批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

松坂牛の天皇——天皇制と脱構築(前編)

「昭和」から「平成」へ、かつてあったはずのあの切断についても、これから生じることになるあの切断についても、それ自体ひとつの「配列」以外のなにものでもないことが意識されなければならない。(拙稿「昭和の終わりの『大失敗』」、『大失敗』創刊号、二〇一九年)

 二〇一九年は元号の変わり目となるわけで、そのことで種々の議論や、政府の手続き上の不手際に対する批判の声があるようだ。

 一月に京都文フリで発売された『大失敗』創刊号は、元号を問題にし、また絓秀実氏の文章を掲載した時点で当然ではあるが、天皇制への疑義を孕んでいるものである。「昭和の終わり/平成の終わり」という創刊号のテーマの一つは、現状起きつつある元号にまつわる破廉恥きわまる乱痴気騒ぎ、そして「平成」とは何だったのかなどという、馬鹿げたノスタルジーに対して、あらかじめ牽制しておくという心持ちで設定されたのだった。僕はそこで「音楽批評」を一本書いている。

 とはいえ「昭和の終わり/平成の終わり」というテーマの天皇制への疑義は、元号という、「たんなる表象」しか問題にしていないのだから、見かけ上はじつにひかえめなものである。

 ほかの人間は知らないが、僕自身には、『大失敗』の議論が天皇制への単なる「攻撃」として受け取られることに抵抗があったし、『大失敗』がたんに政治的にラディカルなだけの左翼的言説に回収されることにも明確な抵抗があった。しかしこの「抵抗」は「否認」ではあれ「否定」ではないわけで、この余計な「抵抗」の感覚が問題となるのだろう。まさに、拙稿で問題にした「ちょっと待って」(有頂天 - "大失敗'85")である。

 

 むろん、そのようなひかえめな態度にとどまらず、あえてそこから一歩進んで、たとえば天皇制を解体、あるいは、脱構築することは可能なのだろうか、などとと問うこともできたのかもしれない(しかしもちろん、「脱構築」がジャック・デリダの用語であることは言うまでもなく、デリダ自身がほとんど思考するはずのなかった天皇制について「脱構築」するなどとのたまうのは、おそらくまったく不適切だ。それは、キャッチーなタイトルにばかり興味を示す、動物的な読者たちを呼び寄せる結果にしかならないかもしれない)。

 だが、この問いは、あまりにも性急すぎるように思える。そこで、さしあたり次のように(デリダ的に)問うておこう。その問いの手前にある、「天皇制『と』脱構築」というこの並列が何らかの意味を結びうるとしたら、どのような仕方なのだろうか、と。この「と」について考えるために、ここでは実際に天皇制の「脱構築」を目指す思想家からヒントを得たいと思う。守中高明氏である。

.媒介を破壊する意志で結ばれた〈われわれ〉

 「ネイションと内的『差異』——天皇イデオロギーのもとでの在日朝鮮人」(『終わりなきパッション デリダブランショドゥルーズ』所収、二〇一二年)で、守中高明は、帝国主義時代の日本の朝鮮支配のスローガンたる「一視同仁」という「まなざし」をラカン的に分析するところから出発している。

 守中は仏文系の研究者であり、現在は早稲田大学の法学学術院教授である。デリダの翻訳なども多数ある。一方で詩人であり、また宗教者でもあるという、さまざまなプロフィールをもつ守中は、日本の「デリダ派」のなかでもとりわけ政治的にはっきりとした態度を取っている思想家だと言えるだろう。彼の作業は日本における「天皇制−人種主義−近代資本主義」という「三位一体」の「脱構築」とまとめてよい(彼のTwitterを見れば、彼の方向性はおおむねわかるだろう)。

 守中は、上記の「一視同仁」の批判から出発して「大日本帝国による植民地支配の思想とシステムは、こうしてある特有の人種主義をその根本原理として存立し、作動してきた」とまとめ、「大日本帝国における植民地主義は、近代資本主義と人種主義を、天皇イデオロギーという前近代的紐帯によって結びつけることを本質的特徴として展開され」てきたと指摘する。天皇制のイデオロギーは、上述の「天皇制−人種主義−近代資本主義」という「三位一体」において、他の二項を「媒介」する紐帯として解されるのである。

 天皇制は、その媒介的性質において、近代日本の抱える問題の「勘所」であり、他の二項(人種主義・資本主義)に比べて特権的な地位を持っている。その構図は「今日に至るまで、基本的に変化することなく持続している」*1のである。

 この分析は妥当である。その後守中は、昭和天皇の「人間宣言」が、その内実「みずからが『国民』と対等な『人間』だとは一言も口にしていない」ことを指摘しつつ、日本国憲法第一条に記載されている「国民の総意」というフィクション*2を批判し、「象徴」としての天皇を持つ現在の日本にまでその批判の射程を広める。守中によれば、

その〔象徴としての天皇の〕機能は、国民たちを即自的自然状態から、天皇によって象徴されるものへと変容させることにある。つまり、日本国民は、天皇という象徴による媒介を受け容れなければ国民たり得ないのである。〔…〕/近代日本は、明治以来今日に至るまで、その政治体制の変化にもかかわらず、天皇に媒介されない民衆を持ったことがなく、したがって自然的直接態における誰かであることは、この国に国籍を持つかぎり、確認の自己意識の如何にかかわらず、不可能なのだ。*3

 デリダであれば「即自的自然状態」を無条件に認めるはずなどないということは一旦措くとして——いわゆる近代的な「主権」概念を素朴に受け容れるかぎりでは、ここでの守中の分析はやはりそれなりに妥当ではある。象徴機能・記号・媒介によって常に「汚染」されている「国民」は、即自的なものではありえず、直接自らの生を生きはしない。日本国民は天皇という「超越的媒介項」なしには「国民」たり得ない。近代的な自立的/自律的主体は、日本においてはまさに天皇イデオロギーによってこそ不可能にされているというべきだろう。日本が土人国家であるという浅田彰の指摘は端的に正しい。ただそれを乗り越えらえるかは別の問題だが。

 こうしたイデオロギー脱構築として、守中は「在日朝鮮人」の問題を提起する。「一視同仁」イデオロギーによって、その「文化的差異」を抹消され・「人種的差異」を強調された「在日朝鮮人」の生の在り方にこそ、守中は「この国のナショナリティをその過去と現在を包括的に視野に収めつつ脱構築しながら、普遍的世界市民として生きるための」*4希望を見出す。

ここには一つのチャンスがある——日本人が、「在日」と呼ばれる人々を範例として、あり有べき「人間」の名を「象徴」から奪い返し、来たるべき共和制へと歩みを進めるためのチャンスが。天皇制という究極的人種主義のシステムを超えてわれわれが(そう、あらゆる人種主義を終わらせる意志で結ばれたわれわれが)自らに固有の名を与えうる日の到来を、われわれは加速しなければならない。*5

 さきほど示唆した通り、基本的に守中の天皇制批判は、「どんな神話的起源にも象徴にも汚染されない自立した存在」への志向としてまとめることができる。そうした存在へと、つまり来たるべき即自的自然体・「普遍的世界市民」への「意志」で結ばれた「われわれ」——デリダ脱構築が常に疑義を呈してきた〈われわれ〉——へ「加速」するために、守中は「在日朝鮮人」の生の在り方を称揚する。

 守中の記述には様々な問題がある。それは本稿後編で主に論じるが、一点だけ先に指摘しておこう。ここで守中は「在日朝鮮人」を「それでもなおこの国に住み続ける彼ら*6と呼んで、そのあとにその「彼ら」を「われわれ」と言い換える

 このひとつの換言=「還元」は、どこまで平和的なものでありうるのだろうか?(この問いもまたおそらく脱構築の圏域に属している)。この点については、たしかに守中自身も「在日朝鮮人の人々の生の条件の具体性を考慮しない思弁の謗りを招くかも知れない」*7と留保している。とはいえ、それが象徴=「超越的媒介項」に汚染されていようがいまいが、どちらにせよ、この〈われわれ〉が抑圧的に機能しない証左はどこにもないのであり、「人種主義を終わらせる意志で結ばれたわれわれ」というパッセージが、すでに自己矛盾を抱えているとすら言えるのではないだろうか。なぜなら〈われわれ〉という共同性を創出する一人称複数形こそが、極度に抽象的な意味では「人種主義」的に、あるいは「人間主義」的になりうるからである。

 

ジャック・デリダ中上健次天皇制の脱構築

 「ファロス・亡霊・天皇制」(『現代思想』所収、二〇一四年二月号・デリダ特集)でも、守中による天皇制の分析は「ネイションと内的『差異』」と変わるところがなく、また問題含みな部分もほとんど同じである。重要なのは、こうした問題が中上健次デリダを同時に照会する仕方で開陳されていくこと、天皇制への抵抗の仕方として、「デリダ=中上的思考」*8を取り上げることである。

天皇という象徴による汚染を拭い去り、真の共和制へと歩みを進めたいと願うわれわれが真っ先になすべきなのは、このような『秘密』〔昭和天皇の戦争責任〕を白日のもとに晒し、『亡霊』の機能を停止させること、そして、そのような精神分析的作業の徹底化を通じて《父》=ファロス=天皇の権能を脱構築することである。/そのとき、来るべきわれわれの引き受ける名が、最もポジティヴな意味での「非国民」であることは言うまでもない。いかなる空虚な中心にも回収されることのない、散種としての市民たちの終わりなく脱中心的で不連続な結び合い——それをこそデリダ=中上的思考は呼び招いているだろう。*9

 文学者・中上健次の主題はいうまでもなく「被差別部落」であった。守中は中上作品の読解から (主に『枯木灘』、『紀州』)、中上における《父》−子関係の、「アンチ・オイディプス」的側面とその奇妙な構造(「父から息子への転移」など)を抽出する。これは中上健次に対する文芸批評(守中が参照しているのは渡部直己、絓秀実らのもの)の歴史を踏まえて理解を進める必要があるものだが、この点については稿を改めるとして、問題となっている天皇制に関して重要な点にだけ言及しておく。

 

 中上は、一九一〇年に起きた「大逆事件」(幸徳事件)につねに意識を向けていた。守中はこの意識を、中上が天皇被差別部落民の相補関係をつねに見てとっていたことに引きつける。守中によれば、中上の文章において直観的・論理的に示されるその前提とは、「〔天皇被差別部落民が〕互いに互いを規定し合う拮抗する力学で結ばれた関係にあるからであり、そしてまさにそれゆえに、被差別部落民こそは『大逆』=天皇の殺害という行為の可能的主体である*10。ここで「被差別部落民」こそを天皇イデオロギーに対抗しうる存在として見出す論理展開が、「ネイションと内的『差異』」における「在日朝鮮人」の場合と同じであることは、きわめて重要である。

 「被差別部落民」は、「天皇(制)」という象徴秩序から常に漏れ落ち、「名付けられぬ者(物)」と化す。しかし、この表象制度から漏れ落ちる「〈物〉」(守中はこれをラカン的な意味で用いる)は、「私の中心」にある「異質なもの」である。「ネイションと内的『差異』」では、守中はこれを(やはり精神分析的な意味での)「不気味なもの」と定式化していたと言える。守中は中上の作品における天皇と「被差別部落」の対極関係を下のように図式化する。

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 守中は、山口昌男天皇論とラカンの理論を合体させつつ、次のように総括する。

天皇=『ファロスのシニフィアン(φ)』は、『みずからの消失』によって唯一の起源の欲望の対象となり、諸シニフィアンの連鎖の全体を可能にしつつ、象徴界を超越項として支える役割を演じ、他方、被差別部落民は異質な『物』として排除されることで、『原抑圧』を準備しファロスのシニフィアンを成立させる『想像的ファロスの欠如(−φ)』として、象徴界の構造を堅固にする負の頂点に位置を占めている。*11

 天皇制(守中はラカンに倣ってこれを「Aufhebungそのもののシニフィアン」と呼ぶ)は、それ自体で定立しているように見せかけつつも、実際には常にそこから漏れ出す「物」としての被差別者を構造的に必要としている。天皇イデオロギーはこの二項の共犯関係によってこそ存立しているのだ(ここで守中がさりげなく「そうであってみれば、両者が互いの位置を交換することは構造的にあり得る」*12と指摘している点は重要である)。
 周縁に対する抑圧がなければ中心はあり得ず、中心は周縁を、構造的に必要とする。確かにこの図式は、『声と現象』ほかデリダが様々な場所で説明する「代補」の論理ではある。

 また、守中はこれを数字のメタファーによっても説明している。弁証法(二項の止揚としての第三項=「三」、図における上向きの頂点)に対する「四」としての、しかし「三」につけ加わる「一」ではなく、その「三」が必要としながら常に忘却・抑圧し、抹消しようとする忌むべき「四」としての「被差別部落民」(図における下向きの頂点。無論、この「四」「四つ」というような言い回しは、「四つ足」=動物、「死」などを連想させる「差別語」であり、それが踏まえられた言葉遊びである)。「第三項」を形成することなく弁証法を中断させようとする企図が「脱構築」なのであるとすれば、この「つねにすでに作動している」ところの「四」は、守中によれば「『脱構築』の効果を有する」*13

 ここから守中はさらに中上作品の読解を続け、「被差別部落民こそが天皇を無化する」というテーゼが、「その歴史的制度を被差別者の側からたんに糾弾することを意味しないし、他方、実効性のない文学的幻想にとどまる企てでもない」*14ことを主張する。それは具体的には、中上『地の果て 至上の時』(『枯木灘』から続くサーガの完結編)への着目によってなされる。とりわけ、《父》(浜村龍造)の自死に子=秋幸が立ち会う場面において叫ばれる「違う」という語に、守中は注目する。

「違う」——それはしたがって、被差別部落民たる「秋幸」がその「差別の力、『四』の力」によって可能性を開いた「父殺し」ならざる《父》の脱構築天皇脱構築への地平が閉ざされることへの、「秋幸」の文字通り全存在を賭けたひと言なのである。*15 

 『地の果て 至上の時』における浜村龍造の自死は、《父》が自らの死を「子」=秋幸に見せつけ、「切断面」を秋幸に接ぎ木することで永遠に生き長らえようとする「種の保存」の論理から説明されている。要は、中上のサーガは、《父》≒天皇の「脱構築」に限りなく漸近しながら、それが結局凄惨な「大失敗」として、オイディプス・コンプレックスへの回帰として、描かれる——いわば、天皇制の解体の可能性が閉ざされることによって、『地の果て 至上の時』は幕を閉じるのである。

間奏:「穢れ」

 しかし守中はこうした「幕」に対して解釈を加えず、再度昭和天皇の戦争責任を糾弾する方向へと議論を展開する。ここで、『地の果て 至上の時』秋幸の「違う」という叫びと、「非国民」として、天皇の責任を暴き続けなければならない、と結論する守中の所作を、パラレルに捉えることができるだろう。つまり、守中における天皇制の「脱構築」は、おそらく「違う」と言い続けることなのだ(事実、守中自身、「憲法九条改正」にも「安倍政権」にも、あらゆる「体制」に「違う」と言い続ける「運動家」である)。

 「違う」という「声」を上げ続けること——これは実際、「脱構築という理論を実践しようとするなら、ある一面を突いてはいる。しかし、まさにそうした声の「失敗」こそが、守中のいうとおり「脱構築という非−現前性の場面における出来事の必然的帰結」だとしたらどうか。あるいは、「脱構築」が「出来事の痕跡を随所に刻みつけつつ」も「前未来時勢における事態の確認」*16に帰着するのだとしたら? その場合「脱構築」はむしろ、はじめから天皇イデオロギーの解体の不可能性の側に加担するのではないだろうか。

 守中が解釈を加えないこの「幕」をどのように捉えるべきなのだろうか——そしてそれでもなお、「その歴史的制度を被差別者の側からたんに糾弾することを意味しないし、他方、実効性のない文学的幻想にとどまる企てでもない」ということができるのだろうか。おそらく、真に問わなければならないのは、ここで「実効性」と「文学的幻想」の二項対立が果たして有効なものでありうるのかどうかである。この問いを念頭に置いておいていただきたい。

 

 ところで、守中は言及していないが、中上健次ジャック・デリダという組み合わせは、それほど突飛なものではない。中上とデリダは一九八六年一二月一三日、パリのポンピドゥ・センターで実際に対談している(「穢れということ」、『中上健次発言集成3』所収)。一二日〜一三日に行われたシンポジウムには、柄谷行人蓮實重彦浅田彰などのいわゆる『批評空間』派閥が出席した。ここでのデリダと中上のやりとりは、まさに天皇制をめぐって展開されており、両者の立場の違いを明確にするのに役に立つものである。ここで中上は、「松坂牛が日本である」という奇妙なメトニミーから出発して議論を展開する。

 〈われわれ〉は、守中のいう「デリダ=中上的思考」に対して、むしろ「デリダ≠中上的思考」を考えることができるだろう——後編では、この問題を扱いたい。 

(後編へ続く)

松坂牛の天皇——天皇制と脱構築(後編) - 批評集団「大失敗」

 

  

(文責 - 左藤青

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 ▲Pink Floyd『原子心母』(1970)の牛。確実に松坂牛ではない。

 

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*1:守中高明「ネイションと内的『差異』」、『終わりなきパッション デリダブランショドゥルーズ』所収、未来社、二〇一二年、二六四頁

*2:これを守中はデリダに倣って「遂行的暴力」と呼んでいる(二六九頁)。「国民の総意」というエクリチュールは、事実確認的なものではなく、それが憲法の条項に書かれるという行為によって形成される行為遂行的なものである。

*3:同上、二六九、二七〇頁。強調守中。

*4:同上、二七二頁。

*5:同上、二七二頁。強調守中。

*6:同上、強調引用者。

*7:同上。

*8:守中「ファロス・亡霊・天皇制」(『現代思想』所収、二〇一四年二月号・デリダ特集)、三四二頁。

*9:同上、三四二、三四三頁。強調守中。

*10:同上、三三一頁。

*11:同上、三三四頁。

*12:同上、三三五頁。

*13:同上、三三七頁。

*14:同上、三三五頁。

*15:同上、三四〇頁。

*16:同上。