批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

凝視と観察 ―― ジャン・ユスターシュ、あるいは凝視のあまりに/《ゲームの規則》、あるいは批評のレッスン ――


*本稿におけるジャン・ユスターシュについての伝記的記述とフィルモグラフィに関する記述、加えてユスターシュの発言の引用は、全面的に『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』(須藤健太郎著、共和国、2019年)に依拠している。ジャン・ユスターシュに関する一次資料を参照することの困難から、上述の処置をとったことを了承願いたい。
 

序 

 2019年6月2日、アンスティチュ・フランセ東京にて、「幻の映画監督」の幻の作品が、十数年ぶりにスクリーンに投影された。《ナンバー・ゼロ》と題されたその映画は、私が席をともにした観客たちの目にどう映ったのだろうか。私にとって《ナンバー・ゼロ》は、ユスターシュの伝説的な生涯を要約したフィルムであるように思われた。これは曖昧な感嘆ではない。あの2時間のフィルムは、ユスターシュの映画監督としての短い生涯において、可能であったものと不可能であったものとのすべてを、確かに指し示していた。

 凝視は、細部に宿る神を見いだす(こともあるだろう)。しかし、細部に宿る神は、その背をけっして信徒に見せることはない。見出した神にとり憑かれるあまりに、ユスターシュは何かを見落としてしまった。

 《ナンバー・ゼロ》のフィルムを切り刻んだもの、神をも恐れぬ冒涜をはたらいたものとは誰か(何か)? それはユスターシュが「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」を見つめすぎるあまりに、その影をしか捉えることのできなかった誰か(何か)である。私は結論を先に示した。「批評」がはじまる。だから、「(……)最後になっても、神を信じて」いてはいけない。 

1.《ナンバー・ゼロ》

 《ナンバー・ゼロ》は、ユスターシュにとって、彼の監督としてのキャリアを画する映画だった。《わるい仲間》、《サンタクロースの眼は青い》の成功にも関わらず、「一度も仕事の依頼を受けたことはない」ユスターシュは、このフィルム/映画の撮影にすべてを賭けたのだろう。

 スクリーンに映し出されるのは、ちいさなアパートの一室に置かれたテーブルである。監督と向かいあって、彼の祖母、オデット・ロベールが彼女の生涯を語る。カメラは途切れることなく回っている。フィルムが尽きても、隣で回っているもう一台のカメラは、フィルムを交換するスタッフの手から、打ちなおされるカチンコまでもをそのレンズに映しながら、オデットと監督の姿とをとらえつづける。それで、2時間が過ぎていく。《ナンバー・ゼロ》についての記述は、これですべてである。フィルムにはこれ以上のものは記録されていない。時系列を行きつもどりつしながら半生を語る祖母と、耳を傾ける彼女の孫とのあいだに流れる時間を、フィルムはいちどもカットされることなく記録している。

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ユスターシュ《ナンバー・ゼロ》

 製作に苦悩し、もはや監督としてのキャリアに絶望しかけた映画監督の選択が、この映画のシンプルな、映画としての最小の条件をしか備えていない姿であったとするなら、確かにそれはやはり、感動的なストーリーでもあるのだろう。

 オデット・ロベールの昔話は、悲惨と残酷とに満ちている。とりわけ戦争孤児をめぐるエピソードには、耳を塞ぎたくなった観客さえいたのではないだろうか。ドイツ占領下のフランスにて、ドイツ兵とのあいだにできた子どもたちを、母親たちは中絶しようとする。それでも産まれてきてしまった子どもたちは、「半分死んだ状態」で産まれてきて、数か月で亡くなってしまう。オデットはそんな戦争孤児たちをひきとっていた。「たくさんの赤ちゃんが死んでいった」。「おれが小さかったころ、子供がたくさん死んでいった」。

 「この作品のなかには人類の苦しみすべてが入っている」とユスターシュは言う。

死人もいれば、病人もいる。人類の営む悪のいっさいがあり、重くのしかかる運命のいっさいがある。しかしそれにもかかわらず、おそらく最後になっても神を信じたままでいる。

 だから、《ナンバー・ゼロ》のフィルムには、記述しうる光学的現象以上のものが宿っていたはずである。

 もはやほとんど、映画を撮る機会も意志も失ったかのように思われたとき、突然、遭遇した祖母の物語りを記録したフィルム。そうして撮られた、「きれいでもきれいじゃなくても、重要なこと」、「偉大なこと」のすべてを「記録」したフィルム。ユスターシュにとってそれは、なによりも大切な、祈りをこめた呪物であったに違いない*1

 だがしかし、顔のない誰か(形のない何か)は、敬虔な個人の祈りをさえ見逃しはしない。《ナンバー・ゼロ》のフィルムは、切り刻まれねばならなかった。

 

 

 1977年4月22日、ジャン・ユスターシュは、《ナンバー・ゼロ》の放映権売買協約書に署名する。次作・《不愉快な話》を製作し、映画監督としての活動を続けるためには、資金が必要だったからだ。

 《ナンバー・ゼロ》の上映時間は2時間である。与えられた放送枠は55分である。ユスターシュはネガフィルムを編集しなおさなければならなかった。《ナンバー・ゼロ》のオリジナルは、そのとき、「永久に失われた」。そして2019年6月2日、私たちの眼にした《ナンバー・ゼロ》の映像とは、いちど切り刻まれた身体を復元され、すでに呪物としての機能を剥奪された、《ナンバー・ゼロ》のゾンビに他ならない*2

2.儀式、屠殺、リクルート 

 《ナンバー・ゼロ》のフィルムを切り刻んだものとは誰か(何か)? それはすでに、ユスターシュの撮影したそれほど多くはない映像のなかに、その影のみを映りこませている。

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ユスターシュ《サンタクロースの眼は青い》

 ユスターシュの二作目の短編映画、《サンタクロースの眼は青い》の内気なダニエルは、夜の街路を通りがかった女性に話しかける。街の少年たちのなかにもうまく溶けこめない(万引きのしぐさもぎこちない)ダニエルの、精一杯の勇気を振り絞った姿はどこか微笑ましい。しかし、ダニエルと女性との会話は、しばしば、耳を聾する自動車のエンジン音に遮られるだろう。

 この騒音は、連作《ペサックの薔薇の乙女》、《ペサックの薔薇の乙女 ‘79》にいたって、グロテスクで抗いがたい仕方で再び現れる。この連作は、ユスターシュの産まれ故郷、ペサックの年中行事を撮影したドキュメンタリーである。一作目は1968年に、二作目は1979年に撮影された。選出された未婚の女性を讃えるこの行事は、’68年にも、‘79年にもほとんど同じプログラムに従って進行する。映画は変わることのない儀式の全過程を、時系列に従って記録している。

 しかし、撮影された二本のフィルムは、「同じ映画」とはならなかった。68年の《ペサックの薔薇の乙女》において、スクリーンには、牧歌的な田舎町の風景のなかを、薔薇の乙女の行列が通り過ぎていく様子が映し出される。そこには中世にまで遡る「伝統」の、いまだペサックに息づく姿がある。しかしながら、《ペサックの薔薇の乙女 ‘79》には、この「伝統」の死に絶えつつある姿がある。行進の終着点である教会までの道のりは、郊外団地と駐車場とにとり囲まれ、もはや儀式と風景(土地)とのあいだに結ばれえていた紐帯は失われている。 

 ユスターシュの分身であるダニエルのささやき、それからユスターシュがこだわり続けた故郷への愛着を、ときには遮り、ときには解体しにやってくる、顔のない誰か、あるいは形のない何かとは、ここではひとまず、都市とその拡大のプロセスとして、その影を示している。

 ユスターシュはこのことに自覚的ではあったのだろう。《ペサックの薔薇の乙女‘79》は薔薇の乙女の行列を見下ろす高層ビルの姿を逆光のなかで捉えている。白く染まった背景に浮かびあがる建造物の威容は、冷酷に薔薇の乙女と彼女に付き従う市民たちを睥睨している。《サンタクロースの眼は青い》の騒音も、同時録音にこだわったユスターシュによって、なかば以上、意図的に残されたものであったはずだ。

 しかし、ユスターシュの映画監督としての態度決定は、勝算のない闘争へと彼を導いていく。ユスターシュが選んだのは、凝視という、それ自体として限定された方法だった。都市の風景を撮ることはできる。都市の騒音を録ることもできる。しかし、ユスターシュは、ついにそれらを規定する可能条件に気づくことはなかった。

 《ナンバー・ゼロ》は、68年版《ペサックの薔薇の乙女》と、《ペサックの薔薇の乙女 ’79》とのあいだ(1971年)に撮られた。もうひとつ、薔薇の乙女の連作のあいだ、《ナンバー・ゼロ》の直前(1970年)に撮られた短編がある。《豚》と題されたその短編映画にて、ユスターシュは豚の屠殺をつぶさに捉えている*3

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ユスターシュ《豚》

 映しだされる映像は、儀式的な荘厳さをさえ湛えている。屠殺というある種のタブーに従事する人びとの姿は、撮影しうる映像のひとつの倫理的リミットであるとも言えるだろう。しかし(であるがゆえに)、ここには盲点がある。

 

 

 ユスターシュが彼のカメラを通して、注意深く対象を凝視するほど、彼は何かを見落とすだろう。それは「儀式的」でありさえする屠殺の結果物(呪物)を、交換可能なものへと書き換える「市場」のあのプロセスである。

 屠殺場の営みがどれほどまばゆい光芒を湛えようとも、市場は個人的かつ主観的な意味価のすべてをいつのまにか剥奪し、交換可能かつ無毒な「商品」を流通させるだろう。消費者たちは屠殺場で繰り広げられる光景を想像することもなく、ただの豚肉(この言い方にも、やはり盲点はある)を享受するだろう。

 しかしこの見落としは、市場あるいはその作用自体の不可視性のみによって引き起こされたものではない。「注意深く対象を凝視するほど、彼は何かを見落とすだろう」。さらにこの点を追求するために、ジョナサン・クレーリーの「注意」に関する膨大な資料を用いた歴史的記述から、ひとつのテーゼを借りるのであれば、過剰なほどひとつの対象を凝視しつづけること(注意をふりむけつづけること)は、「注意の連続によって引き起こされる極端な例のひとつ」、「催眠によるトランス」と区別できない*4

 言い換えよう。ユスターシュ執着する対象 ――民衆の凡庸な生活の現実―― に、ある種の神秘的輝き、単なる光学的記録以上の過剰な何かを付与しているものとは、ユスターシュのカメラに他ならないのではないか。であるがゆえに、ジャン・ユスターシュ、あるいは、民衆の生活をおおう「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」の輝きに魅入られた映画監督は、呪物(交換しえないもの)の交換(購入と売却)という、神秘の背後に潜むおぞましい神秘をつねに見落とす。さらに言えば、ユスターシュの熱のこもった視線は、対象を「商品化」することに共犯しうるだろう。

 ヴァルター・ベンヤミンによって初期写真文化についてなされた警告は、ここにおいてその射程を延長されうる。

物神の容貌が衰えを知らないのは、照明法の流行が変遷してゆくからにすぎない。写真に創造的なものを求めることは、写真を流行に委ねることである。「世界は美しい」 ―― これがその標語に他ならない。この標語には、ある種の写真のもっている姿勢が露呈している。すなわち、どんな缶詰でも宇宙のなかにモンタージュすることができるが、缶詰が登場してくる人間的な脈絡をひとつも把握することができない写真、したがって最も夢想的な主題を扱うときでも、それを認識するさきがけとなるよりも、それを商品化するさきがけとなる写真の姿勢が。*5

 「缶詰」、あるいはありきたりな対象をその生産と流通のネットワークから切り離し、その姿に美学的な意味をまとわせるそのときに、「物神の容貌」が対象にとり憑き始める。「世界は美しい」とのスローガンは、「きれいでも、きれいじゃなくても重要なこと、偉大なこと」との祈りをこめた言葉と不気味に呼応する。そしてこの美学的視線は、対象の「商品化」に「さきがけ」る。

 再び言い換えよう。美しいものは、美しく見えるがゆえに、それが本来位置づけられていた場所から切り離され、交換可能なものとなる。そのうえ、その美しさが見るものの盲点をおおいかくすがゆえに、美しいものの背後で蠢動するこの書き換えは、対象を熱烈に凝視しつづける神経症的な視線によっても、いかなるダメージを被ることもなく、むしろその視線によって隠蔽されながら機能し続けるだろう。

 そして交換の呵責のないシステムは、利潤の幾何級数的な増幅をもたらし、街路を行きかう法外な台数の自動車を生産し、かつての想像を絶するほど巨大な高層ビルの建設と、それに伴う土地の売買をも可能にするだろう。そのとき同時に、個人の計測不可能な愛着と思い入れをまとった呪物、《ナンバー・ゼロ》のフィルムをさえ、あらかじめ定められたフォーマット(放送枠)と価値象徴によって計測し、「形成化」し、「切り刻」み、あるとき、思い出したようにもとの形に復元することも可能になる。顔もなく、形もなく、資本制の巧妙なシステムは、あらゆる「夢想的な主題」、あるいは敬虔な信徒の神をさえ「商品化」するだろう。

 

 

 ユスターシュのその後のフィルモグラフィは、そのことに彼が有効な戦略をとりえなかったことを示している。《サンタクロースの眼は青い》は、装いを変えて、《僕の小さな恋人たち》として繰りかえされる。内気な少年がナルボンヌの街路を生きる同世代の少年たちの振舞をまねつつ、「ありのままの世界」に溶けこんでいく筋書きは、ほぼ同じ順序で繰り返されている。まるでそこには、変わらないものがあるのだとでも言うかのように。

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ユスターシュ《僕の小さな恋人たち》

 《僕の小さな恋人たち》には、《サンタクロースの眼は青い》の自動車の騒音のように、ダニエルを街路のキスシーンから隔てる自転車工房の窓 ――青春を謳歌する青年たちと、労働に費やされる彼の一日とを隔てる工場の窓 ―― が現れているとはいえ、ユスターシュのカメラは、やがて恋人たちの営みをまねることに成功するダニエルをのみ焦点化しつづける。

 批評的判断の公正を期するために、短編《求人》をとりあげるべきかもしれない。「労働」をテーマにした短編4本から構成されるテレビ企画にて、この短編は1979年に放映された。ユスターシュはこの短編で、当時、フランスの人材採用において流行していた筆跡分析を主題としている。みすぼらしい求職者が街角のカフェで急いで応募書類を仕上げる姿は、「就活生」がエントリーシートの馬鹿馬鹿しい質問集に必死になって回答を書きこむ姿とどこか似ている。あるいは《求人》は、話された言葉、書かれた言葉を「還流」*6させ一定の基準のもとに計測可能なものにするシステムを見事にとらえているとも言えるのかもしれない。

 しかしながら、次作・《アリックスの写真》にて、写真家アリックス・クレオ・ルーボーのヴィトゲンシュタインについての学説をなぞりながら、言語とイメージとの関係に執着するユスターシュは、言語それ自体の機能を美学的な視線で見つめはじめてしまっているのではないだろうか。なぜある人間に筆跡を分析する権利が与えられ、ある人間は所有する筆跡を奪い取られるのかという、それだけでは不十分な問いさえも、ユスターシュの問題とはならなかったのではないか。そう推量することの妥当性は十分にある。

 

 

 そして1981年11月5日未明、ジャン・ユスターシュは拳銃自殺を遂げる。*7自身の記念碑、《ナンバー・ゼロ》を奪われ、撮影のチャンスをも奪われ続けた彼の死は、映画史における悲劇ではあるのだろう。しかし、この文章は「批評」であるのだから、この地点、芸術家の悲劇的生涯を嘆き悲しみ、聖別するこの地点に留まっているわけにはいかない。

 ユスターシュの捉え損ねたもの、呪物の交換を可能にするシステムの犯行現場をとらえ、告発し、抵抗するための方法、あるいは、クルクルと踊り狂うシステムを嘲笑うための方法とはいかなるものか? そう問うときに、ジャン・ルノワールの柔和な笑みが、現代より遥か遠く、第二次大戦の終結をさえ通り越した過去から、私たちの現代を「批評」しはじめる。

3.《ゲームの規則》、あるいは批評のレッスン

 ジャン・ルノワールの代表的傑作・《ゲームの規則》は、1939年の公開当時、「観客の敵意を誘発し、興行的に惨敗した」。そのうえこの映画は、第二次大戦の間近に迫った危機の時代に、「色恋沙汰にうつつをぬかす」「ドタバタ喜劇」は、公開直後に「風紀を乱す」との廉で上映禁止となる*8ファシズムの台頭という脅威と、なぜかお道化た笑みと大げさな演技とをけっしてやめない劇中のルノワールの姿は、確かに奇妙なコントラストを成している。

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ルノワールゲームの規則

 まるで危機に抵抗することを諦め、「ドタバタ喜劇」を享楽することに引きこもったかのようなルノワールの映画監督としての態度が、少なからず観衆の反感を招いただろうことは想像に難くない。しかし《ゲームの規則》は、システムの破局(事件/事故)の必然的でありかつ予測不可能な性格を、これ以上ないほどあからさまに描写している。熊の着ぐるみを着てはしゃぐルノワールの笑みは、カメラの手前で不気味な冷徹さに沈む、監督としての彼の視線をおおい隠すだろう。

 

 

 《ゲームの規則》の舞台となるコリニエールの館は、神経症的な凝視と盲点とに満ちている。大西洋横断飛行を成し遂げたパイロット、アンドレ・ジュリユーは、彼を讃えるインタビュワーの声にも、飛行場に集まった民衆の声援にも応えることなく、「あの人のためにだけに飛んだのに」と、愛する女性が自身を迎えてくれなかったことに憤り、自動車事故を起こしてしまうほどに自失する。ジュリユーの「あの人」、クリスチーヌの夫ロベール・ド・ラ・シュネイ侯爵は、「自動演奏器械」のコレクションに熱中するあまり、自身の館で繰りひろげられる痴話喧嘩の、殺人事件の一歩手前を行き来する深刻さを見逃すだろう。最も「正常」であるかのようなオクターヴも、偉大な指揮者であったクリスチーヌの父の死を嘆きつづけるあまりに、騒動の中心であるクリスチーヌを屋敷の外に連れだし、事態の混迷に拍車をかけてしまう*9

 かくして、劇中にて、ラ・シュネイ侯爵の愛人、ジュヌヴィエーヴによって引用された「社交界における愛とは単なる幻想の交換/皮膚の接触にすぎない」とのシャンフォール箴言に象徴される人間喜劇は、破局に向かって動きはじめる。

 破局は、凝視とフェティシズム ――あるいは「容器」への愛着 ―― によってもたらされる。クリスチーヌが夫(ラ・シュネイ侯爵)と彼の愛人(ジュヌヴィエーヴ)とのキスシーンを目撃するのは、「望遠鏡」を手にしてしまったがためである。ラ・シュネイ侯爵はそのとき、ジュヌヴィエーヴに「愛していない」ことを告げ、妻を愛する男(ジュリユー)の闖入によって動き始めた交換のシステムを鎮静化しようとしていたのだが。クリスチーヌはあてつけるように、侯爵との関係をあきらめて屋敷を去ろうとするジュヌヴィエーヴを引き留めるだろう。そのうえ彼女は、ジュリユーでも侯爵でもなく、客人サン=トーバンを密かに誘う。ラ・シュネイ侯爵とサン=トーバンは殴りあいの喧嘩をはじめるのだが、混乱のそもそもの発端は、「望遠鏡」による凝視の視野の狭さと、焦点の遠さである。

 ラ・シュネイ侯爵の、無機物への偏愛もまた、事態を鎮める機会を彼に見落とさせる。「自動演奏器械」を客人たちに披露し、恍惚とした表情を浮かべるラ・シュネイ侯爵は、夜会の背後で、森番シュマシエールが、彼の妻リゼットに手を出した元密猟者の召使・マルソーを追いかけていることに気づかない。あるいはまた、クリスチーヌとジュリユーとの不貞の現場を発見した侯爵は、またしても取っ組みあいを演じるのだが、喧嘩の最中に姿を眩ましたクリスチーヌが「オクターヴと一緒」にいるとの、重要な情報を告げるジュヌヴィエーヴの声を、神経質に外れてしまったボタンを凝視しているがために聞き逃す。

 そしてシステムの混乱が頂点を迎え、ついに殺人事件/死亡事故を引き起こす。森番シュマシェールは、クリスチーヌを連れ出して温室へと入っていくオクターヴを目撃する。しかし彼は、妻リゼットに彼が贈ったコートを着ていたがために、クリスチーヌを妻と誤認する。容器とその中身を取り違えたシュマシエールは、オクターヴの銃殺を決意する。一度、温室を立ち去ったオクターヴは、コートを着て温室へと戻ろうとするのだが、ジュリユーと遭遇し、クリスチーヌを彼に託そうと、自身のコートを彼に与える。シュマシエールはまたしても人物を誤認し(容器とその中身を取り違え)、温室へと走るジュリユーをオクターヴ代わりに射殺する。

 そして夜会はジュリユーの死によって幕を閉じる。ラ・シュネイ侯爵は森番がジュリユーを密猟者と見間違えたのだと、客人に「事故」を報告し、喪に服すことを呼びかける。サン=トーバンの皮肉なセリフは、《ゲームの規則》のシナリオのすべてを形容するだろう。「“事故”という言葉の新しい定義だ」。

 

 

 ジャン・ルノワールは、美しいものを飽かず見つめつづける私たちを笑っている。愛着の対象を誰にも渡すまいと凝視しつづけるがゆえに、つねに失いつづける私たちの滑稽な姿を。そしてこの「ドタバタ喜劇」は、1939年から、ジャン・ユスターシュのキャリア(1963年から1981年)を通り過ぎても、いまだにダラダラと演じつづけられている。

 しかし、《ゲームの規則》に宿る批評性の要諦は、もっとも愛するものをこそ交換可能なものに変成してしまう(されてしまう)「ドタバタ喜劇」の役者たちを笑うこと ―― システムの犯行現場を告発すること ―― に存してはいない。ルノワールの指し示す「抵抗」の可能性とは、「ゲームの規則」が孕む必然的なアクシデントの可能性である。

 確かに、呪物でも、愛の対象でも、およそあらゆるものを所有者の手から奪いとり、交換する「ゲームの規則」は、それ自体として抗いがたいものであるかのように振舞っている。しかし、その「規則」が、そもそも対象の美化(倒錯)によって成立し、取り違え(錯誤)の可能性を含んでいるとすれば、この「規則」に従って営まれるシステムは、その崩しがたい外観に反して、信じ難いほど脆弱な基礎をしかもっていないのではないか。

 だからこそ、このシステム、資本制を支える交換のネットワークは、必然的にアクシデント ―― たとえば、許容量を超える欲動を対象に固着させてしまう主体、芸術家の失意と自殺 ―― を帰結せざるをえない。自殺の他に、このアクシデントはいかなる姿で現れうるのか。恐慌か、内乱か。新たなムーヴメントの動因は、つねに資本制の基盤自体に内蔵されている。

 だから、私たちにいま一番必要なものは、自殺を導きかねない特定の対象(細部)への愛をこめた凝視でも、此岸の不条理を包みこむ神への信仰でもなく、システムの抱えこむ機能不全の要因を観察し、必ず到来する事故=事件の瞬間に賭けるルノワールの視線である。「“事故”という言葉の新しい定義」、ジャン・ルノワールの批評的レッスンは、私たちの導きの糸となるだろう。

 

(文責 - 袴田渥美)

 

 

  

 



 

 

 

*1:ユスターシュが《ナンバー・ゼロ》の「公開」を限定し、通常の流通経路からこの映画を隔離しようとしたことも付記しておきたい。監督によって選ばれた十名の招待客だけが、《ナンバー・ゼロ》の完成当時、この映画の観客となることを許された。《ナンバー・ゼロ》という映画は、このことにおいても呪物的に振舞う。 須藤健太郎『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』、共和国、2019年、37-38頁。

*2:もちろん、《ナンバー・ゼロ》の復元と上映自体には、映画研究における重要な価値があるということは理解している。しかし、作品と作者との取り結ぶ特異な関係の在りかたに限って、《ナンバー・ゼロ》のフィルムのたどった運命を読解するのであれば、復元されたフィルムは、やはり「ゾンビ」である。

*3:小屋から引きだされてきた豚は喉を切り裂かれて断末魔をあげる。豚の死体は血液を抜かれて、解体されていく。取りだされた腸に肉が詰めこまれ、ソーセージがつくられる。屠殺上の人びとは、この間、平静そのものである。仕事を終えた彼ら彼女らを労わるように宴がひらかれ、民謡を唄う声とともに映画は終わる。

*4:ジョナサン・クレーリー、『知覚の宙吊り』、岡田温司訳、平凡社、2005年、69頁。

*5:ヴァルター・ベンヤミン、『図説 写真小史』、久保哲司訳、筑摩書房、1998年、49-50頁。

*6:アンスティチュ・フランセ東京HP、ジャン・ユスターシュ特集の解説文よりhttps://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema1905121045/

*7:ユスターシュの自殺の経緯と動機は、作家の自殺というものがえてしてそうであるように、はっきりと究明されているわけではない。ユスターシュが製作の機会に恵まれなかったことに加えて、生前の彼はジャック・リゴー(『自殺総代理店』のダダイスト)への憧れを隠さなかったこと、晩年には何度も自殺未遂を繰り返していたことも、須藤健太郎は指摘している。 須藤健太郎、前掲書、152-158頁、298-299頁。

*8:ユリイカ3月臨時増刊号2008.Vol40-4総特集ジャン・ルノワール』所収、筒井武文ゲームの規則』、青土社、2008年。

*9:さらに記述を連ねよう。ラ・シュネイ侯爵の愛人ジュヌヴィエーヴ・ド・マラは、けばけばしい東洋趣味で身辺を覆っている。召使のコルネイユユダヤ系の主人を貶すレイシストである。「将軍」と呼ばれる人物は「ドタバタ喜劇」のそもそもの発端となる浮気性のクリスチーヌを、過剰な懐古趣味にとらわれるあまり、「近頃珍しい」貞潔な妻と誤認する。異性愛、同性愛、健康への病的な拘り …… 列挙しはじめればきりのないほどの神経症的執着のリスト。そして愛の対象を「交換」しあうシステムは、文字どおり致命的な事件/事故へと導かれていく。