスターシュ、あるいは凝視のあまりに/《ゲームの規則》、あるいは批評のレッスン ―― - 批評集団「大失敗」

 二人目は藤原有記(入眠谷 (@nyumindani) | Twitter)。彼女にはもともと本誌の巻末漫画を依頼するつもりで声をかけたのですが、本人の希望もあって「大失敗」の製作・編集に携わってもらうことになりました。「大失敗」最大の懸念事項であった製作(創刊号のときは左藤青が素人ながら担当しましたが)、その本格的なチームがようやく今発足したということになります。さっそく彼女にはこれから始まる「大失敗のRADIO ACTIVITY」のアイコン画像を製作してもらいました。彼女は早くもわれわれにとって欠かすことのできない存在となっています。

 袴田渥美と藤原有記、この二人もまたわれわれと同じ世代の二十代で、もとは「大失敗」読者でもありました。「大失敗」の場合、読者がこちら側の人間になってしまうことはよくあることで、われわれは「この人は」と思う人にはかならず声をかけています。まだ詳細は発表できませんが、『大失敗』二号の執筆陣もわれわれがオルグをかけたメンバーによって構成される予定です。われわれは水面下でつねに動き続けている、そのことをお忘れなきよう、どうぞご注目していただければと思います。

 

・『大失敗』二号について

 巷では文フリ東京にむけて各同人誌が目次の公開などを始めていますが、われわれはすでに説明したとおり、夏から秋にかけて活動をスローダウンさせていたため、今回の文フリには参加しません。また来年一月の文フリ京都も不参加です。その理由は主要メンバーがここ最近さまざまな原因で多忙だからです。しかし来年五月の文フリ東京、ここまでにはかならず二号を完成させ、読者の皆さまにお届けできるようにいたします。

 

・「大失敗のRADIO ACTIVITY」について

 すでに少し書きましたが、われわれ「大失敗」はラジオ放送を始めます。以前からしげのかいりや左藤青のツイキャスが好評だったということもあり、もう少し体裁を整えた企画性のあるトークもやってみようという話がでて構想が始まりました(もちろん不定期のツイキャスも引き続き行います)。

 このラジオのタイトルは「大失敗のRADIO ACTIVITY」というもので、基本的には左藤青と赤井浩太がラジオパーソナリティを務めます。頻度としてはだいたい月に1~3回で、月ごとにゲストをお呼びしたいと思っています。初回は12月公開予定、詳細は大失敗のツイッターアカウントで告知する予定です。初めての試みなのでつたないところもあるかとは思いますが、徐々に改良しつつ面白いラジオになることを目指します。

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「大失敗のRADIO ACTIVITY」のキーヴィジュアル



 ・通販再開について

 さて、皆さま大変長らくお待たせいたしました。『大失敗』創刊号の通販を再開します。申し込みの手順は以前と変わりません。まず以下のフォームで個人情報を記入して頂きます(正確に間違いのないようお願いいたします)。

docs.google.com

 記入された方にはこちらからメールをお送りさせて頂きますので、そこに記載されている指定の口座に代金+送料をお振込みください。お振込みを確認し次第、こちらから発送させて頂きます。ただ発送に少し時間がかかるかもしれませんが、その点に関してはご容赦ください。

 

・最後に

 以上で告知はおわりです。ここからは赤井個人の感想になりますが、「大失敗」創設から一年が経ち、われわれを取り巻く状況も、そしてわれわれ自身も変わってきたように思います。私事でいえば、文芸誌『すばる』のほかに、これから創刊される『対抗言論』に参加させてもらうなど、少しずつではありますが活動範囲が広がってきました。左藤青は相変わらずデリダ研究にかかりきりですが、一方で最近は「建築」に関心があるとかで、自分の専門的な知見を深めつつジャンル横断の気配も見せています。それからしげのかいりは幾度目かの転回がすでに始まっているらしく、僕からすれば、こういう時の彼の思考は見ていて本当に面白く、同時にその真率さは恐ろしいものであるように思います。「問う」ということはどういうことか。彼はたびたび僕にそれを教えてくれます。

 三人でドタバタ的に始めた「大失敗」は、新たな仲間を加えて大きくなりつつあります。そしてさらにドタバタな喜劇を、皆さまにお見せできればと思います。

 

文責-赤井浩太

凝視と観察 ―― ジャン・ユスターシュ、あるいは凝視のあまりに/《ゲームの規則》、あるいは批評のレッスン ――


*本稿におけるジャン・ユスターシュについての伝記的記述とフィルモグラフィに関する記述、加えてユスターシュの発言の引用は、全面的に『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』(須藤健太郎著、共和国、2019年)に依拠している。ジャン・ユスターシュに関する一次資料を参照することの困難から、上述の処置をとったことを了承願いたい。
 

序 

 2019年6月2日、アンスティチュ・フランセ東京にて、「幻の映画監督」の幻の作品が、十数年ぶりにスクリーンに投影された。《ナンバー・ゼロ》と題されたその映画は、私が席をともにした観客たちの目にどう映ったのだろうか。私にとって《ナンバー・ゼロ》は、ユスターシュの伝説的な生涯を要約したフィルムであるように思われた。これは曖昧な感嘆ではない。あの2時間のフィルムは、ユスターシュの映画監督としての短い生涯において、可能であったものと不可能であったものとのすべてを、確かに指し示していた。

 凝視は、細部に宿る神を見いだす(こともあるだろう)。しかし、細部に宿る神は、その背をけっして信徒に見せることはない。見出した神にとり憑かれるあまりに、ユスターシュは何かを見落としてしまった。

 《ナンバー・ゼロ》のフィルムを切り刻んだもの、神をも恐れぬ冒涜をはたらいたものとは誰か(何か)? それはユスターシュが「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」を見つめすぎるあまりに、その影をしか捉えることのできなかった誰か(何か)である。私は結論を先に示した。「批評」がはじまる。だから、「(……)最後になっても、神を信じて」いてはいけない。 

1.《ナンバー・ゼロ》

 《ナンバー・ゼロ》は、ユスターシュにとって、彼の監督としてのキャリアを画する映画だった。《わるい仲間》、《サンタクロースの眼は青い》の成功にも関わらず、「一度も仕事の依頼を受けたことはない」ユスターシュは、このフィルム/映画の撮影にすべてを賭けたのだろう。

 スクリーンに映し出されるのは、ちいさなアパートの一室に置かれたテーブルである。監督と向かいあって、彼の祖母、オデット・ロベールが彼女の生涯を語る。カメラは途切れることなく回っている。フィルムが尽きても、隣で回っているもう一台のカメラは、フィルムを交換するスタッフの手から、打ちなおされるカチンコまでもをそのレンズに映しながら、オデットと監督の姿とをとらえつづける。それで、2時間が過ぎていく。《ナンバー・ゼロ》についての記述は、これですべてである。フィルムにはこれ以上のものは記録されていない。時系列を行きつもどりつしながら半生を語る祖母と、耳を傾ける彼女の孫とのあいだに流れる時間を、フィルムはいちどもカットされることなく記録している。

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ユスターシュ《ナンバー・ゼロ》

 製作に苦悩し、もはや監督としてのキャリアに絶望しかけた映画監督の選択が、この映画のシンプルな、映画としての最小の条件をしか備えていない姿であったとするなら、確かにそれはやはり、感動的なストーリーでもあるのだろう。

 オデット・ロベールの昔話は、悲惨と残酷とに満ちている。とりわけ戦争孤児をめぐるエピソードには、耳を塞ぎたくなった観客さえいたのではないだろうか。ドイツ占領下のフランスにて、ドイツ兵とのあいだにできた子どもたちを、母親たちは中絶しようとする。それでも産まれてきてしまった子どもたちは、「半分死んだ状態」で産まれてきて、数か月で亡くなってしまう。オデットはそんな戦争孤児たちをひきとっていた。「たくさんの赤ちゃんが死んでいった」。「おれが小さかったころ、子供がたくさん死んでいった」。

 「この作品のなかには人類の苦しみすべてが入っている」とユスターシュは言う。

死人もいれば、病人もいる。人類の営む悪のいっさいがあり、重くのしかかる運命のいっさいがある。しかしそれにもかかわらず、おそらく最後になっても神を信じたままでいる。

 だから、《ナンバー・ゼロ》のフィルムには、記述しうる光学的現象以上のものが宿っていたはずである。

 もはやほとんど、映画を撮る機会も意志も失ったかのように思われたとき、突然、遭遇した祖母の物語りを記録したフィルム。そうして撮られた、「きれいでもきれいじゃなくても、重要なこと」、「偉大なこと」のすべてを「記録」したフィルム。ユスターシュにとってそれは、なによりも大切な、祈りをこめた呪物であったに違いない*1

 だがしかし、顔のない誰か(形のない何か)は、敬虔な個人の祈りをさえ見逃しはしない。《ナンバー・ゼロ》のフィルムは、切り刻まれねばならなかった。

 

 

 1977年4月22日、ジャン・ユスターシュは、《ナンバー・ゼロ》の放映権売買協約書に署名する。次作・《不愉快な話》を製作し、映画監督としての活動を続けるためには、資金が必要だったからだ。

 《ナンバー・ゼロ》の上映時間は2時間である。与えられた放送枠は55分である。ユスターシュはネガフィルムを編集しなおさなければならなかった。《ナンバー・ゼロ》のオリジナルは、そのとき、「永久に失われた」。そして2019年6月2日、私たちの眼にした《ナンバー・ゼロ》の映像とは、いちど切り刻まれた身体を復元され、すでに呪物としての機能を剥奪された、《ナンバー・ゼロ》のゾンビに他ならない*2

2.儀式、屠殺、リクルート 

 《ナンバー・ゼロ》のフィルムを切り刻んだものとは誰か(何か)? それはすでに、ユスターシュの撮影したそれほど多くはない映像のなかに、その影のみを映りこませている。

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ユスターシュ《サンタクロースの眼は青い》

 ユスターシュの二作目の短編映画、《サンタクロースの眼は青い》の内気なダニエルは、夜の街路を通りがかった女性に話しかける。街の少年たちのなかにもうまく溶けこめない(万引きのしぐさもぎこちない)ダニエルの、精一杯の勇気を振り絞った姿はどこか微笑ましい。しかし、ダニエルと女性との会話は、しばしば、耳を聾する自動車のエンジン音に遮られるだろう。

 この騒音は、連作《ペサックの薔薇の乙女》、《ペサックの薔薇の乙女 ‘79》にいたって、グロテスクで抗いがたい仕方で再び現れる。この連作は、ユスターシュの産まれ故郷、ペサックの年中行事を撮影したドキュメンタリーである。一作目は1968年に、二作目は1979年に撮影された。選出された未婚の女性を讃えるこの行事は、’68年にも、‘79年にもほとんど同じプログラムに従って進行する。映画は変わることのない儀式の全過程を、時系列に従って記録している。

 しかし、撮影された二本のフィルムは、「同じ映画」とはならなかった。68年の《ペサックの薔薇の乙女》において、スクリーンには、牧歌的な田舎町の風景のなかを、薔薇の乙女の行列が通り過ぎていく様子が映し出される。そこには中世にまで遡る「伝統」の、いまだペサックに息づく姿がある。しかしながら、《ペサックの薔薇の乙女 ‘79》には、この「伝統」の死に絶えつつある姿がある。行進の終着点である教会までの道のりは、郊外団地と駐車場とにとり囲まれ、もはや儀式と風景(土地)とのあいだに結ばれえていた紐帯は失われている。 

 ユスターシュの分身であるダニエルのささやき、それからユスターシュがこだわり続けた故郷への愛着を、ときには遮り、ときには解体しにやってくる、顔のない誰か、あるいは形のない何かとは、ここではひとまず、都市とその拡大のプロセスとして、その影を示している。

 ユスターシュはこのことに自覚的ではあったのだろう。《ペサックの薔薇の乙女‘79》は薔薇の乙女の行列を見下ろす高層ビルの姿を逆光のなかで捉えている。白く染まった背景に浮かびあがる建造物の威容は、冷酷に薔薇の乙女と彼女に付き従う市民たちを睥睨している。《サンタクロースの眼は青い》の騒音も、同時録音にこだわったユスターシュによって、なかば以上、意図的に残されたものであったはずだ。

 しかし、ユスターシュの映画監督としての態度決定は、勝算のない闘争へと彼を導いていく。ユスターシュが選んだのは、凝視という、それ自体として限定された方法だった。都市の風景を撮ることはできる。都市の騒音を録ることもできる。しかし、ユスターシュは、ついにそれらを規定する可能条件に気づくことはなかった。

 《ナンバー・ゼロ》は、68年版《ペサックの薔薇の乙女》と、《ペサックの薔薇の乙女 ’79》とのあいだ(1971年)に撮られた。もうひとつ、薔薇の乙女の連作のあいだ、《ナンバー・ゼロ》の直前(1970年)に撮られた短編がある。《豚》と題されたその短編映画にて、ユスターシュは豚の屠殺をつぶさに捉えている*3

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ユスターシュ《豚》

 映しだされる映像は、儀式的な荘厳さをさえ湛えている。屠殺というある種のタブーに従事する人びとの姿は、撮影しうる映像のひとつの倫理的リミットであるとも言えるだろう。しかし(であるがゆえに)、ここには盲点がある。

 

 

 ユスターシュが彼のカメラを通して、注意深く対象を凝視するほど、彼は何かを見落とすだろう。それは「儀式的」でありさえする屠殺の結果物(呪物)を、交換可能なものへと書き換える「市場」のあのプロセスである。

 屠殺場の営みがどれほどまばゆい光芒を湛えようとも、市場は個人的かつ主観的な意味価のすべてをいつのまにか剥奪し、交換可能かつ無毒な「商品」を流通させるだろう。消費者たちは屠殺場で繰り広げられる光景を想像することもなく、ただの豚肉(この言い方にも、やはり盲点はある)を享受するだろう。

 しかしこの見落としは、市場あるいはその作用自体の不可視性のみによって引き起こされたものではない。「注意深く対象を凝視するほど、彼は何かを見落とすだろう」。さらにこの点を追求するために、ジョナサン・クレーリーの「注意」に関する膨大な資料を用いた歴史的記述から、ひとつのテーゼを借りるのであれば、過剰なほどひとつの対象を凝視しつづけること(注意をふりむけつづけること)は、「注意の連続によって引き起こされる極端な例のひとつ」、「催眠によるトランス」と区別できない*4

 言い換えよう。ユスターシュ執着する対象 ――民衆の凡庸な生活の現実―― に、ある種の神秘的輝き、単なる光学的記録以上の過剰な何かを付与しているものとは、ユスターシュのカメラに他ならないのではないか。であるがゆえに、ジャン・ユスターシュ、あるいは、民衆の生活をおおう「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」の輝きに魅入られた映画監督は、呪物(交換しえないもの)の交換(購入と売却)という、神秘の背後に潜むおぞましい神秘をつねに見落とす。さらに言えば、ユスターシュの熱のこもった視線は、対象を「商品化」することに共犯しうるだろう。

 ヴァルター・ベンヤミンによって初期写真文化についてなされた警告は、ここにおいてその射程を延長されうる。

物神の容貌が衰えを知らないのは、照明法の流行が変遷してゆくからにすぎない。写真に創造的なものを求めることは、写真を流行に委ねることである。「世界は美しい」 ―― これがその標語に他ならない。この標語には、ある種の写真のもっている姿勢が露呈している。すなわち、どんな缶詰でも宇宙のなかにモンタージュすることができるが、缶詰が登場してくる人間的な脈絡をひとつも把握することができない写真、したがって最も夢想的な主題を扱うときでも、それを認識するさきがけとなるよりも、それを商品化するさきがけとなる写真の姿勢が。*5

 「缶詰」、あるいはありきたりな対象をその生産と流通のネットワークから切り離し、その姿に美学的な意味をまとわせるそのときに、「物神の容貌」が対象にとり憑き始める。「世界は美しい」とのスローガンは、「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」との祈りをこめた言葉と不気味に呼応する。そしてこの美学的視線は、対象の「商品化」に「さきがけ」る。

 再び言い換えよう。美しいものは、美しく見えるがゆえに、それが本来位置づけられていた場所から切り離され、交換可能なものとなる。そのうえ、その美しさが見るものの盲点をおおいかくすがゆえに、美しいものの背後で蠢動するこの書き換えは、対象を熱烈に凝視しつづける神経症的な視線によっても、いかなるダメージを被ることもなく、むしろその視線によって隠蔽されながら機能し続けるだろう。

 そして交換の呵責のないシステムは、利潤の幾何級数的な増幅をもたらし、街路を行きかう法外な台数の自動車を生産し、かつての想像を絶するほど巨大な高層ビルの建設と、それに伴う土地の売買をも可能にするだろう。そのとき同時に、個人の計測不可能な愛着と思い入れをまとった呪物、《ナンバー・ゼロ》のフィルムをさえ、あらかじめ定められたフォーマット(放送枠)と価値象徴によって計測し、「形成化」し、「切り刻」み、あるとき、思い出したようにもとの形に復元することも可能になる。顔もなく、形もなく、資本制の巧妙なシステムは、あらゆる「夢想的な主題」、あるいは敬虔な信徒の神をさえ「商品化」するだろう。

 

 

 ユスターシュのその後のフィルモグラフィは、そのことに彼が有効な戦略をとりえなかったことを示している。《サンタクロースの眼は青い》は、装いを変えて、《僕の小さな恋人たち》として繰りかえされる。内気な少年がナルボンヌの街路を生きる同世代の少年たちの振舞をまねつつ、「ありのままの世界」に溶けこんでいく筋書きは、ほぼ同じ順序で繰り返されている。まるでそこには、変わらないものがあるのだとでも言うかのように。

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ユスターシュ《僕の小さな恋人たち》

 《僕の小さな恋人たち》には、《サンタクロースの眼は青い》の自動車の騒音のように、ダニエルを街路のキスシーンから隔てる自転車工房の窓 ――青春を謳歌する青年たちと、労働に費やされる彼の一日とを隔てる工場の窓 ―― が現れているとはいえ、ユスターシュのカメラは、やがて恋人たちの営みをまねることに成功するダニエルをのみ焦点化しつづける。

 批評的判断の公正を期するために、短編《求人》をとりあげるべきかもしれない。「労働」をテーマにした短編4本から構成されるテレビ企画にて、この短編は1979年に放映された。ユスターシュはこの短編で、当時、フランスの人材採用において流行していた筆跡分析を主題としている。みすぼらしい求職者が街角のカフェで急いで応募書類を仕上げる姿は、「就活生」がエントリーシートの馬鹿馬鹿しい質問集に必死になって回答を書きこむ姿とどこか似ている。あるいは《求人》は、話された言葉、書かれた言葉を「還流」*6させ一定の基準のもとに計測可能なものにするシステムを見事にとらえているとも言えるのかもしれない。

 しかしながら、次作・《アリックスの写真》にて、写真家アリックス・クレオ・ルーボーのヴィトゲンシュタインについての学説をなぞりながら、言語とイメージとの関係に執着するユスターシュは、言語それ自体の機能を美学的な視線で見つめはじめてしまっているのではないだろうか。なぜある人間に筆跡を分析する権利が与えられ、ある人間は所有する筆跡を奪い取られるのかという、それだけでは不十分な問いさえも、ユスターシュの問題とはならなかったのではないか。そう推量することの妥当性は十分にある。

 

 

 そして1981年11月5日未明、ジャン・ユスターシュは拳銃自殺を遂げる。*7自身の記念碑、《ナンバー・ゼロ》を奪われ、撮影のチャンスをも奪われ続けた彼の死は、映画史における悲劇ではあるのだろう。しかし、この文章は「批評」であるのだから、この地点、芸術家の悲劇的生涯を嘆き悲しみ、聖別するこの地点に留まっているわけにはいかない。

 ユスターシュの捉え損ねたもの、呪物の交換を可能にするシステムの犯行現場をとらえ、告発し、抵抗するための方法、あるいは、クルクルと踊り狂うシステムを嘲笑うための方法とはいかなるものか? そう問うときに、ジャン・ルノワールの柔和な笑みが、現代より遥か遠く、第二次大戦の終結をさえ通り越した過去から、私たちの現代を「批評」しはじめる。

3.《ゲームの規則》、あるいは批評のレッスン

 ジャン・ルノワールの代表的傑作・《ゲームの規則》は、1939年の公開当時、「観客の敵意を誘発し、興行的に惨敗した」。そのうえこの映画は、第二次大戦の間近に迫った危機の時代に、「色恋沙汰にうつつをぬかす」「ドタバタ喜劇」は、公開直後に「風紀を乱す」との廉で上映禁止となる*8ファシズムの台頭という脅威と、なぜかお道化た笑みと大げさな演技とをけっしてやめない劇中のルノワールの姿は、確かに奇妙なコントラストを成している。

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ルノワールゲームの規則

 まるで危機に抵抗することを諦め、「ドタバタ喜劇」を享楽することに引きこもったかのようなルノワールの映画監督としての態度が、少なからず観衆の反感を招いただろうことは想像に難くない。しかし《ゲームの規則》は、システムの破局(事件/事故)の必然的でありかつ予測不可能な性格を、これ以上ないほどあからさまに描写している。熊の着ぐるみを着てはしゃぐルノワールの笑みは、カメラの手前で不気味な冷徹さに沈む、監督としての彼の視線をおおい隠すだろう。

 

 

 《ゲームの規則》の舞台となるコリニエールの館は、神経症的な凝視と盲点とに満ちている。大西洋横断飛行を成し遂げたパイロット、アンドレ・ジュリユーは、彼を讃えるインタビュワーの声にも、飛行場に集まった民衆の声援にも応えることなく、「あの人のためにだけに飛んだのに」と、愛する女性が自身を迎えてくれなかったことに憤り、自動車事故を起こしてしまうほどに自失する。ジュリユーの「あの人」、クリスチーヌの夫ロベール・ド・ラ・シュネイ侯爵は、「自動演奏器械」のコレクションに熱中するあまり、自身の館で繰りひろげられる痴話喧嘩の、殺人事件の一歩手前を行き来する深刻さを見逃すだろう。最も「正常」であるかのようなオクターヴも、偉大な指揮者であったクリスチーヌの父の死を嘆きつづけるあまりに、騒動の中心であるクリスチーヌを屋敷の外に連れだし、事態の混迷に拍車をかけてしまう*9

 かくして、劇中にて、ラ・シュネイ侯爵の愛人、ジュヌヴィエーヴによって引用された「社交界における愛とは単なる幻想の交換/皮膚の接触にすぎない」とのシャンフォール箴言に象徴される人間喜劇は、破局に向かって動きはじめる。

 破局は、凝視とフェティシズム ――あるいは「容器」への愛着 ―― によってもたらされる。クリスチーヌが夫(ラ・シュネイ侯爵)と彼の愛人(ジュヌヴィエーヴ)とのキスシーンを目撃するのは、「望遠鏡」を手にしてしまったがためである。ラ・シュネイ侯爵はそのとき、ジュヌヴィエーヴに「愛していない」ことを告げ、妻を愛する男(ジュリユー)の闖入によって動き始めた交換のシステムを鎮静化しようとしていたのだが。クリスチーヌはあてつけるように、侯爵との関係をあきらめて屋敷を去ろうとするジュヌヴィエーヴを引き留めるだろう。そのうえ彼女は、ジュリユーでも侯爵でもなく、客人サン=トーバンを密かに誘う。ラ・シュネイ侯爵とサン=トーバンは殴りあいの喧嘩をはじめるのだが、混乱のそもそもの発端は、「望遠鏡」による凝視の視野の狭さと、焦点の遠さである。

 ラ・シュネイ侯爵の、無機物への偏愛もまた、事態を鎮める機会を彼に見落とさせる。「自動演奏器械」を客人たちに披露し、恍惚とした表情を浮かべるラ・シュネイ侯爵は、夜会の背後で、森番シュマシエールが、彼の妻リゼットに手を出した元密猟者の召使・マルソーを追いかけていることに気づかない。あるいはまた、クリスチーヌとジュリユーとの不貞の現場を発見した侯爵は、またしても取っ組みあいを演じるのだが、喧嘩の最中に姿を眩ましたクリスチーヌが「オクターヴと一緒」にいるとの、重要な情報を告げるジュヌヴィエーヴの声を、神経質に外れてしまったボタンを凝視しているがために聞き逃す。

 そしてシステムの混乱が頂点を迎え、ついに殺人事件/死亡事故を引き起こす。森番シュマシェールは、クリスチーヌを連れ出して温室へと入っていくオクターヴを目撃する。しかし彼は、妻リゼットに彼が贈ったコートを着ていたがために、クリスチーヌを妻と誤認する。容器とその中身を取り違えたシュマシエールは、オクターヴの銃殺を決意する。一度、温室を立ち去ったオクターヴは、コートを着て温室へと戻ろうとするのだが、ジュリユーと遭遇し、クリスチーヌを彼に託そうと、自身のコートを彼に与える。シュマシエールはまたしても人物を誤認し(容器とその中身を取り違え)、温室へと走るジュリユーをオクターヴ代わりに射殺する。

 そして夜会はジュリユーの死によって幕を閉じる。ラ・シュネイ侯爵は森番がジュリユーを密猟者と見間違えたのだと、客人に「事故」を報告し、喪に服すことを呼びかける。サン=トーバンの皮肉なセリフは、《ゲームの規則》のシナリオのすべてを形容するだろう。「“事故”という言葉の新しい定義だ」。

 

 

 ジャン・ルノワールは、美しいものを飽かず見つめつづける私たちを笑っている。愛着の対象を誰にも渡すまいと凝視しつづけるがゆえに、つねに失いつづける私たちの滑稽な姿を。そしてこの「ドタバタ喜劇」は、1939年から、ジャン・ユスターシュのキャリア(1963年から1981年)を通り過ぎても、いまだにダラダラと演じつづけられている。

 しかし、《ゲームの規則》に宿る批評性の要諦は、もっとも愛するものをこそ交換可能なものに変成してしまう(されてしまう)「ドタバタ喜劇」の役者たちを笑うこと ―― システムの犯行現場を告発すること ―― に存してはいない。ルノワールの指し示す「抵抗」の可能性とは、「ゲームの規則」が孕む必然的なアクシデントの可能性である。

 確かに、呪物でも、愛の対象でも、およそあらゆるものを所有者の手から奪いとり、交換する「ゲームの規則」は、それ自体として抗いがたいものであるかのように振舞っている。しかし、その「規則」が、そもそも対象の美化(倒錯)によって成立し、取り違え(錯誤)の可能性を含んでいるとすれば、この「規則」に従って営まれるシステムは、その崩しがたい外観に反して、信じ難いほど脆弱な基礎をしかもっていないのではないか。

 だからこそ、このシステム、資本制を支える交換のネットワークは、必然的にアクシデント ―― たとえば、許容量を超える欲動を対象に固着させてしまう主体、芸術家の失意と自殺 ―― を帰結せざるをえない。自殺の他に、このアクシデントはいかなる姿で現れうるのか。恐慌か、内乱か。新たなムーヴメントの動因は、つねに資本制の基盤自体に内蔵されている。

 だから、私たちにいま一番必要なものは、自殺を導きかねない特定の対象(細部)への愛をこめた凝視でも、此岸の不条理を包みこむ神への信仰でもなく、システムの抱えこむ機能不全の要因を観察し、必ず到来する事故=事件の瞬間に賭けるルノワールの視線である。「“事故”という言葉の新しい定義」、ジャン・ルノワールの批評的レッスンは、私たちの導きの糸となるだろう。

 

(文責 - 袴田渥美)

 

 

  

 



 

 

 

*1:ユスターシュが《ナンバー・ゼロ》の「公開」を限定し、通常の流通経路からこの映画を隔離しようとしたことも付記しておきたい。監督によって選ばれた十名の招待客だけが、《ナンバー・ゼロ》の完成当時、この映画の観客となることを許された。《ナンバー・ゼロ》という映画は、このことにおいても呪物的に振舞う。 須藤健太郎『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』、共和国、2019年、37-38頁。

*2:もちろん、《ナンバー・ゼロ》の復元と上映自体には、映画研究における重要な価値があるということは理解している。しかし、作品と作者との取り結ぶ特異な関係の在りかたに限って、《ナンバー・ゼロ》のフィルムのたどった運命を読解するのであれば、復元されたフィルムは、やはり「ゾンビ」である。

*3:小屋から引きだされてきた豚は喉を切り裂かれて断末魔をあげる。豚の死体は血液を抜かれて、解体されていく。取りだされた腸に肉が詰めこまれ、ソーセージがつくられる。屠殺上の人びとは、この間、平静そのものである。仕事を終えた彼ら彼女らを労わるように宴がひらかれ、民謡を唄う声とともに映画は終わる。

*4:ジョナサン・クレーリー、『知覚の宙吊り』、岡田温司訳、平凡社、2005年、69頁。

*5:ヴァルター・ベンヤミン、『図説 写真小史』、久保哲司訳、筑摩書房、1998年、49-50頁。

*6:アンスティチュ・フランセ東京HP、ジャン・ユスターシュ特集の解説文よりhttps://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema1905121045/

*7:ユスターシュの自殺の経緯と動機は、作家の自殺というものがえてしてそうであるように、はっきりと究明されているわけではない。ユスターシュが製作の機会に恵まれなかったことに加えて、生前の彼はジャック・リゴー(『自殺総代理店』のダダイスト)への憧れを隠さなかったこと、晩年には何度も自殺未遂を繰り返していたことも、須藤健太郎は指摘している。 須藤健太郎、前掲書、152-158頁、298-299頁。

*8:ユリイカ3月臨時増刊号2008.Vol40-4総特集ジャン・ルノワール』所収、筒井武文ゲームの規則』、青土社、2008年。

*9:さらに記述を連ねよう。ラ・シュネイ侯爵の愛人ジュヌヴィエーヴ・ド・マラは、けばけばしい東洋趣味で身辺を覆っている。召使のコルネイユユダヤ系の主人を貶すレイシストである。「将軍」と呼ばれる人物は「ドタバタ喜劇」のそもそもの発端となる浮気性のクリスチーヌを、過剰な懐古趣味にとらわれるあまり、「近頃珍しい」貞潔な妻と誤認する。異性愛、同性愛、健康への病的な拘り …… 列挙しはじめればきりのないほどの神経症的執着のリスト。そして愛の対象を「交換」しあうシステムは、文字どおり致命的な事件/事故へと導かれていく。

【時評】あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の成功を祝して

森林の木々/そのような個性体/森林の日々/そのような事業体/考えたりはせずに/編み出しはせずに/ラジオのような/体になって/I LOVE YOU(P-MODEL - "PERSONAL PULSE")

写真は機械で作られる近代的な表現であるにもかかわらず、逆説的なことに、写真は絵画、彫刻などよりももっと呪物化しやすい表現である(多木浩二天皇の肖像』*1

近代の「思想」は常に「美学」の前に敗北してきたと言えます。そして、日本においても、それは例外ではない(絓秀実『「超」言葉狩り宣言』*2

 個人的なことから述べさせてもらえば、電話をかけたり、かけられたりすることほど面倒くさいことはない。とりわけ事務的なものともなればその面倒くささは格が違ってくる。あの事務的なやりとりの質感は一個の恐怖でさえある。

 たとえば自分が買った商品に不具合があったとしても、よっぽど高価なものでもない限り、面倒くさいからそのまま放っておきたい(というかできることなら一日寝ていたい)。電話をかけてアホくさい会話をするくらいなら買い直した方がマシだとすら思う。そういう人間にとって、抗議の電話をかける人間ほど、すなわち(一言で言って)「クレーマー」ほど理解できないものはない。それは理念的に理解できないのではなく皮膚感覚的に理解できないのである。

 だが、「現代」すなわち「情の時代」において、これは理念的にこそ問題なのだ。

「情の時代」

 上記記事を参考としつつ、まずは流れをまとめておく。現在絶賛「炎上」中の「あいちトリエンナーレ2019」「表現不自由展・その後」は、「作家の選定にあたってその男女比を同等にすることを打ち出す」など、芸術監督:津田大介らしい「リベラル」な体裁も伴って「前売りチケットの売り上げも開始2カ月前の時点で前回より2倍多かった」(上記記事より)ほどに話題になっていた。

 しかし周知のように、そこで展示されていた「『慰安婦』少女像」や「昭和天皇の肖像を燃やす映像」が文字通り「炎上」し、抗議の電話が殺到する。八月二日には河村たかし名古屋市長)が大村秀章(愛知県知事)に「平和の少女像」展示中止を要請するなど、問題が広がり始める。脅迫やテロ予告的な電話も多くあったことから、三日にはやむなく展示が中止となった。その後も見るべきところのまるでない馬鹿げた騒ぎがいくつも連続している。

 

 さて、ネット上での意見は、そもそもこの表現を認めないもの、「表現の自由」は認めつつも、津田大介自身への個人攻撃を展開するもの、これまでの津田の発言や身振りとの矛盾を指摘し「ブーメラン」とするものなど様々であるが、たいていノイズでしかないので、この記事ではさしあたり無視しておく*3

 しかし上記の種々の批判はさしおいても、そもそも、私にとっても、「展示」のそれ自体の質(仮にこういう言い方をしておこう)は、「アート」として成立していると思えなかった。

 「アート」を定義するにあたって、ものの見方を多角的にし、議論をより豊かにするもの(ブレヒトのいう「異化効果」を持つもの)、とさしあたりは大雑把に言っておこう。それに従うのなら、仮にそれらの作品が「発禁」の憂き目に遭ってきたという事実を加味しても、「少女像」を置いたり、「御真影」を燃やしたりするのは、安易でしかない。それは既視感にあふれた「スキャンダル」でしかないのであり、「この問題に特定の立場からの回答は用意しません。自由をめぐる議論の契機を作りたいのです」というわりには、「解答」が用意されているように見える。このことは多く指摘される通りである。

「議論のトピックとしても、その揶揄の仕方にしても、このような安易な手は今までに何度も繰り返されてきたのであって、『別の見方』など何一つ提示しはしない。まともな分別があれば、このような『アート』は取るに足らないもの、すでにあるものの単なる反復として無視できるはずである」。私は、タイムラインに表示された「表現の不自由展・その後」の情報を見てこう思った。無論、一部の右翼はこれにいつも通り飽きもせず怒るだろう、しかし、一時的に津田が「炎上」するいつものパターンが繰り返されるだけに違いない、と。

 ただし残念ながら「まともな分別」はもはや期待できなかった。二〇一九年度のあいちトリエンナーレが掲げている通り、「現代」は「情の時代」だからである(しかし「現代」とはいつからだろう?)。かくして、「表現の不自由展・その後」は鋭く現代を「批評」してしまった。言い換えれば、成功を収めてしまったのであった。

反復——「風流夢譚」

 いったん迂回しよう。ところで、先ほど私は「単なる反復」といったが、こうした「表現の不自由」という問題系そのものもまた、なんども反復されてきたものである*4。たとえば、今回の事件と似たように、「天皇(制)」を揶揄して発禁(正確には「公開自粛」)となった文学作品に深沢七郎の「風流夢譚」(一九六〇年)がある。

 この事件はよく知られているが、一応要約しておこう。そもそも「風流夢譚」は主人公がひたすらに「不条理」な夢を見るという設定のもとに書かれる短編小説である。この作品は、以下のように、皇族が殺害される記述や、主人公と皇太后が汚く罵り合う「不敬」シーンを含み、出版されるや否や、(今風に言えば)「炎上」したわけである。

皇居広場は人の波で埋っているのだが、私のバスはその中をすーっと進んで行って、誰も轢きもしないで人の波のまん中へ行ったのだった。そこには、おでん屋や、綿菓子屋や、お面屋の店が出ていて、風車屋がバァーバァーと竹のくだを吹いて風船を鳴らしている、その横で皇太子殿下と美智子妃殿下が仰向けに寝かされていて、いま、殺られるところなのである〔…〕そうしてマサキリ〔マサカリ〕はさーっと振り下ろされて、皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がして、ずーッと向うまで転がっていった(深沢七郎「風流夢譚」)

昭憲皇太后はまた足をバタバタ暴れてわめいた。/「てめえだちは、誰のおかげで生きていられるのだ。みんな、わしだちのおかげだぞ」/と言うのだ。/「なにをこく、この糞ッタレ婆ァ、なんの証拠があってそんなことを言う。てめえだちの様な吸血鬼なんかに、ゼニをしぼりとられたことはあっても、おかげになんぞなったことはねえぞ」/と私も怒鳴った(同上)

 この作品は『中央公論』の一九六〇年十二月号に掲載され、すぐさま問題となる。その後、右翼団体からの度重なる脅迫を受け、一九六一年二月一日には実際に殺傷事件が起きてしまう。これらの展開を経て、「風流夢譚」は文庫化も全集入りもせず、二〇一二年に電子書籍化されるまでは長らく市場に流通しなかったため、読むことが困難なものであった。

 この問題が未だに「アクチュアル」であるのは、「風流夢譚」のアマゾンレビュー(評価:星1)を見てみればわかるだろう。未だにこの作品に激怒する人間はいる。そのレビューによれば、「〔…〕実際に読んでみたら、素人が面白半分で書いたものとしか思えない。どんな考えに基づいて書かれたのかわからないが、こういうかたちで皇室を侮辱するのは悪趣味過ぎる。また、こんな小説を安易に掲載してしまったのは中央公論の重大な過失であった」(強調引用者)。

 なぜこのヘボなレビューをとりあげたかと言えば、まさにこの状態が、「天皇(制)」をめぐる思考の中心にあるからである。「どんな考えに基づいて書かれたのかわからない」にも関わらず*5それについて書かれた「表現」を脊髄反射的に、感性的=美的(aesthetic)に、「侮辱」であり「悪趣味過ぎる」ものと判断することができ、掲載自体が「重大な過失」と断ずることができるものこそ、「天皇」という〈聖なる〉対象である。

 そしてこの事情は「表現の不自由展・その後」の「御真影」を燃やす「アート」においてもいっこう変わらない。実際、嶋田美子「焼かれるべき絵」において「御真影」を「焼却処分」したのは富山県立近代美術館であり、その点で複雑な事情を孕んだ、「議論を呼ぶ」作品である。しかしこの「アート」に怒っている人間の大半は、「ググる」ことさえすれば一瞬でわかるこの事情を理解していないようだ。「日本人」は、「どんな考えに基づいて書かれたのかわからない」としても、とにかく「ある形象」が燃やされることそのものに、無条件的な怒りを——むろんこの「無条件性」にも気づかず——覚えるのである。

 先ほど、私は「アート」を「議論を豊かにするもの」としてさしあたり定義した。しかし、どうやら他の「表現」と異なって、一つのトピック——すなわち天皇」をめぐる「表現の問題」が、「議論以前」の異様な暴力を引き起こすようである。これは、特定の、本来ほかの「表現」となんら変わらないはずの、たんなる一個のトピックなのだが、にも関わらずほかの「表現」をめぐる問題とは別種の思考を必要とする。

 一言で言えば、「天皇(制)」の問題は(そしてここでは論じないが、おそらく「慰安婦」の問題も)、日本において、今も昔もずっと「トラウマ」として機能していると言えるだろう(「トラウマ」は「日本的身体」にとって、抑圧=忘却されなければならないものである)。この「トラウマ」は、そこに触れるや否や、即座に市民たちの議論(「熟議」)をせきとめ、沈黙を求める魔術的な「防波堤」なのである。この臨界点においては、「表現の自由」は決して自明の概念ではない。

 この視座に立つ時、一九六〇年代と二〇一九年の言説空間を(「昭和」と「令和」の言説空間を)、水面下で、しかしはっきりと直線的に結ぶ一つの「持続」が見えてくる。「風流夢譚」事件は「過去」の野蛮な人間たちが引き起こした失敗ではなかった。この野蛮な状況=「情の時代」が、数十年来変わらず「現代」である。これが「表現の不自由展・その後」が奇しくも暴いてしまった「その後」——何も変わっていない「その後」——であろう。

 この「持続」について必要なのは、「批判=批評」(critique)である。いくら「議論」(argument)が望まれたとしても、それを「無意識」下に「タブー」化する美学的体質=「制度」を批評することなしには、私たちはそれを進めることができないからだ。

 ちなみに、批評家の赤井浩太は、『すばる』二〇一九年九月号掲載の「谷川雁の天啓詩」の末尾で、戦闘的な文体で、次のように述べている。

天皇がみずから退位した。それで何が終わったのか。何も終わっちゃいない。何が変わったのか。何も変わっちゃいない。何が新しくなったのか。何も新しくなっちゃいない。いっこうに流れ出ない歴史のお腐れ水、それが日本である。(赤井浩太「谷川雁の天啓詩」*6

 さて、私たちはこの六〇年間(あるいはそれ以前から)この淀んだ「水」の中で、一体なにをしていたのだろうか。  

資本制と芸術/芸術作品の価値

 天皇を「侮辱」するこの展示の公開以来、ツイッターでもネット記事でもすでに、「日本人を侮辱している」、「日本人の心を踏みにじっている」と言われ、さらに多くの場所で「こんなもののどこが芸術なのか」という疑義が呈されている。ここでは、単に写真を燃やされた程度で「国」や「国民」や「心」(なにそれ?)が危機に陥る「象徴天皇制」を思考しつつ*7、ここで言われている「こんなもののどこが芸術なのか」に実際に答えてみることにしよう。

 ところで、「表現の不自由展・その後」が「風流夢譚」以上に暴いている問題系として、資本制がある。この問題が「炎上」し始めた時、そこで問題となったのは、それが「不敬」であり、また「反日的」であることだが、それ以上に、そうした表現を「行政がお金を出したイベントに展示するのは、おかしい」河村たかし/8月1日)ということであった。おそらくこれが小さな展覧会で個人的に展示されていたなら、あるいは単なる一部の「過激派」きどりであったなら、これほど大きな問題にはならなかったであろう。結局、「血税」が「反日アート」に使われるというこの点が、この「炎上」の要点だったのである。それは税金の無駄遣いだというわけだ。

 「税金の無駄遣い」ほど大衆が嫌うものはないようだが、それでは、どのような芸術が「無駄遣い」ではない、「血税」に見合う、展示されるべき芸術となるのだろうか。このように問うためには、そもそも芸術の価値がどのように決定されるのか、このことを問わなければならない。つまり「価値」の発生について思考しなければならないのだ。私たちは日々芸術に(文学や映画や漫画まで「芸術」に含めるなら)金を払っているが、しかし、そもそもその値段はいかにして決定しうるのか。実はこの問題は、それ自体が資本主義の矛盾を突いているのである。

 よく知られているように、絓秀実は『革命的な、あまりに革命的な』で次のように指摘している。

芸術を制作する「労働」は、似たような絵を似たような技術で描いたとしても、大家と呼ばれる存在(ピカソ)の作品と貧乏画学生(馬の尻尾)のそれとでは、その交換価値に無限の高低が生ずることからも知られるように、そこにおいては抽象的人間労働という虚構が成立しがたい。芸術は近代においては商品としてしか存在しえないが(あるいは、商品化されることで芸術となる)、しかしそれは資本制の論理がそこで挫折するデッドロックなのである。資本制商品経済の論理は、芸術=商品という限界を設定することで、その内部を論理的に——自由で平等なものとして——構造化する。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』*8

  資本制においては、労働力は抽象化され、同じ時間の同じ技術力の労働によって同じ結果がもたらされるものとして想定される。しかし「芸術」においては、そもそもその交換価値は労働力から直接変換されるわけではない。この交換価値の決定には、資本制全体にとっての一種の「アポリア」が潜んでいる。

  資本主義(者)がこれを隠蔽するのは、まさにこの「アポリア」を「貴重な労働力」という「神話」に変換することによって、である。資本制そのものの「やりがい搾取」的構造がここにあるのだ。

 近代資本制はそのことを、いくつかの方途を用いて隠蔽してきた。それが資本制にとって必須のものと知られれば、芸術はその外部性を喪失しかねないからである。ベンヤミンの高名な論文〔『複製技術時代の芸術作品』〕が言うところの、芸術作品の『展示的価値』という概念は、美術館によって購入されたその作品の交換価値は、一般的な労働力の価値の累乗された希少で貴重な労働力によって作られたものであるがゆえに高価だという論理に、芸術を回収しようとするのである。それは資本制の「美学化」——ベンヤミンに倣えば「政治の美学化」——にほかならない。(同上)*9

 しかし、すぐのちに絓が指摘するように、このような「美学化」は、ベンヤミンのいう「複製技術時代」には崩壊する。あらゆる「芸術」はそれがコピーされ大量に印刷されることによって、その神秘性=儀式的使用価値(「アウラ」)を剥ぎ取られるからである*10ベンヤミンは種々の芸術形式を批評しながら、「『真正』な芸術作品のもつ比類ない価値は、それが儀式の上に基礎づけられていることにある。芸術作品の本来の使用価値、そして最初の使用価値は、儀式のうちにあったのである」と指摘しつつ、

〔技術的複製が可能になることによって〕真正性という基準が芸術の生産において役に立たないものとなる瞬間に、芸術の社会的機能全体が大きな転換を遂げる。芸術は儀式に基礎をおくかわりに、ある別の実践、すなわち、政治に基礎をおくことになるベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」*11

 ベンヤミンはこの論文の中で、「芸術」(=「表現」)を非政治的な「聖域」(「芸術のための芸術」)として神秘化する振る舞い(「政治の美学化」)を「ファシズム」として批判し、それに対抗しうる手立てとして「美学の政治化」を見出している。ここにおいて「芸術=表現」は聖域ではなく、政治的闘争の場なのだ。

 私が冒頭で述べた「ものの見方を多角的にし、議論をより豊かにするもの」という曖昧な定義は、ベンヤミン=絓にしたがってより精確に述べれば、「美学の政治化」を行うものが「アート」である、と言い換えられる。しかし、「芸術」の判断基準が「政治」にあり、「芸術」それ自体にもはやないということは、当たり前だが、もはや「価値」が事後的にしか決定できないということを示している。あらゆる「芸術」は、それがいかなる政治的なパフォーマンス力を持ち、また、いかに論じられたかを基準としてしか、つまり遅れざまでしかその価値を決定できないのである(おそらくこのことはデュシャン以降、「アート」の側でも意識的になされていることである)。だから冒頭で仮に述べた「『展示』のそれ自体の質」とは、実は語義的に不可能なものとなる。

 もはや教科書的とも言えるこの定義だが、これに忠実に従うかぎりで、実は結論は非常に逆説的なものになる。結局のところ、そもそも「行政がお金を出したイベントに展示するのは、おかしい」ものこそが、真に「展示されるべき」芸術作品ということになるからである。

 そのような展示こそが、そもそも「芸術」自体が資本制の臨界点であるという、もう一つの「トラウマ」を露呈させることで、「美学の政治化」を遂行する。「表現の不自由展・その後」は(これも逆説的に)「血税」で賄われ、それが問題化したからこそ「政治的」価値を持ったと言えるだろう。そこで暴露されたのは、天皇制と資本制が構成する不可視の「タブー」であり、「表現の自由」という理念の二重の限界なのである。

 資本制のもとでは、表現内容は批判していいが表現することは自由だ」という、「表現の自由」が叫ばれるときのおきまりの二分法は、その表現が流通するものであればあるほど単なる空疎な理念に過ぎなくなる。これは「民間」においても同じである。表現内容についての批判が殺到すれば、つまり「お客様」たる市民が不快になり「クレーム」を入れることになれば、「スポンサー」や「広告主」の名誉が(「企業イメージ」が)傷つくことになるからだ。そのようなことになれば、「表現が自由」だろうがなんだろうが、スポンサーは提供を取りやめるだろう*12。ここでは、「表現内容」と「表現すること」という区分は、厳密には成立しえない(また、一部の政治家たちが「表現の不自由展・その後」を批判するのは、結局、端的に大衆人気のためであるという点で、「ポピュリズム」の問題もここに存在する)。

 「芸術=表現」は、自身の「無駄遣い」=「ジャンク」性と「不自由さ」を露呈させることによってこそラディカルな価値を持つ。ジャンクではない、ましてや「自由」な「芸術=表現」などないだろうし、ありうべくもないのである。

 まとめよう。「表現の不自由展・その後」は、その一連の「出来事」において、「資本=ネーション=ステート」(柄谷行人による表現)の「三位一体」の癒着、そしてそこに働く「ファシズム的」イデオロギーを暴露したのである——そういうわけで、非常に残念だが、「表現の不自由展・その後」の大成功をことほぐ必要があるだろう。

 

パフォーマンス・アート

 なお、先ほども触れたが、「政治」という言葉を多義的に解釈するかぎりでは、「アート」(とりわけ「現代アート」)は「美学の政治化」を意識的に行っていると言える。すなわち、「これはアートではない」という批判を喚起することこそが、その作品を「アート」たらしめるという逆説の反復である(それを私は「デュシャン以降」と言った)。この一種の「アート」の自己否定的な構造、「スキャンダリズム」そのものを批判することはおそらく必要な作業だろう。だが、それが有効なものとして機能しつづける問題系について先に議論すべきであり、そのような賢しらな議論は「早すぎる」。

 

 最後に個人的なことをまた述べておけば、当然だが私は「批評家」ではない。それは、当初、「表現の不自由展・その後」が、まさか「アート」として成立するものとは私には到底思えなかった、この「批評眼」の鈍さからも証明できるだろう。この程度の安易な展示が「異化効果」をもつとは思えなかったのである。しかし、まさに「炎上」と脅迫による「表現規制」によって、「表現の不自由展・その後」は、天皇制、資本制をめぐる問題系が、未だなお、議論以前のものとして「持続」していることを露呈させることになってしまった。

 しかし結果として、この「持続」を暴いたのは、津田大介でもなければアーティストたちでもなく、むろんそれを論じた私でもない。おそらく津田は、一部の右翼や政治家がこれに怒るところまでは想定内だっただろうし、もしその想定内に終わったとすれば、この事件は単なるくだらない微温的な「炎上」で終わっていた。それでは終わらなかったわけである。

 だから、「表現の不自由展・その後」を「アート」にまで高めたのは、「こんなもののどこが芸術なのか」と叫び、電話をかけ、脅迫し、中止に追い込んだ鑑賞者たち自身である。正確には、彼らの脊髄反射的な行動、そしてそれに呼応した政治家たちの大衆扇動という「パフォーマンス」こそが、「アート」を成り立たせたのだ。

 おそらく「現代」においては、今も昔も、彼ら「ファシスト」こそが「芸術家」として、称揚されるべき人間たちなのである--むろん私は、「芸術家」になるくらいなら一日寝ていたい。

 

(文責 - 左藤青

 

※過去の記事

daisippai.hatenablog.com

 

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*1:多木浩二天皇の肖像』岩波現代文庫、二〇〇二年、一九二頁。

*2:絓秀実『「超」言葉狩り宣言』太田出版、一九九四年、一九頁。

*3:基本的なことを確認しておけば、最低限の「表現の自由」や「発言の自由」という理念(タテマエ)は当然守られるべきである。「発禁」や「自粛」や「回収」という一方的な暴力ほど馬鹿らしいことはない。しかし別に「表現」は聖域ではないのだから、私は「表現」でさえあれば全てが擁護されるべきだとは思わない(「表現」とはそもそも多義的な言葉であり、それは非常に抽象的な議論でしかない)。「美少女イラスト」と今回の展示を両方「表現」として相対化し、両者に対する津田の態度の差異を指摘して「揚げ足を取る」向きがあるが、むろんそれらは全く質的に異なる「表現」であり、それらの持つ意味も異なっている。たとえば、「美少女イラスト」が批判されるとき、その対象となるのはそのイラストを描く人間、あるいは消費する人間の「まなざし」であり、その具現化の過程が「無意識」的に参照している「俗情」、あるいは「差別的感情」である。一方、「少女像」は、(それが上手くいっているかどうかはわからないが)そうした秘された「俗情」の歴史・痕跡を意識的に暴こうとするものであり、「少女像」が右翼によって批判されるのは、まさにこの「意識」なのである。この意味で二つの表現は、全く別のレイヤー・別の次元に属している。津田本人の態度は別として、そしてこうした差異をどう評価するかは別として、少なくともそれらは同列には「批評=批判」できないだろう。

*4:なお、同様の問題として筒井康隆の「てんかん差別」並びに「断筆宣言」問題がある。現代に反復される「表現の自由」と「差別」の議論は、未だにこの事件における議論のレベルを抜け出ていないように思われる。「てんかん差別」問題についての当時の「てんかん協会」の要求(回収)や、それに類似する現代のヒステリックな「表現規制」は実際、的外れである。ただし、実際に「表現されているもの」について、そこで抑圧されている「差別」的な「まなざし」を批判し続ける作業は必要であり、「小説」や「漫画」や「イラスト」だからと言って、何かが免罪されるわけではない。

*5:なお、読めばわかるように、「風流夢譚」はそもそも「左慾」=左翼批判も含む作品である。そのほかにも複数の読解の余地(「腕時計」のメタファー、「辞世の句」など)を含んでおり、これを一概にたんなるシュールな「悪趣味」なエクリチュールと断ずることはできないだろう。

*6:赤井浩太「谷川雁の天啓詩」(『すばる』二〇一九年九月号所収)、二〇一九年、集英社。一八九頁。

*7:ところで、エピグラフの一つとして引用した多木浩二は、引用箇所で写真が複製技術という「近代的な機能」を持ちながら、「呪物化しやすい表現」であると一般的に指摘したあとで、「御真影」こそが「天皇」の代理物として、感情を喚起し、「臣民」を形成してきたと分析している(多木、同上)。ここでは、「国家」は「家」のまったきアナロジーであり、「近代的主体」は存在しえないという。またこの「御真影」は、実際には写真ではなくエドアルド・キヨッソーネが描いた肖像画であった。外界をそのまま映し出すという写真の写実的=近代的機能に反して、「明治政府にとっては、写真と写実的絵画の複写との区別など、はじめからたいした問題ではなかった。通用させるのは、人びとがたしかに天皇を撮ったと信じる〝写真〟である必要があったが、そのつくられかたはたいして重要ではなかった」のである(同上、一八九頁)。だが、「家」がいくら解体されたところで、市民社会の中で生き延びる「不能の父」たる天皇の存在について、多木以上に思考を進める必要がある。

*8:絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な——「1968年の革命」史論』ちくま学芸文庫、二六〇頁。

*9:同上、二六〇〜二六一頁。

*10:前掲の多木の議論は、ベンヤミンのこの定義を前提としつつ、それでもなお複製技術=写真が「呪物」として価値をもってしまうことを指摘しているのである。

*11:ベンヤミン「技術的複製可能性の時代の芸術作品」(河出文庫ベンヤミン・アンソロジー』所収)、二〇一一年、三〇八頁。強調ベンヤミン。なお、引用中のタイトルについてはより一般的なものに変更した。

*12:津田大介に対する批判としてまとめられたTogetterにおいても、説明欄に「こちらがあいちトリエンナーレのスポンサー様一覧です。抗議はこちらの企業・団体へ」とある。この投稿者は他にも多くのアンチ左翼系・嫌韓・嫌中系のまとめを投稿している人物であり、まともに取り合うべきではないにせよ、やはりこの問題が根本的に「クレーマー問題」であり、「お客様」を不快にさせた事件であったことを忘れてはならない。

「大失敗」、『情況』にインタビューを受けました

平素より大変お世話になります、左藤青です。

 

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こういうわけで、私たち「大失敗」は『情況』からインタビューを受けました。「大失敗」が公式の場にこうして大々的に?取り上げられるのはこれが初めてです。記念すべき第一回ということで、読者の皆様におかれましてはいますぐご購入ください。Amazonではすでに予約できます。

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 この『情況』七月号では、もちろん「目玉」である「大失敗」インタビューの他に、「政治とは経済なのである」と題した特集が組まれており(詳しくは『情況』のTwitterをご覧ください)、安彦良和氏インタビュー、山本太郎氏、西部忠氏の論考など、かなりボリュームのある内容となっています。

 「大失敗」にとっては、とりわけ、兼ねて私たちが「ほめ殺し」してきた外山恒一氏の論考「選挙じゃなにも変わらない」や、山本桜子氏「シン・フェイン文学」などが重要になってくるでしょう。

 

 実はゴールデンウィーク機関精神史とのイベント「令和残俠伝」と文フリ東京のちょうどはざまにこのインタビューがありました。以前にも公開したこの写真は、その際撮られたものだったわけです(実際の記事では使われていないので、レアです)。

 インタビューでは、しげのかいり、赤井浩太、私の三人が満遍なく語っています。「大失敗」の発足経緯、運営方針、運営理念、「大失敗」の反響、現状批判、『大失敗』二号以降への展望など、これで「大失敗」丸わかりということで、ぜひご覧ください。

 個人的な感想としては、インタビューというもの自体が初めてですが、自分が語ったことが文字に起こされ、編集され返ってくるというのが奇妙な感覚でした。掲載にあたってかなり綿密にやり取りをしましたが、口語の躍動感を損なわないように意識しました。

 

 なお、「大失敗」は、あらゆるメディアからのインタビュー、お仕事をお待ちしております! よろしくお願いいたします。あとで悪口言うかもしれませんが。

 

※ ご依頼はツイッターのDMかメール(daisippai19@gmail.com)からお願いします

 

※ 『大失敗』創刊号は現在増刷準備中です

 

(文責:左藤青)

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『小失敗』Note配信開始

いつもお世話になっております、左藤青です。先月の文フリ東京で創刊号と併せて発売したおまけ雑誌『小失敗』ですが、会場で創刊号もろとも無事完売いたしました。

創刊号は現在増刷の準備中なのですが、ありがたいことに『小失敗』についても読みたいという声が上がっております。こちらは「おまけ」なので再版の予定はないのですが、せっかくなのでNoteで公開したいと思います。

前衛批評おまけ雑誌『小失敗』(Note版)|前衛批評集団「大失敗」|note

 

内容は主に三つの部門から成ります。運営三人(赤井浩太、左藤青、しげのかいり)によるエッセイ「大失敗読書会」レポート「前衛のための義務教育」(運営三人によるレビュー20個)です。詳しくは上のリンクから目次をご覧下さい。

 

値段は400円ですが、紙ではA468頁、文字数にして56000字以上もある「おまけ」です。

『大失敗』創刊号はなかなかソリッドな論考しか載っていないのですが、『小失敗』はもう少しラフに読め、運営三人のキャラクターがわかりやすい内容になっています。「大失敗入門」に最適なのではないでしょうか。

なお、三つほど無料でレビューの試し読みができます。いずれもなかなかポレミックな内容です。ご一読下さい。

【書評】赤井浩太:スタイルをめぐる闘争(津村喬『戦略とスタイル』)|前衛批評集団「大失敗」|note

【書評】左藤青:一億総批評家社会(東浩紀『郵便的不安たちβ』)|前衛批評集団「大失敗」|note

【書評】しげのかいり:「批評家」になんかなりたくない(金井美恵子『夜になっても遊び続けろ』)|前衛批評集団「大失敗」|note

 

「大失敗」は現在二号を準備中ですが、近々、また別の何かしらについて告知させていただくことになると思います。今後とも「大失敗」をよろしくお願いします。

 



 

(文責 - 左藤青)

 

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