批評集団「大失敗」

「俺たちあくまでニューウェーブ」な批評集団。https://twitter.com/daisippai19

鈍刀(ひらがな)を振るうー赤井浩太について

 daisippai.hatenablog.com

 

 昨日、わたしの友人である赤井浩太さんが『すばるクリティーク賞』なる賞を受賞しました。これはたいへんめでたい事です。賞のなまえが県名の後に「情報」とか「クリエイティブ」とかつけさえすれば大学の名になるとおもっているバカ大学のようであっても、これはたいへんめでたいことでしょう。なぜならば賞をとれば賞のなまえがもらえるからです。レースならば一番をとるべきであり、二番三番など意味はありません。つまり赤井浩太さんの批評は一番をとったわけですから、これほどめでたいことは無いのです。

 なぜ一番しか意味がないのか。それはいささかバカ大学的な論理にさんどうするかたちになりますが、なまえにつけることができるからです。なのるなら「一番の男」でしょう。わたしは「二番の男」とか「三番の男」などとじまんしている人間を見たことがありません。ですから「一番の男」しかなのれないのではないかと、わたしはおもうのです。したがって赤井浩太さんは、賞を獲ったその日から一番の男になったわけです。りっぱですね。すごいですね。一番の男・赤井浩太はこれから権謀術数が渦巻いている乱世の世を二つの大太刀、平岡正明谷川雁をもってして、わたりあるくわけです。

 その点で中島岳志のかれに対する「尾崎豊のようになってしまう」という疑問符はいささかミスリーディングのようにみえます。かれのような一番の男が、二枚目であり、内面をもった青年期の屈託を象徴する「尾崎豊」になるはずがないでしょう。リアルを腹にすえたかれのような「一番の男」が、現実から打ちのめされ、自らをこわしていく尾崎豊のごとき恐怖や憂鬱を、文学として据えられるはずがありません。そもそもかれは二五歳であり、それぐらいの大人だったら「尾崎豊」のような「社会に出てきて、仕事に追われ夢を追っていた自分が時間とともに薄れることを感傷する」なんてことは無いに決まっているではありませんか。

 とにかく、かれは一番の男になれたのであり、かれの評する「リアル」は一番だと認められたわけです。しかしながらそのように総評を見ていくとよくわからない箇所があります。大澤信亮さんがいう「コスプレ感」という評です。

大澤 〔…〕さっき杉田さんが言っていたコスプレ感というのが、僕はどうしても消えなかった。〔…〕真面目な人が無理やりコスプレ的にワルな感じを出しながらノリで書いているんじゃないか(笑)。必死にノリで自分を鼓舞しているようにも読めた。(『すばるクリティーク』二〇一九年二月号、選考座談会より。二五三頁)

 選評を見ていくと、選考委員たちは赤井浩太さんが共同体をベースにして書いていることをよみながらも、それがコスプレ感があることで否定的に扱っていますそれならあんたのおとなりにいるのは福田恆存のコスプレじゃないのか、なんてことはいいおとななので云いません。そんなことはどうでもよろしい。それよりも問題は、選考委員たちが赤井浩太さんの文章を一個の共同体論としてよみながらも、それがコスプレ的であることが疑問符として持ち出されていることでしょう。

 わたしならこう考えます。一番の男赤井浩太が共同体をベースにして物事を考えて「レペゼン地元」を生成しているのであれば、それはコスプレ的になるのは当たり前の話ではないか。なぜならば吉本隆明の『共同幻想論』を持ち出すまでもなく、共同体というのは「約束事」がなければ成立しえない。この「約束事」は、いくらか馬鹿に見えてもまもらないと共同体は維持できないだろう。バラバラな個が個としているだけならば、それは共同体とはいえないからだ。こう思うのです。ですから、共同体はフィクションを要請するし、それこそが方言としての「ヒップホップ」ではないかとなります。

 その点でわたしには赤井浩太さんの文章が共同体の構成するフィクションについてかたっているライト・ノベル(小説)のようにみえなくもありません。しかしながらわたしは「リアル」というフィクションによって構成される共同体に対して、いささかも興味が惹かれません。わたしにとって興味があるのは、個のなかにある共同体であり、もっというと分裂し続けながらもどこかで空間と時間の一致を「しんじている」内面であり、もっといえば、内面が身体に出てしまうことであり、さらに言って仕舞えば内面の統一性をどこか信用させてしまう他者の身振り・手振りであり、つまり、分裂し続けながらも、それ自体が機能として承認されてしまう視覚の作用です。

 その点では赤井浩太さんが言うリアルとは一番の男として言うべきことを言ったとは、わたしも思いますが、かかる一番の男の「リアル」を「リアル」として受け入れることはできません。そのような「リアル」は地元のなかにしかないと言いたいのではなく、「真実のリアリティ」なるものを映し出しているのは不敵な笑みを浮かべた視覚だというのがわたしの考えです。

 わたしは戦後民主主義自体はきらいです。しかしながら「リアル」をこうせいするラッパー族(あぶれ族)の魅力よりも、地元という「リアル」を粉砕して、地に足のつかない都市を増幅しつづける高度経済成長の搾取に下支えされた戦後民主主義の方が、いささか破壊的なアジテーションではないかと思うのです。まあそんなことはどうでいい。いずれにせよ赤井浩太さんが一番の男になれたのはとてもいいことではありませんか。ちなみにわたしだって一番の男になりたいときもあります。しかしそれは多重人格の一番の男であり、足や手を失った人間たちの「唯一」の一番を据えられる批評を書いてみたらなという願望以外のものではないでしょう。

 

 それは具体的になんぞやときかれれば、この文章であると不徹底ながら、わたしはいいかえします。そして、ここからさきはわたしと読者の諸君がともにかんがえることです。なぜならばわたしは「一番の男」でもなければ、賞を受賞した唯一の批評でもないからです。これは「一番の男」である赤井浩太さんにけいはつされてかいた、わたしなりの「アジビラ」でありますが、都市と対峙する谷川雁平岡正明の「方言」とおなじく、意味を規定する「漢字」にたいしてわたしがもちだした「ひらがな」もまた、それなりに戦後民主主義やラッパーのバイブスとたたかうことができる魅力的なことばのようにおもえます。まあそんなことはいまおもいついたデタラメにすぎませんが、意識的なデタラメほど権力的な「リアル」を撹乱するものはないのではないかとわたしは思います。

 

 いずれにせよ赤井浩太さんの受賞はめでたいことです。一番の男赤井浩太さんのこれからの歩みをわたしは期待してみてしまいますね。

 

(文責 - しげのかいり

 

twitter.com

 

 

 

 

f:id:daisippai:20190104225634j:plain

 

 

「大失敗」運営の赤井浩太が「すばるクリティーク賞」受賞!(赤井によるコメント付)

 こんばんは、「大失敗」運営の左藤青です。ツイッターなどでは情報がフライングで広まったりしていた関係で早くからお伝えしていたのですが、本日ブログでもお伝えします。「大失敗」運営の一人赤井浩太がこの度、「日本語ラップfeat.平岡正明」ですばるクリティーク賞を受賞しました。おめでたい。  

 『すばる』サイトはこちら。→すばる - 集英社

f:id:daisippai:20190106153752j:plain

▲「すばる」サイトの画面。ちなみにこの帽子は前に会った時忘れていったので左藤の家にあります。

 すばるクリティーク賞は、名前の通り文芸誌『すばる』の賞でして、選考委員は大澤信亮氏、杉田俊介氏、浜崎洋介氏です。今回はゲストとして中島岳志氏が参加されています。浜崎氏は、ブログでも赤井の論考についてご紹介されています。

 一緒に雑誌を作ってきた仲間がこうしていろんなところで言及されているのは、身内としてはなんだか変な感覚ですが、今後の「大失敗」にとっても赤井の批評ライフにとっても大きな一歩になることでしょう。ツイッター上での反応もまとめてみました。是非ご覧ください!

togetter.com

 さて、今回の受賞にあたって、赤井から「大失敗」向けにコメントをもらいましたので、掲載しておきます。

過去の栄光は食えねぇから捨てろ。――MY HEAT/THA BLUE HERB

 

第二回すばるクリティーク賞を頂いた。


選評も読んだ。言いたいことは色々あるが、何はともあれありがたい。しかし賞を獲って浮かれているような暇はない。

『すばる』で貰えたチャンスにかじりついていこうと思う。俺が臨む道のりは長いのだ。

だから読者の皆さま、どうかここはひとつ、若輩者の青くさい志を買っていただきたい。

 

さて、すでに我が「大失敗」は動きだしている。

俺の役割は、批評シーンに向けられた鉄砲玉、あるいは橋頭堡だと言っておこう。

この受賞を皮切りに、左藤青、しげのかいり、俺というポレミカルな、あまりにポレミカルな同人三名で批評の前衛ラインを形成する。

歴史を振り返ってみれば、日本の文芸は、生まれては消えてゆく魑魅魍魎のような同人誌の中で育った。商業誌はそこから活きの良いやつを吸い上げて日本の文学や思想を成長させてきた。そして今、アンダーグラウンドにおいて増殖しつつある批評誌のさまざまなグループは、新たなる可能性の種子であり、同時に出版不況の反映でもある。

そういう状況のなかで、これは俺の予想ではあるが、近視眼的な流行り一辺倒ではなく、辛めの政治性とコクのある歴史性をグツグツに煮込めたヤツから頭ひとつ抜けてくるだろう。

時代は今が潮目だぜ、まだ見ぬ同志たちよ。今のうちにてめぇの頭を左に巻いておけ。

そしてまだ一巻も出ていないうちから「大失敗」に目を付けた読者の皆さま、その御眼鏡にかなうブツを用意いたしました。1月20日京都文フリ、よろしくお願いします。

 

最後に、引用をひとつ。

いま時代がおれらに合わせ通過。――NEW MONEY Remix/TOC

 

 以上です。なんかがんばっていますね。  

 

 そういうわけで、『すばる』とともに、「すばるクリティーク賞」受賞者による宮台真司論が掲載されている『大失敗』一号もどうぞよろしくお願いいたします(批評家・絓秀実氏による論考も掲載)。ちなみに赤井の方でも「大失敗」について総括的なツイートをしているので、彼のアカウントからごらんください。 

 

 ちなみにフライングで情報を広めたのは、 

  中森明夫氏でした。

 

▼ 赤井の寄稿する「大失敗」創刊号

daisippai.hatenablog.com

 

 

 

 (文責 - 左藤青


f:id:daisippai:20190104225634j:plain

 

「大失敗」これまでの歩み、ブログ記事まとめ(2018.9〜2019.1)

 こんにちは、「大失敗」運営の左藤青です。

 繰り返しお伝えしていました通り、ついに『大失敗』本誌の発売が一月二〇日にせまっていますが、ブログ立ち上げ以来(宣伝のために!)書いてきた記事の主要なものをまとめておきます。発売までに各自予習しておくように。

創刊号内容紹介

daisippai.hatenablog.com

 まずは何と言ってもこれ。革命的批評家・絓秀実氏を迎え、第二回すばるクリティークで文壇に認められた(?)男・赤井浩太が運営に参加(創刊号では宮台真司論を掲載)。そのほか、ブレヒト金井美恵子、有頂天(ケラリーノ・サンドロヴィッチ率いるニューウェイヴ・バンド)などについての論考が読める。

 批評対象こそバラバラだが、全員がある一定のテーマに基づき書いているため、全体として統一感のある読み物を作れたと思う。「理論は道具」(byドゥルーズ)であり、使えるものはなんでも使えばいいのだ。

批評宣言

daisippai.hatenablog.com

 左藤青作。二〇一七年に若くして自殺した批評家・マーク・フィッシャーから、再度日本における「批評」を考える。後半には、『大失敗』創刊号の構成メンバー(赤井浩太、小野まき子、左藤青、しげのかいり、ディスコゾンビ#104)の紹介あり。この段階ではまだ「大失敗」が全体的に固まっていなかったこともあり、若干抽象度が高いが、今だにこの問題意識のもとで動いていることは間違いない。

(左藤のツイッター

twitter.com

知識人論

浅田彰と資本主義

daisippai.hatenablog.com

daisippai.hatenablog.com

 しげのかいり作。「衒学」の象徴のように雑に語られることの多い浅田だが、彼が背負っていた政治性=左翼思想史の文脈について明らかにされることは少ない(特定の人々にとっては自明なので)。いったい浅田彰は何をしていたのか? 彼の目指した「革命」とはなんだったのか? また、現代における「批評家」像の根拠としての浅田彰という側面にも触れる。

(しげののツイッター

twitter.com

資本主義的、革命的(東浩紀外山恒一

daisippai.hatenablog.com

daisippai.hatenablog.com

 左藤作。ゼロ年代以降、支配的になった東浩紀の批評だが、それはなぜ支配的だったのか? 若手の批評家たちが明示的にも暗示的にも自明のものとして受け取っている東の思想の出所を探るために、運動家・外山恒一と比較する。一見すると外野から水を浴びせているだけの外山の東批判は、あらゆる思想(政治)を批評に呑み込んでいく東のスタイルの核心を突いているのではないか。批評と思想は同じものなのか? そこに見いだされるのは思想の「棲み分け」であり、知識人の二つの在り方だ。

 前述の浅田論に応答する形で書かれた知識人論。個人的な観測範囲では、この東と外山という取り合わせを間に受けている批評家はほとんどいなかった。ゲンロンがぐだぐだになった今から見ると少し感慨深いものでもある。

(ちなみに外山氏にお会いした際、ご感想をお聞きしたところ、「僕は言及されればなんでも嬉しい」とのことであった)

絓秀実入門

daisippai.hatenablog.com

 しげの作。前述の左藤の記事「資本主義的、革命的」で最後に登場した絓(すが)秀実についての「入門記事」。『革命的な、あまりに革命的な』が増補として文庫化するなど、再度注目されている絓だが、若手の左翼論客が天皇主義・戦後民主主義のベタな肯定に傾いていく中で、もはや「最後の左翼」というポジションである。

 しげのはここで絓による筒井康隆の「断筆」批判を通じて、言葉・表現の「不自由さ」について考える。絓秀実はしげのの最も敬愛する批評家であり、力が入った批評になっている。この文学観は、『大失敗』創刊号にしげのが寄せている文章「金井美恵子論」とも重要な関わりがある。

 繰り返す通り、創刊号では絓氏の論考をいただけることになった(この話がまとまったのは十二月中頃であり、この記事が公開された時点ではそんなことは夢にも思っていなかった)。その助走として、読んでおくべきもの。

 

   

批評

左藤青の音楽批評(平沢進井上陽水) 

daisippai.hatenablog.com

daisippai.hatenablog.com

daisippai.hatenablog.com

 左藤作。「馬の骨」と呼ばれる一部のオタクにカルト的人気を誇る平沢進について、しかし彼がファンに優しくなる前の、最もトガっていた時期の作品(P-MODEL『Perspective』)を批評。詩の意味性という「遠近法」(「光」)に抵抗し、外部への裂け目を入れようとする「音」について、そしてその後の平沢進の大失敗についての論考。

 井上陽水『氷の世界』論は、しばしば「シラケ世代」と呼ばれる陽水の内向的で非政治的な詩が、つねに巧妙に欲望しつつ逃れつづける「他者」/外部への両義的な関係を整理。後半では竹田青嗣大澤真幸による陽水論を批判。

赤井浩太の小説批評(角田光代

daisippai.hatenablog.com

daisippai.hatenablog.com

 赤井浩太作。すばるクリティークで「批評家」に成り上がった男赤井。角田光代論と言いながら、横に秋山駿とアンリ・ルフェーヴルを置き、ある種のディストピアとしての「郊外」を論じている。実は彼は、自身の体験からしても「郊外」にこだわり続ける批評家であり、それは『大失敗』本誌の宮台論でも顔を見せている。

 一方で、注目すべきは文体である。最新の『すばる』二月号に載っている赤井の批評「日本語ラップfeat.平岡正明」では、ラップ調のオラついた文体を披露した赤井だが、ここでは非常に憎たらしい皮肉のこもったイヤミ文体で文章を書いている(ちなみに僕、左藤はこっちのイヤミ文体が非常に好みであり、つい読まされてしまう)。

 赤井の真骨頂はこうした文体のマジックなのである。『すばる』の審査員(大澤、杉田、浜崎、中島)たちは、さすがプロだけあってそこに結構気づいているものの、まだまだ赤井の器用さ・大胆さを知らないといったところだろう。

 ちなみに『大失敗』本誌の宮台論では、この両面が見られるようになっている。

(赤井のツイッター

twitter.com

  

時評・書評

左藤青の時評(『新潮45小川榮太郎、『文學界』落合・古市/『新潮』東浩紀

daisippai.hatenablog.com

daisippai.hatenablog.com

 左藤作。初めは色々とアクチュアルなことについて毎月書いてみようと思ったのだが、毎回Twitterで巻き起こる議論がバカバカしすぎて、なかなか書けなかった。

 内容については読んでもらいたい。結局、僕がつねに問題にしているのは「制度」を批判することである。これは柄谷・蓮實・浅田というような(吉本隆明によって「知の三馬鹿」と言われた)批評家たちが常々言っていることだったけれど、僕はそういう意味では非常にベタに「ニューアカ」だし「ポストモダン」な人間なのだろう。

 特に後者(「抽象化の悪と『想像力』のゆくえ」)はけっこう読まれているようだ。やはり、落合・古市は受け入れられないが、かと言ってそれを批判している人たちもおかしい、というようなモヤモヤを抱えている人は一定数いるのであり、そういう層に必要なのは批評的な「想像力」なのだろう。

 あと、なぜか少なからず誤解があったようなのでこの場で言っておくが、僕は落合陽一も古市憲寿も全く評価しておらず、単なる現状肯定を新しいことだと言いふらしているだけの反動主義者だと思っている。ただ、そうしたネオリベ的世界観に対抗できるのは、おそらく素朴な「ヒューマニズム」や「リアリズム」ではない。

赤井浩太の書評(外山恒一全共闘以後』)

daisippai.hatenablog.com

 赤井作。『全共闘以後』が発売されてすぐに書かれたもの。前述の通り赤井は文体の魔術師なのだが、こちらはお得意のラップ文体で書かれている。で、ラップ文体で書かれているわりにかなり手際よく丁寧にまとめてあるギャップが笑えるというのが身内の感想だけれど、ともかく要約として素晴らしいと思う。

 『すばる』の座談会で、文芸批評家の浜崎洋介が「赤井の批評はアジテーション」と評しており(「勢いのある文章で読ませるけど、これはアジテーションではないのかという疑念がどうしても拭えない。僕は、批評とアジテーション、あるいは批評と物語は違うと思っていますが、〔…〕」*1)、もちろん赤井は「アジ」のつもりで文章を書いている。多分「大失敗」の面々は「批評はアジビラ」と考えていて、その場合僕は「ビラ」担当だけど(笑)、赤井は「アジ」担当なのだろう。

*1:「2019 すばるクリティーク賞 選考座談会」、浜崎の発言。『すばる』二〇一九年二月号所収、集英社、二五四頁。

続きを読む

【時評】抽象化の悪と「想像力」のゆくえ ——磯﨑憲一郎による落合陽一・古市憲寿批判

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try(Imagine / John Lennon

想像力の欠如?

 僕は小説家・磯﨑憲一郎を尊敬しているし、氏の作品が好きである。「批評」を標榜している割には、とりわけ小説の類をそんなに読めていない僕にとっては、端正で執拗なまでの具体的描写と、時には突飛な場面転換が持ち味の磯﨑の作品は数少ない愛読書である。

 ところで、Twitterでは、最近磯﨑憲一郎のある「文芸時評」がにわかに話題になっていた。 

 リンクの先を読んでもらえればおおよその事情はわかるであろう。磯﨑の時評は『文學界』一月号における落合陽一と古市憲寿の対談「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」(これもweb上で読める)に対する批判になっているのだ。

f:id:daisippai:20190103021945j:plain

 この対談の内容は、全てを「テック」で解決し合理化していく、という落合の「芸風」からほとんど想像可能なものではある。この対談の中でとりわけ問題になったのは、終身医療をめぐる落合と古市の議論だ。古市は「お金はかかっているのは終末期医療、特に最後の一ヶ月」と前置きした上で、次のように言う。

古市 〔…〕だから、高齢者に「十年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の一ヶ月の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その一ヶ月は必要ないんじゃないですか、と。(落合・古市「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」)

 人間の生命をコストカットという「合理化」のうちに収めるという点で、ショッキングなようにも見える一節だし、実際ここに怒る読者も少なくないだろう。それに対する磯﨑の批判は次のようなものだ。

この想像力の欠如! 余命一カ月と宣告された命を前にしたとき、更に生き延びてくれるかもしれない一%の可能性に賭けずにはいられないのが人間なのだという想像力と、加えて身体性の欠如に絶望する。そしてその当然の帰結として、対談後半で語られる二人の小説観も、「文体よりもプロットに惹かれる」と述べてしまっている通り、身体性を欠いた、単なる伝達手段以上のものではない。(磯﨑「文芸時評 作家の生き様」)

 ここで磯﨑憲一郎の指摘が興味深いのは、この落合・古市の態度を「身体性の欠如」として、そのまま文学に直結させている点である。文学における具体性=身体、つまり「文体」を見落とし、「想像力」を欠如した古市と落合の態度は、文学的ではなく、人間を抽象化に巻き込んでいく「悪」の所業に他ならないというわけだ。

 ちなみに対応箇所は次の通り。

古市 最近読んだ朝吹真理子さんの『TIMELESS』がそういう小説だった。言葉の一つ一つが端麗でみずみずしくて、ストーリーよりも言葉の美しさを追える素敵な小説。でも、僕は基本的には文体よりもプロットに惹かれる。(落合・古市「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」)

 しかしこうしてみると、若干磯﨑による批判は強引なものなのがわかる。古市は「プロットに惹かれる」と述べる前に、それこそ具体的に朝吹真理子の小説を挙げ、しかもその文体を評価していた。だから、具体性を称揚する作家が、実はこのように古市の議論を「抽象化」することで批判しえている点は注目しておく必要がある。しかもそのように古市が「プロット」を好む理由は、藤子・F・不二雄の作品を通して次のように語られる。

古市 〔…〕そうやって世界の違うありようを見せてくれる作品が好きなんだよね。/現実世界においても、フィクションの想像力はすごく使われているなと思う。〔…〕/小説に比べると、いわゆる論文なんてここ数百年のもので、そこまで普遍性のあるフォーマットではない。でも、おそらく物語はホモ・サピエンスの歴史と同じぐらい昔からある。文字が残される前から、神話という形で物語が存在してきた。物語は評論より全然古くて、物語でしか伝わらないものがあっても不思議じゃない。(落合・古市「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」)

  正直に言って僕自身、この対談を実際に読むまでは、こいつらの言っていることは磯﨑のいう通り具体性を欠いたものなのだろう、ぐらいに思っていた。しかし、読んでみると彼らの議論は(確かに素朴だが)別の意味合いを持って現れてきたのである。問題はほんとうに「想像力の欠如」だろうか?

 そもそも磯﨑は「想像力の欠如」を問題としている割に、この古市の「フィクションの想像力」という発言は読まなかったことにしている。古市にもなにかしらの「想像力」がある。重要なのは、この両者の「想像力」の差異を明確にすることだ。

 磯﨑にとっての「想像力」は、「更に生き延びてくれるかもしれない一%の可能性に賭けずにはいられないのが人間なのだという」、人間のリアリティに対する想像力である。磯﨑の「想像力」はリアルへと向いている。現実存在する「人間」であり、ここでは特に「老人」に向いている。

 しかし古市の「想像力」はあくまで虚構に向いており、非実在への想像力、物語の想像力である。フィクションの想像力は、むしろ現実を別の仕方で見せるものだ。それは磯﨑のいう「想像力」とは異なるものの、とはいえそれを一概に「想像力の欠如」と言うことはできない。古市によればそれは、つねに現実に影響を及ぼしてきたものでもある。

 「世界の違うありようを見せてくれる」想像力の必要性は、僕自身、哄笑批評宣言でも書いたし、一月二〇日に出る『大失敗』創刊号では、それを「《異化》としての批評」という形でテーマにしてある。しかし厄介なことは、ここで古市の虚構への想像力が、次の様に説明されていることである。

古市 〔…〕落合君の言う「魔法」は物語に近いところがある。昔の人にとっては、言葉を語ること、物語を語ることは、ファンタジーを見せることに近かったんじゃないかな。〔…〕今ここにないものを見せてくれるという意味では、文学と魔法はすごく近い位置にあるんだと思います。(落合・古市「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」)

 ここでは、文学の「現実とは異なる姿を見せてくれる」という点が、古市の卓越した要約能力により、落合陽一の「魔法」すなわち、「テクノロジーの進化により我々の物の見方そのものが変わるので問題はなくなる論」(僕による大雑把な要約だ)に接合されているのである。

 しかし、ここで一つのことに気づかなくてはならない。つまり、磯﨑が「想像力の欠如」と罵った落合や古市の議論がそれ自体、むしろ、「いまだ−ない」ものへの過剰な想像力によって下支えされていることだ(落合なら、それを想像力ではなく可能な「未来予測」だというかもしれないが)。したがって問題は想像力の欠如どころか、むしろ想像力の過剰にあるのではないかというのが、僕の見立てである。

 「哄笑批評宣言」で、自殺したマーク・フィッシャーに倣って、僕は「いま・ここ」とは別の世界像を見せるものが批評(の一側面)だと書いた。ところが、その想像力は、実はある意味で、簡単に現状肯定に繋がってしまいうるものだ(実際、対談の中で落合は現政権をかなりベタに肯定している)。つまり「魔法」という別の現実がなんとかしてくれるんだから、理系の人らに色々任せて我々庶民はたんに待っていればいいという話になる。こうした加速主義の「魔法」が単なる気休めであることは、遠回しにではあるが、僕は井上陽水論でもすでに書いている。

目覚めよ、ニューアカしぐさから

 ところで、磯﨑の批判はほぼ古市に向けられていたが、同時多発的に? ツイッターでは落合陽一批判の流れがあった。その中で使われていた言葉に「ニューアカしぐさ」というものがある。

 なぜかこの落合批判とともに、その時代を生きた老人達のニューアカ批判がはじまった不思議の国ツイッターランドだが、相変わらずこの世界には、ソーカルを持ち出せばドゥルーズラカンを終わったことにできると思ったり、ニューアカとさえ言えば浅田彰中沢新一を批判できたと思ったりする「土人」(©︎浅田)が後をたたないので、そういう人たちにこそ「想像力」を身につけてほしいものだ。

 「ニューアカ」が「衒学」や「ファッション」なのはある意味間違っていないにしても、こういう認識に対して、「大失敗」はしげのの論考ですでに応答しているので、特に語ることはないだろう。また、この手の誤解に関しては

 こういったツイートを見るだけで済む話だ。

 ところで、僕が思うに問題の根本はこうした謎の「ニューアカ」批判が多くの場合、「成熟」ベースでものを捉えていることである。

 つまり森次の、あまり文章を読めたことのなさそうな(「天才画家」だから言葉などいらないのであろうが)ツイートを参照するさい見なければならないのは、「ああいう文を読んで『インテリってすごーい!』となる時期」や「無知な少年少女達を守りたい」という文言だ。ここに現れているのは、「衒学的な文章に惑わされていた時期」から「そこから目覚めて正しい現実を知った時期」の見事な分断であり、成熟の幻想である。

 特定の人々のあいだでは、この二つの時期は綺麗さっぱりと「境界画定」されている。自分はある段階を超えて——「ニューアカ」を乗り越え——「成長」してきたのであり、「無知な少年少女たち」を教え導く立場にあるのだ。ここには、ある「成熟」への自明視がある*1。つまり「俺たち昔は夢見てたけど現実知ってやめたよ(お前も現実を早く知りなさい)」なのである(ちなみにこの「現実」には「経済」や「科学」などの語が代入可能)。

 僕が想像してみるに、彼ら彼女らには、おそらくなんらかの苦い青春というか挫折、諦め、「黒歴史」があったのだろう。彼ら彼女らはそれを反省し、明日へ向かって日々の労働を始めたというわけだ。しかしそれは実は単に反動的なのであり、「この道しかない」というひとつの「現実」、ひとつの「成熟」を無批判に決定してしまっただけである(もちろん、浅田彰ならばそうした雑な「成熟」観を批判するはずだ)。こうした粗雑な「現実」主義/「現場」主義(=リアリズム・「資本主義リアリズム」)こそが、むしろ、おそらく「想像力が欠如した」状態に対応しているというべきだろう。

 落合や古市を「エセ学問」として冷笑したくなる気持ちはわからなくはない。しかし、多くの場合その手合いに限って、ベタなリアリズムに陥り、またしても「制度」に対し無批判的になってしまう。事実、多くの人々が、彼らが実際大学では大した業績を残していないことをあげつらい、その「不真面目さ」を指摘していたが、もちろんそうした優等生的な自意識が問題の本質を批評できるはずもない。

 そうしたリアリズム論者に比べれば、先ほどの古市の方がよほど豊かな想像力を持っている。というか「魔法」は多くの場合、このリアリズムに対してこそ強力な力を発揮するのであり、共犯関係ですらある。

 問題は、やはりそのように別の世界を見せる想像力が、「気休め」として機能してしまうことなのだ。リアリズム(想像力の欠如)にせよ「魔法」(想像力の過剰)にせよ、「現実」を批判=批評しえないのである。

 

抽象の悪から

 「現実」を《異化》しつつ、さりとていっときの気休めとしての「夢」を見せないためにどうすれば良いのだろう(ちなみに『大失敗』創刊号の赤井さんの論考がこの辺に深くつっこんで考えてます)。磯﨑ならばそこにおそらく文学の仕事を見るだろう。

今の時代に、具体性・身体性の積み上げである芸術=小説を書き、読むこともまた、「抽象化と数値化」に抗する一つの実践となるのではないだろうか?(磯﨑「作家の生き様」)

 ところで、ここで磯﨑が依拠しているのは、『新潮』一月号の東浩紀のエッセイ「悪と記念碑の問題」である。

ぼくはむかしから人間の悪に関心があった。それも、個人がなす悪ではなく、集団がなす悪、つまり、政治や組織の力によって媒介され増幅される悪に興味があった。(東「悪と記念碑の問題」)

 東が「悪」というものこそ、上の引用で磯﨑がいう「抽象化と数値化」である。我々一人一人、僕やあなたは「具体的」で、固有名を持つ、交換不可能な、かけがえのない個人である。ところが、例えば国家はそうした具体性を剥奪し、我々を数的に管理する。つまり質から量への転換を測るのだ。東はこれを、自身が小学五年生でたまたま読んだ森村誠一悪魔の飽食』から語る。

ぼくがそこで出会ったのは、いま振り返って名づけるとすれば、人間から固有名を剥奪し、単なる「素材」として「処理」する、抽象化と数値化の暴力である。(東「悪と記念碑の問題」)

 磯﨑がここで「具体性・身体性の積み上げである芸術=小説」を書くことを称揚するのは、この暴力への抵抗としてなのである。ところで東の話はこれで終わっていない。磯﨑が引用しつつ無視している通り、東はこの暴力を「知の源泉」として不可避のものと捉えているからである。

 東によれば、「人間から固有名を剥奪し、『素材』として『処理』することができなければ、ぼくたちは国家も作れないし資本主義も運営できない」。そして「人間は国家と資本主義のもとでしか人間たりえない」。それが本当なのかは前項の理由から留保をつけたいが、東がいう「逆説」とはこれなのだ。(「国家」や「資本主義」に限らず)抽象化と数値化の暴力は批判すべきものだが、同時に必須であり、我々はその暴力がなければ生きていくことができない。ちなみにこの逆説が、「暴力と形而上学」以来のデリダの「暴力」論から受け継がれているのは、デリダの読者には自明であろう。

 東はさらに、ロシアへの「観光」の記憶から、この逆説を展開する。東は、「ペルミ36」(ソ連時代の収容所跡)で見た「銃殺対象者」のリストと、ブトヴォの虐殺の記念碑を対比させ、それらが意味合いは全く違うものの、どちらも固有名の羅列であることから、「両者のリストはかぎりなく似ている」と直感する。つまり、一方ではそれは「犠牲者から人生を奪うために、すなわち固有名を剥奪するためにこそ」作成されたリストであり、もう一方で「犠牲者の家族たち」が「逆に彼らの人生を取り戻すためにこそ」利用するリストなのである。だから東はこう結論する。「抽象化と数値化の暴力は、一方で固有名を剥奪し、一方で固有名を回復させる」。

同じ精神が、銃殺と記念碑をともに可能にしている。抽象化と数値化の精神が。(東「悪と記念碑の問題」)

 しかも記念碑は(プラトンが「文字=エクリチュール」に対して指摘しているのと同じく)それ自体記憶のために建てられるにもかかわらず、しばしばそれが「建てられたこと」によって出来事を忘却させるものである。必要なのはこの想像力、つまり、具体性でも虚構でもなく、このジレンマを思考する想像力ではないのだろうか。この複雑さを磯﨑はどう読んだのだろう?

 「具体性・身体性の積み上げである芸術=小説」という、使い古された抽象的な定義が、実際のところ抽象化にどう抵抗しうるというのだろうか。おそらくそれも、たとえば書店で、図書館で、アマゾンで、抽象化され数値化され、単なる交換可能な番号としてアーカイヴ化されるのである。

 そしてアーカイヴ化されたことによってはじめて、つまり磯﨑言うところの「身体性を欠いた、単なる伝達手段」という媒介を通じることではじめて、人々は磯﨑の小説の「身体性」にアクセスできる。東の言説はそのレベルのきわめて「具体的な」問題にまで拡張できる。

 磯﨑は、文学と具体性の神話、その権力に対する外部性を素朴に信じている。もちろん、そのような試みはいままでもなされ続けてきたし、そして多くの場合「大失敗」し続けてきた。芸術への素朴な信頼は、度々「政治の美学化」へと帰着するだろう。芸術の具体性、すなわち素朴な「現前」をいくら信奉していたとしても、それは「表象=再現前」を介して、ここで言えば「悪」を介してしか、効力を発揮することはない。

 僕もそれなりには文学を信じたいのであるが、もしそれが力を持つとしたら、つねにそうした抽象性に抹消されてしまうものの、それでも「痕跡」としては残る「もの」としての文学、あるいは「ジャンク」としての芸術(©︎絓秀実)だけだろう。これが東のいう逆説から出発して具体性=身体性を思考することであり、「現実」を異化するにたる批評だといまは思っている。

 最後に、もう一度古市・落合の話題に戻しておこう。古市はその延命治療の問題に当たって、こう言っている。

古市 今の六〇代や七〇代は自分の親世代の介護ですごく苦労してるんだよね。そういう六十五歳の人は、定義上は高齢者ではあるけれど、もしかしたら安楽死には肯定的かもしれない。六十五歳以上を一緒くたに高齢者と捉えると、見誤ってしまうことが多い。〔…〕死にたいと思っている高齢者も多いかもしれない。この超高齢社会で安楽死や延命治療の議論は避けては通れないはず。(落合・古市「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」)

  「更に生き延びてくれるかもしれない一%の可能性に賭けずにはいられないのが人間」だとするなら、「家族に迷惑をかけたくないからさっさと死にたい」と思うのも人間だし、「だらだら生き延びるくらいなら安楽死したい」と思うのも人間だろう。そして、介護に疲れて親を殺してしまう子も、一個の人間なのだ。長生きして欲しい気持ちと介護に疲れてやめたくなる(=早く死んで欲しいと思う)ことはおそらく普通に両立する。

 どのケースが人間の「具体的」現実かなど決定できるわけがないし、それが複数的で決定不可能であることが具体性なのではないだろうか。実際介護が大きな負担になっている家族はあるし、将来的に介護を不安に思っている若者も多いだろう。だから「この超高齢社会で安楽死や延命治療の議論は避けては通れない」と言う古市の指摘そのものは、普通に正しい。果たして、それでも生きたいのが人間であり、それが身体性なのだと言う磯﨑の実存主義的「想像力」はどれほどに「リアリティ」を言い当てたものなのだろうか?

 むろん、この後に続く落合の「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もする」というネオリベきわまる発言に対しては、僕も磯﨑同様「この想像力の欠如!」と言わざるを得ないし、全く同意しない。結局この二人を批判するなら、「お前らは人間の現実を知らない」などという単なるマウンティング以上のクオリティで、彼らの前提そのものを批判しなければならないはずである。

 

 磯﨑憲一郎は、作家としては非常に具体的かつ細密な描写が得意な小説家であり、冒頭に書いたように僕は本当に氏を敬愛している。彼が「具体性・身体性の積み上げである芸術」としての小説を、矜持を持って書いていることも読めばわかる。

 しかし、僕は磯﨑の他の評論を読んだことがないから何も言えないが、彼はこのような「文芸時評」では、度々細かい具体的な論述を読み飛ばし=削ぎ落とし、抽象化をはかってしまう「悪癖」があるのかもしれない。落合と古市の対談が載っている『文學界』での新連載「日本蒙昧前史」も始まったことだから、しばらくは小説に専念していただくのがよいということなのだろう。

 

※ ちなみに東のエッセイが載った『新潮』一月号は、創作大特集と銘打って数多くの新連載をスタートさせている。表紙に書いてある文言は「読むことは、想像力」。またもや「想像力」である。この語はクリシェとして「文学」にまとわりついているようだ。想像力をたくましくさせるのはいいが、問題はその想像力をどう使うかであって、そろそろその使い道を考える時期である。

 

 

追記

二〇日に京都文フリ(@みやこめっせ)発売の『大失敗』創刊号についての紹介を載せておきます。創刊号では、批評家・絓秀実氏の論考「柳田国男戦後民主主義の神話」を収録。

さらには、『新潮』でも『文學界』でもなく『すばる』で、「すばるクリティーク賞」を獲った赤井浩太の文章も載っています(赤井は「大失敗」の運営の一人)。ツイッターも運営中。

daisippai.hatenablog.com

これまでのブログ記事まとめ。

daisippai.hatenablog.com

 

 

 

(文責 - 左藤 青

twitter.com

 

*1:むろんこの「少年少女達」と「大人」の境界は「決定不可能」であろう(そう、これが「ニューアカしぐさ」です)。

【絓秀実氏寄稿決定】『大失敗』創刊号内容紹介

 ※通販始めました

daisippai.hatenablog.com

 

私たちに必要なのは「生きた自由な言葉」なる、ブルジョワの玩具ではないし、私たちがそのようなものを持ちうるはずもない。ここにあるのは、『神曲』の如きカノンによって構成される「不自由な」言葉の敗走であり、陰に陽に永続し続ける階級社会に対する、「たたかうエクリチュール」なのである。(左藤としげのによる「巻頭言」から抜粋) 

 ご無沙汰しております、批評集団「大失敗」です。

 九月に「大失敗」立ち上げて以来、ブログを書いたり色々していたわけですけれども、あまりに創刊号の内容を公開しないので周囲から「本当に出るのか?」と心配されている有様です。この度、二〇一九年一月に刊行する創刊号の内容紹介をしたいと思います。

f:id:daisippai:20181226182433p:plain

  ▲創刊号表紙

 コンテンツは次の通りです。全体としては二つのテーマから成っています。

  • 絓秀実「柳田国男戦後民主主義の神話」(特別寄稿)
  • テーマ①《異化》としての批評
    • 小野まき子「煙草と図鑑 ブレヒト『セチュアンの善人』について」
    • しげのかいり「金井美恵子論 吐き気あるいは野蛮な情熱」
  • テーマ②「昭和の終わり」と「平成の終わり」
    • 赤井浩太「宮台真司の夢 私小説作家から天皇主義者へ」
    • 左藤青「昭和の終わりの『大失敗』 八八年の有頂天から」
    • ディスコゾンビ#104「俺と空手とS−MX 我々は如何にして恋愛資本主義と戦ってきたか?」(コラム)

絓秀実「柳田国男戦後民主主義の神話」(特別寄稿)

 本ブログでも以前取り扱った、批評家・絓秀実氏による論考です。先日(十二月十五日)の京大人文研のシンポジウム「1968年と宗教―全共闘以後の「革命」のゆくえ―」における絓氏のご発表を収録する形になっています。

 絓秀実氏は、一九四九年生まれの文芸評論家です。「六八年の思想」をはじめ、多種多様な哲学的・批評的言説をたくみに用いつつ思想史を解きほぐし、一方で個別具体の政治運動や芸術運動に「フェティシスト的に拘泥」(王寺賢太による表現)する、独自の批評を展開されてきました。

 本論考は、戦後民主主義、そしてその勘所としての天皇制について思想史を整理し、その問題に迫る内容となっています。『アナキスト民俗学』や『増補 革命的な、あまりに革命的な』(特に付論部分)で展開された議論のまとめ、かつ直接的な問題提起として受け止めることができます。

柳田の神学は、その危惧をこえて強力であった。そのことは、東日本大震災以降における今の天皇のパフォーマンスにおいて明らかになったことである。震災以降、全国を巡る天皇夫妻のパフォーマンス、あるいは、それと相即してなされた海外の戦地歴訪は、それがいかに「ヒューマン」なものに見えようとも、「祖先崇拝」=天皇制トーテミズムの再活性化以外のものではないだろう。繰り返すまでもなく、そのような「祖先崇拝」イデオロギーの顕在化とともに、戦後民主主義を守れという声も高まり、天皇をその「象徴」(=トーテム)と見なす言説が、当然のことのように発せられるようになったのである。(「柳田国男戦後民主主義の神話」本文より)

 ここで絓氏が直接的に参照しているのはフロイトのトーテム理論であり、いわば一種の「日本精神分析」になっているわけですが、この論考における議論が個別具体の文学や表象の問題に直結していることは間違いありません(もちろん「表象の問題」とは「表現の自由」の問題であり、「ポリティカル・コレクトネス」の問題にほかならない)。表象の(再)政治化という私たちの問題意識にとって、絓氏は大きな参照元となりました。

 シンポジウムを聞き逃した方から絓氏の批評に初めて触れる方まで、読み応えのあるものとなっているでしょう。

テーマ①《異化》としての批評

ブレヒトをはじめ、フーコーバディウに至るラディカルな思想家の数々が主張してきたように、社会の解放を目指す政治はつねに「自然秩序(あたりまえ)」という体裁を破壊すべきで、必然で不可避と見せられていたことをただの偶然として明かしていくと同様に、不可能と思われたことを達成可能であると見せなければならない。現時点で現実的と呼ばれるものも、かつては「不可能」と呼ばれていたことをここで思い出してみよう。〔…〕(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』*1

ある出来事ないしは性格を異化するというのは、簡単にいって、まずその出来事ないしは性格から当然なもの、既知のもの、明白なものを取り去って、それに対する驚きや好奇心をつくりだすことである。〔…〕異化するというのは、だから、歴史化するということであり、つまり諸々の出来事や人物を、歴史的なものとして、移り変わるものとして表現することである(ベルトルト・ブレヒト「実験的演劇について」*2) 

 「異化効果」はブレヒトによって(そしてロシア・フォルマニズムではシクロフスキーによって)提唱されました。「異化」とは何でしょうか。

 このように問うてしまうと、たちどころに「異化」は空虚なものになるでしょう。あるものをあるものに変えると言っても、何をどのように変えて、どうするのか、《異化》という言葉には何も書き込まれていません。それは端的に歴史に左右されるからであり、《異化》は「誤配」と同じく事後的にしか確認できないからです。言い換えればそれは、「〜とは何か」という問いに答えうるような一つの「理論」ではありません。

 それはあくまで実践であり、行為であり、効果です。それは奇妙なほど「不安定」なひとつの出来事だと言えます。ともすれば、他人を不快にさえさせれば《異化》であるというような安易さにすら結びつくでしょう。

 これは批評も同じく、それは積極的に定義を持つものではありません。もちろんあるコンテクストの中で批評の役割を確定することは普通に可能ですが、とはいえ、批評の本質であり批評の存在について問う(「〜とは何か」)ことはできないのではないでしょうか。批評は一個の自立したコンテンツではなく、したがって、またひとつの効果でしかありませんでした。批評もまた「不安定」です。

 ブレヒトアリストテレスの演劇論に対抗していました。それは観客を登場人物、物語に感情移入=同化させる理論だからです。《異化》という実践は、感情移入を拒みます。なぜなら、《異化》は世界の見え方をがらっと変えてしまう、言い換えれば、観客のそれまでの世界観を「疎外」するからです(しかし実は、もしかしたら昔のえらい人はこれを「啓蒙」と呼んだのかもしれません。あるいは最近では「ダーク・エンライトメント」と)。

 このようにして既存の価値基準を「同じもの」でありながら「同一ではない」ものに変化させる効果こそ、《異化》と呼ばれたのでした。ところで、いま「批評」と呼ばれるものはそうした不快さや不安定さを持っているでしょうか。このことについてはすでに別の場所でも触れましたが(哄笑批評宣言)、この答えは宙吊りのままにしておきましょう。

 しかし、もし〈同〉化が必然であるとしたら、《異化》はそれほど簡単ではありません。そのような中で、いかにして〈同〉という〈主〉を《異化》すべきでしょうか。

 そのような観点から次の二つの論考を収録いたしました。

小野まき子「煙草と図鑑 ブレヒト『セチュアンの善人』について」

二〇一八年はブレヒトの当たり年であった。(「煙草と図鑑」本文より)

 ブレヒトの戯曲『セチュアンの善人』は、「善人であれ、しかも生きよ」というテーゼで知られています。この戯曲の中では、神々によって要請される「善人である」ことと、一方で一個の人間として「生きる」ことが、常に矛盾した形で展開されていくのでした。

沈徳〔シェン・テ〕 (不安でいっぱいになって)でも自信がないんです、神様。こんなに物価が高くて、どうして善人でいられるでしょう?

神二 悪いがそれはわしらには手のつけようがない。経済の問題にはかかわれんのでな。(ブレヒト「セチュアンの善人」*3

 娼婦であったシェン・テは、セチュアンの町を訪れた神を家に泊めてやり、神からの礼で煙草屋を営み始めるのでした。%2%同時にシェン・テは、神から「善人」であるよう命を受けます。しかし劇内では、この「善人であること」と「生きること」は、絶えず「弁証法的」な対立を含むものとして表現されていきます。つまりシェン・テは、道徳と労働の間で——上部構造と下部構造のあいだで——引き裂かれていくのです。

 この分裂は具体的に描写されます。善人であるがゆえに他者に施しを与えてしまい、貧乏になっていくシェン・テは、資本の原理に則り、自己のために他者を排斥することのできるシュイ・タを「従兄弟」として作り出し、一人二役を演じることで、なんとかそれを両立しようとするのです。

 小野の論考では、この戯曲における「煙草」というモチーフに着目することで、物語を貫通する「弁証法的」構造を解釈していきます。煙草はもちろん、単に劇中に登場する象徴・表象に止まるものではありません。煙草は公共空間にとっては、他人の権利を侵害する「悪」として排斥されるものでした。

このことは当然、近代都市の群衆の問題として理解されるべきであろう。交換価値の支配する大都市の群衆は、彼ら自身が名もなき社会の成員=労働者であり、清潔に管理されるべき商品なのだ。(「煙草と図鑑」本文より)

 このように資本主義や都市空間へのブレヒトの鮮烈な問題意識を明らかにしていく小野の論考ですが、議論の後半では、「当たり年」であったとされる(例えば:『東京芸術祭』は現代の人々に生じる分断を解消する「お祭り」 - インタビュー : CINRA.NET)二〇一八年のブレヒトの用いられ方に対し、スーザン・ソンタグベンヤミン中平卓馬の写真論などの材料を使いつつ、批判的な考察を展開します。ブレヒトは度々「アクチュアル」な作家とされています。しかし、仮にそうだとしたら、その「アクチュアル」さはどのように担保されているのでしょうか。また現代の作家たちは、劇場という空間の中でどのようにして観客を扱っているのでしょうか。小野まき子の論考です。

都市の人間について何ごとかを語れる重要な詩人は、たぶんブレヒトが最初である。(ヴァルター・ベンヤミンブレヒトの詩への注釈」、*4

しげのかいり「金井美恵子論 吐き気あるいは野蛮な情熱」

さしあたっての問題は書くことのはじまりと同時にやってくる。なぜならばわたしたちは書くことを原点とすることによってしか、作品のはじまりという文学創造の原理へ到達することが出来ないからである。(金井美恵子「書くことのはじまりにむかって」*5

吐き気がするほどロマンチックだぜ/お前は(ロマンチスト - The Stalin

 金井美恵子は一九四七年生まれの小説家・詩人・批評家です。ヌーヴォー・ロマンに影響を受けた、長くうねるような文体や、批評家や小説家を皮肉るエッセーで知られる金井ですが、しげのかいりの論考では、金井の初期小説作品における「書くこと」が分析されます。

 しげのによれば、金井の「書くこと」は初期作品から執拗に繰り返される《私》と《あなた》の構造のうちで、極めて奇矯な自己撞着的構造を持っています。ここでの分析では、「書く」行為は、「読む」ことで摂取した=食べたものを「吐くこと」であり、エクリチュールは一個の吐瀉物なのです。

金井美恵子にとって「書くこと」とは、「読むこと」によって必然的に催す「吐き気」である。作家・金井美恵子は、書くことの動機として主体的な意志を必要としない。「書くこと」は「読むこと」によって突き上がってくる「吐き気」によって作られるにすぎないからである。(「金井美恵子論」本文より) 

 論考後半では、メニングハウス『吐き気』などを手掛かりに、「吐き気」をめぐる美/醜の問題に考察が及びます。「吐き気」は、美学的には、そして政治的にはどのように扱われるべきでしょうか。ここから見出される「不純なスターリン主義」とは何でしょうか。「吐き気がするほどロマンチック」(ザ・スターリン)な、しげのかいりによる金井美恵子論です。

テーマ②「昭和の終わり」と「平成の終わり」

 「昭和」から「平成」へ、かつてあったはずのあの切断についても、これから生じることになるあの切断についても、それ自体ひとつの「配列」以外のなにものでもないことが意識されなければならない。この視座からすれば、たとえば「平成生まれ」のような共同性に根ざして特定の出来事や対象を扱うことは、もはや「制度」に対し現状追認的である、と言わなければならなくなる。(左藤「昭和の終わりの『大失敗』」より)

一九四五年以後、この国には「戦前」と「戦後」という区別が存在する。これは「敗戦」を契機とするとはいえ、やはり「神」であった天皇が「人間」になってからの時間的思考だ。だから、ぼくたちが生きているこの日本社会には、いまでも「天皇制」の時間が流れていると言えるだろう。(赤井「宮台真司の夢」より)  

 『近代日本の批評』(柄谷行人編)『現代日本の批評』(東浩紀編)を見れば分かる通り、批評はときに時代を語ってきました。たとえば『現代日本の批評』は、座談会を七五年から八九年、八九年から〇一年で区分しています。そのことは、市川真人による基調報告「一九八九年の地殻変動」を見れば明らかです。もちろんこの「地殻変動」は「冷戦終結」でもあり、また様々な業界(音楽、ゲーム、お笑い、etc.)にとってもある種の変わり目であったわけですが、これらの「変わり目」がそのまま「昭和の終わり」/「平成の始まり」に(つまり昭和天皇崩御に)重なっていることは偶然でしょうか。

 『大失敗』が刊行される二〇一九年は、平成最後の年です。この平成最後の年に直面して、日本では再度「象徴天皇制」のある不思議さが露わになるとともに、「平成」とはなんだったのかという問いや、平成の出来事を回顧する言説も多く見られるようになりました。二〇一九年になればそれはさらに増えていくでしょう。二〇一九年はひとつの「区切り」や「変わり目」として認識されており、ひょっとしたらのちに「地殻変動」と呼ばれるのかもしれません。

 さてそのような「変動」をいま迎えようとしている、この切迫にある私たちは、〈いま・ここ〉の多様なアクチュアリティを語るのではなく元号という時間をめぐる言説・表象についていま一度考えてみたいと思います。そのことは、〈アクチュアリティ〉という言葉の新しさが消去するであろう、ある「持続」を暴露するのかもしれません。

赤井浩太「宮台真司の夢 私小説作家から天皇主義者へ」

 宮台真司はこうして一時はリベラル知識人の代表格と目されるようになるのだが、彼がその手口の裏側で温存したのが「天皇制」であったことは、反リベラルを自称する現在の彼を見れば明らかである。しかし、今もう一つあらためて明らかにされねばならないことは、彼がデビュー当初から現在まで一貫して「私小説作家」であったということだ。(「宮台真司の夢」本文より)

 昭和の終わり=平成のはじまりにデビューした社会学者・宮台真司は、九十年代を通じてある種のヒーローでした。システム理論という社会学的分析を武器に世相を斬り、様々な言説を論破していくパフォーマンスによって、「批評の社会学化」(「社会学の批評化」)を成し遂げた「リベラル知識人」宮台真司ですが、近年の彼がリベラルを批判し、「天皇主義者」を自称していることはよく知られています。

 赤井の論考では、そのように社会学的分析が反リベラル・「天皇主義」へと傾いていく様を、宮台の分析手法そのものが要請するものとして、つまり宮台の秘された内在的スタイルの問題として批評します。赤井によれば、宮台真司社会学者などではなく、「私小説」作家でありました。

つまり、彼は世界の「歴史」よりも私の「夢」を生きたかったのである。ただ、その志向を「社会」に投影したという一点において、彼は社会学を隠れ蓑にした私小説作家であった。(「宮台真司の夢」本文より)

 そのような「天皇主義」の問題とはなんでしょうか。そして、その問題を超えて思考するためにどうすればいいのでしょうか。そのような問題意識から出発し、宮台真司に対する痛烈な批判=ディスを含む、「批評界のMC」赤井浩太の論考です。

——仕方ねぇからシンジくんに見せてやるよ、マジもんの批評ハーコーアジビラスタイルってやつを。そして読者の皆様、大変長らくお待たせいたしました。ここからは白黒ならぬ赤白の決着をつけるショー・ビジネスでございます。不肖のわたくし、「大失敗」の鉄砲玉でありますが、打たれても出る杭、叩かれても出るモグラ、それでもドグマを説くのは、本邦まるで省みられることのないのルンペンの皆様のためであります。サァサァ、おあにいさん、おあねえさん、いらっしゃい、いらっしゃい! 退屈はさせないよ!(「宮台真司の夢」本文より)

左藤青「昭和の終わりの『大失敗』 八八年の有頂天から」

セックス・ピストルズが象徴した七〇年第後半の反体制=「パンク・ロック」は、実際非常に「ポップ」だったわけだが、そのポップさが単なるスタイルへと形骸化し、ひねくれた都会人のファッションになったものが「ニューウェイヴ」なのだ。パンクは「ロックは死んだ」と宣言した。ニューウェイヴは「すべてはコピーである」とあざ笑う。しかし、パンク/ニューウェイヴどちらにせよ、音楽だけではなく、ある種の態度決定にまつわる、雑に言えば「実存」にまつわる「運動」だったことは確かだ。それはものの見方を規定し、社会に接する態度を規定したのだ。(「昭和の終わりの『大失敗』」本文より)

  かねて「大失敗」は「ニューウェイヴ」を標榜してきました。しかし「ニューウェイヴ」とはなんでしょうか。それは確かに一つの音楽のスタイルです。XTCDEVO、一時期のYMOなどに代表させられるような軽薄短小なスタイル、「スカスカ」な音……けれどもそうした音楽たちは、その時代においては、ある「実存」に関するものでした。

 ここで左藤が着目するのは、そうしたニューウェイヴ・スタイルのある種の臨界点としての「ナゴム・レコード」です。ナゴムは、日本でも最初期(一九八三年)に創設されたインディーズ・レーベルです。

 ケラ(現在のケラリーノ・サンドロヴィッチ)が代表となった「ナゴム」には、筋肉少女帯電気グルーヴといったバンド、そしてもちろん大槻ケンヂピエール瀧といった「サブカル人」を輩出しました。「ナゴム」は、演劇、文筆、俳優、など音楽にとどまらない才能が集う場所であったわけですが、その実、非常にくだらないものでした。

www.youtube.com

(「人生」は電気グルーヴの前身)

 この「ナゴム」のしょうもなさを批評の問題として引き受けることを考えつつ、ここで左藤はとりわけ、ケラ率いるニューウェイヴ・バンド「有頂天」の一九八八年のアルバム『G∩N』(ガン)を批評します。

 最近(おそらくは演劇の業績で)紫綬褒章を受章したケラリーノ・サンドロヴィッチは、八八年の昭和天皇吐血と「自粛」ムード(浅田彰はこれを指して「土人」と揶揄した)のなかで、次のように歌っていました。

王様はキトク/今に塔も折れる

あった国にあったボク/あったボクら

「ブチコワセ」なんてコトバ/ブチコワして

今日もアソコへ行こう(有頂天 - Sの終わり)

 この「Sの終わり」は「昭和の終わり」です。『G∩N』(=癌)では、他の楽曲でも、この「危篤」、「病」のイメージが頻出し、昭和天皇崩御を存分にネタにしていきます。この意味では、彼らの音楽は一種の「不敬」音楽でした。

 「大失敗」の名前の元ネタとなった楽曲「大失敗’85」も含むアルバム『G∩N』を通じて、表象の(無)意味と元号を考える、左藤青の論考です。

ディスコゾンビ#104「俺と空手とS−MX 我々は如何にして恋愛資本主義と戦ってきたか?」(コラム)

モテ/非モテという対立軸があった。(「俺と空手とS−MX」本文より)

 「昭和の終わり」と「平成の終わり」を生き抜く漫画家・ディスコゾンビ#104氏によるコラムです。八〇年代から今までを支配する「モテ−非モテ構造」(恋愛資本主義)を記述するこの文章では、多種多様な商品・広告・コンテンツが現れては消えていきます。そうしたコンテンツたちは、男の承認欲求を満たそうとする「商法」として整理され、その商法と非モテたちの「戦記」が描かれるのです。

究極の社会的弱者K.K.O.非モテらによる一斉武装決起によりSNS、とりわけツイッターは阿鼻叫喚の地獄と化した!(「俺と空手とS−MX」本文より)

  ある意味もっとも「アクチュアル」なこのコラムは、「昭和の終わり」から「平成の終わり」にかけての歴史を語るものとして重要な役割を果たしています。S-MXという「恋愛仕様」車を頂点とする恋愛資本主義に男たちはどのように立ち向かうのでしょうか。ディスコゾンビ#104による論考です。

 

*1:マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』、セバスチャン・ブロイ、河南瑠莉訳、堀内出版、二〇一八年、五〇頁。

*2:『今日の世界は演劇によって再現できるか ブレヒト演劇論集』所収。千田是也訳、白水社、一九六二年、一二三、一二四頁。

*3:ベルトルト・ブレヒト「セチュアンの善人」『ブレヒト戯曲全集第5巻』所収。岩淵達治訳、未來社、一九九九年。岩淵訳では「ゼチュアンの善人」。

*4:ボードレール 他五篇』三〇二頁

*5:金井美恵子「書くことの始まりにむかって」、『金井美恵子エッセイ・コレクション{1964–2013}1 夜になっても遊びつづけろ』所収(平凡社、二〇一三年)、三〇頁。

続きを読む

角田光代『空中庭園』を読む(後編)

 (前編) 

daisippai.hatenablog.com

郊外、この光あふれる空間

 前半で見てきましたように、この小説『空中庭園』は作者である角田光代の意図を超えて空間の近代性そのものを問題化しています。それは言い換えれば、日本の住宅空間がきわめて形式的/機能的に近代化=西洋化したことを意味し、また日本的な空間の性質というものを半ば喪失したということも意味するでしょう。仮に前者を「明るさ」や「透明」といった言葉で表現するなら、その逆は「暗さ」や「影」といった性質であるわけですから、空間における「日本的な性質」は後者の側にあったのではないでしょうか。

 そのように仮定して考えてみますと、たとえば「美」の探究者である谷崎潤一郎が、『痴人の愛』(一九二四)に見られるような軽薄な西洋趣味から一転し、いわゆる「古典回帰」の時期に書いた『陰翳礼讃』(一九三九)では、やはり「暗さ」や「影」に重きが置かれています。

われらは落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを塡めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。思うに西洋人の云う「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ不気味な静かさを指すのであろう。〔…〕その神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている蔭を追い除けてしまったら、忽焉としてのその床の間はたゝの空白に帰するのである。われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる絵画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』)*1

 谷崎はこのように「陰翳の世界」という美学を特権化するわけでありますが、わたくしたちには「東洋の神秘」や「陰翳の魔法」と言われても、正直なところよく分かりません。例えば「古民家」や「茶室」といった日本的な空間は、むしろわたくしたちにとってはエキゾチックな印象を与えるでしょう。それにもかかわらず、なにかもっともらしく「これが落ち着く」とか「これが自然だ」などと言うのは愚かしい欺瞞でしかありません。

 わたくしたちが最も落ち着く場所、それはむしろ「陰翳の魔法」が解けてしまった場所ではないでしょうか。つまり、ただの空白、それも澄ました顔に塗りつけられたような化粧としての白ではなく、本当にどうでもいいような白さ、何かの問題を惹起するような自己主張をもたない白さ、そういった空白の空間です。

 この空間は、具体的な文化の質から自由になった無限の空間だと思います。すなわち、平等かつ均質に切り取った非-目的の空間、もしくは多目的にひらかれた空間、それこそが団地の、あるいはオフィスビルディングなどの実際の姿ではないでしょうか。だから、例えば一見してアパートに見える建物がじつは収納倉庫であったり、もしくは建物それ自体がスクラップ&ビルドされたとしても、何の変りもなく見えてくるのでありましょう。

 そのようなわけで、団地の居住空間は文化的な固有性から自由になり平等化された空間それ自体を実質としています。この建築様式が日本において一般化されたのは、個人の自由と平等を掲げた戦後民主主義が日本人の心理に浸透していく過程と同時期でありました。この「戦後民主主義」と「団地」を結び付けて考えるとき、たとえば原武史が指摘しているように、暮らしの在りようはアメリカ型であっても、労働者住宅に酷似するこの団地という建築様式そのものは「標準設計制度を指向した点で、同時代のソ連と共通していた。実際に公団は職員を国交が回復して間もないソ連に派遣させ、団地建設の模様を視察させてい」*2たわけですから、日本の団地暮らしに「ハコとしてのソ連」という要素があったことを踏まえねばなりません。

 ここで『空中庭園』の「ダンチ」に戻ってみますと、やはりそこには「落懸」や「花活」や「違い棚」といった伝統的文化から自由になり、そしてしばしば倫理を代行するようにさえ思える「東洋の神秘」という美学的な特権性をも剥奪した、平等で透明な空間が現れていることが分かります。すなわち、谷崎が言うような「われらの祖先」といった内的な時間によって担保される空間ではなく、「外からも見えて心を癒さなければいけない」とされるベランダの鉢植え、空中に浮かぶ一見して華やかな庭園が、ここでは問題として浮上してくるでしょう。このような「ダンチ」の空間には、絵里子の自意識を形成する要因でもあった「外からの視線」がミクロな権力として遍在し作用していることが分かります。

あの時期〔フランス革命以前から〕しばしば求められたあの「世論」の支配、それは直接で集団的で無名の一種の視線によって物が知られ、人が見られるだろうという、その事実によって権力が行使されうるような一つの働き方なのです。世論を主たる原動力とするような権力には、陰の地帯を許容することはできないでしょう。ベンサムの企図が人の関心を誘ったのは、それが多くの異なる領域に適用できるものとして、「透明による」権力の方式、「光をあてる」ことによって服従させる方式を与えてくれたからです。一望監視装置とは、「城館」の形態(壁に囲まれた天守閣)を若干利用して逆説的に細部にわたって読みとれる空間を造り出すことだったのです。(ミシェル・フーコー「権力の眼」)*3

 現代における「政治と空間」という問題圏のなかでは、やはりミシェル・フーコーを避けて通ることはできないわけでありますが、とはいえ「監視」と聞くや否や、そらきた「パノプティコン」だ、やれ「規律=訓練」だと、たしかにそのとおりではあるものの、しかしまるで試験問題かのように即答するその態度は、本来的な意味での哲学や批評といった営為からはあまりにも遠いものだと言わざるをえません。だから、一問一答式の回答をするのではなく、近代の空間について思考するときに起点となる要素をフーコーから導き出すとするのならば、それは「光」なのです。

 ミシェル・フーコーが喝破したこの近代空間の論理は、前編でも参照した批評家・秋山駿の「千篇一律の光景」や角田の『空中庭園』の風景を裏書きしています。この空間とは「光をあてる」という条件によって可能になる権力空間であり、「見られる」ことはそれなしにはありえないわけですから、「世論」という名の大衆の専制は、「光の専制政治」と言いかえることができます。すなわち、全ての人びとが全ての人びとに対して、後ろめたい陰、つまり「秘密」はないとして「服従する」のです。だから、秋山は団地居住者のことを「社会に対して秘密を抱くことのもっとも寡い新しい種族の一群」と書いたのかもしれません。

 『空中庭園』の世界における「外からも見えて心を癒さなければいけない」ベランダは、フーコーがあらゆる建造物に見出した「一望監視装置」の構造を内面化した空間と言えます。つまり、家庭の内部という独立性が消失することを前提にしたうえで戦略的・意識的に「光」をあてさせるということ、それは換言すれば、演じられた空間であります。こうした意識空間、すなわち前述の空間化した絵里子の自意識は、無数のまなざしに対して、あるいは外部の「ルール」に対して、強迫観念に駆られるがごとく自身を透明にしていきます。家庭の隅々まで「光かがやく」ように、自分たちが「明るく善なるもの」であるように。

 さて、このように分析できてしまう『空中庭園』でありますが、わたくしはいささかつまらないことをしたと反省しています。というのも、フーコーの図式であるところの微視的権力の遍在、それによって自分たちの日常生活が規定されているとして、そこから何が見えてくるかと言えば、外在的な構造による非-人間の世界しか見ることができないからです。もし具体的な日常生活という観点から、実体的存在である人間の姿や経験を論じてみようということであれば、ここからは別の方法を採らねばならないでしょう。

 では、別の方法とはいったい何でしょうか。『空中庭園』の世界にそって言うならば、それは母・絵里子の自意識ではなく、娘のマナや息子のコウの身体性をとおして郊外を知覚することです。この子どもの視点は、絵里子の勘違いであるところの「子どもは素直である」という思い込みに対して、じつのところまったく素直ではなく、いやある意味では「素直すぎる」と言っていいリアリストのそれでありましょう。

 たとえば、絵里子が自分の家をいつまでも「光かがやく新しい未来」の場所だと思っているのに対して、マナは「ダンチはのっぺりしていて、外壁がずいぶん汚れている。巨大なのに、どことなくみずぼらしい」と感じています。時間の経過を把握しているこの素朴な感想はニュータウンがもはやNewではないことを理解しています。ただ一方で、郊外の風景に対する弟・コウの直観は、マナの理解よりもはるかに身体性に依拠していて示唆的と言えるのではないでしょうか。

建ち並ぶ高層アパートの、ほとんどすべての窓は南を向いている。〔…〕南には全面窓、北には全面ドア。その眺めは、なんていうか、ものすごくみにくい。グロテスクだとも思う。すべて等しい大きさの窓が、すべて等しい角度で南を向いていれば、それぞれに等しく光が射し込むと、設計者は考えたのだろうか。〔…〕もしくはただ単純に、光があふれれば平和になる――少なくとも平和そうに見えるという、単純な理由からだろうか。(角田光代空中庭園』)*4

 コウの批評は設計主義批判そのものと言えます。ここでは同一の方向、等質の規格、そうした建築様式を志向させる「光」が、その専制的な力学によって「平和」という観念に接合されます。そのような世界観に対して、「ものすごくみにくい」「グロテスク」だと評するコウの態度はきわめて身体的な把握の仕方であります。

 ここで言うグロテスクな平和とはどのような事態を意味するのでしょうか。それはコウによれば「ぼくんちの、あの重苦しい決意みたいなもの。チェーンソーを手にした殺人鬼の姿が見えたとしても、絶対にそちらを見ないような意志」としての「平和」です。そのような「平和」が「光」によって可能になるというのであれば、やはりここでも「光」は世界に必ず存在する邪悪さを隠蔽する欺瞞的なものとして現れていることが分かります。だから、「平和」をもたらすとされる「光」を重要視する建築思想に対して、コウは「グロテスク」で「重苦しい」と考えているのです。

 「平和」を強要する「光の専制政治」に対して、母・絵里子は自意識を家庭に反映させて演技的なものとして空間化し、無数のまなざしを受け容れるわけですが、一方でコウは自分の身体に依拠して、反抗的な行動まではしなくとも心の裡では抵抗しています。それはどのような抵抗かと言えば、次のようなセリフが象徴的でありましょう。 

もし童貞だったらこういうもの〔学校でのいじめや同調圧力、家族のモットー〕に、気持ちの上でどんなふうに対抗できたろう。きっと、できなかったんじゃないかな。押しつぶされていたんじゃないかな。マナ姉の安っぽい想像どおり、部屋に閉じこもって出なくなっていたかもしれないし、家の空気をかきまわすために非平和的な行為に走ったかもしれない。(『空中庭園』) *5

 コウの「童貞」に対する裏返しの信仰を嘲笑することは容易く、また一般的に考えればそれは歪んだ自己肯定とも言えるわけですが、しかし、中学三年生の地味でおとなしいコウにとって自分が非童貞であるということは、他の男子と比較してどうこうということではなく、自分を否定してくるあらゆる暴力に抵抗するための心理的防壁として機能しています。それは一体どのようなことなのでしょうか。ここでは同心円状にひろがる自己の内側にしか存在しない他の男子ではなく、他者の身体を導入することが重要になります。

 コウは同じ「ダンチ」に住む一歳年上のミソノと共に童貞・処女を捨てるわけですが、しかし二人は「おたがいに愛しあっていたからじゃなくて、似たような切実さで体験を求めていた」のでした。童貞や処女を捨てる以前の二人の切実さとは何か、それは小説のなかで具体的に説明されているわけではありません。しかし、ミソノのことを「ブス」だと思っているコウは、自分が学校社会に馴染めない人間であることを自覚していて、それでもミソノは「あの広大な学校でぼくと口をきいてくれる唯一の人間」なのです。他方で、ミソノもまたコウに「自分の前世」を語り聞かせるというなかなかの人物であります。

 このことから見えてくる「切実さ」とは何でしょうか。それは理想の自分を他者に投影する関係、すなわち離れつつも内閉した関係ではなく、むしろ「疎外された者」あるいは「中二病患者」という意味で、すでに二人は同調圧力のつよい学校社会においては近似している者同士の関係です。だから「似たような切実さ」とはそういった意味合いにおいてであり、そうであるがゆえにコウとミソノは、性交という身体的方法を用いて他者とはちがう存在としての自己を獲得したのだとわたくしは思います。 

郊外、この覆い尽くす空間

 このようにしてコウは郊外社会を生きているわけですが、ある日、入院した祖母を見舞うために、コウは病院へ行きます。そこの廊下から見える景色、そして他の二か所の高所から見える景色を総括して、コウは次のように感じたのでした。

ディスカバリー・センター〔ショッピングモール〕と、病院と、自分の家〔ダンチ〕、それぞれから外を眺めていると、ぼくは自分が神さまになったような気分になる。それは全能感だとか多幸感とかでは全然なくて、京橋一家全員の、いや、ミソノや北野先生や、この町に住む全員の、決定された行動範囲を見まわっている気分だ。そこからだれも脱走などしないよう。きちんと線の内側におさまっているよう。ささやかな毎日をひたすらくりかえしていくように。神さまってのが実際こんな立場なんだとしたら、神さまというはずいぶんみじめな気分のものなんだな。(『空中庭園』)*6

 「神さま」の視点を獲得したコウは、実は近代的視座を得たと言い換えることができます。なぜなら、前近代の都市が中心的な建造物を起点にして秩序付けられる象徴空間として把握されていたのに対して、近代都市の最終的な所産であるところの郊外は、中心がなく全てが等質なように、幾何学的で抽象的な図像としてしか視えないからです。そこからコウは「町に住む全員」を見渡して、「線の内側」に郊外を見るわけですが、しかし実際はこの町に限らず全ての郊外が「外部なき内側」と言えるでしょう。

 とはいえ、そのようなコウが示唆するのは「視点」の問題だけではなく、むしろ重要なことはこの郊外の「空間」と「時間」であります。これらをコウは「決定された行動範囲」と「ささやかな毎日をひたすらくりかしていく」と表現していますが、この言葉が直観的であるにせよ、都市社会の構造として考えてみてもやはり正しいのではないでしょうか。ここでは近代都市に対するアンリ・ルフェーヴルの考察が適切な補助線として利用できますので、その部分を引用してみます。

居住の側では、日常生活の裁断や調整、自動車(《私的》交通手段)の厖大な止揚、移動性(制動されてもいて、不十分な)、マスメディアの影響などが、諸個人や諸集団(家族、組織体)を風景や国土から切り離した。近隣は姿がうすれ、地区は崩壊する。人々(住民たち)は、場所や瞬間の質的相違がもはや重要性を持たないところの、指示や合図でいっぱいの幾何学的同域へとむかう傾向をもった空間のなかを移動する。(アンリ・ルフェーヴル『都市への権利』)*7

 またルフェーヴルは別のところでこのようにも書いています。「まさに完全な日常性、諸々の機能、処方、融通のきかない時間割などといったものが、この居住地のなかにおいて記入され意義づけられるのである」*8と。ここでコウの見解とルフェーヴルの指摘はほとんど合致していることが分かるでしょう。ひたすら繰り返される「ささやかな毎日」とは、「完全な日常性」「融通のきかない時間割」であり、「線の内側」にある「決定された行動範囲」とは、「指示や合図でいっぱいの幾何学的同域」として考えることができます。

 では、このことを前提に『空中庭園』の「時間」と「空間」を検討してみましょう。ここからはふだん何気なくすごしている日常生活についての意識的な理解がわたくしたちの方に求められます。

 まず郊外におけるささやかな毎日=日常は、なぜひたすら繰り返され、また融通のきかない時間割として存在するのでしょうか。『空中庭園』の世界では、何度も「バス」や「電車」が出てきて、絵里子をショッピングモールや実家やバイト先まで運び、マナやコウを学校やラブホテル(「ホテル野猿」)まで送ったりします。そこから考えるに、この小説世界の郊外では、住民が団地からあらゆる場所へ行くにしては、たとえば自転車では遠すぎることが暗示されているとは言えないでしょうか。言い換えれば、この郊外は居住地だけが孤立している閉鎖的な空間なのです。

 例えば東京の多摩ニュータウンはそうした場所でしょう。いくつかの小高い丘を覆うように団地やマンションが林立し、その網目を縫うようにバスが巡回して、最後は駅や商業施設へと到着します。こうした環境が意味するところは、住民の行動範囲や行先がバスをはじめとした交通機関によって規定される計画された閉鎖-循環的な空間であるということです。ルフェーヴルは次のように書いています。

表象の空間でありテクノクラートの空間であるこの道具的な空間は、実際の社会的空間ではない。道具的である限り、空間は収縮し、閉鎖し、反復的なものと認知ずみのシニフィアン以外の何ものをも認めない傾向にある。(ルフェーヴル『空間と政治』)*9

 『空中庭園』の世界に置き換えて言うならば、ディスカバリー・センター(ショッピング・モール)と、ダンチ(「グランドアーバンメゾン」)とのあいだを、バスは時刻表に従って何度も往復します。この時間が、例えば絵里子の日常を「融通のきかない」ものとして支配し、それを裏返せば、絵里子の「時間割」は絵里子の予定ではなくバス会社の予定によって規定されていると言えましょう。こうした時間の支配は、ルフェーヴルの言う「制動されていて、不十分な」移動性そのものでもあります。しかし絵里子はこの時間割によって提供される場所、すなわちショッピングセンターによって生かされているのです。実家の母の相手をさせられることにウンザリしていた絵里子は、「ディスカバリー・センター」のことを「私を私の殺意から救ってくれたのは、時間でもなく家族でもなく、その郊外型ショッピングセンターだった」*10と考えています。すなわち、ショッピングセンターは住民にとって解放の場になりえているのですが、しかしマナと同級生の森崎は、この空間設計の狡知を見抜いています。

ディスカバリー・センターは、この町のトウキョウであり、この町のディズニーランドであり、この町の飛行場であり外国であり、更生施設であり職業安定所である。

でもな、ひょっとしたら、ディスカバリー・センターはおれたちを救ったんじゃなく、ここに閉じこめてしまっただけなのかもな、と森崎くんは言う。そういうことを考えると、爆弾をつくりたくなるのだそうだ。*11

 ルフェーヴルを引用した箇所ですでに確認したように、商業地区と住居地区によって完結した「小トウキョウ」である郊外は、つねに人々を反復−循環させるような閉鎖的構造になっています。この「決定された行動範囲」には、住民の生々しい殺意をも、夢のような消費によって解放=救済する装置すら内蔵されているのです。前半の論で書いた「出口のない郊外」とは、このような意味でもあります。

 他方で、同級生の森崎はその構造を理解したうえで「爆弾をつくりたくなる」と言います。実はこの森崎の心境は、徹底したニヒリストである秋山駿と、さほど遠い距離にあるわけではありません。森崎は、企業資本の投資とその配分の上に成立し管理された郊外的空間、そしてその空間に記入された意味や記号によって住民を飼い慣らしていく郊外社会に風穴を空けようとしているのではないでしょうか。他方で、秋山はその爆弾を自己自身へと向けて、「否定」という「創造的な虚無」に「私」を見出します。

この自己、あるいは、私という存在は、一つの否定の意識とともに在る奇妙な存在ではないか、と思われてくる。何の否定か。現実的に生活しつつある人間、あるいは社会的に生存しつつある人間についての、否定である。私とは何か、と問うとき、これまでまったく疑いを容れぬほど明らかだった生活の流れ、社会的な生存の意識の流れが、ぷつりと中断され、すべてが不可解なものとなり、何も知らぬ者になってしまう。そして、眼の前に、絶えず新しい、真っ白なページ状の場面が現れる。したがって、とにかく、何の意味もなく、何処へという当てもなく、すぐ歩き出さなければ、それこそすべてが無になってしまう。だから、この「私」という存在は、一時代前の旧式の言葉で呼んでみると――あの「創造的な虚無」というものと、ほとんど等しい存在ではないか、と私は思う。(秋山駿『舗石の思想』)*12

 秋山の意図は明確でありましょう。すなわち、外界の現実社会に働きかけようとするのではなく、自分の内部を白紙化させ社会から切断することによって「何も知らぬ者」になり、それゆえに「絶えず新しい」場面へと自己を運んでいくことが可能になったのです。だから秋山の自己否定は、社会を変えるための手段としてではなく、自分が「舗石の零度」に位置することのみを目的とした方法ではありますが、しかしそのことによって、日常生活の自明性を相対化できるようになります。言い換えれば、自らの生の社会性を否定し、何でもない「石ころ」になって、水平化された郊外の市民社会とは異なる次元に身を置くことで秋山は批評家になりえたのだと言えるでしょう。

 一方で、同級生・森崎はどうでしょうか。マナによれば森崎は「実際に爆弾をつくれるくらい賢い高校生でない」ということですが、しかし「浮ついてない。地に足がついて」いる家庭で育っています。彼の家にはマナの一家にないものがあります。それは「日向と日陰と、埃と醤油のしみと、テリトリーと無関心」です。

 この区切りのある生活環境と、彼の頭のなかで作られつつある「爆弾」には、どのような関係があるのでしょうか。あるいはこの「爆弾」発言は、いわゆる「中二病」の一種にすぎないのでしょうか。ここで初めのほうに書いた古屋健三による「内向の世代」の定義が有用になります。一市民のふりをしながらも「さながら市井に隠れた犯罪者のような、心と生活とのこの背理が内向の世代のぶきみさ」。すなわち、市井の暮らしのなかで育った森崎は、言ってみれば、埃の被った日陰にある自分のテリトリーで、「内向」の心性を育んだと考えられます。つまり、彼は「爆弾をつくりたくなる」という「秘密」を持っているのです。

 わたくしはここで想像をたくましくしてみたいと思います。もし森崎が何かの偶然で爆弾を手に入れたとしたら、彼はそれをどこに向かって投げるでしょうか。彼は郊外社会の密閉された循環構造を理解していました。それならば、やはりショッピングセンターでしょうか。あるいはダンチでしょうか。もしくはバスを爆発させるでしょうか。わたくしはそのどれでもないと考えます。爆薬の詰まったそれを手にしたとき彼は、きっとこう悟るはずでしょう。郊外でこれを爆発させても何も変わらない、と。まったく無意味である、と。

 なぜなら、もし彼が正確に郊外の空間構造を把握しているのならば、たとえショッピングセンターを爆破したところで、一か月後にはまた同じように復元されていることが容易に想像できるはずだからです。あるいは、より強固で豊かなものとして復活してさえいるかもしれません。歴史的な積み重ねをもつ文化の固有性、それを持たない交換可能な空間にとって、破壊など意味がないと言えます。むしろ破壊=否定されることによって、監視カメラの増設や警備員の増員といったような、より完全に密閉された空間として再生するはずです。そうすることによって、モノと労働力の需要は増え、また絵里子のような善良な消費者も安心して買い物ができるのですから、一石二鳥どころか一石三鳥というわけでありましょう。

 そのうえで森崎が爆弾を使用するならば、例えばこのショッピングセンターを経営する本社ビル、すなわち郊外社会の消費を規定する決定の中心であるところの都市を爆破するでしょう。その行動が、「東アジア反日武装戦線〈狼〉」による三菱重工爆破事件と妙な重なりを見せるのは偶然ではありません。ただその違いは、当時は外側へと向けられていた帝国主義が、現在は内側に向けられているというだけのことです。それは都市が郊外から隔絶した外部であることを意味しません。なぜなら都市もまた、家族単位で大量の消費が行われ、また労働力をも供給するところの郊外に依存しているのですから、資本家と消費者/労働者という主-奴の関係がやはり厳然として存在しています。

 ともかくここから分かることは、わたくしの虚妄としか言いようのない想像によって仮定された森崎と秋山駿が実は同じ心性を持っているということであります。すなわち、両者は「社会を否定する」という一点を同じくして表裏の関係にあるということです。秋山は自己の内部に留まってそれを否定し続けることで内なる社会性をも否定し、一方で森崎は都市へ向かって爆弾を投げることで、その従属‐依存の関係に覆い尽くされた郊外社会を否定しようとするでしょう。

 どちらが善いのか、あるいはどちらも悪いのか、何を基準にしてこの郊外を生きればよいのか。角田光代の『空中庭園』から導き出されたこの問いは、今もなおわたくしを含めた郊外に住む人びとに向かって差し出されています。

 

 

 

(文責 - 赤井浩太

 

f:id:daisippai:20181218191218j:plain

▲ ホテル野猿東京都八王子市大塚ラブホテル2008年頃に改装され、「フェスタリゾート野猿」という名称に変わっている)

 

twitter.com

*1:谷崎潤一郎『陰翳礼讃』中公論新社、一九七五年、三五頁。

*2:原武史団地の空間政治学NHKブックス、二〇一二年、四四頁。

*3:ミシェル・フーコーフーコー・コレクション4 権力・監禁』筑摩書房、二〇〇六年、三八五―三八六頁。

*4:角田光代空中庭園文藝春秋、二〇〇五年、二四五頁。

*5:同上、二二九、二三〇頁。

*6:同上、二四〇頁。

*7:アンリ・ルフェーヴル『都市への権利』筑摩書房、二〇一一年、一一八、一一九頁。

*8:同上、三五頁。

*9:アンリ・ルフェーヴル『空間と政治』晶文社、一九七五年、一四九、一五〇頁。

*10:角田光代空中庭園文藝春秋、二〇〇五年、一〇一頁。

*11:同上、三一頁

*12:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇二年、一九三頁

角田光代『空中庭園』を読む(前編)

f:id:daisippai:20181212224120j:plain

角田光代空中庭園』(2003年)

郊外、この遍在する空間

 酒鬼薔薇事件(一九九七)をはじめとして、「郊外」と呼ばれる社会空間が問題化したのは一九九〇年代でした。またそれと前後するかたちで「郊外」を主題とする書籍や論文や評論がさまざまな領域から出版されてきました。そうして、現在ではある種の一ジャンルといって差し支えないほど郊外にかんする言説の積み重ねが存在しています。

 いまその膨大な言説史をまとめる余裕はありません。ただ、わたくしはみずからが育った場所でもある郊外という空間/場所について、一篇の小説を通して思考してみたいと思います。ところで、それは存在論的な問いでしょうか。しかし、そのように問うには困難がつきまといます。なぜと言うに、郊外とは文化的な固有性を持たない抽象の空間であり、それこそが構成要件となっているからでありましょう。すなわち、そこに「根ざす」ことの不可能性を顕わにし、またどこまでも幾何学的かつ条理的であるという意味で、その交換可能性とともに空虚そのものを体現する近代の実体が、この郊外という空間なのです。

 唐突なようですが、わたくしは旅が好きでして、暇と金さえあれば日本中をうろうろしたい衝動に駆られます。暇と金がなくてもたまらず実家のある東京西郊を出て、地方各地をふらふらしてみますと、いたるところで「見知っている風景」に出会うことができます。たとえば大きな国道、バス停、駐車場、マンション、団地、ファミレス、コンビニ、スーパー、ショッピングモール、ホームセンター、ラブホテル、学習塾や予備校、ドラッグストア、ガソリンスタンド、中古車販売店、街金の看板、パチンコ屋、チェーンの飲食店、ドンキホーテTSUTAYAやGEO、それから駅周辺のちょっとした盛り場。

 さて、このように眺めることのできる平凡なつまらない空間にも、さまざまな人びとが実際に生きているわけですから、この空間が空疎な廃墟のように感じられたとしても、それはやはり外から見る者の傲慢と言うべきでしょう。郊外を内側から見るというということは、換言すれば、このどこか退屈な郊外にその身を曝すという体験に他なりません。そして、その体験を考える上では、やはり文学が必要になるのでしょう。わたくしはそう思い直して、そそくさと自分の実家に帰り、家の近くにあるファミレスで——おかわり自由のコーヒーをすすりつつ——一冊の小説を読もうと思います。

郊外、この日常的な空間

 現代に見ることのできる郊外を文学において初めて主題化したのは、おそらく「内向の世代」と呼ばれる一群の作家たちでありましょう。この世代に含まれるのは、後藤明生黒井千次阿部昭坂上弘古井由吉高井有一、大庭みな子、富岡多恵子などの作家たちですが、古屋健三によれば、こうした「内向の世代」の特徴とは次のようなものでした。

内向の世代とは歴史的に明確に定められた世代であって、それも敗戦時の混乱を柔い感性に刻み込んだ世代を指すことになる。〔…〕この世代のいまひとつの大きな特徴は、その心の傷に特別拘って、戦後社会に適合不能にならず、いかなる混乱のなかでも崩れない日常の営みに縋ったことだという。かれらは荒涼とした心を抱えながらなに喰わぬ顔で小市民的な日常生活を送っていく。さながら市井に隠れた犯罪者のような、心と生活とのこの背理が内向の世代のぶきみさであり、魅力であろう。*1

 鍵となるのは、平穏な「日常生活」であり、そしてその日々を過ごす人びとが抱える「荒涼とした心」です。これに「郊外」というわたくしたちのテーマを引きつけるとき、召喚するのにもっとも適切なのは上に挙げた小説家たちよりも、むしろ小説家に随伴したひとりの批評家・秋山駿であります。

 ここでは秋山駿の批評ともエッセイともつかぬ文章を一冊の小説を読むための補助線にしたいと思います。まず秋山駿という批評家は、現在の若き批評読みたちにはあまり知られていない批評家の一人でありますが、これが少し上の世代になりますと、それはもうよく知られた力のある批評家であったそうです。一九九三年生まれのわたくしはそんなことも知らずに、ただ「郊外のリアリティ」の元素を求めて、『舗石の思想』(一九八〇)をはじめとした秋山駿の著作を読んでいました。というのも、郊外を自明のものとして生きるわたくしたちにも触知可能な風景が、秋山のテクストにはあるように感じたからです。

 まず秋山駿の人生には、古屋健三が言うように「胸を躍らすような物語はなく、砂を噛むような日常が拡がってい」ました*2。これは秋山自身のコンセプトである「人生の評論化」とも深く関係します。すなわち、銃後の戦争という破局——わたくしたちにとっては「震災」や「原発事故」ということになりましょうか——を経た秋山が、自己批評的なスタイルでもって自らの日常的な生を捉えるとき、それは「石ころ」のようなものになるのです。

ノートは、書くために在るのではない、破るために在るのだ、と。人の生もそうに違いない。人の生は、生の物語を書くために在るのではない。むしろ、物語を破るために在るのだ、と。〔…〕戦争は、人間から生の物語を剥ぎ取って宙吊りにしてしまった。そのとき、人間の生存は、なにか一塊の石ころに等しいものになってしまったのである。ただ固く、沈黙する、無意味なものに。ただ物がそこに存在する。仕方なく存在している、というようなものに。そして、不意に亡んでいった。*3

 「日常」と呼ばれるジャンルのさまざまな物語は、わたくしたちの「しんどい」としか言いようのない日常生活からは遠く離れた桃源郷のごときものであるがゆえに、どうしようもなく現実逃避の場となっていることは周知のとおりでありますけれども、他方で秋山駿はこうした人間の生のありようをひとつの石ころにまで還元し、そこからわたくしたちの日常生活を批評します。それはいわば「舗石の零度」とでも言うべき視点、白日の下、すべてがフラットに曝け出される空間、その不気味なほどに低いところにある眼は、今日の郊外社会の断面を切り出してみせるのです。

わたくし達の生のもっとも貴重なものは、その根を、人間的なものの暗闇の深処へと下ろしている。その暗闇とは、秘密の場面である。そして、そういう秘密は、やはり地下室とか、頭蓋骨の内部とか、深く人目からは隠された場処でしか醸成され得ないのである。ところが、われわれ、つまり団地居住者は、それとは違っている。秘密なぞ、ない。秘密の場処なぞ、持ち得ない。いわば、われわれは、社会に対して秘密を抱くことのもっとも寡い新しい種族の一群として、ここに生存しているのである。*4

 団地などの郊外社会では、秘密の何かを行う場所、あるいは何かを隠したり、自分が隠れたりする、そうした深い暗闇の空間は、秋山の指摘通りなかなか見つからないのではないでしょうか。街の空間はどこも区画整理されており、道という道は街灯に明るく照らし出されていて、ドミノのように整然と並ぶ建築群には柵や壁が張り巡らされて隙がありません。それは建物の影に隠れて煙草を吸うことすらままならないほどです。そして、人びとが行き交う駅や商店街や公共施設などの場所では常に監視カメラの眼が光っています。

 たしかに「犯罪」や「危険」といった平穏な日常を壊乱するものを排除するには、こうした都市工学的な施策は有効でしょう。しかし、その空間管理のメタ・メッセージは、つまり、人びとの生活や行動は穏健かつ良識的であらねばならない、危険な秘密や怪しい隠しごとなどはもってのほか、というものであります。

 このメタ・メッセージを内面化した人間というのは、それはそれで不気味な存在ではないでしょうか。今わたくしたちが考えなければならないことは、「安心」や「安全」を空間的に消費することと引き換えに、みずからの身体や行動を高度な管理の視線に晒してしまうことであり、それにとどまらず、むしろみずからその視線にひれ伏すことが一般的であるという事態についてです。この社会的な事態は、郊外という透明な空間を前提としますので、やはり郊外の物質性や構造といったことにも考えを広げてみねばなりません。

 さて、前置きがずいぶんと長くなりましたが、ここで小説をとり出しましょう。よく知られている現代小説の作家です。角田光代の『空中庭園』(二〇〇二年)は、以上に挙げたような問題のありようをよく描きだしており、「郊外を生きる」ということを考える上で読まれるべき一冊だとわたくしは思います。  

郊外、この透明な空間

 この小説の核心的なテーゼを、登場人物の一家の長女・マナが次のように示しています。

何ごともつつみかくさず、タブーをつくらず、できるだけすべてのことを分かち合おう、というモットーのもとにあたしたちは家族をいとなんでいる。*5

 マナは、母親が作ったこの「モットー」の脆弱さを鋭く見抜き、そして「いくつかの過去はこの家の蛍光灯の下に引っぱり出され、よきものとして共有される」ことにも辟易としています。実際にコンビニで雑誌を立ち読みしている母親に声をかけただけで、ひどく動揺し狼狽する様子を見て、「秘密をなくそう、というモットーはこんなにもみっともないことなのだ」とひとり心の裡で理解するのです。

 またマナは、自分の家である「ダンチ」に帰ってくるときには必ず在宅しているはずの母親の帰宅時間が、なぜか日に日に遅くなっていくことを不審に思い、母を尾行することにします。そうしてショッピングモールで年齢にそぐわない買い物をする母親を見てしまったとき、ついにマナは母親の決めた「モットー」が引き起こす逆説を見破ることになります。

かくしごとをしない、というモットーは、ひょっとしたら、とてつもなくおおきな隠れ蓑になるんじゃないか。あたしたち家族の一日は、いや、あたしたちの存在そのものは、家族に言えない秘密だけで成り立っていて、そのこと自体をかくすために、かくしごと禁止令なんかがあるんじゃないか。その禁止令があるかぎり、あたしたちは家族のだれをも疑ったりはしないのだから。*6

 事実、マナをふくめた京橋一家の家庭は、母親が高校生のころに立てた計画に沿って作られたという、とてつもなく大きな「秘密」の上に成立している存在であったのです。しかし、前述したように、秋山駿によれば団地居住者は秘密を持ちえないはずです。とすると、秋山はこの小説の母親よりも純朴で素直なだけだったのでしょうか。

 たしかに秋山は、団地居住者の生活というものは、独自の秘密を持たないような「千篇一律の光景」のなかにあり、「上下左右の七つか八つの窓が、ほとんど同一の家庭の光景を明るく照らし出していた」と書いています*7

 しかし、じつのところ「秘密」に対する両者は、マナが洞察した「モットーの逆説」において共犯的な関係にあります。すなわち、「秘密がある」ということを蛍光灯の下や明るい窓の中でも「秘密」にするために、「秘密はない」という「建前」を作り上げる、秋山的に言えば「千篇一律」的な家庭を営んでいるのであって、その光や明るさによって演出された建前=千篇一律の「表層」こそが欺瞞に満ちた「秘密」を透明なものにするのです。

 こうした狡知を、母親である絵里子はひきこもりだった中学時代を経て、そして不遇にされた高校生時代に思いつくのですが、それは自分の母に対する反抗心の結果でありました。つまり、他人のいじめや暴力によってひきこもってしまった子どもの自分を守ろうとせず、世間から許してもらうために自分のいたらなさを泣いて詫びるという狡い母に絵里子は失望したのです。

 だから絵里子は、自分の子どもを「無用な憎しみや悪意から守り、善なるものに目を向けさせ、絶望や恐怖などよせつけない」ように、そうした家庭を築くことを決意します。要するに、自分の実家を「反面教師」にしたのです。その実家は「陽が射さずに暗く、じめじめして」いたという絵里子の回想が示すとおり、母親としての絵里子が住まう「ダンチ」(絵里子はあくまでも「グランドアーバンメゾン」と呼びます)とは正反対の性質を持つ空間でした。そして、現在の住まいは「光かがやくあかるい場所」であり、そのベランダに並べた鉢植えの庭園は「居間からも食卓からも、外からも見えて心を癒さなければいけない」とされている空間なのです。

 このように対比される二つの空間のうち、「ダンチ」=「グランドアーバンメゾン」は、絵里子の自意識を通して生み出される空間でありましょう。その自意識とは、「外」という他人=社会に対して、自分たちの家族は明るく善であり、心癒される場を作り上げている、ということを示す意識にほかなりません。

 自意識が空間化したこの家庭は、必然的に内部の独立性を失いますが、それは同時に外部との境界を失うということでもあります。このことは第一次集住の農村と、その外部であった第二次集住の都市とが、土地の商品化と都市内部の人口増加によって内破-外破され「外部なき郊外」を生む、この資本の論理の比喩として読むことができるでしょう。

 すなわち、絵里子が住む「ダンチ」の家庭は、小市民的な道徳観を有する外部の監視社会と地続きになってしまい、内も外もなく、荒涼とした郊外的な空間になってしまいます。実際に、この家族の父が自身の不倫(なんと凡庸な秘密でありましょうか)を絵里子に打ち明けようとした場面で、絵里子の空間化した自意識は顕わになります。

秘密をできるかぎりもたないようにしようというとりきめをつくったのは私だった。私の家庭は母のつくったあのみじめな家とはちがう、私のつくりあげた家庭に、かくすべき恥ずかしいことも、悪いことも、みっともないことも存在しない。だからなんでも言い合おうと、私はくりかえし提案したのだった。けれどここにいる私の夫は、私の母とまるきりおなじに、自分の抱えるかくすべきものをわざわざ披露しようとしている。彼が守ろうとしているのは秘密をもたないという私たちのルールではない。自分自身だ*8

 他者の視線を意識して作り上げられるがゆえに、みっともないことが存在しない家庭、自分たちを守ってはいけない家庭、すなわち外=郊外と家庭が地続きになった意識空間というものは、読む者に空恐ろしい印象を与えるわけですが、作者である角田光代が郊外の問題と家庭のありようを比定して、それに通底するかたちで絵里子の空間化した自意識を描いたかどうかは定かではありません。ただわたくしはこの小説を郊外社会に対する批評的なものとして読みました。しかし、いわゆる「文壇文士」なる者はそのような読み方をしなかったようです。角田自身の反応とともに引用しましょう。

久世光彦さんが「BRIO」という雑誌に書いた『空中庭園』の書評が、ものすっごい堪えたんです。こきおろされた訳じゃないんですよ。すごく面白くて読まされたという主旨の文章が続いて、でもいちばん最後に、「だから何なの? って思っちゃった」と添えてあった。つまりあの小説は、ある家族がいて、でもこんなに嘘がありますよ、って暴露して暴露して、暴露したまま終わる小説なので、久世さんのおっしゃることもわかるんですね。こんなに醜いものですよ、で終わってしまっていいの? ということを、とても丁寧に書いて下さった。*9

 わたくしは死体を足蹴にする趣味はありませんので、なるべく穏当に言いたいのですが、この小説をただのスキャンダラスな「暴露小説」として読むことなど、そこらへんの中学生でも造作なくできることでしょう。しかも角田自身がその評価を受け容れてしまっている様子からして、ご自身が何を書いたのかについてあまり自覚的ではないようです。

 たしかに物語の結末は何の救いもない殺伐とした終わり方ではありますが、しかしそれこそが郊外的な社会のありようを映し出していると言えます。なぜなら、農村/都市という内-外の境界線が無化してしまった結果の郊外、そしてその比喩であるところのこの家庭には、どこかへと脱出できるような「出口」は存在しないからです。あるいは絵里子の自意識に沿って言えば、社会=他者と家庭=自己の、この両者の間に何の緩衝地帯も内部の独立性も持たないために――社会のまなざしによって内面化された道徳のために、この一家はどこにいても自分の過ちや秘密事を許されることはないでしょう。

 以上のように、『空中庭園』という小説の文学的トポスが、郊外やニュータウンを想起させるような場所であるのはなぜなのか、久世光彦はそれについてまったく考えておらず、それがゆえに「だから何なの?」というつまらない問いしか出てこないわけです。ここは「だから何もない」と無表情に答えて然るべきでしょう。

 この作品を評価する理由、それはどこにも行くことのできない内閉した郊外の現実、そしてそこで生きることのドラマの不可能性を、戯画的に描いてみせたことだとわたくしなどは思います。

 

(後編へ続く)

 

   

 

(文責 - 赤井浩太

twitter.com

*1:古屋健三『「内向の世代」論』慶應義塾大学出版会、一九九八年、一九、二〇頁。

*2:古屋健三『「内向の世代」論』慶應義塾大学出版会、一九九八年、三三頁。

*3:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇二年、一〇〇頁。

*4:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇二年、三三頁。

*5:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、一〇頁

*6:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、三九頁

*7:秋山駿『舗石の思想』講談社文芸文庫、二〇〇五年、三四頁

*8:角田光代空中庭園』文春文庫、二〇〇五年、一三五頁

*9:特別対談 『書評の愉しみ』 三浦しをん×角田光代(前編) | ポプラビーチ