批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

ベンヤミンのチェスはだれが勝つ――いざ大失敗の方へ!

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よく知られている話しだが、チェスの名手であるロボットが制作されたことがあるという。そのロボットは、相手がどんな手を打ってきても、確実に勝てる手をもって応ずるのだった。[……]この装置に対応するものを、哲学において、ひとは想像してみることができる。「歴史的唯物論」と呼ばれている人形は、いつでも勝つことになっているのだ。それは、誰とでもたちどころに張り合うことができる――もし、こんにちでは周知のとおり小さくてみにくい、そのうえ人目をはばからねばならない神学を、それが使いこなしているときには。――ヴァルター・ベンヤミン*1

その試合は、わたしたちのスタジアムでおこなわれるあらゆる試合のうちで、あらゆるテレビ放送のうちで、日常のあらゆるありきたりのもののうちでくり返されている。わたしたちがその試合を理解し、それを止めさせることができないかぎり、希望は絶対にないであろう。――ジョルジョ・アガンベン*2

チェ・ゲバラの肖像からワウリンカの左腕へ

テニス選手のスタン・ワウリンカの左腕には、サミュエル・ベケットの小説からとられた有名な一節が刻まれている。《Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better》。これまでやったことは全部失敗だったし、また挑戦しても失敗するにちがいないが、つぎは上手に失敗できるようになるだろう。ワウリンカはジョコビッチにたいして14連敗、ナダルにたいしては12連敗中だった。けれど、ワウリンカは入墨をいれた翌年の全米オープンで、ジョコビッチナダルを下して、見事優勝をはたしている。記者の一人は、彼の「成功」を讃えて「失敗者になることに失敗」と表現した。*3ワウリンカの言葉を信じるなら、彼はこれまでグランドスラムの優勝を目標にかかげたことは一度もなかったそうである。入墨をいれた年のインタビューで、ベケットの一節の意味を聞かれたとき、彼はこう答えている。《テニスの世界では、ご存じの通り、ロジャー、ラファ、ジョコビッチ、アンディ以外の選手は滅多に優勝なんてできないんです。必ず負けるようになっているんです。でもね、僕たち選手は、負けを前向きに捉えなきゃならない。そして、また仕事に戻らなきゃならないんです》。*4

ベケットの一節は、英語圏では人口に膾炙したもので、だれでも知っているものだが、最近ではシリコンバレーの起業家たちにとりわけ好まれているらしい。たとえばティモシー・フェリスの『「週4時間」だけ働く。』のなかで引用されており、その箇所は、Amazon電子書籍でもっともハイライトされたパッセージのひとつに数えられている。ベストセラーとなった同書の副題は、「世界中の好きな場所に住み、ニューリッチになろう」というもの。ベケットの亡霊はさらに、Tシャツ、ポスター、マグカップ、マウスパッドに印刷されて流通している。*5日本語版を「ライフハッカー」覗くと、「上手な失敗は成長のもと。失敗を怖がらないで、未来への道筋を切り開こう」と題して、ベケットの一節が紹介されている。*6これが、『いざ最悪の方へ(Worstward Ho)』と題された散文作品の一節がたどった運命なのだ!

ベケットの一節が実現しないことは、いかにもベケットらしい展開といえる。ここで焦点をあわせるべきは、「失敗が失敗する」ことの行為遂行的パフォーマティヴな次元である。失敗の精神は、ただひたすら成功を支えるものとして(のみ)理解されるようになっている。ベケットの一節の解釈には、その内容にかんして事前的なものと事後的なもの、そして行為遂行的パフォーマティヴなものを別けて考えことができる。ワウリンカがインタビューのなかで表明しているのは、まさに事前的な態度――失敗と折りあいをつけなければならない――である。たいして事後的な態度は、「成功」のあとに、「上手な失敗こそ成功の第一歩」と位置づけるものだ。では、ベケットの一節の行為遂行的パフォーマティヴな(側面を強調した)解釈とはどのようなものか?*7 重要な事実は、ワウリンカが「大成功」しない(グランドスラムを制覇しない)ままキャリアを終えることも十分ありえた、というか、かなりありそうだったということである。その場合にも、左腕に刻まれた入墨は、わたしたちにむけてそれなりの教訓をあたえてくれたかもしれない。しかしそれは、「あまりにもリベラルな」教訓となっていたことであろう。

おもしろい符合がひとつあって、作家のJ. M. クッツェーが、ポール・オースターに宛てた手紙のなかで、スポーツが教えてくれるのは「敗北の精神」なのだと述べている。シリコンバレーの「成功の哲学」が、事後的に眺められたワウリンカの入墨の意味と一致する(「上手な失敗は成長のもと。失敗を怖がらないで」)としたら、クッツェーの考察は、事前的に眺められたワウリンカの入墨の意味を(あたかも)解説しているかのようだ。

プロのテニスについて考えよう。トーナメントには三十二人の選手が参加する。彼らの半数が第一ラウンドで負け、甘美な勝利を一度も味わうことなく家に替える。残った十六人のうち八人はたった一度の勝利と追放を味わって家に帰る。人間的な見地から言うなら、トーナメントでひときわ目立つ経験は敗北という経験だろう。
[……]
 スポーツには勝者がいて敗者がいる。あえて言うこともないのは(あまりに明らかだから?)勝者の数をはるかに上まわる敗者がいるということだ。[……]
 スポーツが教えてくれるのは勝つことについてよりも負けることについてで、理由は簡単、われわれのじつに多くが勝たないからだ。なによりそれが教えてくれるのは、負けたっていいんだ、ということだ。負けることはこの世で最悪のことではない、なぜならスポーツは、戦争と違って、敗者が勝者によって喉を掻き切られることはないのだから。*8

この手紙が書かれたのは2010年のことだから、文字通り事前的なのだが、クッツェーがのちにワウリンカの入墨を知ったら(ベケット研究者としても)歓んだことは想像にかたくない。ただわたしの見解では、クッツェーは「スポーツ」から「十分にベケット的な」結論を引き出していない。クッツェーは大衆スポーツの起源が、19世紀(比較的最近)にあるということを示唆している。そこから一歩進めて、近代スポーツと資本主義の平行性にまで話をもっていかないことが、彼の議論に弱みと残酷さを授けている。《負けることはこの世で最悪のことではない》という比較的穏当な意見は、この類推の根底にあるものを見逃してしまうことによって、度を越して残酷な側面をもっていることを曝け出してしまう。クッツェーはいっているのだが、《もしパレスチナ人が敗北を甘受することを学ぶならそれは悪いことではないかもしれない》。*9なんということだ!

それがスポーツから学ぶ大いなる経験知だ。人はほとんど常に負けるが、勝負の場にとどまり続けるかぎり明日があり、名誉挽回するチャンスはあるんだ。
[……]
 僕はイスラエル人とパレスチナ人が月に一度、どちらも肩入れしないレフェリーをつけて、サッカーをやるところを見たいと思う。そうすればパレスチナ人はなにもかも失うことなく負けることも可能だ(いつだって翌月の試合があるのだから)と学ぶことができ、一方のイスラエル人はパレスチナ人に対して負けることだってある、だからなんだ? と学ぶことができる。*10

政治を「ゲーム」の隠喩で捉えることの限界が、これほどあらわになっている場所はほかにない。期待されているのは「ゲーム」の効果であるというより、もっと「儀式」めいた過程であるようにおもわれる。レヴィ=ストロースによると、人類学者がニューギニアのガフク・ガマ族にサッカーを教えたところ、彼らは両チームの勝敗が完全にひとしくなるまで、何日でも試合を続けようとしたそうである。*11あきらかに想像しがたいのは、イスラエル人が(現実の不平等な条件を遺憾におもって)進んで負けようとするところだ。真の「敗北」は、もちろんゲームの内容ではなく行為遂行的パフォーマティヴな次元に属している。この場合、ゲームに参加する姿勢が、すでにパレスチナ人の敗北を証言しているとみなされてもおかしくはない。

レヴィ=ストロースによると、ガフク・ガマ族はサッカーを「ゲーム」としてではなく、「儀式」として捉えていた。平等をめざす傾向は「儀式」に特徴的なことだが、たいして「ゲーム」は、不平等な結果を産出することをめざしている。ゲームにおいて平等なのは規則であって、出発点においても結果においても、「平等であること」は求められていない。むしろ出発点における差異を際立たせることが、ゲームの目的なのである。ゲームが産出する不平等な結果は、平等な規則をくぐり抜けることによって、不平等な条件を耐えやすくするという効果をもっている。ゲームとは(デヴィッド・グレーバーの言葉を借りるなら)「規則のユートピア」なのだ。*12政治をゲームの隠喩で捉えることの限界は、資本主義をとうてい公平なゲームとみなすことができない理由と一致する。すぐにみるように、資本主義は絶えずその明示されざる規則を変更していくので、おそらくその猥雑さが、わたしたちに、「規則のユートピア」(典型的には近代スポーツ)を愛すべく促すのだろう。ゲームの公平さはその点、政治のモデルとしてはまやかしをふくんでいる。結局のところわたしたちは、平等な規則から平等な条件が導き出されるような機構を、ただのひとつも知らないからである。

規則は一般に不平等な条件を固定する。そこで問題は、規則を受け容れたときには絶対に勝つことができない視点(たとえばパレスチナ人)が存在するということではないか? けれどこの視点は、そもそも自分自身の「失敗」すら証言することのできない袋小路である。かつて「チェ・ゲバラの肖像」は、反資本のメッセージが、消費資本主義の論理に(不可避的に)回収されることの「寓話」として語られたことがあった。だがそれは、はたして資本主義の「成功の寓話」だったのか、それとも反資本闘争の「失敗の寓話」だったのか? ここでは意外なことに、勝負の行方は勝者をして語らしめるべきである。仮に「勝者」が資本主義であったとしても、それは、自分自身の「失敗」を認識できないだろう。よりよい仕方で失敗することにいつも失敗する勝者、ワウリンカの逸話の特権的なポイントは、この行為遂行的パフォーマティヴな転換を示していることだ。ワウリンカをして21世紀のチェ・ゲバラたらしめよ。それは、資本主義がまともな仕方で失敗できないことの寓話、あるいはたんに失敗が失敗することの寓話である。

いまでは、ワウリンカの入墨は彼の成功を支えた不屈の精神を表現したものとみなされている。よき失敗をこころざすことから最高の成功への転身には、ほんの一歩の距離しかない。けれどその一歩が飛び越えた深淵は、そもそものはじめから、メッセージの内容に刻み込まれていたのだとしたら? 資本主義をして語らしめる必要があるのは、「上手な失敗」をめざす方向が、いつしか「最悪の方へ」とむかってしまう、この行為遂行的パフォーマティヴな転換を掴みとるためである。その位置はわたしたちにむかって、現在の規則からは絶対に負けることしかできない視点が存在することを教えてくれている。

経済学エコノミクスの失敗と失敗の経済エコノミー

有名な話だが、2008年の金融危機の直後、英国のエリザベス女王ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの経済学者たちにむかって、「なぜだれも危機を予測できなかったのですか」と素朴な疑問をぶつけた。経済学者たちは満足な回答をもちあわせていなかった。何ヶ月もあとになって、恥じ入った経済学者たちは討論会を開き、長々とした議論のすえ、ようやく折衝的な回答を女王のもとに送り届けることができた。公開書簡のなかで、彼らは危機を警告するひとたちがたくさんいたことを認めている(ただ、その「時期」を正確に予測できたひとはだれもいなかった、と彼らは弁明している)。「失敗」はおもに「賢いひとたちの集団的な想像力」が、「全体としてシステム・リスクを理解できなかったこと」にあると彼らは述べている。そこには「否認の心理」がはたらいていて、パーティの途中で「パンチボウル」を下げることはだれにもできなかったのだそうだ。*13

2006年にはすでに、アメリカのクリープランドやデトロイトのような都市の低所得者地域では、住宅の差し押さえが急増していた。けれど、影響を受けたのはおもにアフリカ系アメリカ人、ヒスパニック系移民、シングルマザーだったので、メディアはろくな関心を払わなかった。ようやく2007年のなかばごろになって、差し押さえの波が活況を呈していた地域(フロリダ、カリフォルニア、アリゾナネバダ)の白人中間層にまでおよび、主流メディアや役所が関心をもちはじめた。年末の時点では、200万人近くが住宅を失い、400万人以上が差し押さえの危険に曝されていた。アメリカ全土で住宅価格が下落し、借り入れができずローンが返済できなくなる世帯がどんどん増えていった。

クリープランドはまるで「金融カトリーナ」に街を襲われたようだった。持主に放棄され窓に板張りがされた家々が、貧しい居住区、主として黒人の住む地域の景観を襲った。カリフォルニアでは、たとえばストックトンでのように、町のどこの大通りでも、その通りに沿って空き家と放棄された家々がずらっと軒を並べていた。フロリダとラスベガスでは、いくつものマンションが住む者のいないまま林立していた。差し押さえにあった人々はどこかに雨露をしのぐ場所を見つけなくてはならなかった。カリフォリニアとフロリダではテント村ができはじめた。他の都市では、複数の家族が友人や親戚と相部屋したり、マーテルの窮屈な部屋を仮住まいにしたりした。*14

こうした事実にもかかわらず、FRB議長のベン・バーナンキは、2007年6月5日の時点ではまだつぎのように認識していた。《現時点では、サブプライム市場での問題がより大きな経済や金融システムに波及しそうな見通しはありません》。*158月9日には、フランス最大手の銀行BNPパリバが、傘下ファンドから引き出しを停止すると発表した。パーティの終わりを告げる鐘の音が、それを聞きたくないひと(もしくは聞かないことによって利益をえているひと)の耳に届きはじめ、金融トレーダーたちのあいだを、にわかにパニックが広がっていった。だがその時点でもなお、為政者たちは、政府の大規模な介入なしに危機が底打ちすることもありうると考えていたのである。

この住宅ローン破局の金融メカニズムを背後で支えていた人々は、最初のうちは不思議と影響を受けていたにように見えた。二〇〇八年一月には、ウォールストリートのボーナスは合計で三二〇億ドルに達し、二〇〇七年の総額よりほんのわずか少ないだけだった。これは世界の金融システムを崩壊させたことに対する驚くべき報酬であった。社会のピラミッドの底辺にいる人々がこうむった損失は、その頂点にいる金融家たちの法外な利得とおおむね釣り合っていた。*16

リーマン・ブラザーズが負債総額6130億ドルで、連邦破産法11条の適用を申請したのは、2008年9月15日のことであった。この時点では、もはや破局に歯どめが効かなくなっていることは、だれの目にもあきらかな事態となっていた。

危機が顕在化したとき、アメリカの財務長官を務めていたヘンリー・ポールソン(前ゴールドマン・サックスCEO)は、前FRB議長のアラン・グリーンスパンに電話をかけて、対応策を協議しようとしている。グリーンスパンは、《今回の危機は一〇〇年に一度のものであり、政府はことによると市場安定化のために尋常ならざる方法をとらなければならない》といった。*17これは、ロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が、二人のノーベル経済学賞受賞者を運用チームにかかえながら、破綻を余儀なくされなくされたとき、経済学(およびLTCM)を救うために囁かれたこととよく似ていた。「長い目」でみれば、市場は均衡価格を見出すだろう。けれどプレイヤーの資産は有限だから、最大規模にして最高の知性を誇るヘッジファンドといえども、市場が均衡価格をみいだすまえに元手が底をついてしまうことも十分ありうる、と。そのときの教訓は、だからレバレッジ自己資本比率)が重要という愚かしいものだった。もちろん、プレイヤーは資産が有限であればこそ極端なリスクをとる誘因に曝されるのだし、また「長い目」でみれば、経済学の前提はいつだって正しいにちがいない。

ヒューム以来、経済者たちは経済変動の短期的な効果と長期的な効果を(政策介入による効果もふくめて)区別してきた。この区別は[……]均衡理論を保護するためにつかえてきた。経済学において、短期とは典型的には、振り子が一時的に停止位置から外れるように、「ショック」の影響下で、長期の均衡位置から一時的に逸脱した市場の期間のことである。この考え方は、政府に市場をなるべくそっとしておくことを推奨する。市場は自分で自然な均衡位置をみいだすことができるし、政府の介入による「修正」は、そもそもの錯覚に余分な層を重ねることになるだけであろう、と。*18

この反証不可能な前提は、危機下では当然のことのように停止されるだろう。というのも危機は「短期」であり、要は「例外状態」のようなものだからである。市場をそっとしておく代わりに、アダム・スミスの見えないはずの右手がせわしなく動き出す。かつては私的利益の追求が、引いては全体の利益に通じるとされていた。いまでは経済システムを保護するために、まず銀行強盗に金を渡さなくてはならない! 公平な市場主義者として、グリーンスパンも状況を苦々しくおもっていたらしい。彼はいわば「よい銀行強盗」の仕方をポールソンに提案している。前FRB議長はこういった。市場には流動性が不足しており、《住宅の供給が多すぎるのだから、問題を真に解決する唯一の方法は、政府が空き家を買い上げて焼いてしまうことだ》!*19

政府が金融機関を救済しようとしたとき、もっともかたくなに反対したのは、右派の(グリーンスパンとおなじく)市場原理主義的な考え方をする議員の方であった。共和党員のジム・バニング上院議員は、政府の救済案を非難して、ポールソンを「社会主義者」呼ばわりした。この論法は、政権が代わったあともオバマにたいして何度も繰り返され、奇妙なことに、金融危機のあとには、共和党の市場主義イデオロギーはいっそう強化されたようにみえた。すなわち、超保守的なポピュリストたち(ティーパーティー運動)が党内で力を増していったのである。たいしてリベラルは、「富裕層にたいする社会主義」という嫌な役割を割りあてられることになった。

パーティーが続行する仕方にはひとを身震いさせるものがある。経済学者たちはたしかに表面的には「失敗」をみとめた。危機を警告していたひとたちが、相対的に周縁的な立場から、中心的な位置を占めるようになり、マクロ経済学においてケインズがふたたびヘゲモニーを獲得していった。新しい実験の時代がはじまった。日本のナショナリストに、リベラルな見解で知られるアメリカの経済学者たち(ポール・クルーグマン、ジョセフ・スティグリッツ)が声援を送っている光景は、すでに破産していた日本のリベラル・イデオロギーにたいして、とどめの一撃となった。もっとも、「リフレ派」はまともな仕方で失敗できないことを、例によってすぐに露呈させることになったけれども。「処方箋」とその「実行」のあいだには、つねにギャップが存在するのであり、そのギャップには「政治」という名前があてられている。主流派経済学は、政治の領域からみずからを除外することによって自己を形成してきたのだから、ギャップを認識できないのはある意味で当然のことといえる。マネタリーベースを増やしても、実質インフレ率は上昇しない。失業率が下がっても、賃金は上昇しない。なぜか? 不用意に消費税を上げたせいだと(もっともらしく)説明される。理論上の限界(反証可能性)は、実現されるまえに、つねに不可解な「政治的なもの」の侵入によってさまたげられることになっているのだ。

上手に失敗できない理論には、どこかおかしなところがあるにちがいない。けれど、経済学が自分自身の失敗を認識できないことには、それなりの理由がある。それは単純に、《科学としての経済学の台頭が、資本主義の台頭と一致しており、そして経済学の論理は知られているように容易には資本主義をサポートする議論から区別できない》からである。*20「否認の心理」は、ここで「政治」そのものが理論にたいするギャップとして出現することを見逃せば、何度でも延命するだろうし、「処方箋」に政治の否認がそもそも織り込まれている場合には、まともな仕方で失敗することなど望むべくもないだろう。

歴史、規則を欠いたゲー厶

プリーモ・レーヴィが報告しているのだが、ある日アウシュヴィッツで、SSの兵士たちとゾンダーコマンド(焼却炉、ガス室、死体の処理を任されたユダヤ人作業班)が一緒にサッカーをしたことがあったそうである。その試合には、SSの他の兵士たちやゾンダーコマンドの残りのものが立ち会っていた。《彼らはどちらかに味方し、賭けをし、拍手喝采し、選手たちを応援した。まるで試合が地獄の入り口ではなく、村の野原で行われているかのようだった》。*21レーヴィはこの光景の根底にひそむおぞましさを推し量っている。それは、アウシュヴィッツユダヤ人(なかでもとりわけゾンダーコマンド)が、すでに「何もかも失っている」――にもかかわらず何かが残っている――ことを、度を越した残酷さで突きつけるまたとない機会であった。彼らはともに人間であった。勝ったところで、なんだというのだ?

この停戦の背後に、ある悪魔的笑いを読み取ることができる。事は成った、我々は成功した、おまえたちはもはや別の人種ではない[……]。我々はおまえたちを抱擁し、腐敗させ、我々とともに底まで引きずっていった。おまえたちは我々と同じだ、誇り高きおまえたちよ。我々と同じように、おまえたち自身の血で汚れている。おまえたちもまた、我々と同じように、カインと同じように、兄弟を殺した。さあ、来るがいい、一緒に試合をしよう。*22

ここから引き出すべき結論は道徳的なものではなく、歴史的な――ひょっとすると神学的な――ものではないだろうか? ジョルジョ・アガンベンはこの箇所について、《試合はけっして終わってはいない。どうやら、途切れることなく、いまだに続行されているようなのだ》といっている。*23

(結論に代えて)神学は誘惑でないと注記しておこう。むしろ誘惑は、敵のあまねく勝利をみとめることである。勝者に同一化しつつ、それ以外のすべての人間が敗者だという見せかけの同情に居座ること、これこそがリベラルな態度というものである。一見深淵そうにみえる「敗者の哲学」は、いともたやすく「成功の哲学」に転んでしまう構造をそなえていた。それはまともな仕方で失敗することができないだろう。この構造から一歩退いて、「必負」の視点にそのまま同一化することも、なおさら退けなくてはならない誘惑である。必敗の視点に立つことは、いつでも「一発逆転の一手」を模索すること――たとえば地政学的緊張をアルキメデスの点とする誘惑――に繋がっている。それは神学的すぎるのではなく、まだ十分に神学的でない。

ファシストは、自分自身の勝利と真理を最終的には信じることができないだろう。では、それを信じることができるのは、だれか? 人目をはばかる神学は、経験的には失敗そのものが失敗するという無情な事実をひたすら指示するだけである。この事実によって危うくなるのは、実は(敗者ではなく)勝者の方だといわなければならない。なぜなら、失敗そのものをみとめることができないのは彼らの方だからである。ゲームの隠喩はここで少しだけ頭をもたげ、きたるべき「勝利」といっさいかかわりのない位置に、自分自身のひいきのプレイヤーを放棄して去っていく。史的唯物論、それは真理についていっさいの留保を控えた、ただひとつの無神論的神学である。

 

(文責 - 市川真木

*1:ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」『ボードレール  他五篇』野村修訳、岩波文庫、327頁。

*2:ジョルジョ・アガンベンアウシュヴィッツの残りのもの』上村忠男/廣石正和訳、月曜社、29頁。

*3:https://www.smh.com.au/sport/tennis/how-stanislas-wawrinka-failed-at-becoming-a-failure-20140122-3195v.html

*4:http://mstraweb.blogspot.com/2014/02/failing-better.html

*5:https://thenewinquiry.com/fail-worse/

*6:https://www.lifehacker.jp/2010/11/post_1632.html

*7:三つの可能な解釈が、三つの政治的立場と対応しているとしたら? すなわち、リベラル(事前的)と新自由主義(事後的)、そして前衛左派(行為遂行的パフォーマティヴ)。ポイントは、リベラルと新自由主義が(よくいわれるように)いかにイデオロギー的に結託しているかということを、ワウリンカのエピソードから理解することだ。そして、今日の左派の「まともな仕方で失敗すること」のできない窮状を、その袋小路に正当な仕方で位置づけることである。

*8:ポール・オースター/J. M. クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡 2008-2011』くぼたのぞみ/山崎暁子訳、岩波書店、191頁。

*9:同前、190頁。

*10:同前、192頁。

*11:レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、38頁。

*12:デヴィッド・グレーバー『官僚制のユートピア酒井隆史訳、以文社、273頁。

*13:https://himaginary.hatenablog.com/entry/20090813/letter_to_queen

*14:デヴィッド・ハーヴェイ『資本の〈謎〉』森田成也ほか訳、作品社、17頁。

*15:リーマン・ショック・コンフィデンシャル(上)』122頁。

*16:同上。

*17:リーマン・ショック・コンフィデンシャル(上)』250頁。

*18:Robert Skidelsky, ''Money and Government,'' Yale University Press, pp. 37-38.

*19:リーマン・ショック・コンフィデンシャル(上)』250頁。

*20:''Money and Government,'' p. 10.

*21:プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』竹山博英訳、朝日選書、53頁。

*22:同前、53-54頁。

*23:アウシュヴィッツの残りのもの』29頁。