批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

【時評】あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の成功を祝して

森林の木々/そのような個性体/森林の日々/そのような事業体/考えたりはせずに/編み出しはせずに/ラジオのような/体になって/I LOVE YOU(P-MODEL - "PERSONAL PULSE")

写真は機械で作られる近代的な表現であるにもかかわらず、逆説的なことに、写真は絵画、彫刻などよりももっと呪物化しやすい表現である(多木浩二天皇の肖像』*1

近代の「思想」は常に「美学」の前に敗北してきたと言えます。そして、日本においても、それは例外ではない(絓秀実『「超」言葉狩り宣言』*2

 個人的なことから述べさせてもらえば、電話をかけたり、かけられたりすることほど面倒くさいことはない。とりわけ事務的なものともなればその面倒くささは格が違ってくる。あの事務的なやりとりの質感は一個の恐怖でさえある。

 たとえば自分が買った商品に不具合があったとしても、よっぽど高価なものでもない限り、面倒くさいからそのまま放っておきたい(というかできることなら一日寝ていたい)。電話をかけてアホくさい会話をするくらいなら買い直した方がマシだとすら思う。そういう人間にとって、抗議の電話をかける人間ほど、すなわち(一言で言って)「クレーマー」ほど理解できないものはない。それは理念的に理解できないのではなく皮膚感覚的に理解できないのである。

 だが、「現代」すなわち「情の時代」において、これは理念的にこそ問題なのだ。

「情の時代」

 上記記事を参考としつつ、まずは流れをまとめておく。現在絶賛「炎上」中の「あいちトリエンナーレ2019」「表現不自由展・その後」は、「作家の選定にあたってその男女比を同等にすることを打ち出す」など、芸術監督:津田大介らしい「リベラル」な体裁も伴って「前売りチケットの売り上げも開始2カ月前の時点で前回より2倍多かった」(上記記事より)ほどに話題になっていた。

 しかし周知のように、そこで展示されていた「『慰安婦』少女像」や「昭和天皇の肖像を燃やす映像」が文字通り「炎上」し、抗議の電話が殺到する。八月二日には河村たかし名古屋市長)が大村秀章(愛知県知事)に「平和の少女像」展示中止を要請するなど、問題が広がり始める。脅迫やテロ予告的な電話も多くあったことから、三日にはやむなく展示が中止となった。その後も見るべきところのまるでない馬鹿げた騒ぎがいくつも連続している。

 

 さて、ネット上での意見は、そもそもこの表現を認めないもの、「表現の自由」は認めつつも、津田大介自身への個人攻撃を展開するもの、これまでの津田の発言や身振りとの矛盾を指摘し「ブーメラン」とするものなど様々であるが、たいていノイズでしかないので、この記事ではさしあたり無視しておく*3

 しかし上記の種々の批判はさしおいても、そもそも、私にとっても、「展示」のそれ自体の質(仮にこういう言い方をしておこう)は、「アート」として成立していると思えなかった。

 「アート」を定義するにあたって、ものの見方を多角的にし、議論をより豊かにするもの(ブレヒトのいう「異化効果」を持つもの)、とさしあたりは大雑把に言っておこう。それに従うのなら、仮にそれらの作品が「発禁」の憂き目に遭ってきたという事実を加味しても、「少女像」を置いたり、「御真影」を燃やしたりするのは、安易でしかない。それは既視感にあふれた「スキャンダル」でしかないのであり、「この問題に特定の立場からの回答は用意しません。自由をめぐる議論の契機を作りたいのです」というわりには、「解答」が用意されているように見える。このことは多く指摘される通りである。

「議論のトピックとしても、その揶揄の仕方にしても、このような安易な手は今までに何度も繰り返されてきたのであって、『別の見方』など何一つ提示しはしない。まともな分別があれば、このような『アート』は取るに足らないもの、すでにあるものの単なる反復として無視できるはずである」。私は、タイムラインに表示された「表現の不自由展・その後」の情報を見てこう思った。無論、一部の右翼はこれにいつも通り飽きもせず怒るだろう、しかし、一時的に津田が「炎上」するいつものパターンが繰り返されるだけに違いない、と。

 ただし残念ながら「まともな分別」はもはや期待できなかった。二〇一九年度のあいちトリエンナーレが掲げている通り、「現代」は「情の時代」だからである(しかし「現代」とはいつからだろう?)。かくして、「表現の不自由展・その後」は鋭く現代を「批評」してしまった。言い換えれば、成功を収めてしまったのであった。

反復——「風流夢譚」

 いったん迂回しよう。ところで、先ほど私は「単なる反復」といったが、こうした「表現の不自由」という問題系そのものもまた、なんども反復されてきたものである*4。たとえば、今回の事件と似たように、「天皇(制)」を揶揄して発禁(正確には「公開自粛」)となった文学作品に深沢七郎の「風流夢譚」(一九六〇年)がある。

 この事件はよく知られているが、一応要約しておこう。そもそも「風流夢譚」は主人公がひたすらに「不条理」な夢を見るという設定のもとに書かれる短編小説である。この作品は、以下のように、皇族が殺害される記述や、主人公と皇太后が汚く罵り合う「不敬」シーンを含み、出版されるや否や、(今風に言えば)「炎上」したわけである。

皇居広場は人の波で埋っているのだが、私のバスはその中をすーっと進んで行って、誰も轢きもしないで人の波のまん中へ行ったのだった。そこには、おでん屋や、綿菓子屋や、お面屋の店が出ていて、風車屋がバァーバァーと竹のくだを吹いて風船を鳴らしている、その横で皇太子殿下と美智子妃殿下が仰向けに寝かされていて、いま、殺られるところなのである〔…〕そうしてマサキリ〔マサカリ〕はさーっと振り下ろされて、皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がして、ずーッと向うまで転がっていった(深沢七郎「風流夢譚」)

昭憲皇太后はまた足をバタバタ暴れてわめいた。/「てめえだちは、誰のおかげで生きていられるのだ。みんな、わしだちのおかげだぞ」/と言うのだ。/「なにをこく、この糞ッタレ婆ァ、なんの証拠があってそんなことを言う。てめえだちの様な吸血鬼なんかに、ゼニをしぼりとられたことはあっても、おかげになんぞなったことはねえぞ」/と私も怒鳴った(同上)

 この作品は『中央公論』の一九六〇年十二月号に掲載され、すぐさま問題となる。その後、右翼団体からの度重なる脅迫を受け、一九六一年二月一日には実際に殺傷事件が起きてしまう。これらの展開を経て、「風流夢譚」は文庫化も全集入りもせず、二〇一二年に電子書籍化されるまでは長らく市場に流通しなかったため、読むことが困難なものであった。

 この問題が未だに「アクチュアル」であるのは、「風流夢譚」のアマゾンレビュー(評価:星1)を見てみればわかるだろう。未だにこの作品に激怒する人間はいる。そのレビューによれば、「〔…〕実際に読んでみたら、素人が面白半分で書いたものとしか思えない。どんな考えに基づいて書かれたのかわからないが、こういうかたちで皇室を侮辱するのは悪趣味過ぎる。また、こんな小説を安易に掲載してしまったのは中央公論の重大な過失であった」(強調引用者)。

 なぜこのヘボなレビューをとりあげたかと言えば、まさにこの状態が、「天皇(制)」をめぐる思考の中心にあるからである。「どんな考えに基づいて書かれたのかわからない」にも関わらず*5それについて書かれた「表現」を脊髄反射的に、感性的=美的(aesthetic)に、「侮辱」であり「悪趣味過ぎる」ものと判断することができ、掲載自体が「重大な過失」と断ずることができるものこそ、「天皇」という〈聖なる〉対象である。

 そしてこの事情は「表現の不自由展・その後」の「御真影」を燃やす「アート」においてもいっこう変わらない。実際、嶋田美子「焼かれるべき絵」において「御真影」を「焼却処分」したのは富山県立近代美術館であり、その点で複雑な事情を孕んだ、「議論を呼ぶ」作品である。しかしこの「アート」に怒っている人間の大半は、「ググる」ことさえすれば一瞬でわかるこの事情を理解していないようだ。「日本人」は、「どんな考えに基づいて書かれたのかわからない」としても、とにかく「ある形象」が燃やされることそのものに、無条件的な怒りを——むろんこの「無条件性」にも気づかず——覚えるのである。

 先ほど、私は「アート」を「議論を豊かにするもの」としてさしあたり定義した。しかし、どうやら他の「表現」と異なって、一つのトピック——すなわち天皇」をめぐる「表現の問題」が、「議論以前」の異様な暴力を引き起こすようである。これは、特定の、本来ほかの「表現」となんら変わらないはずの、たんなる一個のトピックなのだが、にも関わらずほかの「表現」をめぐる問題とは別種の思考を必要とする。

 一言で言えば、「天皇(制)」の問題は(そしてここでは論じないが、おそらく「慰安婦」の問題も)、日本において、今も昔もずっと「トラウマ」として機能していると言えるだろう(「トラウマ」は「日本的身体」にとって、抑圧=忘却されなければならないものである)。この「トラウマ」は、そこに触れるや否や、即座に市民たちの議論(「熟議」)をせきとめ、沈黙を求める魔術的な「防波堤」なのである。この臨界点においては、「表現の自由」は決して自明の概念ではない。

 この視座に立つ時、一九六〇年代と二〇一九年の言説空間を(「昭和」と「令和」の言説空間を)、水面下で、しかしはっきりと直線的に結ぶ一つの「持続」が見えてくる。「風流夢譚」事件は「過去」の野蛮な人間たちが引き起こした失敗ではなかった。この野蛮な状況=「情の時代」が、数十年来変わらず「現代」である。これが「表現の不自由展・その後」が奇しくも暴いてしまった「その後」——何も変わっていない「その後」——であろう。

 この「持続」について必要なのは、「批判=批評」(critique)である。いくら「議論」(argument)が望まれたとしても、それを「無意識」下に「タブー」化する美学的体質=「制度」を批評することなしには、私たちはそれを進めることができないからだ。

 ちなみに、批評家の赤井浩太は、『すばる』二〇一九年九月号掲載の「谷川雁の天啓詩」の末尾で、戦闘的な文体で、次のように述べている。

天皇がみずから退位した。それで何が終わったのか。何も終わっちゃいない。何が変わったのか。何も変わっちゃいない。何が新しくなったのか。何も新しくなっちゃいない。いっこうに流れ出ない歴史のお腐れ水、それが日本である。(赤井浩太「谷川雁の天啓詩」*6

 さて、私たちはこの六〇年間(あるいはそれ以前から)この淀んだ「水」の中で、一体なにをしていたのだろうか。  

資本制と芸術/芸術作品の価値

 天皇を「侮辱」するこの展示の公開以来、ツイッターでもネット記事でもすでに、「日本人を侮辱している」、「日本人の心を踏みにじっている」と言われ、さらに多くの場所で「こんなもののどこが芸術なのか」という疑義が呈されている。ここでは、単に写真を燃やされた程度で「国」や「国民」や「心」(なにそれ?)が危機に陥る「象徴天皇制」を思考しつつ*7、ここで言われている「こんなもののどこが芸術なのか」に実際に答えてみることにしよう。

 ところで、「表現の不自由展・その後」が「風流夢譚」以上に暴いている問題系として、資本制がある。この問題が「炎上」し始めた時、そこで問題となったのは、それが「不敬」であり、また「反日的」であることだが、それ以上に、そうした表現を「行政がお金を出したイベントに展示するのは、おかしい」河村たかし/8月1日)ということであった。おそらくこれが小さな展覧会で個人的に展示されていたなら、あるいは単なる一部の「過激派」きどりであったなら、これほど大きな問題にはならなかったであろう。結局、「血税」が「反日アート」に使われるというこの点が、この「炎上」の要点だったのである。それは税金の無駄遣いだというわけだ。

 「税金の無駄遣い」ほど大衆が嫌うものはないようだが、それでは、どのような芸術が「無駄遣い」ではない、「血税」に見合う、展示されるべき芸術となるのだろうか。このように問うためには、そもそも芸術の価値がどのように決定されるのか、このことを問わなければならない。つまり「価値」の発生について思考しなければならないのだ。私たちは日々芸術に(文学や映画や漫画まで「芸術」に含めるなら)金を払っているが、しかし、そもそもその値段はいかにして決定しうるのか。実はこの問題は、それ自体が資本主義の矛盾を突いているのである。

 よく知られているように、絓秀実は『革命的な、あまりに革命的な』で次のように指摘している。

芸術を制作する「労働」は、似たような絵を似たような技術で描いたとしても、大家と呼ばれる存在(ピカソ)の作品と貧乏画学生(馬の尻尾)のそれとでは、その交換価値に無限の高低が生ずることからも知られるように、そこにおいては抽象的人間労働という虚構が成立しがたい。芸術は近代においては商品としてしか存在しえないが(あるいは、商品化されることで芸術となる)、しかしそれは資本制の論理がそこで挫折するデッドロックなのである。資本制商品経済の論理は、芸術=商品という限界を設定することで、その内部を論理的に——自由で平等なものとして——構造化する。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』*8

  資本制においては、労働力は抽象化され、同じ時間の同じ技術力の労働によって同じ結果がもたらされるものとして想定される。しかし「芸術」においては、そもそもその交換価値は労働力から直接変換されるわけではない。この交換価値の決定には、資本制全体にとっての一種の「アポリア」が潜んでいる。

  資本主義(者)がこれを隠蔽するのは、まさにこの「アポリア」を「貴重な労働力」という「神話」に変換することによって、である。資本制そのものの「やりがい搾取」的構造がここにあるのだ。

 近代資本制はそのことを、いくつかの方途を用いて隠蔽してきた。それが資本制にとって必須のものと知られれば、芸術はその外部性を喪失しかねないからである。ベンヤミンの高名な論文〔『複製技術時代の芸術作品』〕が言うところの、芸術作品の『展示的価値』という概念は、美術館によって購入されたその作品の交換価値は、一般的な労働力の価値の累乗された希少で貴重な労働力によって作られたものであるがゆえに高価だという論理に、芸術を回収しようとするのである。それは資本制の「美学化」——ベンヤミンに倣えば「政治の美学化」——にほかならない。(同上)*9

 しかし、すぐのちに絓が指摘するように、このような「美学化」は、ベンヤミンのいう「複製技術時代」には崩壊する。あらゆる「芸術」はそれがコピーされ大量に印刷されることによって、その神秘性=儀式的使用価値(「アウラ」)を剥ぎ取られるからである*10ベンヤミンは種々の芸術形式を批評しながら、「『真正』な芸術作品のもつ比類ない価値は、それが儀式の上に基礎づけられていることにある。芸術作品の本来の使用価値、そして最初の使用価値は、儀式のうちにあったのである」と指摘しつつ、

〔技術的複製が可能になることによって〕真正性という基準が芸術の生産において役に立たないものとなる瞬間に、芸術の社会的機能全体が大きな転換を遂げる。芸術は儀式に基礎をおくかわりに、ある別の実践、すなわち、政治に基礎をおくことになるベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」*11

 ベンヤミンはこの論文の中で、「芸術」(=「表現」)を非政治的な「聖域」(「芸術のための芸術」)として神秘化する振る舞い(「政治の美学化」)を「ファシズム」として批判し、それに対抗しうる手立てとして「美学の政治化」を見出している。ここにおいて「芸術=表現」は聖域ではなく、政治的闘争の場なのだ。

 私が冒頭で述べた「ものの見方を多角的にし、議論をより豊かにするもの」という曖昧な定義は、ベンヤミン=絓にしたがってより精確に述べれば、「美学の政治化」を行うものが「アート」である、と言い換えられる。しかし、「芸術」の判断基準が「政治」にあり、「芸術」それ自体にもはやないということは、当たり前だが、もはや「価値」が事後的にしか決定できないということを示している。あらゆる「芸術」は、それがいかなる政治的なパフォーマンス力を持ち、また、いかに論じられたかを基準としてしか、つまり遅れざまでしかその価値を決定できないのである(おそらくこのことはデュシャン以降、「アート」の側でも意識的になされていることである)。だから冒頭で仮に述べた「『展示』のそれ自体の質」とは、実は語義的に不可能なものとなる。

 もはや教科書的とも言えるこの定義だが、これに忠実に従うかぎりで、実は結論は非常に逆説的なものになる。結局のところ、そもそも「行政がお金を出したイベントに展示するのは、おかしい」ものこそが、真に「展示されるべき」芸術作品ということになるからである。

 そのような展示こそが、そもそも「芸術」自体が資本制の臨界点であるという、もう一つの「トラウマ」を露呈させることで、「美学の政治化」を遂行する。「表現の不自由展・その後」は(これも逆説的に)「血税」で賄われ、それが問題化したからこそ「政治的」価値を持ったと言えるだろう。そこで暴露されたのは、天皇制と資本制が構成する不可視の「タブー」であり、「表現の自由」という理念の二重の限界なのである。

 資本制のもとでは、表現内容は批判していいが表現することは自由だ」という、「表現の自由」が叫ばれるときのおきまりの二分法は、その表現が流通するものであればあるほど単なる空疎な理念に過ぎなくなる。これは「民間」においても同じである。表現内容についての批判が殺到すれば、つまり「お客様」たる市民が不快になり「クレーム」を入れることになれば、「スポンサー」や「広告主」の名誉が(「企業イメージ」が)傷つくことになるからだ。そのようなことになれば、「表現が自由」だろうがなんだろうが、スポンサーは提供を取りやめるだろう*12。ここでは、「表現内容」と「表現すること」という区分は、厳密には成立しえない(また、一部の政治家たちが「表現の不自由展・その後」を批判するのは、結局、端的に大衆人気のためであるという点で、「ポピュリズム」の問題もここに存在する)。

 「芸術=表現」は、自身の「無駄遣い」=「ジャンク」性と「不自由さ」を露呈させることによってこそラディカルな価値を持つ。ジャンクではない、ましてや「自由」な「芸術=表現」などないだろうし、ありうべくもないのである。

 まとめよう。「表現の不自由展・その後」は、その一連の「出来事」において、「資本=ネーション=ステート」(柄谷行人による表現)の「三位一体」の癒着、そしてそこに働く「ファシズム的」イデオロギーを暴露したのである——そういうわけで、非常に残念だが、「表現の不自由展・その後」の大成功をことほぐ必要があるだろう。

 

パフォーマンス・アート

 なお、先ほども触れたが、「政治」という言葉を多義的に解釈するかぎりでは、「アート」(とりわけ「現代アート」)は「美学の政治化」を意識的に行っていると言える。すなわち、「これはアートではない」という批判を喚起することこそが、その作品を「アート」たらしめるという逆説の反復である(それを私は「デュシャン以降」と言った)。この一種の「アート」の自己否定的な構造、「スキャンダリズム」そのものを批判することはおそらく必要な作業だろう。だが、それが有効なものとして機能しつづける問題系について先に議論すべきであり、そのような賢しらな議論は「早すぎる」。

 

 最後に個人的なことをまた述べておけば、当然だが私は「批評家」ではない。それは、当初、「表現の不自由展・その後」が、まさか「アート」として成立するものとは私には到底思えなかった、この「批評眼」の鈍さからも証明できるだろう。この程度の安易な展示が「異化効果」をもつとは思えなかったのである。しかし、まさに「炎上」と脅迫による「表現規制」によって、「表現の不自由展・その後」は、天皇制、資本制をめぐる問題系が、未だなお、議論以前のものとして「持続」していることを露呈させることになってしまった。

 しかし結果として、この「持続」を暴いたのは、津田大介でもなければアーティストたちでもなく、むろんそれを論じた私でもない。おそらく津田は、一部の右翼や政治家がこれに怒るところまでは想定内だっただろうし、もしその想定内に終わったとすれば、この事件は単なるくだらない微温的な「炎上」で終わっていた。それでは終わらなかったわけである。

 だから、「表現の不自由展・その後」を「アート」にまで高めたのは、「こんなもののどこが芸術なのか」と叫び、電話をかけ、脅迫し、中止に追い込んだ鑑賞者たち自身である。正確には、彼らの脊髄反射的な行動、そしてそれに呼応した政治家たちの大衆扇動という「パフォーマンス」こそが、「アート」を成り立たせたのだ。

 おそらく「現代」においては、今も昔も、彼ら「ファシスト」こそが「芸術家」として、称揚されるべき人間たちなのである--むろん私は、「芸術家」になるくらいなら一日寝ていたい。

 

(文責 - 左藤青

 

※過去の記事

daisippai.hatenablog.com

 

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*1:多木浩二天皇の肖像』岩波現代文庫、二〇〇二年、一九二頁。

*2:絓秀実『「超」言葉狩り宣言』太田出版、一九九四年、一九頁。

*3:基本的なことを確認しておけば、最低限の「表現の自由」や「発言の自由」という理念(タテマエ)は当然守られるべきである。「発禁」や「自粛」や「回収」という一方的な暴力ほど馬鹿らしいことはない。しかし別に「表現」は聖域ではないのだから、私は「表現」でさえあれば全てが擁護されるべきだとは思わない(「表現」とはそもそも多義的な言葉であり、それは非常に抽象的な議論でしかない)。「美少女イラスト」と今回の展示を両方「表現」として相対化し、両者に対する津田の態度の差異を指摘して「揚げ足を取る」向きがあるが、むろんそれらは全く質的に異なる「表現」であり、それらの持つ意味も異なっている。たとえば、「美少女イラスト」が批判されるとき、その対象となるのはそのイラストを描く人間、あるいは消費する人間の「まなざし」であり、その具現化の過程が「無意識」的に参照している「俗情」、あるいは「差別的感情」である。一方、「少女像」は、(それが上手くいっているかどうかはわからないが)そうした秘された「俗情」の歴史・痕跡を意識的に暴こうとするものであり、「少女像」が右翼によって批判されるのは、まさにこの「意識」なのである。この意味で二つの表現は、全く別のレイヤー・別の次元に属している。津田本人の態度は別として、そしてこうした差異をどう評価するかは別として、少なくともそれらは同列には「批評=批判」できないだろう。

*4:なお、同様の問題として筒井康隆の「てんかん差別」並びに「断筆宣言」問題がある。現代に反復される「表現の自由」と「差別」の議論は、未だにこの事件における議論のレベルを抜け出ていないように思われる。「てんかん差別」問題についての当時の「てんかん協会」の要求(回収)や、それに類似する現代のヒステリックな「表現規制」は実際、的外れである。ただし、実際に「表現されているもの」について、そこで抑圧されている「差別」的な「まなざし」を批判し続ける作業は必要であり、「小説」や「漫画」や「イラスト」だからと言って、何かが免罪されるわけではない。

*5:なお、読めばわかるように、「風流夢譚」はそもそも「左慾」=左翼批判も含む作品である。そのほかにも複数の読解の余地(「腕時計」のメタファー、「辞世の句」など)を含んでおり、これを一概にたんなるシュールな「悪趣味」なエクリチュールと断ずることはできないだろう。

*6:赤井浩太「谷川雁の天啓詩」(『すばる』二〇一九年九月号所収)、二〇一九年、集英社。一八九頁。

*7:ところで、エピグラフの一つとして引用した多木浩二は、引用箇所で写真が複製技術という「近代的な機能」を持ちながら、「呪物化しやすい表現」であると一般的に指摘したあとで、「御真影」こそが「天皇」の代理物として、感情を喚起し、「臣民」を形成してきたと分析している(多木、同上)。ここでは、「国家」は「家」のまったきアナロジーであり、「近代的主体」は存在しえないという。またこの「御真影」は、実際には写真ではなくエドアルド・キヨッソーネが描いた肖像画であった。外界をそのまま映し出すという写真の写実的=近代的機能に反して、「明治政府にとっては、写真と写実的絵画の複写との区別など、はじめからたいした問題ではなかった。通用させるのは、人びとがたしかに天皇を撮ったと信じる〝写真〟である必要があったが、そのつくられかたはたいして重要ではなかった」のである(同上、一八九頁)。だが、「家」がいくら解体されたところで、市民社会の中で生き延びる「不能の父」たる天皇の存在について、多木以上に思考を進める必要がある。

*8:絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な——「1968年の革命」史論』ちくま学芸文庫、二六〇頁。

*9:同上、二六〇〜二六一頁。

*10:前掲の多木の議論は、ベンヤミンのこの定義を前提としつつ、それでもなお複製技術=写真が「呪物」として価値をもってしまうことを指摘しているのである。

*11:ベンヤミン「技術的複製可能性の時代の芸術作品」(河出文庫ベンヤミン・アンソロジー』所収)、二〇一一年、三〇八頁。強調ベンヤミン。なお、引用中のタイトルについてはより一般的なものに変更した。

*12:津田大介に対する批判としてまとめられたTogetterにおいても、説明欄に「こちらがあいちトリエンナーレのスポンサー様一覧です。抗議はこちらの企業・団体へ」とある。この投稿者は他にも多くのアンチ左翼系・嫌韓・嫌中系のまとめを投稿している人物であり、まともに取り合うべきではないにせよ、やはりこの問題が根本的に「クレーマー問題」であり、「お客様」を不快にさせた事件であったことを忘れてはならない。